Langsamer Satz

クラシック音楽のことなどをのんびり、ゆっくりとお話したいと思います
<< 東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所」を見て思ったこと | main | 東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所」を見て思ったこと(その2) >>
【映画 感想】「この国の空」〜 二階堂ふみ、長谷川博己(2015 日本)
0
    ・映画「この国の空」
     出演:二階堂ふみ、長谷川博己ほか 
    監督:荒木晴彦 (2015 日本)
     →詳細はコチラ(公式HP)






     
     先週見た「野火」の印象が生々しく残っている中、「この国の空」を見てきました。荒井晴彦監督、二階堂ふみ、長谷川博己主演。公式HPでは、このような説明があります。
     
    芥川賞作家・高井有一による同名小説は、1983年に出版され谷崎潤一郎賞を受賞。終戦間近、当時の東京の庶民の生活を細やかな感性と格調高い文章で丁寧に描写され、戦争という時代を戦場ではなく、庶民の暮らしを繊細に、そしてリアルかつ大胆に描く物語を、『ヴァイブレータ』『共喰い』など数々の作品で男と女のえぐ味とロマンチシズムを見事に表現した、日本を代表する脚本家・荒井晴彦が18年ぶりに監督に挑んだ渾身の一作。
    (公式HPより)

     上記の通り、フィリピンでの戦場を舞台にした「野火」と違い、終戦間際の東京が舞台の映画です。戦闘はおろか空襲でさえも直接描かれることはありません。どこそこで空襲があって焼けたとか、たくさん死んだとか、死体がどうなっていたとか、新型爆弾が落ちたとか、ただ「伝聞」の中で登場するだけです。しかも、スクリーン上では誰も死なない。英雄も、悪役もいない。ただただ、東京に住む少女と、その母親姉妹、そして隣家の男がメイン、あとは近所に住む高齢者や、少女が勤める役所の人だけ。ロケーションも余りなく、ほとんどが少女が住む家の中で物語が進行していく。

     いや、「物語」など、実は存在しない。ただ、年頃の少女が、年上の妻子ある男性に恋をし、大人への階段を昇るだけ。それが終戦直前の東京だったから小説にできたに過ぎない。
     
     一言で言ってしまえば、低温の戦争映画というところでしょうか。何でもない庶民の生活が淡々と描き出されているだけで、極限状態の中で煽られた戦意などはどこにも出てこない。武勇談も、美しい話もどこにもない。これでもかと人間の暗部を抉り、何かを告発しようとするような姿勢は微塵も感じらない。一体、これが悲劇なのかどうかさえも分からない。ただ、スクリーンいっぱいに弾ける二階堂ふみという女優の、肉感的な「おんな」に、長谷川博己演じる市毛のみならず、私も溺れてしまいたくなる。

     ぶっちゃけ、もう戦争なんかどうでもいい。どうせもうすぐ終わる。目の前にある、指で押せばぷるんとはね返ってくるようなやわらかな肢体を、嘗め回すように見て、触れて、一つになってしまいたい、いつまでも抱き合っていたい。それができるのだったら、国が敗けようが何だっていい。生きてさえいれば、それでいい。いや、もっと言っていまえば、この里子という少女と、市毛にとっては、むしろこのまま戦争が続いていてくれた方が都合がいい。終戦になれば、市毛の妻子が疎開先から戻り、二人の関係がもしかすると終わってしまうから。戦時中で死と隣り合わせの状況とは言いながら、しかし、それが差し迫った状況ではなく、もう敗戦の日が近づいているとはっきり認識した中で、遠からず手放さなければならない淫靡な悦びを惜しむ。

     荒井監督が脚本を担当した坂口安吾原作の「戦争と一人の女」ととてもよく似た構造ですが、「この国の空」には、「戦争と一人の女」のような死を強烈に意識した自暴自棄はない。この映画の主人公たちは、偶然だが、戦争を生き延び、戦後を生きるであろうというはっきりした予感の中で、日常をただ生きています。

     そんな「この国の空」に対して、戦争というものを矮小化しているという批判はあるのでしょうか。あまりにも平坦なストーリー展開に不満を述べる映画ファンもいるのでしょうか。実際のところは私は分からないのですが、この映画を作った人たちはそんな批判は織り込み済みで、こうした題材、つまり、戦争中の何気ない日常の中にある風景、特に男女の恋愛を、敢えてリアルに描きたかったんじゃないかという気がしてなりません。

     そこに描き出された人間には正義も美談もありません。抜けるような青空や、生命力あふれる豊かな自然の風景の中に溶けこみ、ただ細々と存在しているだけ。戦争も何も起きていないかのごとく、たわわに実を結ぶトマトとは違って、人間ときたら、乏しい食糧をめぐって醜い諍いを起こす。それもすべて何となくゆるやかな日常へと丸く収まっていくのだけれど、何度も何度も同じような愚を繰り返す。

     しかし、がっかりするような人間の小ささを認識しつつも、ただ一つだけ、手放しで讃えたくかけがえのない「美しさ」がある。

     それは、二階堂ふみという女優さんが見せてくれる「おんな」の美しさです。

     畳の上でゴロゴロと転がりながら持て余している彼女の姿態。寝付けずに下着姿で市毛の家を見つめる彼女の淋しそうな後ろ姿。もぎたてのトマトをもって市毛のもとを訪れて彼にまるかじりさせ、その姿を見つめる彼女のものほしげな表情。里子と市毛が結ばれた後、血の滲んだ畳を拭く市毛の横で、里子が水を浴びる。その裸の後ろ姿の目をみはるような美しさ。

     そんなシーンに胸を動かされない人は、よほどのアンチでもない限りは、男女問わずあんまりいないんじゃないかと思うほどに、私の本能を刺激する美しさであり、いつの時代も、戦争があろうがなかろうが、いつでも私たちを魅了してやまないもの。二階堂ふみという傑出した女優さんのもつ「美しさ」は、たしかに例外的なものかもしれないけれど、女性はただ女性の「美しさ」を代表しているだけに過ぎない。みんな女性は美しい。「いちばんきれいだった頃」はあるかもしれないけれど、どんな季節にもその季節なりの美しさをもって生きている。女性は美しいというのは普遍なのだと思わずにいられません。

     そう思って二階堂ふみのもつ「普遍的な」美しさにうっとりとしていると、戦争の時代を生きていた人たちも皆、今を生きる私たちと何ら変わるところのない人間だった、大きな自然の中に溶け込むちっぽけな存在でしかないということに思い至りました。戦争時代を生きていた女性は、確かに皆モンペ姿だったかもしれませんが、服を脱いでしまえば、今を生きている美しい女性と同じく、美しい。栄養は足りておらず、体型も良くなく、衛生状態にも問題はあったかもしれないけれど、その彼女たちだって、美しい。女性というだけで美しい。

     であるならば、戦時中の日本国民は、確かに自国の勝利を信じていたかもしれないけれども、決して狂信的な人たちではない。大本営発表やデマの類には半信半疑だっただろうし、中にはこんな状況で勝てるはずがないと判断している人たちだって少なからずいた。ただ、当時の人たちは、おかしい、どう考えてもどう見てもおかしいことに対して、おかしいと感じる力は十分にあったのかもしれないけれど、それを口に出して表現する方法、権威に対して異議申し立てをする方法を知らなかった、禁じられていた。

     例えば、広島に新型爆弾が落ちたというニュースが報じられた時のシーン。街で次は東京だというデマが流されると、白い長袖の服を着ろというお達しが役所から出た。しかし、広島の街を一瞬にして焼き尽くした爆弾が落ちたら、いくら長袖を着ても、白い服を着ていても、一体何の役に立つのかと諦め顔にうなづく人たちがそこには映し出されていました。
     
     心の底では薄々分かっていたのです。本当に戦争に勝っているのなら、何でこんなに時間がかかるのか?バカバカしい。もう負けるんだろ?なら早く終わらせてくれ。そんな風に思いながら、不自由な日々を黙々と過ごしている。そして、そうやって戦争というものに呑みこまれ、消極的にでも関わり参加する。その結果、戦地に赴いて敵に殺され、病死・餓死し、家を焼かれ、大切な人を殺され、自分も殺されてしまう。命からがら生き抜いたとしても、過酷な戦後がまっている。それが戦争の一つの側面であり、これまであまり表現として描かれてこなかった、残念な真実なのだろうと思います。

     この映画が初めてそれを描いた訳ではないでしょう。個別には黒木和雄監督の「紙屋悦子の青春」とか、新藤兼人監督の「一枚のハガキ」など、淡々と人々の日常生活を描くことで戦争の輪郭を表現するものはありました。しかし、このように男女の恋愛を、それも官能的なタッチで描くものは多くなかったのではないかと思います。「戦時中の庶民の性」などというのは、もしかするとタブーだったのかもしれません。でも、「おんな」の美しさ、男女の性愛という、人間の「普遍」を通して戦争を描かれた映画があることで、戦争とは何かを、実感をもって、そして自分のものとして考えるヒントを得ることができるような気がします。

     何度も繰り返しますが、二階堂ふみという女優がスクリーンいっぱいにふりまいたエロスには、私は降参してしまいました。この人は、大河ドラマで演じた茶々姫しか見たことがなかったのですが、わがままで勝気な淀君の性格をかなり強烈にデフォルメした「怪演」で印象深かったのですが、こうして初めて彼女の姿をスクリーンで見て、美しくて、食べてしまいたいくらいに色っぽい女性だと思うと同時に、個性豊かな女優さん、というか表現者だなと感じました。とても新しいタイプの人なのかなと。

     彼女の独特のセリフの言い回しは、小津安二郎や成瀬巳喜男の映画の大ファン(その時点で非常にポイント高し)という彼女が、原節子ら往年の名女優たちのセリフを参考にしたということで、確かに、古い白黒映画で聞き覚えのある、あまり抑揚のない、でも気品を感じさせるような古風な日本語でした。それが耳にとても心地よいのです。ただ、他の俳優さんたちは皆、普通に今の言い回しで喋っているので、彼女だけがタイムマシーンに乗って戦時中から今へとタイムスリップしてきたかのような感覚にとらわれてしまったのは、不思議な味わいでした。私にはそれが成功しているのか失敗しているのかは分からないのですが、この二階堂ふみ演じる里子という、ドラマの中に埋もれてしまいそうな地味な存在を、他と強烈に隔絶し、普遍的な「美しさ」を身にまとって登場したような眩しさを感じられた点で、私は良かったのかなと思います。

     また、映画のスタッフロールで、彼女は、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」という有名な詩を朗読しています。これも実は彼女自身のアイディアで提案されたものとのこと。やっぱり、ただ言われたからこうやる、みたいなお仕事感の中で演技するのをとても嫌う人なのかもしれません。

     このように、オトナの欲望や願望からはずれることを厳しく禁じられたお人形さん的なアイドルとは違い、自ら考え、自らの言葉で、自らのやり方で表現したいという力を秘めた女優、二階堂ふみとの出会い、私はとても嬉しく思いました。多分、これから勉強して身につけていかなければならないことはたくさんあって、伸びしろだらけの人なのだろうとは思います。彼女がお手本とした原節子らの淡々とした演技をするには、感性が新しすぎ、若すぎて、幾分、「背伸び」として感じられてしまう場面も結構ありましたし。

     でも、それでも、このかけがえのない原石の輝きは、彼女はどうかこれからも失わないでほしい。とんがって、ぶつかって、弾けて、失敗して、立ち直って、その繰り返しで、私たちにいろいろなものを問いかける表現者になってほしいと思います。周囲にとっては扱いづらくて、めんどくさい女優さんになってしまうかもしれませんが、そういう才能があってこそ、表現の世界は枯れずに生き延びていけるのだと思います。応援したいです。

     彼女以外の出演者は、ベテラン名優揃い。素晴らしい。長谷川博己は、兵役から免れた弱弱しい男の中の「オス」を演じ切っていて良かった。明らかに意図したであろう淫靡なシーンを、これほど下品にならずに演じられる俳優さんって、他にあまり思い浮かばない。

     そして、80年代に青春を過ごした私にとって、工藤夕貴と富田靖子という二人の女優さんが脇を固めていることは、とても嬉しいことでした。今が彼女らにとって「一番きれい」なときかどうかは分からないし、人生の波乱万丈を生きてきただけの疲労感のある女性の役を演じていた訳ですけれども、それでもやはり彼女らは女性の美しさという普遍的なものは持っていて、しみじみと、ああ、この人たちと私は同じ時代を歩いているんだよなあと妙な連帯感を感じながら見ていました。まあ、私のくたびれたオヤジぶりを脇に置いて、ですが。

     他、石橋蓮司、奥田瑛二、利重剛、上田耕一といった名優さんたちの安定の名演技も素晴らしい。
     
     全体的に、感動したとか、涙を流したとか、腹の底から何か強い感情が沸き上がったというようなことはありません。失望した訳でもない。一般的に言っても、「なんとかベスト10」でランキングするようなものかどうかも分からない。実際、会場はガラガラでした。しかし、私がこの映画から受け取ったものは、見終わって数日経つ今も、私の中でしっかりと根づいているような気がします。そして、それが、私自身、第二次世界大戦への視点を形作っていく上で重要なヒントをこれからも与え続けてくれるような気がします。

     それにしても、私は荒木晴彦監督のことは全然よく知らなかったのですが、これまで脚本家として彼が携わって来た映画、見て印象深い映画が多くてびっくりしました。「遠雷(1981)」「Wの悲劇(1984)」「皆月(1999)」「戦争と一人の女(2013)」「海を感じる時(2014)」。薬師丸ひろ子以外は、官能的なシーンがとても印象的で、きっと女優さんのもつエロスを引き出す力をもった脚本を書く力をもった人なのだろうと思います。次は誰の官能を引き出してくれるのでしょうか。










     
    | nailsweet | 映画 | 16:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
    スポンサーサイト
    0
      | スポンサードリンク | - | 16:51 | - | - |









      http://nailsweet.jugem.jp/trackback/1242
           12
      3456789
      10111213141516
      17181920212223
      24252627282930
      31      
      << December 2017 >>
      + PR
      + SELECTED ENTRIES
      + RECENT COMMENTS
      • 珠玉の小品 その21 〜 ゴダール/ジョスランの子守歌
        まこ (11/23)
      • 【演奏会 感想】小泉和裕指揮東京都響 第841回 定期演奏会Bシリーズ アリーナ・イブラギモヴァ(Vn)
        バッハ (10/26)
      • デ・ラ・パーラ指揮のオール中南米プロの演奏会が聴きたい
        gijyou (07/24)
      • レコード芸術 創刊800号に思う
        “スケルツォ倶楽部”発起人 (05/07)
      • レコード芸術 創刊800号に思う
        木曽のあばら屋 (05/06)
      • マーラー/交響曲第9番 〜 バーンスタイン/IPO(1985.9.3) 
        ストロハイム (02/08)
      • アザラシヴィリ/無言歌(グルジアの歌)
        moemoet. (01/28)
      • アザラシヴィリの「無言歌」について 〜 原曲は "Dgeebi Midian"
        moemoet (01/28)
      • 【演奏会 感想】ウィリアム・クリスティ&レザール・フロリサン <イタリアの庭で〜愛のアカデミア> (2016.10.13 サントリーホール)
        siegfried (11/21)
      • 【演奏会 感想】ヴァレリー・アファナシエフ ピアノ・リサイタル(2016.10.29 浜離宮朝日ホール)
        ねこ (11/20)
      + RECENT TRACKBACK
      + CATEGORIES
      + ARCHIVES
      + Twitter
      + Access Counter
      + Ranking
      にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
      にほんブログ村 にほんブログ村 クラシックブログへ 人気blogランキングへ
      ブログランキングに参加しています。
      + Twitterです
      ほんの出来心
      + Mail
      + MOBILE
      qrcode
      + LINKS
      + PROFILE