Langsamer Satz

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ヴェルディ/「オテロ」第3幕フィナーレ異稿をめぐって(ムーティ指揮VPO、2008年ザルツブルグ・ライヴ)
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    ・ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ
     アントネンコ、ポプラフスカヤ、ムーティ/VPO
     (2008年ザルツブルグ音楽祭での上演から)



     
     先日、BSで放送されたムーティ指揮ウィーン・フィルの2008年ザルツブルグ音楽祭でのヴェルディの「オテロ」を録画して一部を見ました。既にディスクが市販されていて、YouTubeでも見ることのできる有名な演奏ですが、私は初めて見ました。どうしてこれまでちゃんと見てこなかったかというと、偏に、タイトルロールのテノールの歌が苦手だからですが、そのことは今回はどうでもいい。

     このムーティの「オテロ」をチラッと見て一つ気づいたことがあります。第3幕のフィナーレが聴き慣れた音楽とまったく違っていたのです。このオペラはもう30年以上も聴き続けてきて、少なくとも耳に馴染みのない部分はない(勿論、知り尽くしているとか理解しているということではありません)と思っていたのでかなりびっくりしました。

     具体的な箇所は、第3幕第8場、オテロがヴェネツィアへの召喚をキプロスの要人たちに告げるシーンで、嫉妬に狂ったオテロによ引き倒されたデズデモナが "A terra!…sì…nel livido(地に倒れ、鉛色の泥にまみれて)"と歌い始めたところから、登場人物たちの大規模なアンサンブルを経てオテロが"Fuggite!(立ち去れ!)"と叫ぶまでの部分です。冒頭の嵐の部分を除けば、どちらかというと閉鎖された空間の中で悲劇が起きる「オテロ」の中では、唯一グランドオペラ的なスケールを感じさせる場面。今でもこの部分のうち、オテロ、デズデモナ、ヤーゴ、エミーリア、カッシオ、ロデリーゴ、ロドヴィーゴによる7重唱と合唱によるアンサンブルは従来から問題ありとされ慣習的にカットされるケースのあるところです。

     カットの仕方としては、デズデモナが歌い始めた瞬間に合唱が歌う"Quel viso santo, pallido(その清らかな顔顔は蒼ざめ)"にまでジャンプし、そもそもアンサンブルなどなかったかのように演奏するのですが、例えば有名なマリオ・デル・モナコの1959年の東京ライヴがそうです。また、カラヤンの再録音盤(EMI)は、アンサンブルの冒頭だけは採用して途中から合唱の部分までスキップするというような変則的なカットを施しています。
     カットの理由ははっきりとは知りませんが、きっと、アンサンブルの規模が大きすぎて音楽の焦点がぼやけてしまい、悲劇へとひた走りに突っ走って行く直情径行的な「力」が削がれてしまうという判断なのではないかと思います。厳格な原典主義のスタンスからは完全ですが、これによって確かにドラマが引き締まるという見方は可能かもしれません。

     しかし、今回見たムーティの上演では歌詞には違いはなさそうですし、話の展開にも違いはないのですが、誰が聴いてもはっきりと「いつものとは違う」音楽が聴こえてくる。

     まず、デズデモナが歌う背景のオーボエ2本の音型からしてもう違っていて、音程の近い不協和音が彼女の不吉な予感を暗示している。彼女の歌う旋律も従来の滑らかで美しい歌に比べ、苦悶に顔を歪めるような居心地の悪いものになっている。
     7重唱のアンサンブルは各声部の動きがすっきりと整理されていて、 夫の酷い仕打ちに打ちひしがれ泥の中に倒れ込むデズデモナの姿をいったん背後に退け、ヤーゴという悪役の存在がかなり前面に出てくる。即ち、オテロをデズデモナ殺しへとけしかけ、ロデリーゴを焚き付けてカッシオを殺すように仕向けるという「根回し」が、従来聴いてきたものよりも明瞭に描かれている。さらに、従来は合唱(キプロスの紳士淑女)が歌う"Quel viso santo, pallido"というフレーズをヤーゴに歌わせてもいます。裏ではコソコソと悪事を完遂するために狡賢く立ち回りながらも、公衆の面前では、この場面の悲劇の主人公たるデズデモナを表面的に憐れむという非常に複雑で胸糞の悪い展開を作っています。
     そして頂点で合唱が歌うカンタービレのメロディラインも異なっていて、予想外の事の成り行きに驚く群衆の姿ではなく、デズデモナの哀しみを代弁するような人々の深い憐れみが前面に出てきていて胸を打つ。

     最初私は、厳格な原典主義者ムーティのことだから、これが「オリジナル」なのだろうと思いました。しかし、それにしては「原典版」特有のぎこちなさとか未整理な印象がなく、前述のように、音楽がより整理されてドラマの焦点がはっきりしたような気がしました。こっちの方が後で書き直した?でも、ムーティがそんなバージョンを採用するなんてことがあるだろうか?あれほどまでに慣習的なカットを戒め、歌手たちの勝手な振る舞いを禁じてきた人なのに?

     一体これはどうしたことかと調べてみたら事情は分かりました。

     ムーティが採用した版は、やはりヴェルディが初演後に書き直し、差し替えた第二版のフィナーレだったのです。作曲者自身、初演を聴いてこの部分が気に入らなかったらしい。カットするのではなく音楽を書き直したというなので、この場面は「オテロ」のドラマトゥルギーの中にあっては必要不可欠な音楽だということなのでしょう。
     ネットで調べてみると(※下記参照)、初演後に上演される際、ヴェルディは、「どうせ書き直したことなんて誰も気がつかないだろうから、こっそりパート譜を差し替え、以降はこの新しい版で演奏するようにしてくれ」と興行主だかに言ったという記録が残っているそうです。差し替えの理由は、やはり、オリジナルではヤーゴの動きが背後に回って曖昧になってしまったからということです。

    ※このヘンの事情は以下を参照しました
    ザルツブルクでの《オテロ》(3)  − ブログ「南イタリアの申し子 〜 リッカルド・ムーティ」
     《オテロ》第三幕について、ムーティは彼の先行するプロダクション同様、第二フィナーレを使うつもりである。「通常は第一版で上演されます。ヴェルディはフィナーレの最後の10分を全く書き直しました。彼はイアーゴについて、もっとはっきりと描きたかったのです。第一版では広くさっと衝撃をもたらすことと鮮やかな効果をねらおうと努力が払われていますが、イアーゴ自身は焦点からはずれています。第二版は彼の陰謀がもつ極悪非道な性格を見せます。」

    オルトンビーナ芸術監督 講演会の記録 − ブログ「フェニーチェ歌劇場日本公演2013」
     ヴェルディは《オテロ》を書くために16年の歳月を費やしたのにもかかわらず、ミラノでこのオペラが初演されるとその中に満足がいかない場所を発見します。そして初演の後にリコルディに手紙を書きます。ちなみにこれは昨年フェニーチェ歌劇場で今回の来日公演の《オテロ》を上演していた頃にちょうど発見された事実なのです。ヴェルディは「第三幕のフィナーレを書き直したものを送ります。ヴェネツィアではこのヴァージョンを上演させて下さい。」そして「ファッチョにはこの版のことを誰にも言わないように伝えて下さい。誰も気がつかないでしょうし、誰かが私が書き直しをした事を知ると、私がこのオペラに満足していないからだと言うでしょうから。」作曲家が自分の作品に満足していないとなるとマーケティングに差し障りますからね。「誰にも気づかれないようにパート譜を変えて、今後は常にこのヴァージョンを演奏するように。」、とヴェルディはリコルディに指示をしています。


     確かに、この部分のドラマがボケてしまうと、どうして第4幕でオテロがデズデモナを殺すのか、そして、ロデリーゴがカッシオ殺害に失敗して返り討ちに遭うという誤算の発生の経緯が腑に落ちにくくなるし、現にこのバージョンでのヤーゴの邪悪さを嫌というほど前面に出した音楽は肚にこたえます。
     しかし、どうした訳か作曲者の願いは叶えられることなく、従来の版で演奏されるケースがほとんどのまま100年以上が過ぎてしまった。しかも、あろうことか、こんなに大事な場面なのにカットされてしまうような事態に陥ってしまってもいた。出版譜にも反映されていない。私が見つけられたものの最古の例はアバド/BPOのトリノ公演。
     そんな前情報を得て念頭に置いて、第二版を聴き直してみると、確かにその効果は認められるような気がするし、整理されたすっきりした音楽の中から、複雑な人間模様が見えてくるという点で、もしかするとこれがヴェルディの、そして台本作者ボーイト、あるいは、原作者シェークスピアの意図するドラマ展開に近いかもなという気もしてきました。

     実際、このバージョンを採用している演奏はどれくらいあるのだろうかと手持ちの30種類近いCDと、いくつかUpされているYouTube動画を調べてみました。しかし、意外なことに、私が見つけられたのは、ムーティによる3つの演奏(2001年スカラでのドミンゴ主演の上演、2008年のザルツブルグと2010年のシカゴでのアントネンコとの共演による映像と音声)と、1997年にトリノでおこなわれたアバド/BPOの有名な上演(クーラ、フリットリ、ライモンディ出演、エルマンノ・オルミ!演出)だけでした。アバドはその少し前(96年?)にもザルツブルグ音楽祭でドミンゴ主演で取り上げていてライヴがFMで放送された記憶がありますが、聴いていないので、それがどの版を使用していたかは不明です。
     他で聴いたものでは、例えば、最近のものではC.デイヴィス/LSO盤(オニール主演)も従来版でしたし、2000年代以降の上演では、ティーレマン(今年のザルツブルグでのクーラ主演)、チョン・ミョンフン(クンデ、アラーニャ主演)、ネゼ・セガン(METでのアントネンコ主演)など有名な演奏でもすべて従来版。(Naxosのハイダー盤はどっちだろう?)

     ヴェルディがせっかく書き直したのにどうしてだろうか?と不思議に思いますが、何となく分かる気がします。私の個人的な見解ですが、書き直しによってかえって見えなくなったものがあるからではないかと思うのです。
     それが何かというと、一直線に進んでいく悲劇のスピード感、でしょうか。ここで作者が説明的になればなるほどに、オテロの狂気と、デズデモナの悲しみがついに陰惨なカタストロフへと到達する直前のあの凄まじいマグマの噴出をわざわざ抑えつけ、「寸止め」状態になってしまのです。そして、人間のドロドロとした暗部を見せつけられると昼ドラ見てるような気分になってしまう。
     そんな状態ですから、せっかちな私などは、この第二版を聴いていると、オテロが「呪われてしまえ!」とデズデモナをなじって立ち去らせ、「ハンカチ!ハンカチ!」と叫びながら失神し、そのオテロの額を踏みつけてほくそ笑むヤーゴの姿を「早く見たい」と思ってしまうのです。一度回り出した歯車はもう止まらない、そのスリルと興奮をこの場面に求めてしまうのでしょうか。おあずけを食らってひたすら我慢するようなもどかしさに萎えてしまう。私がまだ若すぎるんでしょうか。

     いや、従来版だってここは十分に冗長じゃないか、だからカットされるんじゃないかと言われれば、確かにそれはそうなのです。でも、私は思うのです。作曲者が恐らく不満に感じたように従来版は未整理ですが、その分、かえって音楽のエントロピーが高まるような作用を及ぼしていて、ドラマの道筋としてはさほど不自然ではなく受け容れられるのではないかと。だから、カットされるとむしろ腹が立つくらいなのです。
     そして、従来版を使用した演奏、そして、私がこの「オテロ」を観賞する上で欠かすことのできない名演たちを思えば、「でもやっぱり変えなくてもいいんじゃないか、演奏の質や、演奏から受ける感銘は、もっと別のところに起因するんじゃないか?」とも思ってしまうのです。
     例えば、マリオ・デル・モナコ、プラシド・ドミンゴ(2001年のムーティ盤以外)の歌う録音、アルトゥーロ・トスカニーニやカルロス・クライバー、トゥリオ・セラフィンの指揮する録音は、従来版を採用していることが何の瑕にもなっていないと感じるからです。むしろ登場人物たちが未分化な感情をむき出しにしたまま場が混乱していき、遂に取り返しのつかない破局を迎える道筋をたどるには、従来版の楽譜こそ相応しいのではないかと擁護さえしたくなる。
     しかし、そんな風に考えるのは、ムーティやアバドのような指揮者からすると、好ましくないことなのかもしれません。やはり作曲者が意図して「こうしてほしい」と言ったというはっきりとした証拠が残っているのですから、それは最大限尊重すべきではないかという「倫理観」。それは私は全面的に賛同したいと思うので、ここは彼らの主張に耳を傾け、ムーティの演奏を繰り返して聴き、第二版に耳を馴らして、よりヴェルディの意図に近い音楽を受け容れるべきなのだろうと思います。

     と、頭ではよく分かっているのですが、でも・・・。

     そんな非常にアンヴィバレントな思いを抱えながら、これからは「オテロ」に接していくことになるのだろうと思いますが、それはそれで興味深いことだと思います。
     この第二版の存在への認識を通して、シェークスピア、ボーイト、ヴェルディという3人の天才が作り上げた「オテロ」というオペラが、究極的には何を表現していて、それがどのように私たちの心に訴えかけてくるから、私たちがこんなにこのオペラに魅了されるのかを考えていく上で、とても重要なカギを提供してくれうると思うからです。
     今回、いくつかの演奏を改めて聴き直してみて、そうした私自身の「なぜ?何?」についていろいろと分かったことがあるのです。なぜデル・モナコやドミンゴなら良くて、クーラやアントネンコ、アラーニャでは不満なのかという根源的な問いの答えも少し見えてきた気がする。そして、今の私は、オテロやヤーゴより、可哀想なデズデモナへの思いが強くて、彼女の姿涙することが非常に多いということも分かった。特に今回見たムーティ指揮の上演でのポプラフスカヤが泣けるし、フレーニやフリットリもいい、それに、やっぱりテバルディは最高とか、デズデモナの歌へのストライクゾーンはめちゃくちゃ広い。ヤーゴもそう。ゴッビやプロッティの時代から、ブルゾン、ライモンディ、ヌッチ、アルバレス、みんないい。巧い。でもね、オテロはね・・・。
     考えてみると、私は80年代初頭、モナコとドミンゴの「オテロ」を聴いて受けた衝撃の余韻をまだ引きずり続けていて、その呪縛から逃れられていないのであって、「オテロ」もその時の観点からしか聴くことができていないのかもしれない。中学生の頭と下半身で聴いているだけなのかもしれない。このままでいいのか、もうちょっとオトナな聴き方をすべきなのか、私はよく分かりません。でも、とにかく私がこのオペラを心の底から愛しているという気持ちだけは間違いのないことなので、これからも私なりに体験を深めていきたい、オペラを味わっていきたいと思います。

     また、ヴェルディという作曲にとっての「改訂」という行為の意味を探ることで、芸術家の自分の作品への向き合い方について改めて考え、他の作曲家(例えばブルックナーやマーラーなど)の作品についても、別の視点を得て新しい聴き方をすることができるかもしれないという予感もあります。

     そんなこんなで30年来の「オテロ」中毒からは一生抜け出さないでいようと心に決めました。

     ヴェルディの「オテロ」は永久に不滅です。

    ---
    <<第二版を採用した演奏>>
    ■ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ "A terra!…e piangi!"
    アントネンコ、ポフラフスカヤ、アルバレス、ムーティ/VPO
    (2008年ザルツブルグ音楽祭)




    ■ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ "A terra!…e piangi!"
    ドミンゴ、フリットリ、ヌッチ、ムーティ/ミラノ・スカラ座
    (2001年ミラノ・スカラ座)



    ■ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ "A terra!…e piangi!"
    クーラ、フリットリ、ライモンディ、アバド/ベルリン・フィル
    (1997年トリノ)



    ※これは是非とも商品化してほしい

    <<従来版による演奏>>
    ■ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ "A terra!…e piangi!"
     デル・モナコ、トゥッチ、ゴッビ、エレーデ/N響
    (1959年東京)



    ※言わずと知れたNHKイタリア歌劇団の歴史的上演で、
    前述のように7重唱のアンサンブルはまるごとカットされてます

    ■ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ "A terra!…e piangi!"
     ドミンゴ、フレーニ、カプッチルリ、C.クライバー/ミラノ・スカラ座
    (1976年ミラノ・スカラ座)


    ※オテロが "A terra!…e piangi!" と叫ぶ前のオケの切れ味!
    そして、幕切れのカプッチルリの背筋が寒くなる高笑い!
    ヨーロッパではUnitelが鮮明なマスターテープを持っているらしく、
    最近、テレビでもリマスターが放映されたとのこと
    是非とも正規ルートできちんと映像化してほしいです

    ■ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ "A terra!…e piangi!"
    アラーニャ、ムーラ、ソンヒョン、チョン・ミョンフン/フランス放送po
    (2013オランジュ音楽祭)


    ■ヴェルディ/歌劇「オテロ」第3幕フィナーレ "A terra!…e piangi!"
    クーラ、レシュマン、アルバレス、ティーレマン/ドレスデン
    (2016年ザルツブルグ・イースター音楽祭)


     
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