Langsamer Satz

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【演奏会 感想】エリアフ・インバル指揮東京都響 第813回 定期演奏会Cシリーズ (2016.09.10 東京芸術劇場)
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    ・エリアフ・インバル指揮東京都響

     第813回 定期演奏会Cシリーズ
     〜インバル80歳記念/都響デビュー25周年記念〜

     ターニャ・テッツラフ(Vc)

     (2016.09.10 東京芸術劇場)

     

     

     

     

     

    <<曲目>>

    ・エルガー/チェロ協奏曲 ホ短調 op.85

    ・バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番〜サラバンド(アンコール)
    ・シューベルト/交響曲第8番 ハ長調 D.944「ザ・グレート」

     

    ---

     

     少し前、「〇〇するわ、〇〇するわ」と「〇〇するは、○○するは」のどっちが正しいんだ?という議論をTwitterのTLで見かけました。いや、議論の余地なんて実はなくて、前者が正解。辞書によれば、活用語の終止形につけて「驚き・感動・詠嘆の意を表す」用法で、例文として、「水は出ないわ、電気は止まるわで、さんざんな目にあった」というのが挙げられていました。

     

     先日(9/10)、東京芸術劇場で、インバルと東京都響のシューベルトの交響曲第8番「グレート」を聴いていた私の中では、この「〇〇するわ、○○するわ」という言葉が渦巻いていました。

     

     そう、その演奏は、驚きに満ちたものでした。

     

     シューベルトの自筆譜研究の成果や流行は無視するわ、古楽のムーヴメントなんてなかったかの如くに大編成で完全モダン奏法で弾かせるわ、マーラーよろしく木管にベルアップ(吹き口を高く上げて吹かせる)させるわ、ギアチェンジを頻繁に行ってブロック毎にテンポを事細かに変えるわ、挙句の果て、最後はフルトヴェングラーも真っ青のアッチェランドをかけるわ・・・。

     

     演奏会が終わってもう5日経ち、既にたくさんの「わ」が記憶から脱落しているに違いないのですが、とにかく、聴く前には予想だにしなかった、でも、インバルにしかなし得ない、非常にユニークな演奏だったことは間違いありません。目をまん丸にして舞台を見て、微笑や苦笑せずにはいられない場面が頻出していました。

     

     しかし、外見は、オーソドックスというか、古風な演奏でした。「シューベルトの自筆譜研究の成果や流行は無視」と書いた点、少しだけ具体例を挙げれば、まず第1楽章冒頭の序奏のホルンの主題。ここをインバルは間違いなく4拍子で振り、ゆったりとしたテンポで指揮していました。でも、自筆譜では2分の2拍子で書かれていることから、最近は早めのテンポで演奏するのが主流になっている。なのに、古いブライトコップフ版の表記を採用するという時点で、ある種の聴き手からはオールドファッションな演奏と聴こえたに違いない。

     しかも、第1楽章コーダで、冒頭のホルンの旋律が回帰する時には、昔のフルトヴェングラーやベームのようにガクッとテンポを落として、堂々たる終結感を出す。第1,3,4楽章の繰り返し記号は全部無視して、ストレートに演奏。木管は完全倍管(金管は通常だったと思う)で弦楽器もフルに近い編成。東京都響からは、重厚で、立体感のあるずしりとした手ごたえのある響きを引き出す。

     そんな風に、古風な趣のある演奏だったのです。小学生の頃、毎年必ず一度はFMで放送され、ラジオにかじりついて夢中で聴いていたベームの「グレート」のライヴ演奏を思い出しました。ああ、昔はこういうスタイルの演奏が主流で、これこそ「グレート」だと思いながら聴いていたなと、懐かしい思いさえしました。

     

     とは言え、当然のことながら、あのインバルが伝統にあぐらをかいたような単純な演奏をするはずがありません。前述のように管楽器のベルアップで視覚的に驚かせたり、一瞬、エアポケットに入り込むようなデフォルメ(テンポ、表情、いろいろ)を聴かせてニンマリさせたり、退屈している暇はまったくありませんでした。
     他にもある。冒頭のホルンの旋律は、最初の二分音符に続く四分音符を短く切って吹かせ、シューベルトが多用したダクトゥル(長短短のリズム)を強調していたり、楽譜の読みだけでなく、シューベルトの音楽への総合的な理解の深さを感じたりして、作曲家の語法マニアとしてのインバルの横顔もまた見ることができた気もしました。


     聴く人によって感じ方はいろいろあった演奏なのではないでしょうか。巨匠の域に達し、自由無碍の境地にたどりついた指揮者が楽譜から読み取ったものをすべてやり尽くした演奏と思うか、あるいは、老境に達したエキセントリックな指揮者がやりたい放題の限りを尽くした変態演奏と思うか。

     

     私の印象は、後者です。そして、だからこそ、無類に面白い演奏だと感じました。ふざけた演奏だったという訳ではありません。むしろ、シリアスで重い内容をもった演奏とも言えると思います。特に第2楽章、あの断末魔の叫びのようなクライマックスと、その後、廃墟から立ち上がるかのようなチェロの旋律の淋しさなどは、五臓六腑に沁みわたるような痛みがありました。

     なのですが、私は「面白い」という感覚をずっと感じながら聴いていました。もっと言うと、「愉しい」という気持ちを抑えることができなかった。
     吉田秀和は、シューベルトの音楽には永遠の青春がこめられている、その青春こそが彼の音楽の魅力だと書いていました。インバルと都響の「グレート」に青春というものがあったと感じた訳ではないのですが、そのまったく「枯れる」「老成する」ということを知らない、いつまでもインバルらしい「とんがった」演奏が嬉しかったのです。ロケンロールで、やんちゃで、どこか反体制の匂いのする姿勢、音楽への向き合い方に接して、嬉しくて仕方がなかった。そして、この交響曲だけが持つ、無尽蔵に湧き出すエネルギー、猛烈なダイナミックレンジで自己の内部を表現する意志、そういったものを全身に浴びたように感じた。賛否はさておいて、やり尽くした演奏であることは疑う余地はない。とにかく万事、透徹した演奏。

     

     そして、そのある意味エキセントリックな演奏からは、この交響曲の「異型さ」が如実に感じられました。
     シューベルト自身は、恐らくベートーヴェンの交響曲を仰ぎ見て、ソナタ形式を意識した、弁証法的なロジックによって構築された、つまり、異なる主題が止揚して、より高い地点の結論へとたどり着くような音楽を書きたかったのでしょう。
     しかし、彼は、自らのうちから「歌」が泉のように湧き出すのを止めることができなかった。何者かが憑依したような状態で作曲を続けた結果、発展などしない主題やモチーフが反復によって積み上げられていくうちに白熱し、気が付いたら終着地点に達していたというような、それまで誰も書いたことのない異様なフォルムをもった交響曲ができあがった。
     それは、ベートーヴェンの同時代の作曲家による「コップの中の革命」なんかじゃなかった。後の交響曲作曲家たちが書くことになる、巨大な交響曲の原点の一つとなり、原風景ともなった。シューベルトの書いた「グレート」は、やはり「革命的」な音楽なんだ、という主張が、インバルと都響の演奏のあちこちから痛切な声として聴こえてきた気がしたのです。

     

     これまで数えきれないほどに聴いてきた音楽に、こんな側面があったのか、この交響曲にはこんな力があったのかと目から鱗が落ちる思いでした。心から愛するシューベルトの音楽への新たな視点を得られたこと、それがインバルと都響の演奏の最大の魅力でした。

     

     あっと驚くようなアッチェランドで曲が終了した後、さほど拍手が熱しなかったように感じたのは、気のせいでしょうか。「なんかヘンな演奏だなあ」「やっぱりインバルはマーラーがいいねえ」というような感じ方が主流で、私のように嬉々として彼の演奏を受け容れているのは、ファン贔屓が過ぎるでしょうか。

     

     コンサートの前半は、ターニャ・テッツラフを独奏者に迎えたエルガーのチェロ協奏曲。
     テッツラフは、どちらかというと地味、室内楽的と言ってよいほどに慎ましやかで、くせのない演奏を聴かせてくれました。声高に自己の内部を吐露し、激しい劇性に身を投じ、肚にこたえるような詠嘆を歌い、というような身振りは一切ない。それこそ「ノビルメンテの作曲家」エルガーの音楽に相応しい演奏ぶりと言えると思います。
     私自身も昔この曲を弾いて(いや、全然弾けてないのですが)遊んでいた時期があるので、どうしてもフィンガリングやボウイング、チェロの弾き方に耳目が集中してしまうのですが、第2楽章の冒頭をD線で弾いていた以外は特に目新しいことは何一つしておらず、ごくごく合理的な演奏をしていたのは見識だと思いました。綿々と旋律を歌う時、必要以上にハイポジションを使わないあたり。

     ただ、演奏会から何日か経ってみて、はて彼女のエルガー(とアンコールのバッハ)が本質的にどんなえんそうだったかと思い起こそうとすると、思い出せない。私の記憶力の問題もないとは言えませんが、例えば、端的に「〇〇な演奏」という時の「〇〇」が思い浮かばない。画竜点睛を欠くというところでしょうか。贅沢な注文ながら、それが残念と言えば残念。


     インバル指揮のエルガーは初めて聴きますが、きわめてシンフォニックで、構えの大きい演奏でした。こちらも重厚な響きが耳に残りますが、それより印象的だったのは、至るところで聴けた「インバリッシモ」。つまり、聴こえるか聴こえないかというくらいの弱音が、胸に突き刺さった。それもただ弱いというのではなく、情報量もかえって多いくらいで、実に表情が豊かであるというところが凄い。

     最晩年のバーンスタインの演奏を思い起こさずにいられませんでした。似ているという訳では決してないのですが、例えば、一つ一つの音に軽重と意味を持たせ、深々と呼吸したシンコペーションの伴奏にのって、どんどん内奥へと沈潜していくようなカンタービレが歌われるような局面で、その音楽からどこか宗教性を帯びた「祈り」のようなものが聴こえてくる、特にそのあたりがバーンスタインの演奏を彷彿とさせたのです。バーンスタインの最後の来日でのPMFの若手音楽家とのリハーサルで、シューマンの2番の第3楽章アダージョで、内声部のシンコペーションにとてつもなく深い呼吸を要求し、「これがシューマンがウィーンで学んだ音楽の伝統だ」と説明していたあの場面が脳裏に浮かんだ。偉大な先達、彼にとっての恩人が目指していた場所へと、ルートは違っても、彼も向かっているのかもしれない。あるいは、自ら「ラビ」の気質があると言っていたユダヤ人としてのバーンスタインと、どこか共通する遺伝子がここにきて顕在化してきたのかもしれない。


     今回のエルガーでは、特に第3楽章が素晴らしかった。あるいは最終楽章、第1楽章冒頭が再現される前、第3楽章を回想しながら過ぎ去ろうとしていく日々を愛惜するかのような場面も。

     前述のように、彼は枯れてなんかいなくて、とんがった演奏をしているのだけれど、なんと深い情感をたたえた音楽を聴けたことでしょうか。かつて三浦淳史氏が、確か「さらば夏の日よ」と形容した美しい音楽を、まさに夏の終わり、盛りだったものが消え去って行こうとする、それを惜しむような、後ろ髪引かれる思いが、すべての音符に込められているように思えました。このあたりを聴いているだけで、「ああ、今日は私はこれを聴きに来たんだ、これが聴けただけでももう今日は十分満足」と思えたほどでした。
     その他に印象に残ったのは、ホルンのゲシュトップ奏法を強調していたところ。「ほらここ!」とばかりにやっていて微笑ましかった。また、第4楽章だったか、チェロの下降音型を異様なほど強調してため息のような音を聴かせてくれたのも新鮮でした。さらに、ところどころテンポを落としてゆっくりと噛んで含めるように弾かせ(独奏も従わせる場合あり)、音楽に楔を打ち、濃い隈取りを与える場面があって、それが作曲家自身の朗読を聞いているかのような感覚にさせてくれたのも面白かった。

     ともあれ、エルガーのチェロ協奏曲で、こんなに楽譜の風景が目に浮かぶような演奏は聴いたことがこれまでなかったような気がします。テッツラフのチェロも全然悪くはなかったので、全体的にはとても印象深い演奏でした。

     

     インバル月間の初日は、まさに彼の面目躍如たる演奏を聴くことができました。バルトークやショスタコーヴィチではどんな演奏に出会えるでしょうか。

    | nailsweet | エリアフ・インバル | 03:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
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