<< 東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所」を見て思ったこと(その2) | main | 【ディスク 感想】ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132 〜 アルティ弦楽四重奏団 >>

【映画 感想】「日本のいちばん長い日」〜 原田眞人監督、役所広司、本木雅弘、山崎努、堤真一ほか

・映画「日本のいちばん長い日」
 原田眞人監督、役所広司、本木雅弘、山崎努、堤真一ほか

 →詳細はコチラ(公式HP)







 映画「日本のいちばん長い日」を見ました。言うまでもなく半藤一利著のノンフィクションを映画化したもので、原田眞人がメガホンをとり、終戦時の陸軍大臣、阿南惟幾を役所広司、昭和天皇を本木雅弘、鈴木貫太郎首相を山崎努、迫水内閣書記官長を堤真一、宮城事件の首謀者である畑中少佐を松坂桃李という、日本を代表する名優たちが演じた松竹の映画です。

 映画を見るに先立ち、私は、先日テレビで放送された岡本喜八監督の映画を見ました。ですから、映画で描かれた、昭和20年8月9日以降、15日に玉音放送が全国に流れて戦争が終わるまでの事の推移を追う時には、生々しい岡本版の白黒映画の記憶を手繰り寄せながら見ていました。そして、無意識のうちに、2つのバージョンの映画の比較をしていました。

 岡本版と原田版の映画を見て、さらに原作を読んだ今、今回の原田版の「日本のいちばん長い日」で最も印象に残っているのは、物語を語る「第一人称」つまり「私」の扱いです。

 原作と岡本には、明らかに物語を叙述する「私」が存在しています。「私」という第一人称を直接使う場面はないにせよ、原作では、当事者たちの戦後の証言など、断片的な情報に対して補足をしたり、時には真相を推察するような文章があります。さらに、岡本版の映画では、仲代達矢のナレーションが事の推移を説明し、ラストシーンでは「二度とこのような日が訪れないように」などというセリフを述べています。聖書で言うところの福音史家=エヴァンゲリストとしての「私」がそこにあるのですが、もしかすると岡本版での「私」とは、戦争を経験し、家族や親しい人を亡くした被害者としての「私」でもあり、破滅的な事態に陥るまでずるずると戦争終結のタイミングを逸し続けた為政者たちへの激しい怒りや憎しみを抱えた「私」なのかもしれないという気がします。そして、今この文章を書いている「私」という主体は、主に、ナレーションの「私」と同じ視点に立ち、歴史上の出来事を高いところから俯瞰して見ていると言えます。

 しかし、原田版の新しい「日本のいちばん長い日」には、その叙述家としての「私」は、もはや登場しません。登場人物の会話だけでストーリーが展開していき、主に阿南陸相や昭和天皇、鈴木首相らの心の動きを役者の演技で描き出していく。ですから、映画を見ている「私」は、歴史を高い視点から俯瞰するのではなく、登場人物の「私」と直接向き合うように仕向けられる訳です。

 南方や沖縄の悲惨な陥落、本土への絶え間ない空襲、二度の原爆投下、ソ連の参戦という事態に直面し、もうこれ以上戦争を続けられない、これ以上国民を犠牲にするのは忍びないと終結への手立てを必死に模索する昭和天皇や鈴木首相、東郷外相らの「私」。天皇の命令だからと国体護持の保証もないままポツダム宣言を受諾するなどもってのほか、徹底抗戦して地上戦へもつれ込むべしと主張する陸軍の若きエリートたちの「私」。そして、両者の板挟みとなって苦悩する阿南陸相の「私」。刻一刻と終戦へとひた走る日々の中で立ち現れるたくさんの「私」の内側で起こるギリギリと歯ぎしりするような葛藤や軋轢、それらの「私」と「私」の間に発生した確執や情愛といったものに触れ、映画を見ている「私」は、その事件の真っ只中に放り込まれ、私の中でどのような思考や感情が湧き起こっているのか、自分だったらどうするか、どうなるか、と激しく自問せざるを得ない。だから、見終わって、ヘトヘトにくたびれてしまいます。

 映画で最も大きな比重をかけて描かれていた「私」は、役所広司演ずる阿南陸相でした。岡本版で同じ役を演じていた三船敏郎の演技では、確かに、敗戦を知らされた部下の暴発を抑えるため、若手将校からの突き上げを一身に受けながらも、「反対のある奴は阿南を斬れ、私の屍を超えていけ」と承詔必謹を部下に命ずる苦悩する姿は克明に描かれていましたが、その内面にまで踏み込む描写はほとんどなく、最後の最後まで強硬に戦争終結に反対し、ポツダム宣言受諾が決まった後も、国体護持を巡って自分の意見を曲げずに決着を長引かせた「悪人」としての阿南の姿を払拭することはできませんでした。やはり本心は、戦争終結には合意しつつも、少しでも有利な条件で国体護持ができるように、地上戦で一撃を加えておきたいという気持ちがあったのではないかと。

 しかし、今回、役所広司が演じた阿南は、600万人以上の兵を擁する陸軍を束ねる指揮官であり、政府の中核を担う政治家であると同時に、彼を知る様々な人たちの証言からも窺い知れるように、実に人間的な魅力にあふれた人であり、部下からも、そして家族からもよく慕われていたことがよく分かります。閣議や御前会議で、主に米内海軍相と激論を交わしたり、政府が徹底抗戦から無条件降伏へと大きく舵を切ったことへの不満をぶつける部下を叱り飛ばしたりする場面で、迫真の演技をしているのですが、その眼差しには血が通ったあたたかさがあり、より広い視点で相手の将来を思い遣る優しさがあって、ついつい話に聞き入ってしまいます。「問答無用」とばかり、重厚にして、突き刺さるような冷徹な言葉を発する三船の描く阿南とは随分と雰囲気が違うのですが、阿南が終戦に際してどれほど苦渋をなめたのかは、岡本版以上に痛切に伝わってくる。強硬な意見を具申していたのは、あくまで陸軍の暴発を抑えるための「腹芸」だったという説が、にわかに信憑性を帯びてきます。そうしてとにもかくにも終戦にまでこぎつけ、若い人たちに「兵をなくして国を築く」という難事業を託す。

 事実、原作を読んでいると、なるほど8月15日未明に自刀を遂げた阿南の心中は今となっては誰も知る由もありませんが、首相や外相への「暇乞い」など様々な彼の言動からすると、天皇への忠義を果たすことこそが自分の役目と任じ、肚を据えて最善を尽くした人なのだろうという思いを強くします。畑中らのクーデター未遂の発覚を知らされたことにより、なるべく早く自決することこそが事態収拾のためには一番良いのだと判断したという推察も説得力のあるものとして感じられました。その点、今回の映画は、より原作の語り部である「私」に寄り添って作られたものであると言えます。ある意味、敗戦の責任を一手に引き受けて死んでいった阿南もまた、戦争の犠牲者なのだという気がしてきます。

 「人間阿南」という「私」には、昭和天皇と鈴木首相という「私」が非常に深く関わります。彼らは、今回の映画では、家族のような絆で結ばれた人々であり、互いへの深い敬意と愛情があったればこそ、戦争終結が成し遂げられたというのが、この映画で最も我々観衆の心を打つドラマになっていたのではないでしょうか。それが岡本版とも、原作とも違う、原田版の特色でもあって、このように「日本のいちばん長い日」を追体験することでこそ、私たちは「あの戦争とは何だったのか」という思考を深め、これからの教訓として生かすことができるということを私たちに訴えかけているような気がしました。

 あともう一つ、私が痛切に思ったことは、「教育」の重要性です。松坂桃李演じる畑中少佐と椎崎中佐が中心になって企てたクーデター未遂事件で明らかになったこととは、日本の軍人たちは「生きて虜囚の辱めを受けず」と、誰からも「負け方」を教わっていなかったということです。最後の一兵まで地上戦で徹底抗戦するのだという非現実的な思いにかられ、ついに自らを逆賊とし、森師団長と白石中佐を無駄に殺してしまった。もっと広い視野で先々のことを考えてみれば、どうせ鎮圧される運命なので、ここは阿南陸相の命令に従い、暴発などせず、粛々と天皇の遺志に沿うことが最善の道であるはずなのに、それができなかった。それはやはり、彼らが若く純粋であり、「負けるくらいなら潔く死ね」という教えを忠実に守っていたからではないか。当時はそれが最も「正しい」とされる考え方だったので、それを今の価値観で非難したり弾劾したりすることはできませんが、ならば、今後は我々は「戦争に負ける」ということを考えの片隅に置き、戦争を始めるのは簡単だが、終わらせることは至難の業であるということを肝に銘じながら生きていかねばならないし、若い世代にも伝えていかなければならないと思いました。

 考えてみると、軍隊の命令系統の下にいる兵士は、何が正しいかではなく、誰がどんな命令を出したかで動くしかありません。どんなに戦略的に、あるいは道義的に間違った命令であっても、それに従わなければならない。もしも命令に疑問を持って考えてしまったら、その瞬間に敵に攻撃されて死んでしまうでしょうから。ですから、兵士が俊敏に合理的な働きをするようにするためには、命令を出す上層部が常に合理的で「正しい」判断に基づいた命令を出さねばならない。そのためには、「文民統制」が必要なんじゃないだろうか。文民統制をきちんと機能させるためには、それができるだけの高い知能と経験を持った人材を常に作り出さなければならない。そのためにこそ「教育」は重要なのだ、と思ったのです。

 それら主に二つの思考は、今回見た原田版の映画によって初めて得られた新しいものなので、これから「あの戦争は何だったのか」という命題を私なりに考えていく際に、常に念頭に置いておきたいと思いました。大きな収穫でした。

 個々の役者さんの演技は、さすがに豪華メンバーが顔を揃えているだけあって素晴らしい。役所広司が演じる阿南については少し前述しましたが、役所にはどんな役柄でも「いい人」「憎めない人」に見えてしまうという面もあるでしょうけれども、とても共感できる人物像を描いていたと思います。それによって岡本版よりも原作に近いという風に感じた訳ではなく、むしろ原田版ならではのキャラクターという気がするのですが、人間をただ一面的に「悪人」と決めつけてしまうのは良くないことだなとひしひしと痛感しました。

 私自身の好みとしては、三船と役所、どちらの阿南像が良いかと言われれば、どちらも良いとしか言いようがありません。それぞれの映画の文脈において、二人の名優は阿南という人間の真実を描いているのではないかという気がするからです。人間というのは複数の人格が複雑に絡まった存在なのであって、そのどの人格も間違いなく真実であるということでしょうか。

 私の好きなヴェルディの名作オペラ「オテロ」に当てはめて考えてみると、剛毅で近寄りがたいほどの威厳をもったヒーローとしての側面を強調したマリオ・デル・モナコ演じるオテロが三船敏郎の演じる阿南だとするならば、もっと知的で柔らかい人間性を持ち、それゆえに苦悩したプラシド・ドミンゴ演じるオテロこそは、役所広司演じる阿南と言えば良いでしょうか。モナコとドミンゴのオテロは、どちらもそれぞれのやり方で、オテロという役柄の人間性を描き尽していて、そのどちらもが「究極のオテロ像」として通用する。私自身も、どちらのオテロにも同じように惹かれる。それでいいんじゃないかなと思います。

 半藤一利氏の著書には、鈴木貫太郎首相の視点から終戦を描いた「聖断」という小説もあるのですが、今回の映画では「聖断」に書かれたエピソードもふんだんに盛り込まれているそうで、鈴木貫太郎というかなり風変わりで食えない爺さんのつかみ難いキャラクターは、岡本版以上に克明に描かれています。すっとぼけた老人のようでありながら、実にうまく閣僚を動かし、まとめ、戦争終結という大事業を成し遂げた。そのへんの不思議さ加減は、岡本版の笠智衆の穏やかな演技よりも、山崎の「ヘンな」演技の方がよく表現できているような気がします。まあ、これも好みの問題でしかありませんが。また、鈴木が閣議の時に言った「きちんと責任をとる政治家を育てなきゃならない」というセリフが、今の政治家を見ている私にはとても胸に突き刺さりました。

 そして、本木雅弘演じる昭和天皇。岡本版では、存命中だった昭和天皇に配慮し、また、記録が残っていないせいもあり、御前会議で「聖断」を述べる以外には登場しなかったのですが、今回は様々なエピソードをもとに、かなり踏み込んだ人物像を描いています。それにより、終戦に向けたドラマは色濃く、奥行きのあるものとなっています。

 特に印象に残ったのは、ポツダム宣言受諾の噂を聞きつけた東条英機が天皇に会い方針変更を直訴した際の受け答え。東条が、もし無条件降伏により軍隊というサザエの殻が崩壊するのなら、その中のサザエ、つまり日本人は死んでしまう、だから軍隊は存続させてほしいと天皇に言ったところ、天皇が「アメリカやイギリスが、どんなに殻が立派でも中のサザエが死んでいては殻ごと捨てるだろう」と反論して東条の訴えを一蹴したのです。原作では、天皇の反論が記されていなかったので、もしかすると最近公表された「実録」から知り得たものなのかもしれませんが、こうしてみると確かに昭和天皇の知性と優れた指導者としての資質を感じることができます。そんな天皇を演じる本木雅弘は、天皇の苦悩を淡々とした演技の中で饒舌に演じていて大変好感を持ちました。一か所、あの懐かしい「あ、そう」という言葉が聞けたのも良かったですし、いや、何と見事なキャスティングだと思いました。

 そして、松坂桃李演じる畑中少佐。この人は、結局は、「聖断」を覆すどころか、玉音放送を阻止することも叶わず、森師団長と白石中佐が無駄に殺され、自身も自決という哀しくも虚しい破滅への道をひた走る訳ですが、私の視点から見れば、畑中らも戦争の犠牲者だったのだなと思わずにはいられません。彼らはあまりに若く、あまりにも純粋すぎた。そして、あまりにも自分が教え込まれたことを無批判に信じ切ってしまった。それゆえに、逆賊となり、自らの若い命を散らしてしまった。そんな風に、彼らへの少し捻じれたシンパシーを私の中に引き起こしたのは、松坂のこれまたまっすぐな演技があってこそ。岡本版のただ直情径行的で単細胞的なキャラクターとして登場した黒沢年男の演技よりも、井田中佐ならずとも感情移入して引き込まれてしまいそうになりました。

 堤真一演じる迫水書記官長もまた、日本帝国最後の日の中心人物の一人として走り抜けましたが、彼の働きぶりは大変立派。頭が切れて、判断力、行動力に優れた「官房長官」としてとても魅力的な人物像を見せてくれました。

 松山ケンイチが友情出演で演じた佐々木武雄横浜警備隊長も一瞬しか映りませんでしたが強烈。佐々木は、玉音放送の予定を知って横浜から若手を募って東京へ押しかけ、鈴木首相私邸を焼き討ちした狂人ですが、岡本版のいかにも、と言える天本英世に比べると随分まともに思えますが、それでも目の据わった狂気がよく出ていました。

 そう、今思い出したのですが、とても印象深いシーン2つがありました。

 まず最初は、自決した阿南陸相のもとに、妻綾子が自宅から駆け付ける場面。亡くなった長男惟敬(これひろ)の最期がどうだったかを復員した兵士から聞き、それを阿南に伝えるために一晩中長い距離を歩いて陸相の官邸にたどりついた。その時には既に阿南は永遠の眠りについていた。綾子は、息子の死の真相を亡き夫に語る。確か原作では、阿南陸相の妻は、陸相の死を自宅への電話で知ったとされていましたから、ファンタジーであるとも言えます。

 次に印象的だったのは、玉音放送阻止の夢潰えた畑中少佐がNHKでラジオ演説をおこなう場面。史実では技術員の機転で彼の夢は叶えられず、彼らは皇居前でビラをばら撒いて自決する訳ですが、この映画では、ビラをばら撒くのではなく、畑中を電源が切られたマイクの前に立たせ、彼が書いたビラの原稿を読ませるのです。

 どちらも、戦争の大敗と、クーデター未遂の責任をとって死んでいった人たちへの、制作者からのせめてもの慰めなのだろうかと目頭が熱くなる思いでした。

 お金をかけ、松竹の威信をかけて作った力作だけあって、大変見応えのある映画でした。これからも岡本版も含めて繰り返して見たいと思います。そして、文献もたくさん読んで、「あの戦争は何だったのか」を掘り下げて考えていきたいと思います。

 ただ、最後に一言。終戦70年という節目を迎えて、こういう数字を見込める大作が制作させるのは嬉しいのですが、ファンとしては、この松竹の力作「日本のいちばん長い日」に優るとも劣らないインパクトと主張を込めた、塚本晋也監督の「野火」にスポンサーがつかない状況は、これから是非とも改善して 頂きたいと映画業界に希望を申し述べておきたいです。自分が出演している映画の舞台あいさつで思わず「野火」をほめちぎったという常盤貴子ならずとも、映画を心から愛するファンとして心からお願いします。

スポンサーサイト

  • 2017.04.28 Friday
  • -
  • 02:44
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>
Twitter
Ranking
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村 にほんブログ村 クラシックブログへ 人気blogランキングへ
ブログランキングに参加しています。
Access Counter
                         
Mail
                         
            
サイト内検索
selected entries
categories
archives
recent comment
  • マーラー/交響曲第9番 〜 バーンスタイン/IPO(1985.9.3) 
    ストロハイム (02/08)
  • アザラシヴィリ/無言歌(グルジアの歌)
    moemoet. (01/28)
  • アザラシヴィリの「無言歌」について 〜 原曲は "Dgeebi Midian"
    moemoet (01/28)
  • 【演奏会 感想】ウィリアム・クリスティ&レザール・フロリサン <イタリアの庭で〜愛のアカデミア> (2016.10.13 サントリーホール)
    siegfried (11/21)
  • 【演奏会 感想】ヴァレリー・アファナシエフ ピアノ・リサイタル(2016.10.29 浜離宮朝日ホール)
    ねこ (11/20)
  • 【雑記】客席ガラガラの演奏会に思うこと
    佐藤 (11/01)
  • アザラシヴィリの「無言歌」 〜 「音楽の友」(2016.07)記事掲載、クァルテット・エクスプローチェによる新盤発売
    yoosun (09/01)
  • 【雑記】客席ガラガラの演奏会に思うこと
    ねこ (07/18)
  • 【演奏会 感想】ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団演奏会 金子三勇士(P)(2016.07.17 横須賀芸術劇場)
    ねこ (07/18)
  • 気になる演奏家 その9 〜 アントニ・ヴィト(指揮)
    美味しいポッキー (07/16)
recent trackback
links
profile
others
sponsored link
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM