Langsamer Satz

クラシック音楽のことなどをのんびり、ゆっくりとお話したいと思います
<< デヴィッド・ボウイ 「★(Blackstar)」を聴いて | main | 【ディスク 感想】アルバニアの花, コソヴォの花 〜 フラカ・ゴルナンツィ(S) ディエッリ・アンサンブル他 >>
【映画 感想】「サウルの息子」(2015年ハンガリー映画)
0
    ・映画「サウルの息子」(2015年ハンガリー映画)
     ネメシュ・ラースロー監督、ルーリグ・ゲーザ主演

     →詳細はコチラ(配給会社HP)


     
     「閉めろ」という号令のもと、その部屋の重い鉄扉が閉じられると、そこに閉じ込められたたくさんの人たち、特に女性や子供たちが発する恐怖と苦痛の叫び声が、そして、ここを出してくれと渾身の力を込めて扉を叩く音が、分厚い扉を突き抜けて聞こえてくる。

     しかし、その扉の前で待機している男たちは、表情一つ変えることなく、ただひたすら「作業」が終わるのをじっと待っている。

     やがて部屋が不気味な静けさに包まれ「作業」の一行程の完了が確認される。再び扉が開けられると、あの無表情な男たちは「急げ!」という命令に突き動かされ、また無表情に次の「作業」を始める。

     部屋には、ついさっきまで息をして、泣き叫び、扉を叩いていた人たちが、何も身につけず、ただ「部品」として折り重なって倒れている。指示を受けた無表情な男たちは、その「部品」を次から次へと引きずって部屋から出し、血や汚物がこびりついた部屋の床をブラシでこすって掃除する。台車に載せられた「部品」は、まとまったところで焼却場へと運ばれて焼かれて灰となり、翌日には川に廃棄される。

     毎日、おびただしい数の人たちが、このような作業によって「部品」から「廃棄物」へと姿を変える。その数は、施設を運営する管理者には「生産性」を示す指標として報告され、時としてその能力を超える部品処理が命じられることがある。

     「部品」に生き生きとした人間の魂がまだ宿っていた頃、その魂たちは、無表情な男たちと同じく「ヨーロッパに住むユダヤ人」だった。もしかしたら同郷出身、いや、もしかしたら生き別れた自分の家族かもしれない無数のユダヤ人たちと、無表情な男たちとを隔てるものは偶然しかなかった。ユダヤの囚人として収容された彼らは偶然ゾンダーコマンドと呼ばれる役職に選ばれ、 一時的な延命と引き換えに「作業」を黙々とこなしていただけで、数ヵ月もすれば自分たちも「部品」になる。同胞たちのガス室でのおぞましい殺戮をただ無感情に見届け、ユダヤの教えに背いて死体を焼き、その灰を川に流す。前代未聞の殺戮工場の「生産性向上」に手を貸す。そう、たった数ヶ月の「生」のために。

     映画「サウルの息子」は、冒頭から、主人公であるサウルという男が、物語の舞台であるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でそんな状況に置かれていることを、ほとんど彼だけを追うカメラの視線だけから描き出していました。サウルの横でおこなわれる凄惨な作業は巧妙にピントをずらされて明瞭には描かれません。そこでおこなわれていることが倫理的に見ても、歴史的に見てもどんなにひどいことであるか、そうした残虐な行為がなされた背景や理由は何で、誰がそれを遂行したのか、誰に責任があるのか、そんなことは示されない。サウルとその周囲で起こっていることだけが描かれるのです。

     ハンガリー出身でゾンダーコマンドの一員だったサウルは、ガス室で生き残ったところを殺害され解剖された少年を「私の息子だ」と主張し、少年の埋葬(ユダヤでは火葬は禁止、土葬が基本)とカディッシュ(死者を悼む祈り)の読経をしたいと奔走します。サウルと同じコマンド隊にいた友人たちは「お前には息子はいないはずだ」と言い、見つかれば連帯責任で仲間が処刑されるのは確実という危険を冒すことを諌めますが、次第にサウルに協力的になり埋葬の儀式をおこなえるラビ探しに手を貸します。やがて、仲間たちは武装蜂起に成功して収容所から脱出に成功します。サウルも彼らと一緒に「息子」である少年の死体を抱えて外へ出ますが、しかし・・・。

     辛い、重い映画でした。

     見る者の「視点」を、大きなうねりをみせた歴史の中の、ごくごく小さな一点、一人の人間に否応なしに集中させることで、そこで起きていたことへの想像をかき立てる手法をとった映画。主人公の心情にのめり込むのではなく、あくまであなた自身の視点から、一人の人間として見ることのできる歴史の断片を見て、あなた自身の頭と心で考えて下さい、監督や出演者からそんなメッセージを受け取ったような感覚を持ちつつ見ました。

     いや、「歴史の断片を見て」というだけでは言葉が足りない。「聞いて」という行為も必要でした。映像が核心を意図的に逸らした形で映されているのに対し、音だけは生々しく記録されているのです。地獄のような風景で、主人公のサウルが何を聞いたかが克明に再現されている。

     貨物列車で収容所まで移送されてきたユダヤ人がガス室へと追い立てられる時の人々の不安に満ちた声。冒頭で書いた「作業」で聞こえてくる断末魔の声と音。ガス室の死体の山の中で死にきれなかった少年の息の音。ガス室の能力を超える人数を一夜のうちに「処理」すべく大きな穴を掘って囚人たちを追いやって一挙に焼いてしまう火のパチパチという音。ゾンダーコマンドの囚人たちが秘密裏に計画した武装蜂起を実行した時の火薬の爆発と機関銃乱射の音。そして、ラストシーンで、具体的な映像なしに物語の結末を示す音。ただし、本編では音楽は一切なし。エンドロールで、哀しいユダヤのメロディがフィドルで奏でられるだけ。

     極限状態に置かれ、ただ数か月の延命のために、とても正視できないような光景と、耳を塞ぎたくなるような音の中で、ただひたすら「息子」の埋葬を願うサウルの行動の一部始終を、「自分の視点で見て、耳で聞き、自分の頭と心で考える」ということのいかに難しいことか。

     映画を見終えた後も、重い気持ちを払拭することができず、考え続けています。答えなど出そうにない問いを投げかけながら、どんどん嫌な気分が増幅されていく。

     きっと私ならこんな作業に居合わせただけで卒倒してしまうだろう、いや、ゾンダーコマンドに選ばれることはなく、ただガス室で最期を迎え「部品」となってしまうだけだろうか。

     あるいは、もし私がこの収容所のナチス側の人間だったらどうだろうか。やっぱり無慈悲に、ただ淡々と命令に従って工場の生産性を上げるべく、自分の手は汚さずにゾンダーコマンドたちに過酷な命令を投げつけ、サウルの言葉尻を捕まえてユダヤの伝統的な文化をからかい、武装蜂起した囚人たちを機関銃で撃ち殺すだろうか。

     この映画の中には「部品」以外に私の居場所などない。そのことを痛感するとともに、もし仮にそれ以外の立場になったとしても、決して正義を主張して英雄的な行動をとることはなかっただろう、いや、サウルのようなことさえもしなかっただろうという確信めいたものが私の中に生まれて、それが嫌で仕方がなかった・・・。

     「サウルの息子」を見て嫌な気持ちを持つことができなくなったら、きっと私は私でなくなるのだろうと思います。決して解決にはたどり着けないまま私は死んでいくのでしょうが、でも、この嫌な気持ちを抱えながら歴史を見ていきたい、考えていきたいと思います。

     記憶の風化ということが言われます。戦後70年、戦争をある程度の年齢で体験した人たちの多くがこの世を去り、語り部が姿を消し、確かに実感のある言葉で戦争を語る人たちはもうほとんどいない。記憶が風化するのは避けられないことなのかもしれません。

    しかし、私たちは記録を保存することはできる。そしてその記録を見つめる「まなざし」「視点」を残し受け継いでいくことはできる。確かなまなざしや視点を保って記録を見ることができれば、私たちは自分の問題として「想像」をすることはできます。想像をめぐらせる視線の先には、必ず歴史の中に埋もれた一個人のマイクロヒストリーを置く。自分たちの都合の良い想像を排除し、見たくないものも正視する。複眼的な視点からの切実な想像を集め、今を生きる私たちの手で記憶を「構築」していく。

     そのことが一番大事なんだよというメッセージを、「サウルの息子」という映画を通じて、制作者から受け取ったような気がします。

     収容所で死んだ少年は、本当にサウルの息子だったのかどうかは映画の中では明らかにされていません。サウルに「妻との子ではない」と言わせてはいますが、それもどこまで本当なのかは分からない。

     では、彼はなぜ少年を埋葬したいと思ったのでしょうか?死を覚悟してまで埋葬の儀式を取り仕切ってくれるラビを探したのでしょうか?

     もしあれが本当の息子なのだとしたら、どうしてサウルはそのことを涙も流さず冷静に受け止められたのでしょうか?我が子と過ごした時間を惜しみ、泣き叫び、自分の命などもう要らないと自暴自棄にならなかったのはなぜ?

     ラストシーン近くで、目の前に現れた少年を見たサウルがどうしてあんな表情をしたのか、彼はどんな心境だったのか。

     そんな風に次から次へと出てきた自問に対して、想像を働かせて、私なりの答えを見つけていきたいと思います。今時点では、パンフレットでも記されているように、彼はこの地獄の中でも、せめて最後くらいは人間らしく、矜持をもって生きたいと願っていて、それがこうした行為へと駆り立てたんだろうなと思っています。

     以前、BSで放送された「死の国の旋律・アウシュビッツと音楽家たち」という番組で聞いた、特別作業班で歌われていた歌を思い出します。
     

    重く硬くなった死体を 私は引きずる
    私の髪はたった一晩で 白くなった
    そこには私の幼い息子がいた
    両手を固く握って 指を口にくわえたまま
    どうしてお前をここで 火に投げ入れることができよう
    美しい巻き毛のお前を

    (特別作業班(死んだ囚人を焼却炉で焼く囚人)で歌われていた歌)


     サウルはこの歌を残した人と同じような気持ちでいたのでしょうか。

     今後、この映画を再び見た時、私はこの問いにどんな答えを見出すのかは分かりません。きっと変わらない気もしますが、それはむしろ願望なのかもしれません。いずれにせよ、この映画を見たこと、そして、映画を見て感じたことを、私はいつまでも忘れないようにしたいと思います。

     この映画、私は雪が降るかもという予報の出た金曜の夜遅く、映画館はほぼ満席という盛況の中で上映されたのを見ました。昨年の「野火」といい、こうした映画が多くの人の目に触れるということはそれだけでも大きな価値があると思います。記憶の風化という現実を前にして、「記録とまなざしの保存」が確実におこなわれていること、それこそが「日本人としての誇り」だと私は感じています。
    | nailsweet | 映画 | 02:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
    スポンサーサイト
    0
      | スポンサードリンク | - | 02:14 | - | - |









      http://nailsweet.jugem.jp/trackback/1285
           12
      3456789
      10111213141516
      17181920212223
      24252627282930
      31      
      << December 2017 >>
      + PR
      + SELECTED ENTRIES
      + RECENT COMMENTS
      • 珠玉の小品 その21 〜 ゴダール/ジョスランの子守歌
        まこ (11/23)
      • 【演奏会 感想】小泉和裕指揮東京都響 第841回 定期演奏会Bシリーズ アリーナ・イブラギモヴァ(Vn)
        バッハ (10/26)
      • デ・ラ・パーラ指揮のオール中南米プロの演奏会が聴きたい
        gijyou (07/24)
      • レコード芸術 創刊800号に思う
        “スケルツォ倶楽部”発起人 (05/07)
      • レコード芸術 創刊800号に思う
        木曽のあばら屋 (05/06)
      • マーラー/交響曲第9番 〜 バーンスタイン/IPO(1985.9.3) 
        ストロハイム (02/08)
      • アザラシヴィリ/無言歌(グルジアの歌)
        moemoet. (01/28)
      • アザラシヴィリの「無言歌」について 〜 原曲は "Dgeebi Midian"
        moemoet (01/28)
      • 【演奏会 感想】ウィリアム・クリスティ&レザール・フロリサン <イタリアの庭で〜愛のアカデミア> (2016.10.13 サントリーホール)
        siegfried (11/21)
      • 【演奏会 感想】ヴァレリー・アファナシエフ ピアノ・リサイタル(2016.10.29 浜離宮朝日ホール)
        ねこ (11/20)
      + RECENT TRACKBACK
      + CATEGORIES
      + ARCHIVES
      + Twitter
      + Access Counter
      + Ranking
      にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
      にほんブログ村 にほんブログ村 クラシックブログへ 人気blogランキングへ
      ブログランキングに参加しています。
      + Twitterです
      ほんの出来心
      + Mail
      + MOBILE
      qrcode
      + LINKS
      + PROFILE