Langsamer Satz

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【私のシューベルティアーデ・176】ピアノ作品集(1815-1818) トゥルーデリーズ・レオンハルト(Fp)
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    ・シューベルト/ピアノ作品集(1815-1818)

     トゥルーデリーズ・レオンハルト(Fp) (Musica Omnia)

     →詳細はコチラ(Musica Omnia)

     

     

     

     

    <<曲目>>

    ・Adagio in G major D 178(1815)
    ・Allegretto in C major D 346 (1816)
    ・12 Wiener Deutsche D 128 (1815)
    ・Andante in A major D 604 (1817)
    ・Marsch in E major D 606 (1818)
    ・Adagio in E major D 612 (1818)
    ・Minuet in A minor D 279 (1815)
    ・Adagio in D-flat major D 505 (1817)
    ・Sonate in E minor D 566 (1817)
    ・Ungarische Melodie D 817 (1824)
    ・Seven Scottisch Melodies D 521&511(1816/17)

     

    ---

     

     

     トゥルーデリーズ・レオンハルトの新譜、シューベルトのピアノ曲集を聴きました。2016年1月にスイスのサン・シュルピスで収録されたMusica Ominia盤で、日本のCDショップやアマゾンでの取り扱いがないので、レーベルのオンラインショッピングで直接購入しました。

     

     さて、レオンハルトのシューベルトのピアノ小品集というと、既に何枚かのアルバムが複数レーベルからリリースされていますが、そのほとんどは舞曲集という性格が強いものばかりでした。それに対して、今回のアルバムのポイントは、1815年から1818年にかけてシューベルトが作曲した「舞曲ではない」音楽を集めたものになっていることです。

     

     1815-18年というと、シューベルトが18歳から21歳の頃で、「野ばら」「魔王」「御者クロノスに」「死と乙女」「楽に寄す」「ます」といった彼の代表作というだけでなく、ドイツ・リートの歴史を変えた歌曲の名作を次々が書いた時期(1815年には驚くことに145曲もの歌曲を量産)。器楽のジャンルでも、交響曲第3〜6番を書き、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲にも果敢に挑戦していました。

     一方、私生活の面では、学校教師だった父の助手を務めながら、社会人として自立しようとしていた時期。友人たちとの集い「シューベルティアーデ」が徐々に形成され、1817年には宮廷歌手フォーグルがそこに加わってもいます。
     言ってみれば、この4年間のシューベルトは、「シューベルトが(私たちの知っている)シューベルトになった」時期であり、今回のレオンハルトの新盤は、「作曲家シューベルトの誕生」の瞬間を捉えたものと言えます。

     

     アルバムに収録されているのは、どれも短い作品ばかりで、ソナタ第6番として知られる単一楽章の小品D.566や、ソナタ第2番のメヌエットを始め、もしかすると未完成のソナタの一部だったかもしれない断片などが中心の選曲。しかも、率直に言って、普段は聴かれることのほとんどない無名の作品ばかりが集められています(例外は、これだけ1824年作曲の「ハンガリー風のメロディ」)。
     そんなふうに、悪く言えば、同時期に彼が書いた歌曲の名作群に比べれば「習作」の域を出ない、未熟で、弱さをもった曲たちで構成されたマニアックなディスクなので、CDショップの店頭にが並んでいても、あるいは、雑誌やウェブで紹介されていても、「こんなの一体誰が聴くの?」という扱いを受けるか、そもそも気づかれもしないのかもしれません。

     

     ですが、私は、このアルバムを、大きな幸福と喜びを感じながら、そして、何よりも、ここに収められている音楽への愛おしさを胸に抱きながら聴きました。もともと私がシューベルトの音楽の心酔者であり、レオンハルトの大ファンなので相当に大きなバイアスをかけて聴いたことはまったく否定しませんが、しかし、これは、シューベルトの音楽に長年取り組み、その作風や、曲を生み出したコンテキストを完璧に把握した名手、いや、それ以上に、シューベルトの音楽を心の底から愛している人からしか生まれ得ない、滋味深い演奏であって、やっぱり掛け値なしに素晴らしいと私は思う。

     

     彼女のシューベルトの音楽に向かう姿勢は、ソナタの楽章になったかもしれない純音楽的な断章であろうと、少し舞曲的な性格を帯びた楽し気な音楽であろうと、まったく変わりがありません。
     厳格と言ってもよいほどのインテンポと拍節感に裏打ちされた、生き生きとしたリズムが脈打っていて、同時に、どんなフレーズにも、常に自然な呼吸があって、柔らかくて親密な歌があふれて出ています。そして、レオンハルトが愛奏するザイドナー製のフォルテピアノのとびきりの美音が、すべてをあたたかく包み込みながら、音楽の陰影を濃やかに描き出している。


     それはもちろん、これまで聴いてきた数々の彼女のシューベルトの音盤すべてで感じられたものには違いないのですが、今回のアルバムで聴きとることのできる「慈愛」には格別なものがあるような気がするのです。ただ一つ一つの音を大切に弾いているというのに限らず、彼の音楽の大きな特徴である転調の際の和声の移り変わりとか、楽想の変化といった音楽の「推移」を扱う手つきの優しさが際立っているからです。

     彼女は、自らの身体の一部となったフォルテピアノの美しい音が減衰していくのさえも愛でながら、シューベルトの音楽を慈しんでいる。まだあどけない少年の部分をたくさん残したシューベルトの、何か言いたいことが心の中にたくさん湧き起こっているのだけれど、それをどうやってピアノを使って表現すれば良いのか分からず、戸惑ったり、ためらったりしながら、ようやく終着点に何とかたどり着くというような危なっかしい音楽を、後ろから「大丈夫、私がついているわよ」と穏やかに声をかけながら後押ししているかのように支えていく。それは、すべてを受容し、無条件に許す母性愛さえも通り越した、もっと大らかな「愛」を感じさせる音楽となって私の耳に優しく入り込んでくる。

     

     入手してから毎日のように繰り返しこの音盤を聴き、その余りの優しさ、美しさに涙しながら、この音楽から感じる「愛」の源泉はいったい何だろうかと考えたのですが、今回のアルバムを構成する作品たちが書かれた時期が、彼女がまるで一心同体のように愛奏するザイドナー製のフォルテピアノが製作された時期とほぼ同じであることに気づきました。

     

     そう、レオンハルトは、この楽器がウィーンで産声を上げたまさにその頃、彼女が心から愛するシューベルトが、同じ街で書き綴っていた作品を演奏しているのです。だからでしょうか、ザイドナー製のフォルテピアノは、自分がこの世に送り出された頃の空気をたっぷり吸って、その頃に鳴り響いていた音楽の記憶を取り戻し、熱い鼓動が蘇ったかのように、生き生きと躍動する音楽を奏でています。音楽も、作曲者が想定したであろう響きに近い音を得て、自らがこうありたいと願ったままの生命を得て、音楽が鳴り響く空間を満たしていく。

     

     レオンハルトは、これらの曲を演奏することで、愛おしい銘器を蘇らせ新たな生命を吹き込むとともに、この楽器とリアルに対話したかったのではないでしょうか。あるいは、楽器との対話を通して、彼女の孫か曾孫にあたる年頃の青年シューベルトと対話したかったというのもあるかもしれない。
     いずれにせよ、考古学的な時代考証とか、イタコ的な意味での対話などではない。ただ、いまここにある音楽でのみ成立するリアルタイムの対話。あたたかい親愛の情に満ち溢れた語らい。しかも、その対話は、聴き手にもその場は開かれている。私もその対話に聴き手として参加し、豊かな時間を共有することができる。

     

     でも、そこでは楽し気な語らいばかりが交わされているわけではありません。レオンハルトの演奏の常ですが、シューベルトの音楽が本質的にもっている「翳り」がちゃんと表現されていて、彼が大病を患って以降の音楽で掘り下げられる「深淵」が、既にこの「無垢な」青年の書いた音楽の中にも、すでにあちこちで顔を出しています。

     

     1816年にシューベルトが書いた日記にはこんな言葉があります。

     

    「今日は何か月ぶりかで、夕方の散歩をした。暑い夏の夕方、緑の中を歩くくらい気持ちの良いことは、まずないだろう。(中略)兄さんのカールと一緒に歩いていて、僕の心は幸せで一杯だった。何てきれいなんだろう!とぼくは思い、口に出してそう叫んだ。そしてうっとりと立ち止まった。墓地の近くにきたので、ぼくたちはお母さんのことを想った。そうしてぼくたちは親しく心を打ち明けて、悲しい会話をつづけながら、デープリング通りの別れ道まで歩いてきたのだった」(6月14日)

     

    「人間はボールのようなものだ。偶然と情熱とが、それを転がして遊ぶ」
    「この暗い人生を明るくするのは、束の間の幸せの時でしかない」
    「男は嘆くことなく不幸に耐える。しかし、そうすると不幸はなおさら痛く感じられる」(9月8日)

    (前田昭雄訳 - カラー版 作曲家の生涯「シューベルト」- 新潮文庫)

     

     彼の日記に記された兄との「悲しい会話」、あるいは、自らの運命さえも見抜いてしまったかのような深刻なつぶやき、そういったものが、このディスクの音楽には、いっぱい詰まっているのです。このアルバムで唯一、大病以降に書かれた「ハンガリー風のメロディ」の、重く引きずるようなギャロップの足取り(シフの演奏との何と違うこと!どっちも素晴らしい)は、その最も哀しく美しい例。あるいは、再録音にあたる第6番のソナタで聴くことのできる痛みを孕んだ抒情も同様。
     そんなチクリと胸を刺すようなペーソスが、世間一般的には価値が低いとされる音楽の中から湧き出してきて、私という聴き手に静かに何かを語りかけてくる。私自身、この曲を書いたシューベルトの倍以上の時間を生きてきてはいるけれど、彼が音楽を通して投げかけてくる言葉は、やっぱり心に響く。若い頃へのノスタルジーなどではなく、今を生きる私にとっても、まだアクティヴな言葉として沁み込んでくる。そして、私の敬愛するシューベルトと対話をしているような感覚に襲われる。

     

     つまり、この音盤で、レオンハルトが聴かせてくれたのは、ザイドナー製のフォルテピアノという楽器を媒介にした、広い意味での「シューベルティアーデ」の再現であり、まさに「私のシューベルティアーデ」なのです。

     そこは、私にとって、喜びにつけ、哀しみにつけ、すべてを開放することのできる、かけがえのない居場所。この歳で何を青臭いポエムのようなことを言っているのかという気もしますが、しかし、この場所がなければ、私の人生はどんなにか淋しいものになることでしょうか。だから、いい歳をして、10代の少年が書いた音楽に微笑み、ホロリとしつつ、「楽興の時」を味わうのはやめられないのです。
     このアルバムを聴いて、10年ほど前のある日、突如シューベルトの音楽が私に何かを語りかけてきた、あの時の衝撃に似た驚きが、久しぶりに戻ってきたような気がします。あまりにも身近になりすぎ、少し忘れかけていたシューベルトの音楽のかけがえのなさを、改めて実感することができた。このアルバムを聴けて良かったと心から思いますし、これから私はこのアルバムを折に触れて聴くことだろうと確信します。

     

     シューベルトという天才に、レオンハルトというチャーミングな演奏家に、そして、こんなにも魅惑的な音色を持つ楽器を作ってくれたザイドナーに心から感謝を捧げます。

     

    (追記)
     Musica Omniaからは、このシューベルトと同時に、モーツァルトの作品集のアルバムもリリースされていて、私は入手済み。まだ途中までしか聴けていないのですが、こちらはマクナルティが復元したワルター製フォルテピアノを使用しての演奏。是非、感想を書きたいと思います。
     また、最近、レオンハルトが弾くシューベルト・アルバムで、未入手だったDivertimento盤を手に入れることができました。ただ、内容はCacavelleから出ているものと同じで、曲順を変え、リマスタされているように思われます。こちらもまたブログ記事を書きたいと思います。

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