【ディスク 感想】バルトーク/Slovak Songs  イヴァ・ビットーヴァ(Vo) ミュシャ(ムハ)弦楽四重奏団

2016.08.06 Saturday

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    ・バルトーク/Slovak Songs

     イヴァ・ビットーヴァ(Vo) 

     ミュシャ(ムハ)弦楽四重奏団 (PAVIAN)

     →詳細はコチラ(Tower/ザビエル・レコード)
     

    <<曲目>>

    ・バルトーク/子供のために(第3,4巻から抜粋 38曲)

    ・バルトーク/10の易しい小品から第3曲

    ・バルトーク/14のバガテルから第5曲

    ・バルトーク/4つのスロヴァキア民謡

     

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     仕事帰りにCDショップに寄ったら、新譜コーナーの片隅にひっそりと並べられたディスクに目が留まりました。それは、PAVIANレーベルというあまり見慣れないレーベルから発売された「スロヴァキアの歌」と題されたバルトークの作品集。

     国内外のCDショップの新譜案内でも見た覚えもないので完全にノーマークだったのですが、2015年発売とのクレジットがあり、どういう経緯で今入荷されたのか不思議ですが、目の高いショップのバイヤーさんが取り寄せて下さったのでしょうか。

     

     アルバムの内容はバルトークが20世紀初頭にスロヴァキアに赴いて採譜した民謡が原曲となっているピアノ曲「子供のために」の第3,4巻の曲のうち38曲、2曲のピアノ小品、そして「4つのスロヴァキア民謡」を、歌と弦楽四重奏で演奏したものです。原曲のピアノパートを編曲したのはECMレーベルでもお馴染みの作曲家ヴラディーミル・ゴダール。

     歌はチェコを代表するパフォーマーであるイヴァ・ビットーヴァ。伴奏はミュシャ(ムハ)弦楽四重奏団が伴奏をしています。私はビットーヴァの歌(とヴァイオリン)のファンで、特に彼女の歌うヤナーチェクのモラヴィア民謡曲集(本盤同様に弦楽四重奏との共演)が愛聴盤なので、ショップの棚で見つけて迷わず購入しました。

     

     ここで歌われているスロヴァキアの民謡たちは、バルトークがピアノ曲に編曲する際に「子供のために」というタイトルを与えていることからも分かるように、いずれも平明で、俗っぽくて、親しみやすい音楽です。歌詞も、対訳を見る限り、ごくごくありふれた日常生活の細々した営みから生まれてきたものと言えそうです。

     そんな歌たちをビットーヴァは強く張った地声で、しかも子供のような純真さを身にまとって歌っています。恐らく彼女にとっては馴染みの深いスロヴァキア語で歌えるということもあってか、いつも以上に弾けて歌っているようにさえ思えます。しかも原曲の素朴さを装っているとか、子供の目線に立って歌っているとかいうのではなく、あくまでアートパフォーマーとしての自分が感じたままをストレートに表現しているだけのよう。

     アートとしての訴求力と、作為のない素朴さを同時に追い求めながらも、いかにも楽しそうに思う存分に振る舞いながら歌っている、そんな趣が魅力的でついつい引き込まれてしまいます。それに、面白いことに、歌はビットーヴァだけでなく、弦楽四重奏団のメンバーも何曲かで歌っていて、中にはハモッているナンバーさえある。これがまたみんな訓練された歌手じゃないので、なかなかに味わい深い。
     一方、弦楽四重奏の伴奏は、もともとのバルトークのリアリゼーションがそうなのでしょうが、通俗的な民謡の旋律に対し、これ以上ないというくらいにオーソドックスな和声がつけられていて、ビットーヴァの歌とはミスマッチなくらいにクラシカルで、言ってみれば「格調が高い」のです。これなら弦楽四重奏じゃなくて、アカペラか、あるいはスロヴァキア現地に残る楽器などを使って伴奏をつけるかして、素朴なものは素朴なものらしく演奏すればいいんじゃないかという気もしますが、このギャップがめちゃくちゃに面白い。

     

     バルトークはこれらの民謡に対してどんな思いを抱いていたんだろうか、どうしてこれをピアノ曲に仕立てようとしたのだろうかと思いました。これらの歌の何に価値を見出し、それをどのようにしたくて編曲したんだろうかと。こんなに美しいハーモニー、しかも西洋音楽的な価値観で透徹された伴奏をつけていることからすると、これらの民謡のうちに何らかの芸術的価値を認めていて、より広く人々に紹介することに使命感を持ち、より聴きやすい形にしたのかもしれない。あるいは、20世紀初頭、行き詰まりを見せていた西洋音楽に対して何らかの延命措置をするために、異質なものの息吹を吹き込もうとしたのでしょうか。そのへんのところの事情は詳しくは分かりませんが、恐らくその両方が彼の思いとしてあったのだろうと思います。

     

     そんなことを考えながらこのバルトークが採譜して編曲し、それをさらにゴダールが編曲した歌を聴いていると、結局のところ心に残るのは、その音楽の「強さ」です。メロディーが美しい、リズムが生き生きしている、歌詞が心に沁みる、いろんな「強さ」があるのでしょうけれど、それらを全部ひっくるめると、長い年月を経て人々が歌い継いできた音楽のもつ「強さ」を痛感せずにはいられません。勿論、そうした音楽の「力」のいくばくかはバルトークがつけた巧みな伴奏の力によるところも多いのでしょうし、言うまでもなく演奏が素晴らしいことも大きな理由には違いないのでしょうが、これらの作曲者も作詞者も分からない音楽を私は心から楽しみ、共感し、時にホロリと来たりして嬉々として聴いている訳で、言葉の壁、時代の壁、あらゆる障壁を突き抜けて私の心に訴えかける音楽の力の「強さ」を感じずにはいられません。

     

     音楽の感動というのはどこからくるのだろうかと思います。大作曲家の手によるものだからとか、名演奏家によるものだからとか、「○○だから」といった理由で感動しているという側面はきっと小さくない。

     一方で、こうした音楽の属性とはあまり関係のない、いわば「無名性」のようなところで音楽に心を奪われることもある。いや、もしかすると、最終的にはその「無名性」にこそ音楽の魅力があるのかもしれない。作り手の属性をすべて捨て、ただひたすら純粋に音として鳴り響いているものに大きな価値がある。
     その純粋に鳴り響いている音に、こちらもただ純粋に存在している人間として向き合うのは結構難しいことです。それは私たち自身が、自分の「属性」を根拠に生きているからで、それらを捨て去り「無名性」を前面に出したものに出会った時、自分自身もその「属性」を捨て、何のよりどころも持たない、ただひたすら純粋に存在する人間としてそれらに向き合うのは実に不安な作業だからです。自分の存在の根源がゆらぐことになるかもしれないし、自分が物事を「属性」でしか判断できていないことを知るのは辛いことだから。

     

     このアルバムに収められた音楽の「無名性」に触れていると、しかし、いや、この私という人間こそ、歴史の表舞台に現れることもなく、ただ一人のちっぽけな人間であって、まさしく「無名性」をもった存在なのだと思わずにいられません。この音楽の「無名性」の中には、自分も含まれているのだというある種の連帯感のようなものが生まれてきます。スロヴァキアの音楽に日本人の私がそんなつながりを感じるというのは不思議な気もしますが、あいだみつを的に言えば「人間だもの」ということで、きっとこの音楽はどこか人間の真実に触れたものなのだろうという気がします。何とあたたかく、近しい音楽なのでしょうか。

     

     最近聴いたディスクの中でも特に大くて深い感銘を与えてくれたものでした。入荷も少なく、注目する人もあまりいないマイナー盤でしかないでしょうが、私と同じようにこの「無名性」の音楽に心を惹かれる人は、数は少なくともきっとおられるんじゃないだろうかと確信します。

     

     

     

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