聖フロリアンのブルックナー・オルガン 〜 エルウィン・ホルン(Org)
2008.11.13 Thursday
・聖フロリアンのブルックナー・オルガン
エルウィン・ホルン(Org) (Motett)
以前のエントリーで、ハンス・ロットの交響曲のオルガン版のCDが出るらしいと書いたことがありますが、ようやくそのディスクを聴くことができました。CDショップの店頭ではまだ一度も見かけたことはないのですが、HMVからオンラインで注文してすぐに購入できました。
さて、このディスク、曲目がとてもユニークです。
残念ながらロットの交響曲は全曲でなかった代わりに、何とも盛りだくさんなプログラムで構成されています。御覧の通り、ブルックナーの弟子にして、マーラーの友人であったロットとゆかりの音楽が集められて、なかなかに凝った組み合わせになっています。そして、これらの曲が、あの聖フロリアン教会のオルガンで演奏されているのも「ミソ」です。
備忘録のために、曲目について少しメモっておきます。
ロットに続いて演奏されている「葬送曲」の作曲者オットー・キッツラー(1834-1915)は、ブルックナーの管弦楽法の先生にあたる人です。指揮者としても実力のあった人で、ブルックナーは自身の交響曲第2番の初演をキッツラーにしてもらいたかったが実現しなかったとのこと。(後年、作曲者立会いのもとで交響曲第2,4番を演奏)ここにおさめられた「葬送曲」は、もともと、自分より先に亡くなった(年長の)弟子への思い出のために、1905年にオーケストラのために書かれた曲だそうです。
ということで、続いて、キッツラーとのつながりで、ブルックナーの交響曲第2番のアンダンテが演奏されているわけです。なるほど、と納得です。
次のマーラーは、ロットの交響曲の第2楽章を聴いたことのある人ならニヤリとせざるを得ない選曲ですね。マーラーの3番のあの感動的なフィナーレは、ロットの交響曲の第2楽章が「原型」であることは誰が聴いても明らかですから。ここでは、演奏時間の関係で、第1〜52,92〜123,252〜328小節が抜粋して演奏されています。(演奏時間は12分弱)
そして、最後のブルックナーの皇帝祝典音楽という曲は、1890年の7月31日にバート・イシュルでおこなわれたオーストリア皇帝の娘の結婚式で、ブルックナーが祝典音楽を演奏した時のスケッチと覚書をもとに、このディスクの演奏者のホルンがその即興演奏を復元したもの。交響曲第1番のフィナーレ冒頭の引用から始まり、ハイドンの「皇帝賛歌」(国歌)が引用され、ついでにヘンデルの「メサイア」のハレルヤ・コーラスの一節も出てきて、壮大に締めくくられるという流れになっています。
と、よくもまあこんなコンセプトのアルバムを考えついたもんだと思います。世の中、面白いことを考える人がいるもんです。
さて、注目のロットの交響曲の前半のオルガン版ですが、特に印象に残ったのが、第1楽章の終盤のクライマックスの壮大さです。はっきり言って、そこに至るまでの弱音主体の音楽では、多彩な音色を誇るオルガンと言えどもどうにも単調な音楽に聴こえてしまって、やはりオケの色彩感が欲しいなあと思って聴いていました。しかし、音楽が盛り上がっていった末に、全音階のコラールが教会いっぱいに響き渡る時の壮麗さといったら!これは、絶対にオケには出せない味わいで、鳥肌が立つような思いがしました。オルガンの演奏ではブルックナーに高く評価されたロットですから、やはり音楽の発想の根源はオルガンだったのだなあとつくづく感じました。
続く第2楽章は、あたたかい音色で抒情的な音楽を聴かせてくれますが、マーラーを予告するような斬新さロマンティシズムが後退してしまっているのは仕方がありません。しかし、終盤で、金管が弱音でコラールを吹奏する場面(まさにマーラーの予告場面)では、聴いていて敬虔な祈りのような感情がこみ上げてきて、なかなかいい編曲になっていました。
さて、キッツラーの「葬送曲」ですが、時折その和声進行や、分厚い響きにブルックナーへの愛情が感じられますが、全体にいささか特徴に乏しい音楽という気がします。何だか音楽が印象に残らないのです。これもオケで聴いてみれば感じ方が変わるかもしれません。ただ、やはり普段聴くことのできない珍しい曲を聴けたという感慨はあります。
続くブルックナーの2番のアンダンテは、第2主題の美しさには目を見張るものがありますが、全体には思ったほどにはオルガンで演奏する効果が上がっていないような気がします。それがなぜだかはうまく言葉にできないのですが、もともとこの曲が「オルガンに向いていない」という風に感じられて仕方ありませんでした。概してあっさりしたテンポですいすい進んでいく演奏にも原因があるのかもしれません。期待しただけに残念。
次のマーラーの交響曲第3番の編曲については、まず何と言っても抜粋ですから、あくまでロットとの関連を見せるための「余興」として軽い気持ちで聴くべきものかなと思います。テンポもとても早い演奏ですので、音楽の美しさに浸るヒマもなく気がついたら終わっていたというのが正直なところ。(敬虔なマーラー・ファンからはブーイングが出るかも・・・。)
最後のブルックナーの「皇帝祝典音楽」は、まず、冒頭の交響曲第1番の第4楽章の頭をオルガンで聴くというのはなかなかに良いです。「神への畏れ」を感じさせるような厳かで屹立するような響きの壮麗さに圧倒されます。そして、ハイドンやヘンデルの引用を経て、なかなかに賑やかな「賛歌」が繰り広げられていて、これは理屈抜きに楽しめる音楽になっていました。
と、ダラダラと感想ともつかない文章を書き連ねてきましたが、要するに、「編曲や演奏はちょっと疑問符だけど、企画がとっても面白かったので許す。」というディスクでした。こういうディスクを持っているというのも、一つの私の「アイデンティティ」かなと納得しています。絶対に中古には売りません!
エルウィン・ホルン(Org) (Motett)
以前のエントリーで、ハンス・ロットの交響曲のオルガン版のCDが出るらしいと書いたことがありますが、ようやくそのディスクを聴くことができました。CDショップの店頭ではまだ一度も見かけたことはないのですが、HMVからオンラインで注文してすぐに購入できました。
さて、このディスク、曲目がとてもユニークです。
・ロット/交響曲第1番〜第1,2楽章
・キッツラー/葬送の音楽 - アントン・ブルックナーの思い出に
・ブルックナー/交響曲第2番〜アンダンテ
・マーラー/交響曲第3番〜第6楽章(抜粋)
・ブルックナー(ホルン編)/皇帝祝典音楽
残念ながらロットの交響曲は全曲でなかった代わりに、何とも盛りだくさんなプログラムで構成されています。御覧の通り、ブルックナーの弟子にして、マーラーの友人であったロットとゆかりの音楽が集められて、なかなかに凝った組み合わせになっています。そして、これらの曲が、あの聖フロリアン教会のオルガンで演奏されているのも「ミソ」です。
備忘録のために、曲目について少しメモっておきます。
ロットに続いて演奏されている「葬送曲」の作曲者オットー・キッツラー(1834-1915)は、ブルックナーの管弦楽法の先生にあたる人です。指揮者としても実力のあった人で、ブルックナーは自身の交響曲第2番の初演をキッツラーにしてもらいたかったが実現しなかったとのこと。(後年、作曲者立会いのもとで交響曲第2,4番を演奏)ここにおさめられた「葬送曲」は、もともと、自分より先に亡くなった(年長の)弟子への思い出のために、1905年にオーケストラのために書かれた曲だそうです。
ということで、続いて、キッツラーとのつながりで、ブルックナーの交響曲第2番のアンダンテが演奏されているわけです。なるほど、と納得です。
次のマーラーは、ロットの交響曲の第2楽章を聴いたことのある人ならニヤリとせざるを得ない選曲ですね。マーラーの3番のあの感動的なフィナーレは、ロットの交響曲の第2楽章が「原型」であることは誰が聴いても明らかですから。ここでは、演奏時間の関係で、第1〜52,92〜123,252〜328小節が抜粋して演奏されています。(演奏時間は12分弱)
そして、最後のブルックナーの皇帝祝典音楽という曲は、1890年の7月31日にバート・イシュルでおこなわれたオーストリア皇帝の娘の結婚式で、ブルックナーが祝典音楽を演奏した時のスケッチと覚書をもとに、このディスクの演奏者のホルンがその即興演奏を復元したもの。交響曲第1番のフィナーレ冒頭の引用から始まり、ハイドンの「皇帝賛歌」(国歌)が引用され、ついでにヘンデルの「メサイア」のハレルヤ・コーラスの一節も出てきて、壮大に締めくくられるという流れになっています。
と、よくもまあこんなコンセプトのアルバムを考えついたもんだと思います。世の中、面白いことを考える人がいるもんです。
さて、注目のロットの交響曲の前半のオルガン版ですが、特に印象に残ったのが、第1楽章の終盤のクライマックスの壮大さです。はっきり言って、そこに至るまでの弱音主体の音楽では、多彩な音色を誇るオルガンと言えどもどうにも単調な音楽に聴こえてしまって、やはりオケの色彩感が欲しいなあと思って聴いていました。しかし、音楽が盛り上がっていった末に、全音階のコラールが教会いっぱいに響き渡る時の壮麗さといったら!これは、絶対にオケには出せない味わいで、鳥肌が立つような思いがしました。オルガンの演奏ではブルックナーに高く評価されたロットですから、やはり音楽の発想の根源はオルガンだったのだなあとつくづく感じました。
続く第2楽章は、あたたかい音色で抒情的な音楽を聴かせてくれますが、マーラーを予告するような斬新さロマンティシズムが後退してしまっているのは仕方がありません。しかし、終盤で、金管が弱音でコラールを吹奏する場面(まさにマーラーの予告場面)では、聴いていて敬虔な祈りのような感情がこみ上げてきて、なかなかいい編曲になっていました。
さて、キッツラーの「葬送曲」ですが、時折その和声進行や、分厚い響きにブルックナーへの愛情が感じられますが、全体にいささか特徴に乏しい音楽という気がします。何だか音楽が印象に残らないのです。これもオケで聴いてみれば感じ方が変わるかもしれません。ただ、やはり普段聴くことのできない珍しい曲を聴けたという感慨はあります。
続くブルックナーの2番のアンダンテは、第2主題の美しさには目を見張るものがありますが、全体には思ったほどにはオルガンで演奏する効果が上がっていないような気がします。それがなぜだかはうまく言葉にできないのですが、もともとこの曲が「オルガンに向いていない」という風に感じられて仕方ありませんでした。概してあっさりしたテンポですいすい進んでいく演奏にも原因があるのかもしれません。期待しただけに残念。
次のマーラーの交響曲第3番の編曲については、まず何と言っても抜粋ですから、あくまでロットとの関連を見せるための「余興」として軽い気持ちで聴くべきものかなと思います。テンポもとても早い演奏ですので、音楽の美しさに浸るヒマもなく気がついたら終わっていたというのが正直なところ。(敬虔なマーラー・ファンからはブーイングが出るかも・・・。)
最後のブルックナーの「皇帝祝典音楽」は、まず、冒頭の交響曲第1番の第4楽章の頭をオルガンで聴くというのはなかなかに良いです。「神への畏れ」を感じさせるような厳かで屹立するような響きの壮麗さに圧倒されます。そして、ハイドンやヘンデルの引用を経て、なかなかに賑やかな「賛歌」が繰り広げられていて、これは理屈抜きに楽しめる音楽になっていました。
と、ダラダラと感想ともつかない文章を書き連ねてきましたが、要するに、「編曲や演奏はちょっと疑問符だけど、企画がとっても面白かったので許す。」というディスクでした。こういうディスクを持っているというのも、一つの私の「アイデンティティ」かなと納得しています。絶対に中古には売りません!
ハンス・ロットの交響曲のオルガン版?
2008.05.31 Saturday
先日、ハンス・ロットの交響曲が大阪で演奏されたと聞きました。私は聴きに行けませんでしたが、ロットの音楽がより広く音楽ファンの間で認知されていることの証しかと思います。とても嬉しい気がします。
さて、HMVの新譜情報を見ていたら、こんなのがありました。
(Organ)symphony: E.horn +bruckner, Mahler, Etc
ハンス・ロットの交響曲のオルガン版のディスクが出るということなのでしょうか?今まで、第1楽章のみのオルガン編曲のディスクはあったようですが(現在廃盤)、今度のはそれとも演奏家もレーベルも違います。カップリングがブルックナーとマーラーということで訳が分からずまったく詳細不明ですが、とても興味深いディスクです。きっと1ヶ月後のこのブログでは、このディスクを聴いた感想を書いている自分の姿が思い浮かびますが、一体どんな演奏になっていることやら想像がつきません。
因みに、このディスクで演奏しているエルヴィン・ホルンという人は、多分、以前Novalisレーベルからブルックナーのオルガン作品集を出していた人だと思います。
・ブルックナー/オルガン曲集
エルヴィン・ホルン(Org)(Novalis)
そこでは、オリジナルのオルガン曲に加え、第0,6番の緩徐楽章のオルガン編曲版も弾いていて、アレンジというか音栓の選び方が良く、なかなか良い印象を持っています。(現在廃盤の模様です)
ブルックナーの弟子であったロットの交響曲をオルガンで、というのはあり得る発想です。ただ、この交響曲、個人的にはブルックナーよりもマーラーの音楽との近さをより強く感じるので、果たして納得のいく結果となっているのかはちょっぴり心配ですが、ロットの音楽の大ファンとしては、今から聴くのが楽しみです。