【書籍 感想】小沼純一著「音楽に自然を聴く」(平凡社新書)

2016.05.03 Tuesday

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    ・小沼純一著「音楽に自然を聴く」(平凡社新書)
     →詳細はコチラ(平凡社HP/Amazon)






     
     音楽・文化批評家・詩人の小沼純一氏の新刊「音楽に自然を聴く」(平凡社新書)を読みました。小沼氏は今年のLFJ(ラ・フォル・ジュルネ)のアンバサダーを務めることになっており、本書はそのテーマ「自然と音楽」と連動したガイドブックとして上梓されたようです。

     実際の本の内容ですが、著者自身が端的に説明した文章がありましたので引用します。

    この本は、「自然」と「音楽」をめぐって書かれています。書かれている、というより、わたしはこの二つの語を中心にしながら、まわりをぐるぐるとまわってみたい、まわってみようとしている、まわっているところです。

    小沼純一著「音楽に自然を聴く」〜「自然?」


     まさにこの通りの本です。ヴィヴァルディの「四季」やスメタナの「モルダウ」などのお約束の音楽の他、武満を始めとする多くの現代作品を始めとした「自然」とかかわりのある音楽が幅広く紹介されているのですが、随所で、様々な書籍の文章を適宜引用しつつ、小沼氏自身の深い考察や、高度な内容を含んだ論が、詩的で言葉で美しく展開されています。ですから、出版社サイドの「初心者向け」のガイドブックという位置づけには収まりきらない、多くの音楽ファンの興味をそそる面白い本です。

     私自身も心の底からこの本を楽しみましたし、深い感銘を受けました。これから愛読書になるだろうというくらいに。

     楽しいと感じたのは、勿論、小沼氏がまるでドラえもんがポケットからあれこれと魔法の道具を出すかの如くに、次々と自然とかかわりのある音楽を紹介してくれる点です。しかも、それが「薀蓄」というようなものに落ち込むことが一切なく、私たち読み手の思考を「自然と音楽」という大きなテーマに誘導し、私にたくさんの問いを投げかけてくれるのです。だから、読んでいて脳が非常に刺激されるし、ワクワクと楽しいのです。

     しかも、書き手である小沼氏が私に対して提示した「問いかけ」は、私が日頃答えを探して考え続けている「問い」と多くの点で共鳴するものなのです。いや、私の思考が小沼氏のレベルと同等だなどというような不遜なことを言おうとしているのではありません。そうではなくて、小沼氏が、私のような程度の人間にも理解できるような平明な言葉で、そして私自身が感じるであろうようなシンプルな問題を提起してくれているということを言いたいのです。読み手である私は、小沼氏の言葉による問題提起を受け、今度は私自身の言葉で差し出された問題への答えを探す。そんなソクラテス的な問答を通して、同じ問題を著者と一緒になって解いていく、答えは誰もわからないけれども、少しでも真理に近づいていこうというのが、この本が私たち読み手に与えてくれる「場」であって、そこはとても刺激的で楽しい場所です。

     本文も勿論そうなのですが、「間奏」として挿入されたコラムが激しく共感するものでした。「音楽とことば?」「自然?」の2つで、前者は音楽とそのタイトルの関係についての考察。音楽だけを聴いて何かを連想するということと、タイトルを通して連想することとはどんな関係があるのかについて、著者の思考が展開されています。後者は、先ほど引用した文章を含むコラムで、著者が本書を書いているのは、自然というテーマを通じて、この本の読み手である、音楽の聴き手自身の音楽に対する考え方をずらすことを目的としているということを宣言しています。

     これらの著者の言葉に触れ、さらに本文を読んでみると、結局のところ、著者が私に対して投げかけてくると問いとは、「音楽とは何か」「音楽を聴くというのはどういうことなのか、何の意味があるのか」に収れんしていくことが分かります。小沼氏の場合は、それらの問いを第三人称的に、ごく一般的な問題として抽象化して提示していますが、受け手はまったくのところ第一人称的に、自分の問題としてまず考えなければならない。「私にとって音楽とは何か」「音楽を聴くというのは私にとってどういうことなのか、私にとって何の意味があるのか」という問いに他ならない。

     その答えはまだ見つかっていないのですが、私自身の中では、音楽とは言葉に依存しない思想であり、音楽を通してしかできない思考を実践することによって生きる価値を見出すことに意味があるというような漠然とした思いがあります。その私のぼんやりとした答えは、ここで取り上げられた音楽や、その音楽にまつわる紹介文とも親和性があると思うし、小沼氏のコラムで示された思考とも多少は響き合うものがあるように、私の中では勝手にそう思っています。だから、この本を楽しく読み、胸を打たれたのだろうと思います。小沼氏の書いた美しくて真理をついた言葉をこれからも繰り返して味わい、私自身の音楽への思考を広げ、深め、より音楽を楽しめるようにしたいです。

     そう言えば、もう10年以上前のことでしたが、私は小沼氏が講師として開設された「音楽評論家になる」というレクチャーを受講しようとカルチャセンターに申し込みをしたことがあります。プレガルディエンが歌うツェンダー版の「冬の旅」の演奏会を題材に、評論文を書いて添削して頂けるというような講義だったと記憶します。私自身、音楽評論家になろうなどという気持ちはさらさらなく、ただプロの評論家と話ができるというのが嬉しくて申し込んだのですが、結局は残念ながら最小敢行人数に満たずにレクチャーは中止になりました。当然、小沼氏には会えずに終わってしまいました。

     それから月日が流れました。でも、私はやっぱり音楽評論家にはなっていません。というか、なれません。第一そんな素質も能力もありませんし、なろうという努力もしてこなかったからです。だからこそ、こうやってブログを気楽に自由に(推敲も余りせずに)書ける訳だし、素人だからこそ文章を依頼して下さる方がおられると理解しているからで、私自身の人生の選択は間違えていなかったと思います。ただ、あの当時、小沼純一さんという方の文章に惹かれ、氏の話を直接聞いてみたいと思った私の「眼」は確かなものだったなということだけは自信を持っています。こんなにも素晴らしい本を書かれる方だったということがしみじみと分かるので。

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