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【ディスク 感想 】ショスタコーヴィチ/交響曲第4番 〜 ヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィル
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    ・ショスタコーヴィチ/交響曲第4番
     ヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィル

     →詳細はコチラ(HMV/Tower)
     
      ナクソスレーベルで進行中のヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルのショスタコーヴィチの交響曲チクルスの第9弾となる第4番を聴きました。

     予想通り、とてもシャープで切れ味鋭く、迫力十分の演奏でした。アンサンブルが粗くなったり、音色が汚くなることがないので「爆演系」というカテゴリーに押し込めるよりは、ショスタコーヴィチ演奏の「最先端」という言葉を使いたくなるような音楽です。とはいえ、恐らく誰もが注目して聴くに違いない、第1楽章中盤の激しい弦楽器の追っかけっこから猛烈なクライマックスにかけて、その沸騰するような音楽はまさに狂気の世界だし、第3楽章の終盤近くの壮大なコラールも、聴いているこちらが押しつぶされそうな音の塊に圧倒されるので、どういうアプローチを取ろうともこちらが最低限クリアしてほしいところはちゃんと満足させてくれます。

     しかし、ちょっと予想外だったのは、聴き終わって一番印象に残ったのがそうしたこの曲の「ハイライト」部分ではなくて、最後のコーダだったことです。いや、あの不思議な静けさに覆われた響き、特にチェレスタの音はどんな演奏で聴いても印象の残るのは間違いないのですが、ペトレンコとリヴァプールの演奏では、その響きの底流にあるコントラバスの引きずるようなシンコペーションが妙に強調されていて、とても印象に残ったのです。

     これはチャイコフスキーの「悲愴」の最後じゃないか、というのは以前から言われていることに違いないのですが、ショスタコーヴィチがどうして「悲愴」の最後をどうしてここに持ってきたのか?というところまで考えに至らせてくれる演奏はなかったのです。

     いや、だからといって、私がその理由を「分かった」訳ではありません。恐らく、本当の理由は作曲者自身にしかわからないだろうし、もしかしたら、ショスタコ自身だって「いや、何となくね」と答えるしかないのかもしれません。

     しかし、チャイコフスキーの「悲愴」という交響曲、しかもそのフィナーレのコーダは、少なくとも私にとって、たとえその音楽の成立にまつわる物語を排除して聴いたとしても、どうやったって「死」をイメージせずに聴くことが非常に難しい音楽ですから、このショスタコーヴィチの交響曲第4番の最後を聴きながら強烈な「死」のイメージを感じずにはいられませんでした。マーラーの交響曲からの影響が色濃い音楽であること(「復活」や「大地の歌」を思わせるパッセージもある)から、人間の生と死をテーマに扱う音楽が出てきたとしても何ら不思議はありません。

     ペトレンコの演奏は、実は、具体的な「死」のイメージを喚起するような演奏なんかじゃありません。ただただ、普通に、そう、とても普通に、あのコントラバスのリズムを強調して弾かせていただけに過ぎない。テンポも引きずるようなものでもないし、陰鬱な、陰惨な雰囲気の音楽にもなっていない。何もない。そう、まるで古典音楽を演奏しているかのような「距離感」がある。だからこそ、何の障害物もなく、私はまっすぐにチャイコフスキーの「悲愴」へのイメージを直結させることができた。今まで私が聴いてきた演奏は、「悲愴」よりも前に「ショスタコーヴィチ」をイメージさせたからです。

     もしもショスタコーヴィチが「死」のイメージをこの曲に盛り込んだというのが本当だとしても、その「死」とはやはり具体的なイメージではないでしょう。例えばスターリンによる大粛清に恐れおののいているとかいう文脈で出てきたものではなく、ただひたすら、人間のとても健康的な精神の営みの結果として出てきた想念に違いありません。何と言っても、この曲を書いたショスタコ自身はまだ20代の若者であり、自分の音楽家としての未来に対しては、まだ楽観していたところも多かったはず。だから、その「死」のイメージは、天才芸術家が早くから見てしまった観念としての「死」、普遍的なテーマとしての「生と死」が扱われているに違いありません。音楽というものが、交響曲の形式という制約を加えた上で、そんな人間の根源的なテーマを、非常に抽象的なレベルで、そして文学や絵画にはできないような形で扱うことができることを証明してみせようという試みが、この交響曲第4番なのだろうと思うのです。(そういう意味でもやはりショスタコーヴィチはマーラーの後継者の一人であるとも言えると思います)

     ところが、ショスタコーヴィチはこの曲の初演をキャンセルした。リハーサルまで始まっていたのに、取り下げた。

     なぜか。この曲のように人間の生と死を直接扱うような音楽が書いて発表できるということは、一個人がそのパーソナルな思いを社会に対して発することができるということであり、それは社会が開かれたものであって、健全であることの証明になるはずなのに。「死」を真正面から考え、大っぴらに語れる社会、それこそ実は理想的な社会であるはずなのに。それに、ロシアの優れた芸術の中では、いつだって「死」は最も重要なテーマだったはず。ドストエフスキー、トルストイ、ムソルグスキー、チャイコフスキーを挙げるだけでも十分。それなのに。

     きっとそれは社会的な環境がそうした発言を許せない事情があったのでしょう。「死」をおおぴらに語るということで、国家がその裏でおこなっている理不尽な殺戮についても当然言及されることになる。それはまさに国家機密でしょう。

     それに、「死」をテーマにしたものが巷に溢れた時、世間には多少とも厭世的な雰囲気が生まれるかもしれない。いや、そうしたことが語られること自体、社会が何か暗い不健全なものを孕んでいることの表れかもしれない。今の社会が持っている問題や矛盾点が原因となって、国民が無力になっているからかもしれない。もしそうだとしたらどうでしょうか、ロシア革命で樹立された共産主義国家、それも夢と希望と繁栄に満ちた輝かしい国家という、対外的に宣伝しているイメージを否定するような空気が、実は国民の中に蔓延しているということなのかもしれない。きっと国の指導者たちはそうした「空気」を極度に嫌うのでしょう。国民たちはいつもどんなに理不尽な状況に置かれていようとも、いつも国家に笑顔で忠誠を誓い、活力に満ちて、協力的なければいけない。間違っても、宮殿前にデモをするような(かつての自分たちのような)人たちが出てきてはいけない。ならば、ショスタコーヴィチの書いたような音楽は、絶対に指導者たちが好む訳がない。いや、むしろ、国家の暗部をほじくり返し出しかねない作品として受け止められるに違いない。そう考えて、彼は初演を諦めたのはないか。

     つまり、この曲を書いた時のショスタコーヴィチは、ただただ芸術家としての内面の声に従って音楽を書いたが、書き終わった後の社会の空気の変化に気づいて初演を諦めたということなのだろうと。何と言ってもプラウダ批判で、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」などで「人民の敵」呼ばわりされた訳ですから、尚更、空気の変化には敏感になってしまったことでしょう。

     自分としてはごく自然なこととして普遍的なテーマとして「死」を取り上げたに過ぎないのに、何かを恐れ、何かを忖度して、自分の芸術家としての使命を曲げずにはいられなかったのは、彼にとってどれほどの衝撃だったことかと思います。ショスタコーヴィチ自身の言葉として「絶望するということは、まだ希望を捨てていないということだ」というのがありますが、まさにそんな気持ちだったことでしょう。何も希望を持つこともできない。そんな日々を過ごしたに違いありません。

     そう思うと、あの交響曲第5番という音楽は、第1楽章は、「ああ、やっちまった。もうダメだ。何も望みもない。どうしよう。シベリアの風景が目に見える。あ、何だか軍隊の足音が聞こえる。俺を連れていこうとするのか?」、第2楽章は「ええい、もうヤケ酒だ。どうにでもなれ」、第3楽章は「シベリア。ああ、死ぬんだ、俺は」、そして第4楽章は「処刑台への死の行進、そして最後に至って、やった!首がつながった、助かった!という夢」みたいな音楽に聴こえてきます。

     随分とペトレンコの4番の感想からかけ離れてしまいました。でも、そんな妄想を広げることができたということは、とりもなおさず、演奏が素晴らしかったからに違いありません。

     彼らの演奏する残りの2曲、第13番と第14番という、ショスタコーヴィチの交響曲のある意味、本丸ともいうべき曲たちがどんな妄想をさせてくれるのか、楽しみでなりません。
    | nailsweet | ショスタコーヴィチ | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
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