【ディスク 感想】セーチェニ(1825‐1898)/歌曲集  ルックガバー(S) クプファー(Br) ドイチュ(P) 

2017.08.16 Wednesday

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    ・イムレ・セーチェニ(1825‐1898)/歌曲集

     カテリーナ・ルックガバー(S)

     ヨッヘン・クプファー(Br)

     ヘルムート・ドイチュ(P) (MD+G)

     →詳細はコチラ(Tower/Universal)

     

     

     

     

     

    <<曲目>>

    1-6) 6つのロマンス(La cendrillon / Si jetais petit ciseau / Aubade / S'il l'avait su / Maudit printemps / A une femme)、
    7) Le rosier、
    8) Das Blatt im Buche、
    9) Vorbei、
    10) Komm, o Nacht、
    11) La Bas、
    12) Waldeinsamkeit、
    13) NachtgruB、
    14) Der Gefangene、
    15) Erster Schnee、
    16) Ja Winter war's、
    17) Die Lerchen、
    18) Bolcsodal、
    19) Der traumende See、
    20) O komm' in mein Schifflein、
    21) Il Ritrovo in Mare、
    22) Es fallt ein Stern herunter

     

    ーーー

     

     MD+Gからリリースされた、ポーランドの作曲家イムレ・セーチェニ Imre Széchényi (1825‐1898)の歌曲集を聴きました。

     

     セーチェニという人の名前はこれまでまったく知りませんでした。CDショップのサイトに掲載されたインフォには以下のようにあります。

     

    セーチェニは外交官や大使として世界各国でその任務を果たす傍ら、生涯を通して作曲を続けていました。その豊かな国際経験が作曲にも影響を及ぼしています。
    ハンガリーで生まれ、ウィーンで育ったセーチェニですが、旅先で注目すべき音楽家たちとの親交を得ました。自らの演奏プログラムにこの外交官の作品を繰り返し取り上げる音楽家たちもいて、その中にはフランツ・リストもいました。セーチェニはリストがブダペストに音楽院を設立するときに力添えもしています。そしてヨハン・シュトラウスは自身の曲をセーチェニに献呈しています。

     

     つまり、セーチェニは、ハンガリー出身の本職は外交官のアマチュア作曲家でした。でも、多くの大作曲家が彼の才能をある程度は認めていて、彼の作品は、当時はそれなりに演奏されていた。ただ、歴史の流れの中で「淘汰」され、埋もれてしまったということになるのでしょうか。

     

     私がどうしてこのアルバムを聴こうと思ったかというと、まったく不純な動機で、新譜情報を見て見慣れぬソプラノ歌手の名前を見つけ、ネット検索して写真を見つけ、イチコロだったからです。そんなことでホイホイCD買うなと妻にたしなめられそうですが、ただ私の好みの容貌だったというより、いい歌を聴かせてくれそうな雰囲気をたたえた人だったし、まったく知らない作曲家の作品ならなおのこと聴いてみたくなるというのが人情。

     

     私のハートを射抜いたソプラノ歌手の名前は、Katherina Ruckgaber。カテリーナ・ルックガーバーと表記されています。彼女は、ミュンヘン生まれのドイツ人歌手で、まだキャリアは浅いようですが、ナクソスからいくつかリリースされているマイールの作品のCDに参加しています。

     

     

    ・Katherina Ruckgaber

     カテリーナ・ルックガバー(S)

     →彼女のオフィシャルサイトはコチラ
     

     

     また、既にベテランの域に達したバリトン歌手ヨッヘン・クプファーが参加していて、ルックガバーと分担(トラック22はデュエット)して歌い、ピアノ伴奏は名手ヘルムート・ドイチュが務めています。既に名声を得た演奏家と、ピチピチの若手の共演で、超どマイナーな曲を演奏するという図式。どんな曲が、どんな歌が聴けるかと期待に胸を膨らませて聴きました。

    収められた作品は、フランス語の歌と、ドイツ語の歌がほとんどで、ハンガリー語の歌、イタリア語の歌もあり、取り上げられた詩の中には、ハイネやアイヒェンドルフ、ユゴーらのものもあります。外交官として各国を旅した人ならではの多彩さといえば良いのでしょうか。生前に出版された曲も結構あるようなので、当時はそれなりに歌われていたのかもしれません。

     

     全体を通して、「いい曲」にたくさんめぐり合えました。勿論、大作曲家の作品に比べれば、作曲技法は単純で、ひねりはなく、凄みのある表現とか、ドラマティックな展開などはまったくない。この人はきっと、シューベルトの歌曲が好きだったんだろうなと思う曲が結構あって、にんまりしてしまいます。「糸を紡ぐグレートヒェン」「水の上にて歌う」や、「美しき水車小屋の娘」「白鳥の歌」などに倣ったと思しき曲があります。また、ところどころワーグナーの「トリスタン」や「ヴェーゼンドンク」をかするような官能的な響きが顔を出すこともある。

    確かに、それらの音楽には、がっつり持っていかれてしまうような強烈な個性はない。けれど、いつも洗練された音づかいは知的で、どこかユーモアもある。それでいてどこかちょっとメランコリーにも事欠かない。音楽の展開はいささか紋切り型だけれど、どの曲でも明確なクライマックスがあるので、退屈はしない。それに、旋律そのものはなかなかに美しい動きを持っていて、心の琴線に触れるところの多い音楽。そのこじんまりと小さな世界の中で美しく完結した作品たちの佇まいに触れていると、これらは恐らく、富裕層の集まるサロンか何かのごく親しい人たちの集まりで、親密な雰囲気の中で歌われ愛された音楽なんじゃないかと思います。だとすれば、この音楽を享受していた人たちは、きっと幸せな時間を過ごしていたに違いない。そう思わずにはいられません。

     

     演奏ですが、お目当てのカテリーナさんの歌は、とってもいい。リリカルで、軽やかに透き通った声質が魅力的だし、折り目正しいフレージングを守りながら、柔らかなカンタービレをのびのびと歌っているのが気持ちいい。曲のクライマックスでも、きちんと張った声で、うまく盛り上がりを作るところもいい。母国語のドイツ語は勿論、フランス語の発音も、私には美しいものに聴こえます。
    弱音になると、表現が水っぽくなり、焦点がちょっとボヤけるようなところもある気がして惜しいのですが、でも、このすーっと伸びていく清潔感あふれる歌声の魅力がすべてを忘れさせてくれます。

     彼女の歌を聴いて、ドイツの若いソプラノ歌手には、こんなに才能のある人がいるんだなあと、その層の厚さに感心してしまいました。私の野生の勘ですが、この人、これから結構名の知られたソプラノ歌手になっていくんじゃないかと思います。実際、この9月には、声楽家の発掘の名人であるルネ・ヤーコプスが、ウィーンで上演する「魔笛」で、彼女をパパゲーナ役として起用するそうですから、私の「勘」もあながち外れてはいないような気もしないでもありません。どうでしょうか。

     

     クプファーの歌は、以前聴いた「水車小屋」のCDが印象に残っていますし、その後も時折聴いてきましたが、ここでの彼の歌もまた、素晴らしい。セーチェニの音楽の霊感が不足する部分を、彼の卓越した表現で、いい塩梅に救っている気がします。

     

     でも、何だかんだ言って、このアルバムでセーチェニの音楽を魅力的なものとして聴けたのは、名伴奏者ドイチュの功績なのではないかという気もします。どの曲も、前奏部分から、彼のみずみずしいピアノの音色と、呼吸の大きな、のびやかな歌がすこぶる魅力的で、一瞬にして音楽の世界に引き込まれてしまいます。ディースカウやプライといった往年の名歌手たちから、今を時めくカウフマンまで、多くの名歌手と数々の名演を聴かせてきた達人の手練れに圧倒される思いでした。

     

     こういう「当たり」があるから、音盤探しはやめられません。このセーチェニの作品、他のものも聴けるのなら聴いてみたいと思います(Hungarotonから一枚出ているらしく、ルックガバーはそこにも参加との由)。

     

     そして、カテリーナ・ルックガバーを、私の新しい「女神さま」として認定したいと思います。

     

     

     

     

     

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    2018.06.18 Monday

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