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【演奏会 感想】マルク・ミンコフスキ指揮東京都響 第836回 定期演奏会Aシリーズ(2017.07.10 東京文化会館)

・マルク・ミンコフスキ指揮東京都響 

 第836回 定期演奏会Aシリーズ

 (2017.07.10 東京文化会館)

 

 

 

 

 

 

 

<<曲目>>

・ハイドン/交響曲第102番 変ロ長調 Hob.I:102
・ブルックナー/交響曲第3番 ニ短調 WAB103「ワーグナー」(ノヴァーク:1873年初稿版)

 

---

 

 最近、映画の予告編や、テレビCMで、短いカットに多くの情報を詰め込み、次々にシーンが変わるものが多いように思います。私の身体機能の衰えを差し引いても、年々その傾向が激しくなっているように思えます。確かに、そうして与えられた刺激的な視覚情報は、残像となり、強烈な記憶として植えつけられる訳で、非常に効率の良い表現方法に違いない。

 

 ミンコフスキと東京都響によるブルックナーの交響曲第3番(初稿)を聴いていて思い出したのは、そうした最近流行の映像表現の手法でした。彼らは、変化の激しい音楽を、猛烈な快速テンポをひとときも緩めることなく、一気に駆け抜ける。しかし、そこに粗さやいい加減さは一切ない。細切れに分割された部分の中では、楽譜に盛り込まれた音の動きが明瞭に可視化され、ものすごい情報量をもった響きが、奔流のように押し寄せてくる。全編にわたって、予告編のすさまじいテンションを保ったまま、急展開を続けながらひた走る60分の映画を見ているような気分でした。

 

 ブルックナーの3番の初稿が「そういう音楽」なのだということは、以前から感じていたことではあります。しかし、それをこれほど強烈に、豊かな説得力をもって意識させてくれた演奏は初めて聴きました。

 

 弦楽器のヴィブラートを許容し、編成も十分に大きなものとしてモダンのオケの響きの質感は大切にする。一方で、古楽の視点から、拍節感を重視したタテノリのリズムを強調し、フレージングも短くとり、ロマンティックな表現は注意深く排除する。
宗教と結びつけられそうな教会音楽的な響きは、もっとアグレッシヴで、刺激に満ちたドラマティックなものに転化され、フォルクローレに由来するような音楽では、親しげで愉悦感にあふれた表情を見せる。
 そういう演奏なら、これまでにもいくつか優れたものを聴いてきました。ミンコフスキと都響の実演が、それらの記憶を色褪せたものにするほど強烈だったのは、前述のように、音楽に内在する「変化」が、予期しないほどに大きく、激しく表現されていたからです。

 

 その頻繁で急激な曲想の変化によって見えてきたのは、ブルックナーの音楽の「形式」の特異さでした。


 特に、両端楽章。これらの音楽は、ソナタ形式に則って書かれたものですが、提示される2つまたは3つの主題は、入れ替わり立ち替わり現れ、互いに干渉することもなくただ積み重なっていくだけ。ベートーヴェンの交響曲のような弁証法的な止揚もなく、ソナタ形式に偽装されたロンド形式みたいな音楽。ベートーヴェンの第9の第3楽章の影響下にある第2楽章が二重ロンドになっているのは当然としても、交響曲全曲が、巨大なロンドみたいな構造をもった音楽みたいに聴こえた。

 

 しかも、そんなふうに独特の展開を見せた音楽は、最後の局面にきて唐突に統合され、あらかじめ用意されていたであろう巨大な「解答」へとたどり着く。その道筋は、確かに音楽理論上のロジックに依ったものではあるだろうけれど、音楽の形式が人間の思考過程のメタファーであるならば、それは一体どんなプロセスと繋がるのだろうか?いや、やはり音楽の展開は、人間の思考の進行をそのまま移し替えたものではなく、音楽には音楽でしか表現できないものがあるのだろうか?

 

 そう思うと、プログラム前半に演奏されたハイドンの交響曲第102番と、ブルックナーの交響曲との間の距離が、ものすごく近いもののように感じられました。ブルックナーの3番のフィナーレは、実はハイドンの102番の第4楽章の「ロンド・ソナタ形式」というフォルムを拡張したんじゃないかと思えたからです。
 ベートーヴェンの後継者、熱烈なワグネリアンとしてのイメージが強く、最近では中世の音楽との関連も指摘されることの多いブルックナーですが、実は、大先輩のハイドンの交響曲から受け継いだものはたくさんあるように思いました。

言うまでもなく、ハイドンの交響曲は、あくまで「純音楽」であり、何か具体的なものを表現した音楽ではありません。音と音の間の「変化」の中にこそ面白さがあり、音楽を前に進める原動力がある。ならば、ブルックナーの音楽をそういう視点から聴くことも可能。
 そんな視点から聴いていると、日頃、厳粛で、哲学的な箴言を内蔵した「ありがたい」音楽として捉えていたブルックナーの交響曲が、ほとんどエンターテイメント、しかも極上のそれであるかのように思えました。
 例えば、第4楽章での、あの管と弦が、それぞれユニゾンで半拍ずれて奏でるこだまのような強奏。最後の審判を描いたような荘厳で重々しいものというよりは、あらすじとあまり関係なく挿入される強烈な映像エピソードのように感じられ、むしろユーモアさえも感じられる。他にもそういう感覚を得た箇所はいくつもある。
 しかも、そのユーモアは、決して音楽の品位を貶めるような冒涜ではなく、素朴に音楽に向き合えば自然に見えてくるもののように思います。ブルックナーの音楽を聴いて、楽しんだり面白がったりしていいんだと、ニコニコと嬉しくなりました。

 

 言うまでもなく、こんな感じ方は、音楽を正式に学んだことのない素人の勘違いに過ぎません。でも、とにかく、私は、ブルックナーの音楽の「ぶっ壊れ」っぷりを存分に楽しみました。この音楽のすぐ後ろには、ハンス・ロットの交響曲があり(そういえば、ミンコフスキはこれを得意レパートリーとしています)、マーラーの交響曲が続くのだと思うと、その「ぶっ壊れ」っぷりの激しさを痛感しました。

 初演のとき、楽譜を見た当時のウィーン・フィルの楽団員はどれほど驚いただろうかと思いました。21世紀の私たちが触れている映像表現とも通じるようなスピーディかつダイナミックな音楽の変化には、もう何が何だか訳が分からなかっただろうと。だからこそ、「演奏不可能」として、リハーサルの段階で初演が中止されたのでしょう。そして、改訂された版での初演を聴いた人たちも、この交響曲の異様ないで立ちには、ただ口をぽかんと開けて呆れるしかなかったのでしょう。

 そんな音楽を、21世紀を生きる私たちは、当時の人々の驚きを体感しつつも、何の違和感もなく受容し、楽しんでいる。「再創造」というのは、こういうことなんじゃないかと実感した。

 

 ミンコフスキと都響のブルックナー、前回の第0番も本当に面白かったですが、今回は、それに輪をかけて刺激的な演奏を聴きました。アイディアの塊のような指揮者の要求に全力で応え、相当なハイレベルの演奏を聴かせてくれた東京都響にも心底感服しました。これで彼の指揮する後期の交響曲を聴いたら、どんな演奏が聴けるだろうかと思うとワクワクしました。でも、それより前にロットの交響曲をやってほしいのですが。

 

 一方、プログラム前半のハイドンは、確かに素晴らしい演奏でしたが、「ミンコフスキのハイドン」として期待が大きすぎたからでしょうか、終始、物足りなさが拭えませんでした。
 何が物足りなかったかというと、技術的ものもあるのですが、ものすごく印象批評的なことを言ってしまうと(いや、いつもそんなことしか書いていませんが)、微笑み、とか、ユーモアが足りない気がしたのです。カルロス・クライバーがシカゴ響客演の折、ブラームスの2番のリハーサルで、通しで演奏した後、「あなた方は微笑まないのですか?」と言ったというエピソードを思い出しました。
 スクエアというほどではないにせよ、その音楽には、いつもどこか張り詰めたような生真面目さの中に自らとどまっているような趣があって、少し息苦しさを感じたのです。それは、私が、彼の有名なCDでの演奏と同じものを期待していたから感じた、贅沢な感想かもしれませんが、何と言ってもハイドンですから、音楽からユーモア、ウィットをもっと感じたいというのが正直なところで、少し残念でした。
 技術的な面で言えば、相当にハイレベルな演奏ではあったと思うのですが、木管楽器のピッチの不揃いや、響きの濁り(特に第1楽章序奏)が散見されたのと、弱音で表情を殺したときに弦の響きに硬さが感じられたのが、私には気になりました。少なくとも、指揮者の振りから要求されている音は、もう少し柔らかいもののように思えました。
 ハイドンの交響曲って難しいなと実感しました。オーケストラのもつ技術や、カラーなど、すべて白日の下に晒してしまうようなところがあるからです。でも、考えようによっては、こういう音楽を継続的にやるということはとても大事なので、都響には、ハイドンはもっと積極的に、そして継続的に取り組んでほしいと思いました。

 とは言え、私が都響を聴き始めた頃には考えもつかないような、高水準のハイドンを聴かせてくれてたことには感謝したいと思います。

 

 演奏会が終わった後は、熱烈な拍手が続き、一般参賀が一回ありました。私だけではなく、ミンコフスキの都響への再登場を望んでいる人は少なくないと思います、次は何をやってくれるのか期待を込めて、このエントリーを閉じることとします。


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  • 2017.08.16 Wednesday
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