Langsamer Satz

クラシック音楽のことなどをのんびり、ゆっくりとお話したいと思います
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【ディスク 感想】 So Many Things 〜 アンネ・ゾフィー・フォン・オッター & ブルックリン・ライダー (Naive)
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    ・So Many Things

     アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(Ms)

      ブルックリン・ライダー (Naive)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

    <<曲目>>

    1. ケイト・ブッシュ: Pi
    2. ジョン・アダムズ: Am I in Your Light?
    3. キャロリーヌ・ショウ: Cant voi l' aube
    4. コリン・ヤコブセン: For Sixty Cents
    5. ビョーク: Cover Me
    6. ニコ・ムーリー: So Many Things
    7. アンデルス・ヒルボルイ: Kvall
    8. ビョーク: Hunter
    9. ブラッド・メルドー: Love Sublime
    10. エルヴィス・コステロ: Speak Darkly, My Angel
    11. スティング: Practical Arrangement
    12. ルーファス・ワインライト: Les feux d' artifice t' appellent

     

    ---

     

     結構聴き込んだクラシック音楽ファンの間でも、他ジャンルに比べ声楽曲の人気は高くないと聞いたことがあります。確かに、私の周囲でも歌曲を聴く人は多くないし、雑誌の月評でも声楽曲のジャンルは後ろの方に掲載される。言葉の壁や、地味さなど不人気の理由はあるのでしょうが、その指摘はある程度は正しいのかもしれません。
     一方、普段はクラシック音楽をまったく聴かない人が、「歌がない」からクラシックは近寄りがたい、と言っているのを聞いたことは結構あります。いやいや、クラシックにだって歌はあるし、ポピュラーにもインスト曲あるでしょ?と言いたくなるのですが、思い込みというのはなかなか払拭しがたいのでしょうか。

     

     ならば、クラシックの歌手が歌ったポピュラー曲のCDというのは、クラシック、ポピュラーの両方のファンから、どんな風に迎えられるのでしょうか?クラシック・ファンからは「声楽曲だし、クラシックじゃないし」と避けられ、ポピュラーのファンからは「好きな歌だけど、クラシックだし」と敬遠されるのでしょうか?そして、そのディスクが、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターの最新盤”So many things”だったらどうでしょうか?

     

     この盤で、彼女は、弦楽四重奏をバックに、ジョン・アダムズやアンデルス・ヒルボルイら現代作曲家の作品を歌と一緒に、ケイト・ブッシュ、ビョーク、エルヴィス・コステロ、ブラッド・メルドー、スティング、ルーファス・ウェインライトらロック、ポップス界のスターのたちの楽曲を歌っています。曲数は後者の作品の方が多く、かなりポップなテイストの曲がほとんど(1曲だけ、ビョークの歌では、声に軽くエフェクトがかかっている)なので、このアルバムのイメージは、"Otter sings Rock & Pops"というべきものになっています。

     

     声楽をあまり聴かないクラシックの聴き手は、この”So many things”を、非クラシックの曲が主体のクロスオーバーアルバムだし、なおのこと聴かないのでしょうか?逆に、クラシックを聴かないファンは、クラシックの歌手が歌うポップスなんて興味ないから聴かないということになるでしょうか?私は、他の聴き手がどんなふうに興味を示すのか、実際に聴いてどんな反応をするのかは分かりません。でも、好きなミュージシャンの曲も入っていますし、何しろオッターが歌っているので、私は興味津々でこのアルバムを購入しました。そして、聴いてみて深い感銘を受けました。

     

     今回のオッターの歌は、どれも、クラシックともポピュラーともつかない、ジャンル特定不可能、国籍不明なものです。陳腐な表現になってしまいますが、歌のど真ん中にある「オッター」という人そのものの存在がジャンルになってしまったような特別な音楽を聴くことができます。彼女の音楽に対するスタンスは、「本来、自分はクラシックの歌手だけどポップスも歌える」ということをアピールするのでもなければ、「ポピュラーのファンに向けたアルバムを作った」というよう売れ線狙いのものでもない。ジャンルも何もかも度外視して、ただ彼女のおめがねにかなう曲、歌いたいと思った曲を歌うというシンプルなもの。だからこそむしろ、クラシックとかポピュラーとか、単純にカテゴライズできない歌が生まれているように思えます。

     

     例えば、アダムズのオペラ「ドクター・アトミック」のアリアのような現代曲では、彼女は「クラシック歌手」としての高い技術を駆使し、「芸術性の高い」歌を聴かせてくれています。また、クラシック以外の作品も、どれも「アート」と呼びたくなるような気高いまでの独自の美をもった歌ばかりで、彼女は、磨き抜かれたテクニックと、鋭い感性をもって見事に歌いこなしています。

     

     でも、彼女の歌のありようは、芸術をふりかざして聴き手を屈服させるような高踏的なものではありません。収められた曲が、どれもポップな雰囲気をもった親しみやすいものだからということもありますが、その歌には、聴き手に親しげに語りかけるような優しさがあると同時に、聴き手と膝を突き合わせて音楽を共に楽しみ味わうような「近さ」がある。オペラハウスやコンサートホールのような広い空間で、数千人の聴衆を前にして、客席の隅々にまで届くようにと歌うのではなく、ごくごく小さな場で、少人数の聴き手に届くように歌う、そんな距離感が独特なのです。

     いや、そうした歌は、彼女が以前、グラモフォンでコステロやアバの歌を歌ったアルバムや、最近、naïveでブラッド・メルドーと組んで作った近作でもたびたび聴かせてくれるものではあります。でも、今回のアルバムでは、彼女はそのもっともっと先へ行っているように思います。

     

     では、どんな風に「先へ行っている」のか。

     

     彼女の歌と、聴き手である私との間の距離感が、もはやゼロなのではないかというくらいにまでに縮まっているのです。すぐ近くで彼女が歌っているかのように感じられるというようなレベルではなく、私自身が彼女の内側で響いた音そのものを、直接体験しているかのように感じる。つまり、彼女の身体で音が発せられ、空気の振動として無数の「壁」を通過し、その都度エネルギーを失って減衰しながら、ようやく私の耳と心に届く、そんな伝播のプロセスが、もはや存在していない。

     

     私が聴いているのは、オッターの内部で完全に消化され抽象化された「イデア」が、「現象」として受肉する過程なのであって、その神秘に満ちた瞬間の集積としての「音楽」。そんなイメージを抱きながら、オッターの歌の生み出す振動、鼓動、躍動を感じるのですが、それは、音楽を通しての究極のコミュニケーションの形でもあります。音速などはるかに超え、量子コンピュータとか、光速といったレベルで私にじかに伝わってくる、いや、テレポーテーションしてくる音楽。

     確かに、これはカバーアルバムであって、世界初録音の曲はたぶんありませんけれど、これまで聴いたことのないような不思議な領域に踏み込んだ音楽を聴いた気がします。きっとそんな新鮮な体験ができるだろうと思って購入したアルバムですが、そのおぼろげな想像なんて簡単に吹き飛ばしてしまうような、ぶっ飛んだ聴体験を得ました。

     

     どの曲も何度も聴いて味わいたい演奏ばかりですが、私は、アルバム最後の4曲に猛烈に惹かれます。メルドー、コステロ、スティング、ウェインライトの手によるこれら4曲は、メランコリックで甘美な響きをもちつつ、どこか都会の孤独を感じさせるような、しみじみとした味わいがあります。それらの曲を、オッターは決して感傷的になることなく、凛とした立ち姿を損なわず歌っています。あるいは、そのことが、こちらの心にむしろノスタルジーを掻き立てるように思えます。

     

     冒頭のケイト・ブッシュの「PI」で聴けるオッターの「地声」の美しさも忘れ難い。特に、彼女が円周率の数字を読み上げるあたり、ただ数字を淡々と発声しているだけなのに、その一つ一つが心に刺さる。チクリとした痛みは次第に快楽へと変わっていく。ああ、このまま無限に読み続けてほしいと願いながら、彼女の歌に浸りきる。
     アダムズのアリアも、このアルバムを作るきっかけとなった曲だそうで、初めて聴いた瞬間に「歌いたい」と彼女が思った由。オペラ全体をここに凝縮したような核心をついた音楽は、いちいち一つ一つの音、言葉が胸にしみる。
     ビョークの曲は、本家本元の歌に比べると、もっと柔らかくて穏やかな歌になっていますが、人間の心の暗部も知り尽くした人の目の据わった狂気は、胸を打ちます。
     いや、他の曲も全部、素晴らしい。どうして私はこれらの曲を知らずに来たのでしょうか。悔しいくらいです。

     

     ブルックリン・ライダーズというカルテットの演奏もいい。アレンジが良いのでしょうが、生き生きとしていて、でも決して猥雑にならず、クールで透明感あふれる響きが魅力的。彼女の歌とぴったり同期して、私をその音の源流へと誘う。そこが素敵。

     

     ともあれ、この”So Many Things”は、一瞬たりとも退屈している暇などない、とにかく刺激的で、クリエイティヴなアルバムです。その高い創造性ゆえに、ポピュラーを聴かないクラシック・ファンにとっても、クラシックなど知らないポピュラー・ファンにとっても、聴いて楽しいアルバムになるのではないでしょうか。

     

     このアルバムに収められている音楽は「クロスオーバー」なんてものじゃなくて、もはや「ボーダーレス」の音楽なんだなと思います。音楽のジャンルの境界、歌い手と聴き手の間にあって音楽の波動を減衰させる無数の境界を、楽々と超えて響く音楽。そんなアルバムですから、ポピュラーもクラシックも聴かない「初心者」こそ、私たちのようなすれっからしの聴き手よりも、自由気ままに聴いて楽しめるのかもしれません。いずれにせよ、このアルバムを心から楽しむ聴き手は、私以外にもたくさんおられるに違いないと根拠のない確信を持っています。

     

     Naïveに移籍してからのオッターのアルバムは、どれも見事なものばかりですが、この“So Many Things”は彼女のまた新たな一歩を刻み込んだものだと思います。これからもずっと、こういう音楽で私たちを楽しませてほしい。また、ライナーノートにはこのカルテットとツアーをやりたいとありますが、是非是非、日本で実現してほしい。できれば会場は小さなライヴハウスか何かで。

     

     

     

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