Langsamer Satz

クラシック音楽のことなどをのんびり、ゆっくりとお話したいと思います
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【演奏会 感想】マレイ・ペライア ピアノ・リサイタル(2016.10.31 サントリーホール)
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    ・マレイ・ペライア ピアノ・リサイタル

     (2016.10.31 サントリーホール)

     

     

     

     

     

     

     

    <<曲目>>
    ・ハイドン: アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6
    ・モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調
    ・ブラームス:6つの小品より 第3番 バラード ト短調 Op.118-3
    ・ブラームス:4つの小品より 第3番 間奏曲 ハ長調 Op. 119-3
    ・ブラームス:4つの小品より 第2番 間奏曲 ホ短調 Op. 119-2
    ・ブラームス:6つの小品より 第2番 間奏曲 イ長調 Op. 118-2
    ・ブラームス:幻想曲集 第1番 奇想曲 Op.116-1
    ・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調「ハンマークラヴィア」Op.106

     

    ---

     

     名演奏家というのは、「何の変哲もない音を、特別な音にする」能力を持った人に違いない。マレイ・ペライアがサントリーホールで開いたリサイタルの1曲目、彼がハイドンの「アンダンテと変奏曲」の冒頭、ほんの一、二音を弾いたとき、私はそう思いました。 ペライアの弾いた音が、まさしくそれだったからです。
     子供の頃に少しだけピアノを習っていたという程度の私でさえも、音にするだけなら簡単にできてしまうような至極単純な旋律を、ペライアは何と美しく弾いたことでしょうか。どうやったら、どれくらいの年月を経たら、何を削ぎ落としていけば、人間はこんな音に到達できるのだろうかと思わずにいられないほどに、澄みきった気高い音が聴こえてくる。耳に届く旋律の平明さとのギャップが凄まじいくらい。

     

     演奏会の進行に従い、ペライアの紡ぎ出す音に耳を澄まし、その美しさに忽然としていると、私はある一つのことに気づきました。それは、呆気ないほどに何もない純粋無垢な音の背後には、いつも何かの「気配」を感じる、ということ。

     

     ペライアが選んだ曲目、即ち、ハイドンの変奏曲、モーツァルトのピアノ・ソナタ第8番、ブラームスの小品(Op.116,118,119から5曲をセレクト)、そして、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」という、ウィーンで活躍した作曲家たちの作品を並べて聴いていて、私は結局のところ、ペライアの音楽そのもの以上に、その音楽の背後にある「気配」をこそ愉しみ、味わったような気がします。

     では、「気配」とは何か。作曲家や演奏家という具体的な存在の気配ではなく、人間の「思考」なんじゃないか、と私は思います。今回のペライアの来日公演のプログラムは、ただウィーン古典派の3人と、その正統的な後継者の作品を、センス良く選んだというのではなく、実は、人間の思考のあり方と深く結びついた曲が並べられているのではないか、と思えてならないのです。言うなれば、「思考プロセスのメタファーとしての音楽」のあり方を示したプログラミングである、と。

     

     ハイドンの変奏曲は、ただ単純な変奏ではなく、幾分入り組んだ構造を持っています。つまり、2つの主題がロンドのように交互に変奏されていくのです(その意味で、ベートーヴェンの第9の第3楽章の先駆けと言っても良いのかも)。しかし、ヘ短調の悲痛な響きが異様なほど強く印象に残ることから、作曲者と親しかったマリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人やモーツァルトの死と結びつけて語られることのある曲。親しい人の死と向き合った作曲家の哀しみや愛惜の念といった感情や思考が、こうした音楽の形式の中で表現されていると言えます。
     モーツァルトのイ短調のソナタも、母の死と重ねられることのある曲で、まさに音楽の内容と形式との関連を考えずにいられない曲です。

     ブラームスの作品は彼の晩年の非常にパーソナルな思い、ことにクララ・シューマンへの感情が、3部形式などごくシンプルな構造の中で表現されていると考えられなくもない。

     そして、ベートーヴェン。このソナタは、人間の生々しい感情ではなく、形而上学的としか言いようのない人間の思考プロセスが、ほとんど原型をとどめなくなる寸前の極限状態まで拡張された形式の中で音化された音楽。ソナタ形式やフーガといった音楽の展開原理に則りつつも、とりとめのない瞑想が無限空間の中で広がり、アイディアが次から次へと溢れ、それらがぶつかり合い、反発し、止揚し、最後の結論に辿り着く音楽。そんな音楽の道筋の背後にある、人間の思考のプロセスを、そのままのかたちで示してくれたのが、今回のペライアの演奏だったと言えるような気がします。

     

     それら珠玉の作品たちから私の目の前に浮かび上がって来たのは、音楽などという範疇をはるかに超えた、人間の思考の多彩さ、豊かさ、奥深さ、そして「訳の分からなさ」でした。特にベートーヴェンの場合が顕著ですが、「その音は一体どこから来たの?」と作曲者に聞きたくなるほど、信じられないくらいに「天から降って来た」かのような不思議な音の並びがあちこちにある。しかも、それらは閃きに満ちた天才の業であり、後で思えば、「そうでなければならない」という必然を感じさせるものでもある。一体どういう脳の構造と働きをしていれば、こんな音が次から次へと紡ぎだせるのだろうか。そんな驚き、感嘆を、ペライアの演奏する4人の作曲家の書いた音楽から、ビリビリと、2時間近くにわたって受けていました。

     

     デモーニッシュに傾き過ぎずに、音楽のもつ悲劇的な調べを格調高く響かせたモーツァルトも良かったし、私が偏愛するOp.118-2で胸に迫る演奏を聴かせて来ればブラームスも忘れ難いものでしたが、やはり、曲の規模がとてつもなく大きいベートーヴェンが一番印象に残りました。
     冒頭でこそ、「これほどの名手でも、この音楽を前にするとこんなに緊張して硬くなってしまうのか」と思わずにいられない部分がありましたが、第1楽章途中から硬さが徐々にほぐれて問題は解消し、息をつく暇もないほどに密度の濃い音楽を聴くことができました。難解な音楽を分かりやすく聴かせようとなどせず、難しいものは難しいままに弾くべしとばかりに淡々と瞑想を展開した第3楽章。かなり早いテンポで駆け抜け、もはやフーガという領域をはるかに逸脱し、次から次へと湧き出る思考が、まるでトピックを中心にツリー上にマインドマップとして広がっていくのが見えるような鮮やかな第4楽章。
     これとは違うアプローチで、この曲の凄さを実感させてくれる演奏は他にいくらでもあります。また、正直言って、私自身は、彼の演奏を聴いて、この「ハンマークラヴィーア」というソナタが余計に分からなくなったという感慨もあります。自分はこの巨大な音の建造物のことは、まったくと言って良いほど理解できていないことを痛感しました。
     しかし、だからこそ、というのでしょうか、音楽がわからなくなるのと反比例して音楽の素晴らしさを強く実感できるようになったのは間違いありません。いかにこの曲が弾き手にも聴き手にも大きな挑戦を強いるもので、どんなにたくさんの宿題を与えてくれるものであるかだけは分かった。そして、この謎と驚きに満ちた大曲について、もっと知りたい、少しでも分かるようになりたいと強く思いました。ペライアの演奏を聴かなければ、そういうふうに思えたかどうか。聴けて良かったと心から思います。

     

     プログラムが全部終わって、ペライアは拍手に応えて何度か舞台に戻ってきましたが、結局のところ何のアンコールも弾かずに終わりました。それでいい、と思いました。あの「ハンマークラヴィーア」の後で、一体何の音楽が必要だというのかと。あたたかくて心地よい余韻を胸に帰途に着きました。

     

     音楽というもののかけがえのなさを実感した一夜でした。人間の「思考」を表現する器として、様々な感情を普遍へと昇華し真実へと近づく道筋を与えてくれるマイルストンとして、音楽は、これからも私の、そして我々人間にとってなくてはならないものとして存在し続けるのだろうと思いました。

     

     素晴らしいコンサートでした。前回の来日公演を聴けなかったので5年ぶりに聴くペライアでしたが、これからもまた続けて聴きたいと思います。

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