東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所」を見て思ったこと(その2)

2015.08.17 Monday

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      先日見た東京都現代美術館の「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」、先日は会田家の展示について考えたことを書きましたが、岡崎乾二郎氏の展示を見て感じたことを書いておこうと思います。

     さて、この岡崎乾二郎さんの展示は、「美術館はだれのもの?」と題されたパートで、「はじまるよ、びじゅつかん」というタイトルがつけられています。何よりもこの展示で際立っているのは、小中学生しか見ることができないこと。木製のトンネルような子供専用の入口から先は、私は見ることができず、展示スペースを区切る柵の外から背伸びして少し中がうかがえるだけなのです。

     展示の最初に、こんな意味のパネルが展示されています。ネットで拾った画像を参考にするとこんな感じで要約できるでしょうか。

     はじまるよ、びじゅつかん

     ここに入れるのは、こども(小学生と中学生)だけ。大人は入れない。
    美術は 大人にしかわからないものではないから。いや、大人の方が分からないのかも。

     大人は自分が感じたことを言葉で表現するのが恥ずかしくて、他の人を気にして自由に感想を言えない。他の人から正しいと認められるようなことしか言えなくなる。だから芸術を鑑賞することを苦手とする大人は多い。自由じゃない。

     多くの大人にとって、勉強とは、世の中に自分を合わせるためにするものであり、仲間とつるんで意見を合わせられる人を「おとなだね」と呼ぶ。むずかしい絵を見て「わからない」と思った時、周りも「わからない」と言ったら、「わからない」ことで安心する。

     しかし、芸術は一人で感じるところから始めなければならないもの。芸術は大人を大人でいられなくする。子供は大人と違う。ひとりでヘンテコなことを感じて、そこから始められる。
     
     美術館とは、そこで絵たちが話している話題に参加し、話に加わること。一人で見ていても、君は一人じゃない。独り言のように思えた話は必ず大きな話へとつながっていく。

     さあ、みんなここで自分だけが見つけたこと、感じたことを話しています。あなたも加わって下さい。
     何と心に響く文章だったことでしょうか。そして、これは美術に限った話じゃないなあと私は思いました。音楽、特にクラシック音楽でも同じことが言えるような気がして、岡崎さんというアーティストから、私という「オトナ」への真摯な問いかけであると受け止めました。

     自分に胸を当てて考えてみると、自分が今しがた聴いた音楽について「答え合わせ」をしてしまうようなこと、以前は結構ありました。ある音楽を聴いて自分が感じたこと、考えたことを言葉にする過程で、それは「間違っていないか」「外していないか」とネットで検索してみたり、友人知人の意見をまず確認してみたり。誰も知らないようなマイナーな音楽だったりすると、答え合わせのやりようがないのでそのような気持ちは起こらないのですが、クラシックど真ん中の作品、演奏家の音楽だったりすると、他の人がどんな感想を持ったのか、どうしても気になってしまう。だから、たくさんの人の感想を「賛否」という切り口で大別してみて、どちらが多いかをざっくり把握したくなる。

     ヘンテコな感想や的外れなコメントをしたくないから、コンサートで聴く曲を予習したり、音楽を聴く前にいろんな文献を読んだり、関連する音源を聴いたりして、自分の中で、感想のテンプレートを作っておく。そしていざ感想を言葉にする時も、なるべく音楽の世界でよく使われているイディオムや、同質な仲間うちでのみ成立する略語や隠語を使って、狭いコミュニティから外されないように注意する。

     それって、私が、自分一人だけが「賛」で他全員が「否」、あるいはその逆という状況になることを恐れていたということなのかもしれません。そういう状況になることによって、他の人から「あいつは音楽のこと分かってないな」と思われるのが怖かったのかもしれない。有名な大評論家や、自分が信頼している、あるいは好きなプロの評論家と違う意見を持つことに、何となく恐怖感のようなものを持っていたのでしょうか。だから、自分がいいと思っていた音楽が、そうした人たちに貶されているとショックですし、逆に、大いに不満を持った音楽が大絶賛を浴びていたりすると、自分の聴き方がおかしいんだろうかと不安になってしまう。

     勿論、自分の音楽について豊富な知識を得て、より深く音楽を知ることは、音楽を楽しみ味わう上で大切なことは論を待ちません。評論家や、音楽好きの仲間の意見を聞くことも、とても有意義なことで、むしろ大いにやるべきだとは思うのです。しかし、そうした本来は有意義なはずの行為が、同質な空間からはみ出ないための「答え合わせ」になってしまうことって、私自身にとっても、そして音楽にとっても、不幸なことじゃないかと思うんです。

     私自身は、音楽を聴くにあたって、岡崎さんの言うように「一人で感じる」ことから始めるべきだし、音楽自身もそうして聴かれるべきだと考えています。聴く人によって多様な感想が生まれることで、音楽が「育っていく」という側面はある訳で、同質性にまみれた言葉でのみ語られることは音楽を貧しくしていく気がするからです。

     だから、かつての私のように「答え合わせ」をして標準的な感想を述べることに懸命になってしまうと、例えば、「なぜ音楽を聴いた感想を書くのか」という問いを立てた時、その答えは「音楽を聴いて私自身が何をどう感じたかを表現したいから」ではなく、結局のところ、「私自身が音楽をよく知っている人たちに大人として、仲間として見られたいから」というものになってしまう。

     いつ頃からか、そんなのはとても嫌だなと思うようになりました。私自身が人生の糧として音楽を聴いているはずなのに、ただ自分の承認欲求や帰属意識を満たすための道具として音楽を聴いている。そんなの意味がない。つまらない。いつか音楽を聴くことが重荷になったり、飽きたりしてしまう。私は音楽といつまでもいい関係でいたいので、「答え合わせ」はやめておこう、と思うようになりました。

     美術館で絵や彫刻を見るときの「作法」も変えました。前は、展示を見る前に展示の説明プレートをじっくり読んで、それから見るようにしていました。そして説明を読むより短い時間で見るのをやめて順路通りに次へ行く。特に「有名じゃない」絵だと、さっと通り過ぎる。名前を知っている美術家や、有名な作品だと、「ああ、それな」とばかりほんの少し眺めて、次へ移動する。美術を観に行ったんだか、説明プレートを読みに行ったんだかよく分からないまま、「有名な絵を見た」という満足感に浸って美術館を出て、説明に書かれていたようなことを出発点にして、「通」が書きそうな常套句を使って、はみ出ることのない立派な感想を書く。そういうのもやめようと思い、今は、まずはテキトーに、インスピレーションの赴くままに目を引くものを見つけ、それをジーッと時間をかけて見る。で、見てから説明を読み、また展示に戻り、ということを繰り返す。そして自分が何を感じているのかを心に刻み込んでおいて、あとで感想に書きつける。他の人の感想のサーチはしない(ブログに載せる画像の収集目的で検索はするが中身は読まない)。

     そういう私なりの思いを形にしたいと思ってこのブログを始めた訳ですが、早いものでもう開設から8年になりました。ブログを通して、それなりの数の方々に、私の子供じみた感想を寛大な心で読んで頂けているようなのですが、それと引き換えのように、いろんな場面で、いろんな人から「大人げない」「子供っぽい」「いい年をして」と言われる機会がかなり増えました。家族からならともかく、会社でそれを言われて人間関係をややこしくしているというのは社会人として一体どうよという気もしますし、音楽の感想を書く時のポリシーを日常生活に持ち込むこともなかろうという思いますが、しかし、もしも私自身が「子供の視点」を持てるようになったのであれば、それこそが私の「成長」であり、本当の「大人」になれたということなのではないかという気がします。

     だから、この岡崎乾二郎さんの、芸術は一人で感じるもの、子供だからこそ感じられること、言えることがあるという指摘に心から頷きながら、このまま私もどんどん子供の感性を磨いていき、もっともっと大人気ない、分別を弁えないクソジジイを目指して生きていっていくんだと背中を押されたような気がして、とても嬉しかった。展示は何にも見られなかったので、見てくれはこれだけど心は子供だから見せて!とお願いしたいところだったのですが、それこそ大人気ないので、子供用の入口の前に立っていた展示係員さんにニコニコと「ああ、見たいなあ!」と話しかけるだけで我慢しました。

     とても楽しい展示でした。もう一回くらい見に行きたいです。美術館近くで食べた「深川めし」ももう一度食べたいですし。

     おしまい。

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    2018.09.18 Tuesday

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      コメント
      他のところで何度かお話させていただいています、ちびひよこです。
      「答え合わせ」の件、大変共感しつつ読ませていただきました。
      何を聴くのか、どう聴くのか、感想をどんな言葉で表現するのか…、
      初心者の頃には雑誌などでそのお作法を学んでいたことが私にもありましたが
      数年前からはそのアホらしさ?に気づいてしまいました。
      実生活では周囲に合わせることも仕方なく、浮かないように愛想笑いも必要かなあと、
      小市民的に思っていますが、
      音楽や美術を味わう場では、私も大人げなくいたい。
      背中を押してくださってありがとうございます。
      • by ちびひよこ
      • 2015/08/18 12:05 AM
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