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【ディスク 感想】ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第20, 31, 19, 10番 〜 トゥルーデリーズ・レオンハルト(Fp)(Musica Ominia)

 ・ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第20, 31, 19, 10番
 トゥルーデリーズ・レオンハルト(Fp)(Musica Ominia)

 →詳細はコチラ(Musica Omnia
  ※Tower/HMV/Amazonでは扱いはまだないようです



  トゥルーでリーズ・レオンハルトさんの3年ぶりの新譜、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集を聴きました。レーベルは前回のモーツァルトと同じくMusica Omnia、2014年1月に、レオンハルトさんが住んでおられるスイスのサン=シュルピスでおこなわれたもの。

 楽器は、モーツァルトで使用したアントン・ワルター製のレプリカ(ポール・マクナルティ製作)ではなく、彼女がこれまでずっと弾きこんできた1815年ベニグヌス・ザイドナー作のフォルテピアノ。

 収録されているのは、収録順に、第20,31,19,10番の4曲。ベートーヴェンの最晩年の傑作である第31番以外の3曲は、1790年代後半に書かれた若書きであり、ベートーヴェンの作風の変化が感じられる選曲。ちょうど、これら2群の作品成立の間の時期に作られたフォルテピアノで弾いているということでも興味をそそるアルバムです。

 この新盤を数回聴き終えて、今私が最も痛切に感じていることは何かと言うと、「ああ、私は日本人なのだ」ということでした。

 このディスクの最後に収められている第10番ト長調Op.14-2から話を始めます。レオンハルトさんは、中庸からほんの少しだけ遅めのテンポで、慌てず急がず落ち着いた語り口の音楽を展開していて、彼女の愛器ザイドナーはダイナミックレンジもさほど広くないし、音色の変化もさほどある訳ではありません。しかし、どうでしょうか、聴けば聴くほど、レオンハルトさんがどれほどに一つ一つの音の成り立ちと行き先に心を配っているか、どれほどに愛情をこめて弾いているかが、そして、このこじんまりとした佇まいの音楽の中に、どれほどに豊かな言葉と対話が隠されているか、どれほどにきめ細やかな色彩が散りばめられているのかが、古雅で鄙びたフォルテピアノの響きと、じっくりした音の運びから伝わってきます。それだけでなく、ベートーヴェンという作曲家が、本質的には、聴き手に心地よい驚きを与えようというユーモアやサービス精神をもった人であり、他の人と微笑みを通わせることのあたたかな幸福を誰よりもよく知っていた人だったということさえも感じられます。

 勿論、そうした諸々を大抵のピアニストの演奏から同じようなことを感じることは少なくはありません。しかし、この音楽の孕んでいる汲み尽くせぬ豊かさを、彼女ほどにさりげなく、自然な表現として感じさせてくれるピアニストはどれほどいただろうか、いや、いないんじゃないだろうかと思いました。例えば、スケルツォからのアレグロで聴かせてくれるような、ちょっとすっとぼけたようなユーモラスな味わいのある表現は絶品じゃないでしょうか。全楽章にわたって出てくる左手と右手の旋律の親密なおしゃべりの楽しさも格別のものがありますし、基本はインテンポながら要所では、やりすぎず、やらなすぎずという絶妙のアゴーギグを聴かせ、ほんの僅かに歩調を早めて先を急いでみたりというような音楽の流れも、すべてにおいて自然で、血が通っていて耳が疲れません。きっとレオンハルトさんに言わせればこの音楽の生理がただそう願うからそれに沿って弾いただけというシンプルな表現には違いないのですが、その「生理」を知り尽くした達人にしか奏でることのできない音楽なのではないでしょうか。この第10番に限らず、ソナチネと呼ばれることもある小規模な第19,20番も、小品として軽く扱われることなく、本来持っている生命の律動や鼓動が明らかにされていて胸を打ちます。昔、これらのソナタを弾いていた少年時代の私にこの演奏を聴かせてやれれば、彼はもうちょっとピアノを続ける気になったのではないかと胸がちょっと痛んだりして。

 そして、ベートーヴェンの全作品の中でも最高傑作の一つである第31番についてはもう何を言えばいいでしょうか。この曲は、特に第3楽章で提示された「嘆きの歌」で、静かに紡ぎ出されるフーガとが、2回対話をする中でまさに弁証法的に止揚しながらゴールへと到達するさまをモダンピアノで聴くと、どこまでも決して到達することのできない遥かな高みを目指す厳しい音楽のように感じます。しかし、これをレオンハルトさんの演奏で聴くと、かなり印象が異なって、あたかくてナロウな響きの楽器の音と、レオンハルトさんのしみじみとした語り口からは、目指しているものの高さはさほど感じられず、もっと身近で距離の近いものであって、いつの日かそれは手に入れることができるものなのかもしれないという希望さえ感じます。あの余りにも輝かしいコーダでは、圧倒されるというよりも、希望を手に入れて、この上もない幸福を感じるという感覚に心を震わせ、30歳になる前に書かれた第10番のソナタで感じたベートーヴェンの音楽の「あたたかな幸福」は、晩年の孤高の位置に到達した作曲家の音楽の中にも、こんなにふんだんに盛り込まれていたのだということを知りました。

 そのことと、私が日本人であるということ何の関係があるのか。

 私はレオンハルトさんの演奏から、とりたてて音楽から何かを意識的に感じ取ろうとせずとも、それを明確に表現しようとせずとも、ただ呼吸し、ただ楽譜を見て、ただフォルテピアノを弾くだけで自然に滲み出てきているものを感じずにはいられません。一見、さりげなくて何もしていないとさえ言える演奏の背後に、豊かな土壌の存在を感じずにはいれらない。

 それは、ピアニストとして彼女が受けたであろう音楽の知識や訓練、あるいは彼女が拠って立つ音楽の論理やスタイル、奏法というようなものだけではなくて、彼女自身が、師匠のロンやナット、実兄のグスタフ氏を始めとする古楽奏者たちから学んだもの、彼女自身が子供の頃から日常的に触れてきた音楽文化、そうした真の意味での「伝統」によって成り立っていると考えて良いのだろうと思います。ヨーロッパの音楽史が始まってから脈々と受け継がれてきた流れが、彼女の演奏の中に血肉化され、音として具現化されているのです。

 しかし、その彼女の演奏から感じられる「伝統」は、自分の身の周りにある「日本的なもの」とか、日本文化で言うところ「伝統」とは全然違います。いや、どちらが優れていて、どちらが後れているという話ではない。どっちが長い短いとかいうのでもなく、ただただ違う。

 何と言っても、このベートーヴェンのピアノ・ソナタにある「言葉」は、どう考えても日本語ではありません。やはりアングロサクソン系の言葉を根本にして生み出された音楽です。音楽の展開もやはりドイツ観念哲学を生んだ文化圏からしか出てきようのない緻密かつ厳格な論理に基づいたものであり、一体、そういったものが日本の文化にあるだろうかと見渡してみても思いつかない。

 また、オランダの大富豪の家に生まれ、由緒正しい豪華な調度品に囲まれ、毎日子供の頃から歴史に名を残すような大音楽家が出入りするような環境で育ち、歴史的名演奏家に教えを受けたというような経歴を持つレオンハルトさんを生んだ土壌は、今の西洋化された日本の中にさえまったくない。

 ああ、この絶望的なまでの距離は何だろうかと思いました。先日発売された雑誌で、許光俊氏が「日本のオーケストラなんて所詮はヨーロッパもどき、だから自分は絶対に日本のオケなんて聴かない、尊敬できない」と書いていましたが、まあそう言いたくなる気持ちも分からないでもない。「嘆きの歌」を歌うしかないんじゃないかというほどに距離がある。

 でも、私は、それでも、本来はそんなに遠い文化圏で生まれた音楽から、確かに幸福感を得ることができました。レオンハルトさんが身に着けて自然に表出することができて私にはできないものがあるということを実感し、そう簡単に理解できるものではないということも理解できましたけれど、それ以上に、ベートーヴェンの音楽にあるさまざまなものを感じ取り、自分のものとして心を動かされたことは紛れもない事実です。

 どうしてでしょうか?それは、人間にとって「普遍」であるものが存在するということ、その「普遍」は音楽として表現でき、聴く人に伝えることができるということ、それは音楽の素養や知識がなくとも感じ取ることができるということを証明するものに他ならないのであって、よく考えてみると、ベートーヴェンが生涯にわたって心血を注いだのはその「普遍」に到達することだからなのだろうと思います。

 私はヨーロッパの文化とは程遠い日本の文化の中で生きている日本人ですが、だからこそ、ヨーロッパ人以上に「人間にとって普遍とは何か」というような曾野綾子の本のタイトルのようなことを、より真剣に、より純粋に考えることができるのであって、自分の言葉で考え、他者の言葉と向き合うことによって、きっとレオンハルトさんが感じさせてくれたような「身近さ」をもってベートーヴェンの音楽を「理解」することができると感じました。もしそうでないとしたら、ベートーヴェンの音楽なんて所詮日本人である私には理解なんて不可能だと思ってしまったら、果たして聴く意味なんてあるだろうか、感動できるだろうかと思うのです。ベートーヴェン自身が全身全霊をかけて信じたのと同じように、聴き手の私も「普遍」はあると信じなければ、決して彼の音楽の発する声を聴きとることなんてできない。だから、私はレオンハルトさんの弾くベートーヴェンから感じ取た「幸福」を、そしてその音楽に内在する「普遍」を信じることにします。

 レオンハルトさんは以前、私とのメールのやり取りの中で「音楽家の仕事は聴く人を幸せにすること」と仰っていました。事実、私は彼女の弾くシューベルトにどれほどの幸せを得ることができたか分かりませんが、今回のベートーヴェンのソナタでもやはり大きな幸せを感じることができました。偏愛してやまない第31番が含まれているということもありますが、これまでいくつか聴いてきた彼女のベートーヴェンのアルバムの中でも、特に印象に残る素晴らしいアルバムだと思います。

 年初めに、こんなに良い音楽を聴けて嬉しい限りです。レオンハルトさんという音楽家に出会えた幸運を喜ぶとともに、彼女がこれからも幸福な音楽家人生を歩み続け、できることならその恩恵に浴したいと願わずにいられません。

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  • 2017.04.28 Friday
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