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【演奏会 感想】ジョナサン・ノット指揮東響 ブルックナー/交響曲第5番 (2017.05.21 ミューザ川崎シンフォニーホール)
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    ・ジョナサン・ノット指揮東響 川崎定期演奏会 第60回

     ブルックナー/交響曲第5番変ロ長調

     (2017.05.21 ミューザ川崎シンフォニーホール)
     

     

     

     人工知能(AI)に関するトピックスを目にする機会が増えました。職場でもチラホラとAI絡みの言葉が聞こえてきますし、私自身も関心があるので、書店でAI関連の書籍を見つけるとついつい手が伸びてしまいます。

     

     いま、AIの技術のトレンドは、将棋や囲碁、翻訳など限定的な用途のために開発される「特化型AI」から、より高度な知的思考が可能な「汎用AI」の開発へとシフトしていて、さまざまな分野への応用が検討されています。
     「汎用AI」の開発にむけては、まず人間の脳を真似た「脳型AI」の実現に、世界各国の研究者や企業がしのぎを削っていますが、この「脳型AI」の開発アプローチには、大きく二つあると言われています。

     一つは、脳の各部位の機能をモジュールとして開発し、それらを結合する「全脳アーキテクチャ」。

     もう一つは、脳の神経系のネットワーク構造のすべてをスキャンし、それをそのままプログラミングして再現する「全脳エミュレーション」。

     

     ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団が演奏するブルックナーの交響曲第5番を、ミューザ川崎の客席で聴きながら、その「全脳エミュレーション」という単語が私の頭の中をグルグルしていました。ノットという指揮者のブルックナーの音楽へのアプローチが、「全脳エミュレーション」そのものなんじゃないかと思ったのです。

     

     とてつもなく大きな「問題」を解き、一つの「解答」を築き上げていくためには、普通は、「全脳アーキテクチャ」的なアプローチで取り組むことが多いと思います。問題領域を小さな部分に分解して個々の部分を理解し、それらの相関を見て全体像をイメージし、細部と全体を行き来しながら巨大な全体を理解し、再構築していくというのはごく自然な行為です。

     でも、「全脳エミュレーション」のような新しいアプローチでは、対象を分子レベルまでくまなくスキャンし、それらを正確に、そのまんまエミュレーション(模擬的に実行)します。「全脳アーキテクチャ」では、分解と再構築という手順を踏む過程で捨象されてしまうものも余すところなく描き、部分と部分のインタフェースで雑音が付加されてしまうようなことも完全に排除する。それによって、脳の複雑で膨大で超高速な情報処理のネットワークを現実のものとして再現できる。

     「全脳エミュレーション」を可能にするためには、高精細なセンサをもったスキャナと、それらの情報を記録できる大容量のメモリ、それらの複雑な動きを瞬時に解析できる高速なCPUの存在が前提条件として必要ですが、昨今のテクノロジの進歩によって、インフラ面の課題は難なくクリアされている。

     

     今回聴いたブルックナーの5番の演奏からは、その「全脳エミュレーション」的な視点、問題解決方法が透けて見えるようでした。

     それが顕著だったのは、第2楽章です。この楽章は、冒頭に弦楽器がピツィカートで奏でる4分の6拍子のリズムが支配的ですが、それに乗って歌われる旋律は4分の4拍子で、これら2つの拍節をもった音楽が交錯しながら音楽が進んでいきます。途中、完全に4拍子の音楽が主導権を握ることもあるし、細かく動く8分音符のパッセージが乗っかってきたりして、その宗教的な佇まいを感じさせる美しさとは裏腹に、音楽のリズム構造は結構ややこしい。
     ここで問題になるのは、テンポをどのようにとるかです。特に、楽想が変化したとき、6拍子の規則正しい動きがブレないようにテンポをキープすると、4拍子の歌謡性のある旋律が間延びしたり、伸びやかさが失われたりしてうまく噛み合わない。細かいパッセージが乗っかって音楽が盛り上がってくるときにテンポを上げないのは不自然だし、音楽がクライマックスを迎えた後、音が徐々に少なくなって響きの密度が薄くなると、流れが停滞してダレてしまう。なので、多くの指揮者 −ブルックナー指揮者として称される人も含め− は、こうした場面では、程度の大小はあれど、テンポを早め、弾き手と聴き手の集中が途切れないような工夫をします。その匙加減が、指揮者の「芸」であったりもする(詳細は、金子建志氏が著書などで書かれています。つまりこれはすべて金子氏の受け売りです)。

     

     ところが、ノットはそうした「策」をほとんど採用しません。楽章の最初から最後までほぼインテンポを通していただけでなく、4拍子系の音楽が入ってきても、根本の6拍子のリズムが常に前面に出て来ていて、音楽の構造はスケルトンのように可視化されていた。音楽が高揚したり、潮が引いていくように鎮静したりしても、その推移の過程でテンポは動かない。

     

     ノットが聴かせてくれた強烈なインテンポ感は、かつてに大指揮者たちが目指したような堂々たる偉容の音楽作りをめざしたものでも、アカデミックな、あるいは考古学的な意味での楽譜のリアリゼーションを狙ったものでもない。レントゲンを当てて骨格だけを描き出し、音楽の神話を完全に除去しようというような冷徹な目的もない。もっと今日的で、もっと純粋に音楽的な興味と美意識から生まれたものだったように思います。

     

     ブルックナーの音楽をブロックに分割し、個々に後付けで「意味」を貼り付け、それらの相関が生み出す音の動きに筋道をつけて「解釈」するよりも、高精細のCCDカメラで音楽の内部をスキャンし、それらを見たまま完全に再現して、全体をまるごと理解し、音楽の内実へと深く入っていくのだという意志が、音の背後から感じられるのです。そして、正確に、精密に、音楽の振る舞いを再現するためには、勝手にテンポを動かすような恣意的な「手心」を加えてしまうようなことは絶対にしないという強い自己抑制も見てとることができます。

     ノットは、彼が東響のシェフに就任した際に演奏したマーラーの9番の第1楽章でも、その終盤の室内楽的で静かな場面で、オケが音を上げそうになるくらいに、インテンポを貫いていましたから、ブルックナーの音楽だからという特別な処理という訳でもなさそうで、おそらくどんな音楽でも汎用的に使う手法なのだろうと想像します。

     

     そんな音楽のありようは、第2楽章に限らず、全曲にわたって、隅々まで、徹底されていたように思います。どの楽章でも、ただ単純にほぼインテンポで演奏されていたというだけでなく、音楽を部分に分割して理解した形跡はどこにもない。音楽の大きな構造を丸ごと呑み込み、大きなものは大きなまま、複雑なものは複雑なまま、一つの大きな「システム」として受け止め、そのまま再現しました、といった趣の音楽。チェリビダッケの言葉を借りれば、「音楽には解釈の余地などないのです」とでも言いたげなほどに、その音楽は「見たまま」の姿をしていたように思えました。(第4楽章のコーダでは、かなり急峻なアッチェランドをかけてアクセルを全開にし、最後の全音階ユニゾンへと雪崩れ込んでいたのは意外でしたが、さすがにあの巨大なフーガの到着点ではすべてを解放する必要がある、という判断だったのだろうかと考えます)

     東響は、指揮者が高精細なセンサで取り込んだ音楽像を、高い処理能力をもって再現するコンピュータの役割を十全に果たし、全体的には見事な「全脳エミュレーション」を実現していました。その解像度の高い響きは、どんな局面になっても濁ったりすることはなく、音楽のシステマティックな振る舞いが、透き通った水面からいつもくっきりと見えるのが素晴らしい。

     

     彼らの「全脳エミュレーション」型ブルックナーを聴きながら、私がこれまで聴いてきた演奏は、そのほとんどすべてが「全脳アーキテクチャ」型だったのだろうなと思いました。古今東西の指揮者たちは、ブルックナーの巨大な音楽を、どのようにして分割し、それらを繋ぎ合わせてどんな筋道を作るのかに力を注ぎ、数々の素晴らしい演奏を残してきたし、その積み重ねがブルックナー演奏の「伝統」となってもきた。

     私は、そうした指揮者の個性のおかげで、ブルックナーの音楽を楽しむことができていたのだろうかと思いました。そして、その演奏から想像できる指揮者の思想なり思考に共感したり、反発したりして、心を動かされてきた。私は、「ブルックナーの音楽」を聴いているつもりで、実は、「指揮者」を聴いていた、ということになるのかもしれません。今まで私が心を奪われてきた指揮者たちのブルックナー演奏は、指揮者のフィルターを通して把握され、組み立てられたフィクションとしての音響空間だと言っても良いのでしょうか。
     しかし、このノットの「全脳エミュレーション」的ブルックナーには、旧来型の「全脳アーキテクチャ」的な思考はどこにも見当たらない。そこにあるのは、まさにスコアを「見たまんま」のブルックナーの音楽の「姿」だけがあった。

     

     私は、ブルックナーの音楽と「出会い直し」をしないといけないのかな、と思いました。もし、この混じりけのない、ノン・フィクション的な音楽が示してくれるものが、「本当のブルックナーの音楽の姿」なのだとすれば、一度、私の中にあるものは清算してしまった方が良いかもしれないと。今まで来たことのない土地に放り出されたような感覚を味わいました。

     

     いや、私はそれに反発を覚えたわけではありません。嫌な気もしていないし、淋しいという気持ちもありません。むしろ、この演奏を聴いたことで、新しい視点を得て、ブルックナーの音楽をより楽しめるようになるかもという期待があります。ただ、私の中では、「全脳アーキテクチャ」的な旧来型アプローチへの愛着、郷愁、敬意を捨てきれないでいます。指揮者の「主観的」な視点で再構築されたブルックナー像は、時として、素っ頓狂な勘違い演奏を生むリスクがある。でも、スタイル的に、音楽美学的に、考古学的にどんなに間違っていても、その演奏に「鮮烈な半言半句」がありさえすれば、私は心を動かされる。

     

     そうした私の思いからすると、ノットと東響のブルックナーの5番の演奏は、ちょっと遠く感じてしまうのです。昨年聴いた8番の演奏では、素晴らしい演奏と感じつつも、そこに「ロマン」を見出せずに、心があまり動かなかったという体験をしましたが、それも実はこの「全脳エミュレーション」的ブルックナーへの戸惑いが原因だったのかもしれません。あるいは、かなり前、ノットのマーラーのCDが出始めた頃、金子建志氏が確かレコ芸で「ノットという指揮者は、ソルフェージュ能力こそ異様なほど高いが、音楽の内容的にはちょっと」と評されていて、私が彼のCDを聴いて感じていたことを言語化してもらったような気がしたのも、彼のアプローチを知らなかったがゆえの勘違いに過ぎなくて、だから、「鮮烈な半言半句」を見つけられなかったということなのかもしれません。

     また、疑問点も感じました。前述の第2楽章後半、ノットが敢えてインテンポを貫徹したところでは、特に木管奏者の緊張が途切れてしまっていたように感じて、相当にオケに負担がかかっていることが見てとれたのです。それでもオケの団員を信じて自分のアプローチを貫く指揮者の強い意志と、最後まで持ちこたえた音楽家の力に感服しつつ、聴いている私の方も、緊張の糸が切れてしまった感は否めません。そこは気づかれない程度にテンポを縮めても良さそうなのにと思いましたし、オーケストラ側にも、まだ音楽をさらに煮詰めていく余地はあったのだろうと感じています。そんな思いもあって、その「全脳エミュレーション」的視点に、完全に心酔することはできませんでした。

     

     でも、それより何より、「そもそもブルックナーの音楽って私にとって何だったんだろう」という非常に根源的な問いを突き付けられ、自分の中にあったものが激しく揺らいでしまったという点において、今回の実演は、ある意味、衝撃的な演奏でした。正直、私はブルックナーの音楽をこれからどう楽しんでいけばいいのか、ちょっと見えなくなってしまっていますし、そもそも本当にブルックナーの音楽が好きなのかどうかさえも怪しい気がしてきています。


     でも、それもまた人生。何もかも分かってしまったら面白くないし、分かったような気になってふんぞり返るのも嫌なので、一度、深呼吸して、体の力を抜いて、この「分からない」感も楽しんでしまいたいと思います。ブルックナーが嫌いという人の気持ちが分かったら面白いかもしれないですし。

     

     コンサート前半には、小曽根真をソリストに迎えたモーツァルトのピアノ協奏曲が演奏されました。私は、当日、急に時間が空き、休憩間際に会場に到着して当日券を購入できたというような状況でしたから、とても悔しいのですが聴けませんでした。ノットのモーツァルト、聴ける機会があればと思います。

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