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2014.02.15 Saturday

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    ・みうらじゅん
     (あの人ではありません)







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    佐村河内守氏に思う

    2014.02.06 Thursday

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       今日は、作曲家佐村河内守氏にゴーストライターがいた(作曲家の新垣隆氏)という件が大きなニュースになりました。

       私も驚きました。昨夜ツイッターで情報が流れた時は状況が把握できないながらも、ちょこちょこと何か書かずにいられなくていくつか呟きましたが、その後も、ニュースやSNSの反応などを見ながらいろいろと考えていました。

       私自身は、大ヒットした交響曲第1番「HIROSHIMA」について2つの文章を書きました。まず最初は、日本コロムビアのメルマガに連載している「音盤中毒患者のディスク案内」の2回目のコラムとして書いた「佐村河内守の交響曲第1番を楽しむ50の方法」。そしてもう一つは、当ブログに書いた昨年8月に川崎で開かれた大友直人指揮東響による演奏会の感想。因みに、コロムビアのメルマガに掲載したのは、あくまで私自身が自腹でディスクを買い、自分の意志で感想をかいたものです。決してコロムビア側から記事を書くように依頼された訳でも、ディスクを無料で頂いた訳でもありません。演奏会もまったく自分の意志と好奇心でチケットを買いました。

       そこで私が書いた内容について言えば、私はあの曲を聴いた時に思ったことをなるべくそのまま書いたつもりですから、ゴーストライターの手によるものだと判明したからといって、文章を書いたこと、内容をいささかも恥じてはいません。開き直りと言われればそれまでですが、実際にCDや実演で聴いて、その楽曲に抗いがたい魅力があると感じたことは事実ですし、その一方で、演奏会の感想で「私はNHKスペシャル的な、いささか甘ったるい「感動」の物語という観点からこの曲を聴くことが生理的にできないので、このあたたかい雰囲気に溢れたカーテンコールの渦中にあっても、佐村河内という作曲家、彼の音楽にはある程度の距離を持って冷ややかに見ざるを得ません」と記したように、かなりの違和感を覚えながら醒めて聴いていた部分があったのも事実。そのへんの心の葛藤はどちらの記事でも包み隠さずに書いたつもりです。

       とはいえ、私がどのように自己弁護しようが、この曲のもつ魅力に対し、例の「被爆2世」「全聾」「震災」といった物語とまっすぐに結び付けて理解しようとした部分があるのは事実。いくら私が「物語に感動したのではない」と主張しようとしてもなかなかそれは否定できません。私自身、物事の本質を見る目、真偽を聴き分ける鑑賞眼を持ち合わせていなかったのだとため息をつくしかありません。

       いや、私ごときのことはこの際どうでもいいです。先ほど書いたように、自分の書いた文章を恥じてはいませんし、まんまと騙された馬鹿と言われても甘んじて受けます。所詮素人なんだからと開き直ることができるからです。金銭的にもCD3000円、演奏会チケット5000円しか使っていませんし傷は浅い。金返せという気も起こらない(昔ちょっとファンの間でちょっと流行したコブラという妙な指揮者のCDではほんとに金返せと思った)。私の文章を読んで例の交響曲を聴いてみる気になった、お前に騙されたとおっしゃる方がいても、それは申し訳ない、ごめんなさいと謝るしかできない。

       そんなことより私はとても胸を痛めています。交響曲を始めとした一連の作品の価値を信じて演奏してきた音楽家の方々、あるいはレコード会社のスタッフの方々の心中を思ってのことです。

       指揮者の大友直人さんが、ただ譜面を見て良い曲と思ったから演奏したというコメントを出していますが、恐らく、多くの関係者が同じようにただ純粋に氏の音楽(だと思っていたもの)に共感して演奏し、世に売り出したということなのでしょう。騙される方が悪いという考え方も成り立つのかもしれませんが、別人の手による偽作であるということを見抜けなかった以上、ただ音楽的な審美眼でのみ、曲の良し悪しや演奏すべきかどうかを判断するしかなかった。そして、実際にいい曲だと思ったから演奏・録音したというのが本当のところではないでしょうか。きっと皆さん、がっくり肩を落として途方に暮れ、あるいは、怒りに打ち震えているのではないかと思います。

       私にはとても恐れていることがあります。今回の件があって、演奏者・制作者がこういう事態を恐れ「君子危うきに近寄らず」とばかり冒険をしなくなること、リスクを取らなくなるような事態になることを。また、我々聴き手の側も、音楽そのものよりも、それにまつわる物語への思いをバイアスにしてやたらと感動を求めてしまうような聴き方(作り手の売り方も同じですが)は消えてなくなってしまえばいいと思いますが、その反面、危なっかしいものを避けようとするばかりに、今度は曲に紐づく権威にばかり関心が移ってしまうのではないかと憂いています。ことほどさように、音楽を背景や物語という「文脈」を抜きにして、純粋に聴くというのは難しいからです。

       そういう恐れが現実にならないようにすべきだと思うのですが、そのためには、我々聴き手の側は、それがどんなに難しい作業であっても、自分の持つ想像力をフルに生かして、これは新垣隆という才能ある作曲家が、依頼主からイメージを伝えられて仕上げた作品であるという視点からあの交響曲やソナタ、ソナチネを聴き、それで何を思うかを一人一人が考えることが必要なのではないかと思います。その上で、やっぱり許せないのであれば、この曲にまつわる忌まわしい記憶に蓋をしてしまえばいい。

       実際にあれらの曲を一度も聴いてもいないのに、ただ報道の作り出している「ゴーストライターとクライアントの確執」という「物語」に乗っかって、ただ自分は安全なところから悪口を言いまくったり、騒ぎが起こった今になってからこれらの曲を初めて聴いて「したり顔」で正義の味方然とした振舞いをしたりするのは、私からすると最悪です。また、プロの音楽業界の方々においては、自分は無関係とばかりにだんまりを決め込むのも良くないと思います。ちゃんと音楽を聴いたうえで、正しく批判すべきだと思います。大事なのは、そこで本当に思ったことを述べること。遠慮していてはいけない。

       結局のところ、今回の騒ぎがどういうふうに落ち着くのか、いや、落ち着かせるのかが、私たちに課せられた課題だと思います。私のような「クラヲタ(自分としてはそうではないと思っていますが)」に属する人間だと、むしろゴーストライターが新垣氏のような才能あふれる作曲家で良かった、自分は新垣氏の技量には気づいてたぞくらいの気持ちで、生あたたかく、やわらかく、事態の推移を受け容れるのが良いのではないでしょうか。私自身は、コロムビアがディスクの出荷を停止すると発表したのを聞いて、「「レクイエム」の入ったDVDを買っておいて良かった」なんてことを思ってしまいましたが不謹慎でしょうか。ともかく、コロムビアのコラムでも書きましたが、「佐村河内祭り」は思わぬ形で幕引きになってしまいましたが、今こそ、我々クラヲタの度量の深さ、寛容さ、お気楽さを世に知らしめるべきではないかと。だめでしょうか。

       ただ、一つだけこれはどうしても許せないのは、佐村河内氏が、結局、何の罪もない子供(義手のヴァイオリン弾きの「みっくん」や、「レクイエム」を捧げられた少女)を騙していたこと。大人たちは何とでも自分たちで責任をとるべきだし、とることができる訳ですが、子供達、佐村河内という人を信頼しきって慕っていた子供達を欺いたということは本当に許し難い。子を持つ親としてはとても残念な行為です。誰よりもあの子供達、そして両親達に誠意を見せてほしいです。

       そして、私自身の決意として、今回の件があったとしても、佐村河内の曲として演奏活動をおこなっていた演奏家の方々、日本コロムビアの方々に対しては、今まで通り、いや今まで以上にファンとして応援したいし、良い音楽を届けてもらえることを期待しています。

      【自己批判】私が言いたかったこと

      2013.03.22 Friday

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        ・考え中のレナード・バーンスタイン
         (本文とは関係ありません)
         

        【自己批判】撤収します

        2013.02.12 Tuesday

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          【自己批判】後悔 そして お願い

          2012.03.05 Monday

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            ・ショスタコーヴィチ(本文とは関係ありません)








            【自己批判(4)】コメントへのお返事

            2011.07.26 Tuesday

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              自己批判 その3 〜 コメントとメールへのお返事 & ブログ開設3年

              2010.08.14 Saturday

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                自己批判 その2 〜 ベートーヴェンは肉食系?草食系?

                2009.12.23 Wednesday

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                  ・自己批判中








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