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【私のシューベルティアーデ・175】 シューベルト/ピアノ・ソナタ第21番 〜 田部京子(P)
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    ・シューベルト/ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D.960

     (+3つの小品D.946)

     田部京子(P) (DENON)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

    ※追記(10/15)

     本日の「夏目漱石の妻」の最終回の放映後、田部京子のマネジメントをおこなうKAJIMOTOのツイートにより、放送に使用された音源は、DENON盤のCDではなく、今回のドラマのために新たに録音したものだということが判明しました。音源に関する記載を訂正します。しかし、改めてCDを聴いて書いた感想については、何ら変更することがありませんので、そのまま修正せずに掲載します。

     

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     NHKで放映中のドラマ「夏目漱石の妻」を見ています。文字通り、夏目漱石と妻鏡子の実話を元にしたドラマですが、そもそも、この二人が興味をそそるエピソード満載の夫婦であるところに、脚本も、役者さんたちの演技もすべてが上々で、毎回、泣き笑いしながら楽しんでいます。

     

     ドラマの音楽はサックス奏者の清水靖晃が担当していますが、挿入曲として、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番第1楽章冒頭が使われています。

     

     それは、いずれもドラマの核心に触れる印象的な場面ばかりでした。

     

     まず、第1,2話で、シューベルトのソナタが流れたのは、それぞれ、鏡子が流産から、漱石が神経症から癒えて恢復していくシーンでした。心がちぎれてしまうほどの痛みや苦しみから立ち直ろうとよろよろと歩きだす人の姿、ほんの少しの光であっても、それをたよりに何とか前に進もうとする人の歩みが描かれている場面、と総括できるでしょうか。
     しかし、たとえひととき微笑みが戻って来たとしても、苦悩や絶望の淵に落ちてしまった記憶は決して消えない。深い淵からかすかに聴こえてくる遠雷が、自分をまたその深い底へ呼び寄せているような不安に怯える。足がすくむ。手が震える。涙がこぼれる。
    主役たちの姿にはそんなアンヴィヴァレントな心のありようが映りこんでいました。そうした心の揺れを、映像としてより印象深いものにするためには、このシューベルトが短い生涯の最後の年に書いた、文字通り最後のピアノ・ソナタの冒頭ほど相応しい音楽はないのではないかと思いました。

     

     一方、先週放映の第3話は、漱石が「吾輩は猫である」のヒットで作家として世に認められるや、突然、漱石の前に現れて金を無心する養父と絶縁するシーンで、シューベルトが使われていました。
     そこで映し出されていたのは「記憶としての痛み」に怯える漱石と鏡子ではなく、いま、激しく血を流しながら痛みに耐えている二人の姿でした。激しい胃の痛みと、心の傷の疼きに耐えかね、「僕は君ほど強くない」と鏡子に言い残して自室へ引きこもる漱石。自分自身が実父と縁を切ったときのことを思い返し、大粒の涙をこぼしながら途方に暮れる鏡子。どうしてこんなことになってしまったのだろうか、失われてしまったものはもう二度と戻って来ないのだろうかと、深い哀しみを味わっている二人の姿とシューベルトが交錯する。
     これもまた「恢復」「癒し」の場面であったと言えます。養父に全財産を渡して絶縁したことは哀しいけれど、もう催促に悩まされることはない、これでよかったのだ、これから前を向いて歩いて行ける、そんな安堵と浄化を暗示する表情が、特に鏡子の側に見られたからです。

     

     そんな場面でシューベルトのこのソナタの冒頭がどれほど深い隈取りを与えることになるでしょうか!よくぞこの曲を選んでくれたと感謝したくなります。

     

     オンエアされた演奏は、田部京子がドラマのために録音したものでした。

     田部京子の演奏するシューベルトのソナタ21番というと、DENONレーベルから、1993年、彼女のデビュー第3作として制作されたものがあります。これは発売当初から高い評価を得ている名盤で、私もこのアルバムで彼女の存在を知りましたし、シューベルトのこのソナタを熱狂的に愛する私にとってもこの田部盤は特に大切なアルバムです。
     このドラマの挿入曲として他でもない田部京子の演奏を使うなんて、選曲をした方、「分かってらっしゃる」などと大変上から目線なことを考えてしまいます。なぜなら、その印象的な場面に、これ以上ぴったりの演奏はないんじゃないか?とさえ思えるほどに素晴らしい演奏だからです。BGMなんて要らないのにと思うような場面が多い昨今では、ドラマと挿入曲が幸福に結びついた稀有の例なのではないでしょうか。

     

     田部京子の演奏の最大の特徴は、聴く者を包み込むようなやわらかな響き、ゆったりとしたテンポの中に感じられる自然な息遣いでしょうか。あるいは、微妙な音色の変化の多彩さかもしれません。光の中に闇を、闇の中に光を感じ、希望と絶望、喜びと悲しみが表裏一体のものとして常に微妙に移ろっていくさまを音楽として表現する。そんなシューベルトの音楽のいちばん大事なエッセンスを、余すところなく美しく音化した田部の演奏こそ、このドラマに相応しい。

     

     ドラマに影響されて、田部京子の演奏するシューベルトの21番のソナタのCDを久しぶりに聴きました。冒頭こそ、ドラマでの印象的な使われ方を思い起こして胸を熱くしながら聴きましたが、底に限らず、全編にわたって改めて私にとってはかけがえのない価値のある演奏だと再認識することができました。

     何よりシューベルトの音楽で一番大事な弱音が、考えられないほどデリケートに、丁寧に弾かれているところが素晴らしい。例えば、第1楽章展開部、真ん中あたり、歌曲「さすらい人」のテーマを思わせる旋律が言い知れぬ寂寥感を伴って奏でられる場面。これこそがシューベルトの音楽の神髄!と快哉を叫びたくなるくらいに、美しくて、哀しくて、切ない。

     ドラマの中で、鏡子の父(漱石にとっての義父)が、失職の後に借金まみれになって金の無心に現れたとき、漱石の俳句「うつむいて膝に抱きつく寒さかな」を口ずさみ、うまいもんだなと呟きますが、そのうつむいて膝に抱きつき、寒さに耐えるという感覚が、これほどまでに音として具現化された例というのは、他にないのではないかと思う箇所です。ここはあらゆる演奏家が腕によりをかけ、自らの感覚を研ぎ澄まし、音と静寂のはざまをたゆたうところですが、田部京子の演奏から聴きとれる、幸福な日々はもう二度と戻らないのではないかという絶望感、それでもたった一人で生きていかねばならないのかという苦しみと孤独感は、ほかの演奏よりも繊細で、心に沁みるものがあります。

     シューベルトという天才が30歳ちょっとでこんな世界を見てしまったこと、ピアニストが20代にしてこんな演奏をしてしまっていることに驚きますが、しかし、すぐれた才能をもったごくごく一握りの人たちというのは、年齢に関係なく、もしかしたら子供の時から、既にそんな世界を垣間見てしまっているのかもしれないとさえ思わずにいられない自然さが、この演奏の素晴らしいところです。

     

     あるいは、第2楽章も素晴らしい。途中で音楽が長調になる部分から、再び闇の中へと戻っていくあたりは、何度聴いても胸を打たれます。陰惨なほどに痛みを強調するのでもなく、かといって、能天気な明るさに浮かれ足にならず、二つの極の境界を曖昧に漂いながら、旅を続けていく。退路は絶たれ、行先がどこかも分からない道を、これから歩んでいかなければならない。そう、「冬の旅」の主人公のように。
     第3,4楽章に至っても、その天国的な明るい響きのなかに、いつも影が潜んでいて美しい。

     

     もしかすると、今の彼女なら、これよりもまた深い演奏ができるのかもしれないけれど、それでもまだデビュー間もない頃の彼女の音楽の美しさには何ものにも代えがたいものがあります。彼女の記念碑的な演奏として、私という聴き手にとっても大切な愛聴盤として、大事に聴き続けていきたいと思います。

     

     ドラマは今日の夜の放映が最終回になります。今回はいったいどんな場面でシューベルトが使われるのか、とても楽しみにしています。

     

     

     

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