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【演奏会 感想】田部京子 シューベルト・プラス第1回 ピアノ・リサイタル(2016/11/19 浜離宮朝日ホール)

・田部京子 シューベルト・プラス第1回 ピアノ・リサイタル

 (2016/11/19 浜離宮朝日ホール)

 

 

 

 

 

 

 

<<曲目>> 

・モーツァルト/ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付」

・ブラームス/2つのラプソディOp.79

・シューベルト/ピアノ・ソナタ第18番「幻想」

(アンコール)

・シューベルト(吉松隆編)/アヴェ・マリア

 

---

 

 田部京子の新しいコンサート・シリーズ「シューベルト・プラス」の第1回目を浜離宮朝日ホールで聴いてきました。

 

 曲目は、前半は、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付」、ブラームスの2つのラプソディOp.79の2曲、メインがシューベルトのピアノ・ソナタ第18番「幻想」というもの。最初の2曲は彼女にとっては比較的新しいレパートリー(CDでは、前者は前日に新盤が出たばかり、後者は未録音のはず)ですが、全体として見れば、彼女がデビュー以来じっくりと時間をかけて取り組んできた三人の作曲家の作品によるプログラムの組み立て。

 しかし、シリーズのタイトル通り、「シューベルト弾き」として揺るぎない名声を保つ彼女が、久しぶりに、私の愛するシューベルトの音楽の世界に再び戻ってきた、いや、戻って来てくれた。そのことが、何よりも嬉しく、大切なことでした。勿論、前半の2曲も楽しみでしたけれど、「いま」の彼女の弾く「幻想」が聴けるのを心待ちにしていましたし、期待に大きく胸を膨らませて演奏会場に臨みました。

 

 そして、まさにそのシューベルトが本当に良かった。それは、「ああ、これが聴きたかった」と言いたくなる、私がまさに聴きたいと熱望したような演奏でありながら、一方で、想像していたよりもはるかに深く、美しい演奏でした。「この曲はこんな音楽だったのか!」と驚く瞬間も数えきれないほどにありました。

 

 彼女は、ゆったりしたテンポで音楽を進めていく。どこまでも繊細で、心の襞に沁み入ってくるような弱音を最大の武器として、静謐な響きのなかで自己の内部に深く沈潜する作曲者の心象風景に寄り添う。シューベルトが音楽に込めた痛みの表出に、自らの心の深くで共感し、聖母の慈悲を思わせるようなあたたかさで、音楽を大きく包み込んでいく。

 DENONに残した名盤から17年、その深沈たる響きには、強弱、音色とも何段階ものグラデーションが加わりました。音の弱さに反比例するかのような表現力にも磨きがかかっています。また、フォルテ、フォルティッシモでの響きにも、豊かな含みがあって、ソノリティが格段に上がっている。前半楽章の巨大さを支え切れていないと批判されることのある第4楽章も、強音に力を込めて弾いていたCDよりもっと落ち着いた演奏になっていて、このソナタ全体の中にもっと自然に居場所を見つけられていたのにも感嘆しました。

 そんなふうに、まず音楽それ自体が、彼女の音楽家として、人間としての成熟を感じさせずにいられないもので、私は彼女の演奏にとてつもなく深い感銘を受けました。

 

 しかし、今回の演奏で、一番私の心に残ったのは、何よりも、このソナタが、「物思いに沈む」音楽なのだということを、とても強く感じたということでした。この曲の愛称として使われるドイツ語の ”Fantasie(幻想)” ではなく、日本語の「物思い」。

 「物思い」という言葉には、「ものを思うこと」という意味の他に、「思いわずらうこと」という意味があります。ただ単に何かに対して考えを巡らせるというだけでなく、思い悩み、ふと立ち止まり、思い乱れて激しく動揺し、どんどん自己の内部に沈潜していく、そうした「思い」の動き、揺れといったものこそが、この「幻想ソナタ」の核なのであり、同時に、はかり知れない魅力の源泉である(嫌いな人にはたまらないものでしょうけれど)ということを、田部京子の演奏から実感したのでした。

 

 第1楽章冒頭で静かに示されたト長調の明るい和音は、わずかな揺れを含みながら、漂うように空間に沁みわたっていく。何かに憧れ、思いを馳せ、希望を孕んだ心は、重力から解き放たれて、飛翔しようとする。

 でも、音楽の雲行きは怪しくなる。冒頭の主題は、いつの間にか暗い影を帯び、心に不安な波紋を投げかけていく。希望を取り戻そうとト長調の和音を再び奏でてみても、もう同じ響きは戻っては来ない。いつもあの暗い雲がそこには見えている。何かが音を立てて崩れてしまうのではないかという不安が高まり、ついに自らのうちにカタストロフを生む。
 ひりつく孤独の中に身を置き、その痛みを味わい、自らの内部に引きこもりながら、それでもまたあの希望の欠片を求めてさすらいを続ける。やがて思いは鎮まり、何事もなかったかのように静けさがやってくる。だけれど、それは音楽が始まる前の静けさとは決して同じではない。恐ろしいブラックホールが私の目の前にある。 

 第1楽章で示された、そんな思考の流れは、第2楽章、第3楽章、そしてフィナーレへとずっと続いていく。「思い」は、陰と陽のはざまを縫うようにして動きながら、果てのない旅を続ける。その旅には終着点も結論もない。ただ暫定的な「ジ・エンド」があるだけ。その先にも、結局のところ、私たちの先にはあるものは「死」であり、「無」である・・・。

 

 そんなふうに、まったく具体性を欠いた、抽象的で茫漠とした「言葉のないドラマ」を、今ここで生まれたものとして追体験することができた、それが、今日私が聴いた田部京子の演奏するシューベルトの第18番のソナタで得た最大の収穫でした。

 

 自己の中に深く沈みこんだ「物思い」は、ひどく孤独なものです。この世界に対して何の影響も及ぼしません。私自身、それを何かで自力で表現することもできませんし、誰かと分かち合うことなど、到底できはしません。でも、シューベルトは、そして、田部京子は、そんな「物思い」を、音楽を通してかたちとして表現してくれる。私は、自分自身のどこにも行き場のない「物思い」を重ね、閉塞した自分自身の心を解き放ち、生きる力を得ることができるのです。

 どこまでも突き詰めた孤独は、むしろ、それだからこそ、人それぞれの孤独を結び付け、あたたかな繋がりを生む。その音楽から聴こえてくる孤独は、私の内側にあるものと同じものではないけれど、その「物思い」がもたらす涙や、哀しみには身に覚えがある。心の痛みに耐えかねて夜空を見上げ、月や星の輝きを目にしながら、一体安らぎなどこの世のどこにあるのかと呟く時のあの感覚が、この音楽にある。自らの心のうちを誰にも悟られまいと、壁を作って防御することに汲々として疲れ切った心は、それがただ私一人だけが抱くものではなく、誰もが抱く孤独から来る思いであって、壁なんて作る必要などない。その痛みや苦しみを、誰かと分かちあい、互いにいたわり合うことだってできるのだと知る。そして、私の心は、ほんの一瞬であってもやわらぎ、無駄な武装を解除することができる。

 まるで認知行動療法のごとく、私の心にあたたかく手をさしのべ、何の言葉もなく寄り添って、その歪みをほぐしてくれる音楽が、いま、私の目の前で生まれ、流れてくる。「物思い」を孕んだ音楽が、いつも私のそばにあって、どこまでも自己中心的で、ネガティブに傾きがちな私の「物思い」の質を変えてくれるかもしれない。「この世は生きるに値する場所だ」という、たしかな実感を得ることができるようになるかもしれない。

 たとえそれがひとときの錯覚であったとしても、私を癒し、生きる力を与えてくれる音楽がある。これほど幸せなことがあろうか。ああ、この音楽とめぐりあえて良かった。私は、心の中でそう反芻し、たとえようもない幸福を感じながら、田部京子の弾くシューベルトを聴いていたのでした。あっという間の40分でしたが、でも、いつまでもそこに浸っていたい、楽園のような時間でした。

 

 シューベルトを満ち足りた気持ちで聴き終えて演奏会全体を振り返ると、前半のモーツァルトも、ブラームスも、間違いなく「物思い」の音楽だったのでした。

 

 あの「トルコ行進曲付」というソナタは、田部の演奏を聴くまで「物思い」とは全然結びついていなかったので驚きました。もっと即物的というか、人間の個人的な感情や心の動きとは距離のある音楽だと思っていた曲には、実は、彼の晩年のピアノ協奏曲やクラリネットのための作品を思わせるような、静かな「物思い」が既にあるのだと今回初めて知った気がします。高齢の大家が身をもって聴かせてくれるようなものとは違う、彼女にしか求められない、もっとみずみずしい感性をもった「晩年様式の音楽」が、この音楽から「物思い」を炙り出したとでもいうのでしょうか。特に、少し遅めのテンポで、消え入るような弱音を多用して聴かせてくれた第1楽章の変奏曲の、微細な陰影が生み出す情感の美しさに、我を忘れて聴き入ってしまいました。

 

 ブラームスは、冒頭の一音からガラリと音のパレットを総入れ替えして、「ブラームスの音色」を作っていたこと、そして、全体にグレー系の色調をもった分厚い響きを多用し、もっとロマンティックで、人間くさい歌を引き出していたところに強く惹かれました。きっとその音楽に込められた「物思い」には、当然、クララ・シューマンへの思いもあったでしょう。努力しても報われず、ガラスでなく、コンクリートか金属のような硬くて厚い天井を破ろうと決意して決然と挑みかかるのだけれど、結局は何もできない。でも、だからこそ彼女への思いはむしろ強まっていく。そんなふうに、どこか静かな官能を秘めた音楽の切ないカンタービレは印象的でした。

 

 アンコールは、もはや彼女の定番となった観のある、シューベルト(吉松隆編)の「アヴェ・マリア」。この編曲が、田部京子のピアノで、この歌と、この響きを聴きたいという吉松氏の願望を込めて作られたものだということを痛感しました。よくぞこの編曲をして下さったと吉松氏に感謝したい(演奏会場でお姿をお見かけしました)し、彼女のあまりにも清らかな演奏にひれ伏したい思いでした。またこれも何度でも聴きたい編曲です。

 

 シューベルトの命日(私たち夫婦の結婚記念日でもあるのですが)に、私にとってかけがえのない演奏家から、かけがえのない演奏を聴くことができた喜びを、心の底からかみしめながら、そして、来年7月に予定されている第2回の「シューベルト・プラス(ソナタ第19番ほかが予定されている)」を心待ちにして、このエントリーを閉じたいと思います。


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  • 2017.06.25 Sunday
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