Langsamer Satz

クラシック音楽のことなどをのんびり、ゆっくりとお話したいと思います
<< 【映画 感想】「この世界の片隅に」 | main | 【ライヴ 感想】純名里沙 Christmas Night 2016 with 笹子重治 & Special guest 村上ゆき (2016.12.08 横浜Motion Blue) >>
【ディスク 感想】テュベルク/ミサ曲第1、2番 〜 B.A.シュミット指揮サウスダコタ合唱団、C.ジェイコブソン(org)(Pentatone)
0

    ・テュベルク/ミサ曲第1、2番

     B.A.シュミット指揮サウスダコタ合唱団

     C.ジェイコブソン(org) (Pentatone)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

    <<曲目>>

    ・ミサ曲第1番ト長調〜混声合唱とオルガンのための (1934)
    ・ミサ曲第2番ヘ長調〜混声合唱とオルガンのための (1941)

     

    ---

     

     「悲劇の作曲家」と呼ばれる人たちがいます。

     

     例えば、第二次世界大戦中に、ナチスのホロコーストの犠牲となり、強制収容所で死んでいった作曲家たち。自由な音楽活動を完全に取り上げられ、挙句の果てにガス室に消えてしまった人たち。シュールホフ、ウルマン、クラサ、クライン、ハース、イェッセル(「キューピー3分クッキング」のテーマ曲のオリジナルを書いた人)。


     そして、もう一人、1893年にウィーンに生まれ、1944年12月31日にアウシュヴィッツで死んだマルツェル・テュベルクという「悲劇の作曲家」がいます。ヴァイオリニスト、指揮者として、アバツィア(現クロアチアのオパティア)で活躍した人で、往年の名指揮者ラファエル・クーベリックと親しく、交響曲第2番はクーベリック指揮チェコ・フィルによって1930年代に初演されています。彼の母の高祖父がユダヤ人で、ユダヤの血が1/16入っているということで逮捕され、最期を強制収容所で迎えたとのこと、確かに「悲劇の作曲家」です。

     

     私がテュベルクの名前を知ったのは、数年前だったか、Ottavaで彼の交響曲を収めたナクソスのCDがオンエアされた(例によって林田直樹さんの番組だったと記憶)のを聴いたときでした。しかも、その前後で、Naxosでいつも印象的なオビを書かれている吉田早苗さんが、そのCDを紹介しておられるのも目にしたので、矢も楯もたまらず、同レーベルから出ている交響曲第2,3番などの入った2枚のCDを購入しました。


     それらは、オビで紹介されているように、思わず微笑と苦笑を浮かべずにはいられないほどに、マーラーとブルックナーの影響が濃厚な作品でした。交響曲第2番はブルックナーの1番、第3番はマーラーの7番(と9番と10番)を想起せずにいられません。

     ただ、その後期ロマン派ど真ん中の分厚い響きはなかなかカッコいいものの、楽想の展開の手法は、私のようなド素人が聴いても、いかにも弱く、論理性に乏しいと感じてしまったというのが正直なところ。オビにも書かれているように「煮え切れない」音楽というのは、まさに言い得て妙です。これは、可哀想だけれど、マイナーな作品であり続けることを宿命づけられた音楽だろうなとさえ思いました。もしもテュベルクが「悲劇の作曲家」でなかったら、絶対に埋もれてしまって、私は一度も聴くことはできなかっただろうと。

     

     しかし、私は、このテュベルクの作品を、ブルックナーとマーラーの亜流として斬り捨てることはできませんでした。どこか私の心の琴線に響くものが、彼の音楽にはあるように思えたからです。

     特に両交響曲のソナタ形式の楽章の第2主題や緩徐楽章、あるいはスケルツォ楽章のトリオで聴くことのできる、濃厚なロマンをまとった抒情的な歌は、私の中に強い印象を残しました。併録されたピアノ作品や、ピアノ三重奏でも同様。

     しかも興味深いのが、「悲劇の作曲家」の音楽であるという割には、1943年、ナチスによって収容所送りになる少し前に書かれた交響曲第3番でさえも、それは、さほど悲劇的な音楽ではなく、透明で、清らかな響きに満ちあふれていることです。交響曲第3番は、特に、母親を亡くした頃に書かれたもので、スコアの後ろには大いなる哀しみと困難を乗り越えて作品を完成した由が書き込まれているのだそうですが、私には「悲劇」が落とす影を、この音楽の中には見出すことができないのです。彼の交響曲には、いつも、どこか澄んだ空を思わせる明朗さがあって、両曲の終わりでも、マーラーの5番や7番のフィナーレの肯定の響きから、「シニカルなフェイクとての歓喜」を除去してしまったような、屈託のないハッピーエンドがそそくさとやってきて、呆気にとられてしまう。その「悲劇の作曲家」というキャッチコピーとの落差に、私はむしろ興味を持ったのです。

     

     そんなテュベルクの音楽を、もっと聴いてみたいとかねてから思っていたのですが、最近、ようやく久しぶりに彼の未知の音楽を聴くことができました。

     それは、テュベルクが書いた2曲のミサ曲。混声合唱とオルガンによるもので、第1番ト長調は1934年に書かれた40分を超える大曲、1941年作の第2番は20分ほどの曲。ペンタトーンから発売されたSACDハイブリッド盤で、ブライアン・シュミット指揮サウスダコタ合唱団、クリストファー・ジェイコブソンのオルガンによる演奏、2016年1月にネブラスカ州のファースト・プリマス会典派教会での録音。

     これら2曲のミサは、私がこれまで聴いてきたナクソスの2枚のCDを通して、テュベルクという作曲家に対して抱いていたイメージを大きく覆す作品ではありませんでした。第1番の途中で一瞬グレゴリオ聖歌の引用と思しき一節がある以外は、いつも後期ロマン派的な豊麗な和声を伴った美しい音楽。「春の祭典」の初演から20年以上を経た時代の作品とは思えないくらいに保守的で、予定調和的な響きにむしろ驚きます。しかし、ミサの典礼文につけられた音楽だからでしょうか、交響曲で感じた、ある種の弱さ、煮え切らなさはほぼ皆無。ただただ、のびやかで、優しさに満ちた調べに心洗われ、ごくごく自然な流れで生まれる盛り上がりに高揚し、あたたかな音楽に癒されます。
     

     どちらかというと、音楽のつくりの大きい第1番の、懐の深い音楽に打たれました。特に印象的なのは第1番の14分を要するを壮大なクレド。キリストの生誕から受難、復活までのドラマを、簡素な言葉と音楽だけで表現する部分だけに、どんな作曲家も気合いを入れて工夫に工夫を重ねて作るところですが、テュベルクは、一つ一つの言葉に敏感に反応した楽想をつけながら、キリストの復活あたりから強大なクライマックスを築き上げます。これをもし、教会で聴いたら、さぞかし感動するだろうなと思います。また、同曲の「アニュス・デイ」も美しい。その冒頭の沈鬱な響きが、やがて穏やかな調和を願う歌へと柔らかく移行していくあたりの美しさにも耳をそばだてずにいられない。

     

     第2番は、全体に第1番とよく似た構造を持ちながら、少し小ぶりでシンプルなフォルムをもっていますが、やはりここでも7分近くを要するクレドの真摯な音楽が胸を打ちます。シンプルな立ち居振る舞いの中から、自然にクライマックスに向けて盛り上がっていくあたりの展開は、耳に刺激は乏しいかもしれませんが、ついつい引き込まれずにはいられない充実したものです。また、「サンクトゥス」で、合唱が高揚の中で歌い終えた後の、オルガン独奏による壮大な広がりをもった後奏は、まさに熟達の筆によって書かれた音楽としか言いようがありません。そして、ここでも静謐な気品をたたえた「アニュス・デイ」の祈りの音楽は、強烈な訴求力こそ欠きますが、しみじみと心に沁み込んでくる佳品。

     

     これらのあまりにも純粋無垢な音楽を、静かな感動を覚えながら聴いていて、ひとつ思ったことがあります。

     

     それは、テュベルク(に限った話ではないかもしれませんが)の音楽を、「ホロコーストで死んだ悲劇の作曲家」の手による作品ということに捉われすぎ、そのことを意識のど真ん中に置いて聴くのは良くないな、ということでした。その音楽のどこかに「私が聴きとりたいもの(=つまり、悲劇の作曲家が書いた悲劇的な、あるいは社会告発的な調べ)」がないかと探しながら聴くことは、音楽と「ほんとうに出会う」ためには、むしろ害にしかならない、とても不健康な聴き方だと思うからです。

     確かに、彼の交響曲第3番は、「非アーリア人」の宣告を受け、失意のまま病死した母への思いが込められている、という解説の文言を念頭に置いて聴けば、哀しく、悲劇を孕んだ音楽に聴こえなくはありません。しかし、ミサ曲を含め、交響曲第2番、室内楽やピアノ・ソナタなど、それより前の作品は、まだ自分が強制収容所送りになることなど想像もしていなかったでしょうから、その音楽の成立背景や、音楽のありように何か悲劇がある訳ではない。だから、これらの煮え切らなくて穏やか、そして、先輩作曲家の作品からの影響が濃厚な作品たちの、どこか微笑ましい呑気さに触れたとき、「自分が聴きたいものが聴けなかった、だから期待外れ」と失望してしまうのは、まったくもってお門違いなんじゃないかと思うのです。

     その意味で、今回聴いた2つのミサ曲のように、テュベルクが体験した「悲劇」とは関わりがなく、そして、マーラーやブルックナーの音楽との関連も希薄で、この作曲家の「素」の部分が反映されたような音楽を聴くことができたのは、とても良い経験でした。まずは、彼の遺した「音楽そのもの」と出会った上で、彼を襲った悲劇について考える方が、私としては自然だし、意味のあることだからです。

     

     そんな前提に立って、手持ちのナクソス盤も改めて聴き直した上で、「悲劇の作曲家」テュベルクの送った生涯に、いま一度、思いを馳せてみます。

     CDの解説などによると、テュベルク自身はカトリック信者だったそうです。だから、混じり気のないキリストへの愛が溢れた「信条告白」のミサ曲を書いた。ある日突然、母親の「ひいひいじいさん」がただ一人ユダヤ人だっただけの理由で逮捕されたときは、さぞ理不尽な思いをしたに違いありません。そう考えると、ナチスがやったことというのは、いや、戦争というのは、人命や施設だけでなく、こうした創造とか、祈りとか、そういった美しいものを破壊する、まさに野蛮な行為なのだなと痛感します。
    やはり、私たちは「悲劇の作曲家」を、二度と生んではならないのだと心から思います。

     

     それはともかく、このテュベルクのミサ曲や、交響曲は、マイナーな作品も屈託なく楽しめる聴き手や、アマチュア演奏家の間で、もっと聴かれていいんじゃないかと思います。特に交響曲は、「マーラーもブルックナーもいい加減食傷気味なんだけどねえ」とか、「ロット以外に、ああいうテイストの交響曲ってないもんかなあ」と、ものほしげな視線を、CDカタログに送っているオケ好きには、それなりにアピールするんじゃないかと思います。何年か後、「アマチュアによる日本初演」みたいなケースがあるかもな、なんて妄想したりしています。どうでしょうか。

     

    ・テュベルク/交響曲第2番、ピアノ・ソナタ第2番

     ジョアン・ファレッタ指揮バッファロー・フィルほか(Naxos)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     交響曲の冒頭は、ブルックナーの第1番の冒頭かと思うような始まり方。随所に「あ、ブルックナー!」と言いたくなるようなブラスのコラールがあって、私は好きです。マーラーを想起させるドラマティックな響きもありますが、結局、腰砕けというか、肝心なところに至って、「やっぱり今言ったことは言いすぎでした」みたいな控えめなところに落ち着いてしまう穏やかさがあって、なかなか味わい深い。

     ピアノ・ソナタは、オビにある通り、確かにベートーヴェン的な構築を目指した音楽ですが、時折、シューベルトのソナタっぽい逡巡があったりして、これもまたいい。

     ファレッタ指揮のオケは、煮え切らない音楽を、煮え切らないままに演奏していて、「馬力のあるオケで聴いてみたらどうなるだろうな」という思いもなくはないですが、その「ありのまま」さが好きです。

     

    ・テュベルク/交響曲第3番、ピアノ三重奏曲

     ジョアン・ファレッタ指揮バッファロー・フィルほか(Naxos)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     こちらの交響曲は、のっけから「あ、マーラーの7番!」です。それと、「あ、マーラーの9番(特に第2楽章)!」な瞬間も満載。でも、不思議なのは、マーラーの10番の第2楽章の楽想らしきものが出てくること。テュベルクは、もしかして10番の未完の自筆を見たのではと思います。ショスタコーヴィチやベルクなどいろいろな作曲家に補筆の依頼がなされたことが明らかになっているので、彼にも打診があったか、彼の知己から見せてもらう機会があったか、どっちかじゃないか?と思います。そんな「マーラーの亜流」の交響曲ですが、リリカルなテーマが出てくると、とたんにブルックナー風の音楽になるところが面白くて、これもいい。

     音楽(に限らず芸術全般)は、100%オリジナルでなければ価値がない、他人からの影響を露わにした音楽などゴミだ、というような向きには、ほとんど価値を認められない交響曲かもしれませんが、私はその真摯な響きに打たれます。「マーラーだって、ある意味、ベートーヴェンやシューマン、ブルックナー、そしてロットの亜流とも言えるよね」とニコニコ笑って聴ける人に「テュベルクも聴いてみたら面白いかもよ」と、そっと耳打ちしたいです。

     

     ところで、本エントリーでは、ペンタトーンのCDの日本語オビに倣って、作曲家の名前を「テュベルク」と記していますが、ナクソスの2枚のCDの日本語オビでは、「タイベルク」と記されています。どちらが正しいのか、どちらがネイティヴな発音に近いのかは分かりません。そのうち、納得のいく形で、どっちかに呼び名が統一されればいいなと思います。余談。

     

    Marcel Tyberg

     マルツェル・テュベルク(タイベルク)

     (1893.1.27-1944.12.31)

     ※Wikipediaのテュベルクに関する記載は、

      日英版とも、ナクソス盤の解説からの引用に近いものでした

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    | nailsweet | クラシック音楽 ディスク | 13:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
    スポンサーサイト
    0
      | スポンサードリンク | - | 13:02 | - | - |









      http://nailsweet.jugem.jp/trackback/1345
           12
      3456789
      10111213141516
      17181920212223
      24252627282930
      31      
      << December 2017 >>
      + PR
      + SELECTED ENTRIES
      + RECENT COMMENTS
      • 珠玉の小品 その21 〜 ゴダール/ジョスランの子守歌
        まこ (11/23)
      • 【演奏会 感想】小泉和裕指揮東京都響 第841回 定期演奏会Bシリーズ アリーナ・イブラギモヴァ(Vn)
        バッハ (10/26)
      • デ・ラ・パーラ指揮のオール中南米プロの演奏会が聴きたい
        gijyou (07/24)
      • レコード芸術 創刊800号に思う
        “スケルツォ倶楽部”発起人 (05/07)
      • レコード芸術 創刊800号に思う
        木曽のあばら屋 (05/06)
      • マーラー/交響曲第9番 〜 バーンスタイン/IPO(1985.9.3) 
        ストロハイム (02/08)
      • アザラシヴィリ/無言歌(グルジアの歌)
        moemoet. (01/28)
      • アザラシヴィリの「無言歌」について 〜 原曲は "Dgeebi Midian"
        moemoet (01/28)
      • 【演奏会 感想】ウィリアム・クリスティ&レザール・フロリサン <イタリアの庭で〜愛のアカデミア> (2016.10.13 サントリーホール)
        siegfried (11/21)
      • 【演奏会 感想】ヴァレリー・アファナシエフ ピアノ・リサイタル(2016.10.29 浜離宮朝日ホール)
        ねこ (11/20)
      + RECENT TRACKBACK
      + CATEGORIES
      + ARCHIVES
      + Twitter
      + Access Counter
      + Ranking
      にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
      にほんブログ村 にほんブログ村 クラシックブログへ 人気blogランキングへ
      ブログランキングに参加しています。
      + Twitterです
      ほんの出来心
      + Mail
      + MOBILE
      qrcode
      + LINKS
      + PROFILE