【ディスク 感想】ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第9,10番 〜 矢部達哉(Vn) /横山幸雄(P) (Exton)

2015.12.24 Thursday

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     ・ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第9,10番
     矢部達哉(Vn) /横山幸雄(P) (Exton)
     →詳細はコチラ(Tower/HMV)





    <<曲目>>
    ・ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調Op.47「クロイツェル」
    ・ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調 op.96

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      先月のある日、仕事のBGM代わりにネットラジオOttavaを聴いていたら、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番の第1楽章が流れてきました。

     その澄み切った青空のような美しい響きと伸びやかな歌に魅せられ、しばし仕事の手をとめて聴き入ってしまいました。続いてオンエアされた第4楽章の、軽やかで親しげな、しかしいつもどこかに聴き手の私に何かを問いかけてくるような深みのある演奏、そして、第10番で聴かせてくれた端正な佇まいを崩さず、音楽の持っている生命が伝わる第9番「クロイツェル」の第1楽章の熱演にも引き込まれてしまいました。

     演奏していたのは、東京都響のコンサートマスターに就任して今年で25年を迎えたヴァイオリニスト矢部達哉と、彼の盟友で長くデュオを組んでいるピアニスト横山幸雄の名コンビ。コンサートでは何度も共演している彼らの、録音では久しぶりの共演。今年(2015年)6月に稲城iプラザで収録のSACDハイブリッド盤で、Extonレーベルからのリリース。

     このディスクは発売以来気になって仕方がないながら、「聴かねばならない」新譜が余りにも多くて泣く泣く購入を見送っていたものでした。でも、このディスクに収められている音楽がどんなに魅力的なものかを知ってしまった今、CDを買わないという選択肢はもうありません。「ああ、聴かねばならないディスクがまた増えてしまったではないか、どうしてくれる」と、ラジオ番組のプレゼンターである林田直樹さんに心の中でニコニコと嬉しい文句を言いつつ(よくあることなのですが)、仕事帰りにCDショップに直行して購入したのでした。

     やはり、Ottavaで一瞬にして魅了された第10番の演奏に強く惹かれます。実際に番組で聴いた両端楽章の美しさは言うまでもなく、何より第2楽章の演奏を偏愛しています。

     何と難しい音楽なのだろうかと思います。特にヴァイオリン。アマチュアの奏者でも多少腕に覚えのある人なら何とか音にできそうな譜面づらとは裏腹に、これを本当の意味での「音楽」にするのは、そして、ベートーヴェンの音楽の素晴らしさ、美しさ、そして価値を明らかにするのは、本当に難しいんじゃないでしょうか。弾き手の技量なり音楽的センスなりを全部白日の下に曝し逃げ隠れできないようにさせる恐ろしさがあるからです。我々素人がとても近寄れるような音楽ではありません。

     一音たりとも、いや、一瞬たりとも気を抜いてしまっては音楽のもつ集中力が消えてしまうし、さりとて根を詰めすぎてしまうと、高みを目指した作曲家の遠い眼差しが見えなくなってしまうし、重力から解放されて上昇していくような音のベクトルも打ち消してしまう。心の内から外へと溢れ出る歌の流れを強調し過ぎると音楽が浅くなり、薄っぺらいモノになってしまいかねないし、内にこもりすぎると今度は音楽が口をつぐんでしまう。弾き手が殊更に何かを音楽に盛り込もうと意欲を燃やせば燃やすほど音楽は死んでしまうのです。

     ただそこで音楽が鳴り響いているというような無為自然ともいうべき音楽の佇まいを、今生まれ出たかのように描くことが要求されるこの楽章に、生き生きとした生命を与えるためには、ただヴァイオリンやピアノを巧く弾くとか、楽譜に忠実に正確に音を出すというだけでは事足りないはずで、音楽という範囲を飛び越えた人間の精神の営みへの深い洞察や共感といったものが要求されるだろうし、何よりも演奏家自身のうちに豊かな「ファンタジー」をもって演奏しなければならないのでしょう。

     その点、矢部達哉というヴァイオリニストは、その「無為自然」の音楽を私に届けてくれて、この演奏を聴くたびに心を打たれます。早すぎず遅すぎず、あと1ミリ違うと台無しになってしまうというくらいに絶妙のアダージョのテンポ感の中で(それは横山幸雄のピアノが作り出したものに違いないのですが)、彼は何と心に沁みるカンタービレを歌っていることでしょうか。

     何よりもまったくブレのない歌。「ヴァイオリンのおけいこ」的な観点から見てブレがないのは当然のことながら、いつも「重心」の存在が明らかで、常にピンと背筋の伸びた姿勢の良い、そして、常に脱力した歌が美しい。これがあるから、音楽がどんな方向に転んで表情を変えても姿勢が崩れない。

     そんな彼の音楽の美質は、この第10番の第2楽章に限らず両曲のどの楽章でも見ることができます。例えば「クロイツェル」の両端楽章の激しい箇所でも、鮮やかなジャンプの後に着地がまったく崩れない一流の体操選手の演技を見ているような趣があって、惚れ惚れと聴き入ってしまいます。

     でも、やはり私は、第10番の第2楽章で聴けるカンタービレこそ、このアルバムの白眉だと思います。

     矢部達哉のカンタービレが私の心を打つのは、ブレのない姿勢の良い歌であるということ以上に、もう一つ理由があります。それは、彼の歌が、シャープさと豊かさの両方を兼ね備えた倍音の響かせ方や、なだらかな曲線を描くようなフレージングなどの特徴によって、まるで人間の声のように響くという点です。ベートーヴェンにしては珍しく声楽的な発想で書かれた旋律を彼のヴァイオリンで聴いていると、あたかも作曲家の肉声を聴いているような気がするのです。

     私が何度も彼らの第10番を繰り返して聴き、日常の雑事に疲れ乾ききった心に潤いを与えてもらっているのは、まさにその矢部達哉が聴かせてくれる「声」ゆえのことなのだろうと思います。

     何と優しい気遣いに満ちた歌なのでしょうか。この音楽を書いた作曲者の心への気遣い、ベートーヴェンの音楽にじかに触れたいと切望する聴き手への気遣いが溢れている。

     しかし、矢部達哉という人は、そうした気遣いを見せるのとは反対に、表現者としての自己に対してはひとかたならぬ厳しさを課しているように思えます。作曲者と聴き手という「点」の間に結ばれるべき「線」を歪めないように、弾き手の自分がその間に立ちはだかってはならない。常に自分の立ち位置を確認し重心をとり、音楽と最良の距離を保ちながら音楽の核心へ迫っていくというようなとても難しい課題を自らに課している。彼の音の端々からは、そんな謙虚さに裏打ちされた厳しさがいつも感じられるのです。

     私は以前から矢部達哉のヴァイオリンのファンで、彼がソニーから出したアルバムは「レザムルーズ」以外は持っていて、それらも大変気に入っているのですが(特に横山との初共演となった「エシェゾー」、そして「ディア・モリコーネ」)、このベートーヴェンの演奏を聴くと、その重心の安定感と、力が抜けて磨きのかかった歌という点で見れば、彼の音楽家としての格段の「成熟」を痛感せずにはいられません。特に彼の音楽の姿勢の美しさには磨きがかかり、蹲踞の姿勢の美しい剣士のような風情があって凄みさえ感じてしまいます。

     彼のそのような成熟(恐らくその背後には並々ならぬ努力と鍛錬があるはず)があってこそ、前述のような絶妙のカンタービレが自然に生まれたのでしょうし、私という聴き手も、彼のそんな「自分に優しく 他人に優しく」的な心遣いのおかげで、心から愛するベートーヴェンの音楽から心の支えとなるものをまっすぐ得ることができるのかもしれません。

     勿論、横山幸雄の深々とした響きのピアノも素晴らしい。ヴァイオリンの伴奏者として引っ込んでしまうこともなく、ヴァイオリンを凌駕してしまうようなこともなく、まさにヴァイオリンと一体となり、両者が混然一体となった有機体を巧まずして作り上げている。彼もまた「重心」のとり方の絶妙な人で、だからこそ彼のピアノが何とも美しい。

     油断すれば簡単にポキッと折れそうな状態の私の心には、この人たちの第10番が五臓六腑に沁みわたります。こんな素晴らしい音楽に出会えて私は心から嬉しい。

     第9番「クロイツェル」も、第10番に負けず劣らず素晴らしい演奏だと思います。両端楽章では、音楽のもつ「熱」を実感させる強い表現を見せつつ、瑞々しく時に甘美でさえある音色や、細部まで疎かにしない凛とした語り口は一瞬たりとも失なわれない。テンポは早すぎず遅すぎず、決して極端に走ることのない表現を心がけている。最良の意味での「中庸」と言える範囲を枠組みとあらかじめ定め、その中でめいっぱいに動き回るという制約を自らに課したような厳しい演奏。

     一方、第2楽章の変奏曲で聴かせてくれる二人の名手の語彙の豊かな対話の何と美しいことでしょうか。変奏ごとにテンポの揺らぎをある程度許容し、ライヴな感覚を大切にした音楽は、より自由で、より柔らかくて、より優しい。両端楽章で厳しく音楽を彫琢した人たちの手から生まれ出てくる音楽だからこそ、この優しさには真実味がある。

     「クロイツェル」全体を通して、その端正で洗練された音楽の佇まいに接して気づいたのは、革新的な音楽というイメージの強いこのソナタですが、実は作曲者が交響曲第3番「英雄」を作曲するよりも前に書いたものであり、遠い視点から見てみると、ハイドンの作り上げた古典派の枠組みの中で目いっぱい振る舞っている音楽である、ということでした。そして、ベートーヴェンの中期の音楽が西洋の音楽史に解き放った「大噴火」が起きる直前、地表で頻繁に結構大きな地震が繰り返されているのだけれど、プレートが徐々に動いて蓄積された地下エネルギーが今や限界点に達しようかという瞬間が封じ込められた音楽なのだということ。「美しさのために破ってはならない法則など存在しない」と、既成観念をぶち壊して新しいものを生み出そうと荒々しい一歩を踏み出した若い作曲家ベートーヴェンの姿をイメージさせてくれる演奏、と言えば良いでしょうか。

     このディスクに味をしめ、手持ちのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのCDをかき集めて、いろいろと聴き比べてみました。クライスラー、オイストラフ、パールマン、クレーメル、カプソン、デュメイ、ファウスト、イブラギモヴァなど。これらは歴史的名盤の類ですから当然それぞれの美質を強烈に実感せずにはいられませんが、私の心への沁み込み具合という点からいうと、矢部・横山の第9,10番には格別の思いを抱きます。他には代えがたい固有の価値があります。

     このところ、田部京子、イリーナ・メジューエワ、そして、この矢部達哉と、私と同世代(矢部と私は学年が一緒)の優れた演奏家の充実し切った成果に触れ、私はとても心強く感じています。音楽業界的には、経済的に数字のとれる、若いライジング・スターと、老巨匠への注目が高くなってしまって、中堅どころの演奏家の演奏を粘り強く紹介し続けるというのはとても困難なことに違いありませんが、そこを何とか頑張って、これこそむしろ将来のための良い投資だと思って、彼らの演奏活動を支えてあげてほしいと思います。

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    2020.08.03 Monday

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