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【映画 感想】「野火」(2014 日本) 塚本晋也監督・主演

・映画「野火」(2014 日本)
 大岡昇平原作 塚本晋也監督・主演 
 森優作、リリー・フランキー、中村達也ほか

 →詳細はコチラ(公式HP)

  塚本晋也が主演・監督した映画「野火」を見ました。

 大岡昇平が遺した小説「野火」は確か大学生の頃に読みました。映画を見て帰宅後、本棚をひっくり返して新潮文庫版「野火」を探し出したのですが、既に茶ばんでしまったその本は「昭和六十二年二月二十五日 六十二刷」と巻末に印刷されていました。「俘虜記」「レイテ戦記」なども夢中になって読みました。

 大岡の代表作とも言われる「野火」は、第二次世界大戦末期、フィリピンのレイテ島戦線で肺を病んで隊を追放された兵士が、パロンポンへの敗走の過程で体験した凄絶な出来事を描いた小説。ただの戦記である以上に、死んだ戦友の肉を食うという人肉嗜食(カニバリズム)が大きなテーマとなっている点で、問題作として広く知られている名作です。

 映画としては、既に市川崑監督の名作が有名ですが、塚本監督はもうずっと前から映画化を希望していたのだそうです。しかし、スポンサーがつかずに資金が集まらず、主演は自分でやること、スタッフも手弁当で作業をすることなどによって、構想20年を経てようやく実現の運びになったとのことです。

 もともと原作が凄まじい小説ですけれど、塚本監督が精魂込めて作った映画はこれまた凄まじいものでした。 

 何が凄まじいか。「リアルさ」へのほとんど執着とも言って良いほどの拘りが凄まじい。

 塚本監督が求めた「リアル」とは何か。
 まず一つめのリアル。戦場、しかも、敗戦が決定的という絶望的な戦場において、極限状態におかれた人間が一番強くもつものが何であるか、ということを、この映画は徹底的にリアルに抉り出し、描いている。

 それは人間の「生存本能」です。「生への執着」などという生易しいものではありません。何が何でも生きるのだ、生きるためになら何でもするという、ほとんど野獣のような剥き出しの本能です。生きるためなら、盗み、裏切り、殺人などは厭わない、そしてどうにもならなくなれば、死体、いや、殺した人間の肉を食べることさえ辞さない。そうした本能です。それらはどう見ても「狂気」ですが、戦場ではそれが「正気」になってしまう。

 主人公の田村も「生存本能」に従って行動する。食べ物を手に入れるためなら汚いこともする、危険だと思えば人も殺す。ただ、田村は「戦場の正気」の中にあって、人の肉を食うという「正気」に対してだけは従順になれず(「ならず」ではない)、「正気を保つ」という「狂気」の中で苦悶しながら戦場を生き延びた。その苦悶の過程が、小説の内容をほぼ忠実に映像化しつつも、もっとリアルに、もっと凄惨に描かれていた、私はそう思います。

 もう一つのリアル。塚本監督がインタビューなどでも言っていることですが、フィリピンの美しくて豊かな自然の風景のリアルさが強烈でした。目を背けたくなるようなシーンの背後には、いつも圧倒されてしまうほどに鮮やかなフィリピンの緑がある。「私を食べていいのよ」という幻聴を導き出す花は、毒々しいほどに美しい紅色をしている。これがあるからこそ、「戦地で何が起きていたか」ということを私たちは追体験することができます。めちゃくちゃに潰れた死体、蛆虫が湧いた死体、まだかすかに息があり、生きていて通りがかる兵士に物を言う死体。それらは、戦争さえなければ、人間に豊かな恵みをもたらすはずの自然と大地の上に横たわっている。その生と死の強烈なコントラストは、確かに小説の中で克明に記されているものですが、塚本監督の異様なまでのリアルさへの拘りがあってこそ、作家が実際に戦地に体験したこと、消しがたい過去としてこびりついた記憶が、より生々しいものとして、そして何より「真実のもの」として私たちの前に立ち現れている、そんな気がしました。

 まだあります。戦場で死んでいく肉体のリアル。アメリカ軍の圧倒的かつ効率的な機銃掃討によって次々と倒れていく兵士たち。被弾して血が噴き出し、手足がもげ、顔の皮膚がただれてずり落ち、内臓が飛び出す。掃討の轟音に耳を塞ぎ、正視しがたい凄惨なシーンに目を半分背けながら、「こんなひどい描写は小説にあったっけ?」と考えていました。さっと通し読みしてみると、それは「二十五 光」にあたるシーンだったことが分かったのですが、どう見ても、映画にあったような描写は見当たりません。これは映像を意識した「勇み足」ではないかと一瞬思ったのですが、その先の文章を見ると、あのスプラッター映画かというようなシーンは、これを実感させるためにはどうしても必要だったということが分かります。

 到るところに屍体があった。生々しい血と臓腑が、雨上がりの陽光を受けて光った。ちぎれた腕や足が、人形の部分のように、草の中にころがっていた。生きて動くものは、蠅だけであった。

 この場面を説得力ある形で映像化するためには、どうしてもあの阿鼻叫喚の場面をリアルに描く必要があったのだと思います。また、死体にわく蛆虫の不気味さ、主人公田村の顔につく蠅(本物の蠅がたかる場面を撮影するため、塚本自身が顔に腐ったものを塗って蠅を呼び寄せたらしい)の煩さも、徹底的にリアルに描かれることによって、死体が白骨化する過程で「生」が徐々に奪われていくというさまが、異様なまでに生々しく私たちに戦場で死んでいった人たちの声なき声を描きだしているような気がしました。フィリピン戦線では、戦闘以上に餓死や病死する兵士の割合が高かったことなども考えるとまったくやりきれない気持ちでした。

 こうしてさまざまなリアルを孕んだ映像を伴って、かつて読んだ大岡昇平の「野火」が、また新たな意味をもって私の中に蘇ってきたように思います。

 2015年の夏に「野火」を映画で見て、久しぶりに原作を読むということの意味は、残念ながら、とてもとても大きい。集団的自衛権行使の容認と自衛隊の任務拡大によって、私たちは否応なく、「戦場」というものをリアルに捉えて物事を考えなくてはならなくなった。勿論、第二次世界大戦の時と、今とでは、兵器の性能も、兵士の技術も格段に向上しているから、死ぬ危険性は遥かに低いという話はできるかもしれません。無人の戦闘機でやりあえばいいじゃないかという人もいるでしょう。

 しかし、やはり「血が流れる」ことには変わりはありません。人を殺す目的で飛ばされたドローンの操縦士は、「簡単に人が殺せる」任務を遂行することへの心理的な抵抗があって、多くの人たちがPTSDになるのだと聞きました。この「野火」の主人公の田村も、食事のときには奇妙な行動を繰り返してしまうというPTSDに悩んでいます。「戦場」というのは、「血が流れる」だけでなく「人を狂わせる」場所であるということを肝に銘じて、それも他の国よりもより深く感じながら、これからの「安全保障」の在り方を考えていく必要があるのではないかと思います。そして、それがたとえ「お花畑」と言われようとも、「武力や核兵器に依存しない、外交上での対話による解決が最も効果的であり、戦場を作ることはコストが高すぎて誰もやらない」というような世界にしていかなければならないと、映画を見終わって強く思いました。

 塚本監督は、パンフレットの中で、映画を見た結論は見た人それぞれが持ってくれればいいと言っていました。私とは違って、この映画を見て「戦場を二度と作らないためにも、抑止力としての軍備や兵器は必要、限定的な場合のみ武力行使を認めればいい」という意見を持つ方もおられるでしょうし、「こんな風に戦火に消えた英霊の最期を無残に描写する自虐的な映画は許せない」という方もおられるのだろうと思います。それはそれでいいのだと思いますが、この原作自体が戦争を経験した作家の実体験を基にしたものであること、映画自体もほとんど原作に忠実に作られていることに思いを馳せてみる必要はあると思います。

 重い重い映画でした。見終わって映画館を出てから、しばらくは私の頭の中は呆然と立ち止まってしまっているような状態でした。哀しいとか、感動したとか、良かったとか、悪かったとか、そんなことを考える余裕さえありませんでした。しかし、見て良かったと思いますし、何度も繰り返して見て、大岡昇平の遺したメッセージに触れて、考えていきたいと思います。

 俳優さんは、主演の塚本晋也はじめ、みんな凄い演技だと思います。田村を演じる塚本は、ご自身は知名度のある俳優を使いたかったとのことですが、恐らく監督自身が主演をしなければ、もっとタッチの柔らかい主張のはっきりしない映画になったかもしれません。資金難ゆえの怪我の功名と言われますが、いやいや、これで良かったんだと思います。戦後、帰還してからの田村の苦悩の表現が、実に沁みましたし。オーディションで抜擢された森優作が泣き虫な若者が狂気に呑みこまれていくあたりの道筋をしっかり見せてくれていい。リリー・フランキーは前週の「ヨルタモリ」でその普段の姿を見ていたところなので、その「いい人」ぶりが役に滲み出ていて印象的でしたし、伍長役の中村達也の腹の据わった演技もとてもいい。

 石川忠の音楽もいい。アジアン・テイストをふんだんに取り入れつつ、豊饒な生を孕んだ自然と、死臭にまみれた人間の姿との、強烈なコントラストをそのまま音にしてしまったところが、いい。

 映画を作るのには資金が集まらず塚本監督が苦労したということでしたが、本当にこんなに訴えかけてくる映画をよくぞ作って下さってありがとうございましたと塚本監督に心から感謝したいと思います。と同時に、これほどの低予算で良質な(そして歴史に名を残すかもしれない)映画を製作する勇気のない映画会社には、もうちょっと頑張ってほしいなとも思います。何かに、誰かに忖度しているというようなことがなければ良いのですが。

 それにしても、この小説のタイトル「野火」とはどういう意味なのでしょうか。映画のラストでは、凄まじい轟音を立てて燃えさかる野火が、私に何かを訴えかけている気がしたのですが、その「何か」とは何なのでしょうか。小説では、それはどうやら宗教的(特にキリスト教)な意味合いを含ませているように思えるのですが、映画ではそうした背景は何一つ描かれておらず、私たちへの「問い」として表現されているような気がしました。これから、「野火」の意味を考えながら生きていきたいと思います。

・塚本晋也

・森優作

・リリー・フランキー

・中村達也




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  • 2017.03.01 Wednesday
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