【ディスク 感想】J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第2,4,6番 〜 ディッタ・ローマン(Vc)

2014.11.11 Tuesday

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    ・J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第2,4,6番
     ディッタ・ローマン(Vc) (Hungaroton)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)




     先日、びっくりするようなニュースを見つけました。J.S.バッハの「ゴルドベルク変奏曲」や無伴奏チェロ組曲は、バッハ自身の作曲ではなくて、妻アンナ・マグダレーナの手によって作曲されたものではないかという研究発表があったのだそうです。これらの曲はアンナが写譜した楽譜が現存しているだけで、自筆譜は失われていると思われてきましたが、写譜を丹念に見ていくと推敲した形跡があり、ただ何か譜面を見て「写した」というだけでは説明がつかないということで、アンナ作曲説が浮上してきたのだそうです。

     確かにバッハは失明したということもありますので、楽譜を書くことは不可能だったという見方はできるのでしょうが、しかし、例えばバッハがチェロ組曲を書いた時(ケーテン時代)には、まだ目は見えていたのではないかと思うので、正直信じられません。

     でも、私は研究家ではありませんから、真実がどこにあるかなどは分かりません。やっぱりこれはアンナ・マグダレーナの「作曲」によるものだということが証明されることがないとは言い切れません。

     もし、無伴奏チェロ組曲がアンナの作曲だったらどうなるでしょうか。曲に対する評価や見方は変わるでしょうか?「男性的」な音楽という評価は間違いで、「女性的」な音楽だという捉え直しが始まるのでしょうか。

     私は、作曲者が誰だろうが、この組曲の価値は変わらないと思います。この曲の持つはかりしれないほどに大きな力、音楽そのものの「かたち」の美しさは、決して揺るがない。男性的な性格をもっていると思っていた音楽が、もしも女性的なものに思えてくるのなら、それは、視点を変えてみると男性的にも女性的にも見える両義性、または多義性を孕んだ音楽であることの証明であり、より普遍的な音楽としての大きさを私たちは知ることになる、ただそれだけのような気がします。

     では、今日私が聴いたディッタ・ローマンの弾くバッハの無伴奏チェロ組曲の第2弾、第4,2,6番の3曲の演奏はどうでしょうか、男性が書いた音楽に聴こえるでしょうか?女性が書いた音楽に聴こえるでしょうか?

     いや、そんなのは愚問でした。だって、この音楽に「性」は関係ないと、ついさっき言ったばかりなのに、舌の根も乾かぬうちに、男性的か女性的かなんていう設問を立てるなんてばかばかしいもほどがある。撤回。

     ローマンの演奏は、前作と同じく、背伸びすることなく、のびのびと自分の音楽を発揮した結果生まれてきたものであると思います。そこには余計な気負いもなく、自らを大きく見せようという顕示もなく、ただただナチュラルな音楽が鳴り響いています。何と心地良いことか。

     その心地良さは第6番で最も顕著に感じられます。ニ長調というチェロにとっては最も鳴らしやすい調性ながら、高音が駆使されていて技術的には最も難しい曲である訳ですが、ローマンはまったく技術的な困難を感じさせることなく、あっけらかんと、軽々と、楽しげな「舞曲」を聴かせてくれます。特にサラバンドでの一陣の風が吹き抜けるような爽やかな抒情には胸を打たれます。ニ短調の第2番の哀愁に満ちた音楽も、深刻ぶらず、しかし能天気になることもなく、しみじみと心に沁みる音楽が聴けます。ただ、変ホ長調の第4番は、内容的には地味で、最も「勝利打点を上げにくい」曲だからでしょうか、あるいはチェロにとっては鳴らしにくい調性だからでしょうか、彼女の最大の武器である伸びやかさは幾分減退している気がします。

     と、ほんの少しの不満はありますが、私にとっては愛すべきバッハの無伴奏チェロの音盤が加わったというたしかな実感があります。彼女の演奏を通して、まさかアンナ・マグダレーナの存在などを感じる訳では決してないのですが、でも、この肩怒らせることのない、清らかで柔らかい音楽が流れる演奏を聴いて、「これは女性が書いた曲だ」と言われれば簡単に信じてしまうかもしれないと思う自分もいます。いや、ただ、ローマンの美しいポートレートを見ながら、鼻の下を伸ばして聴いているからそう思うだけなのかもしれません。

     ともかく、ローマンの演奏にはこれからも注目していきたいです。

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    2019.06.03 Monday

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