【演奏会 感想】カティア・ブニアティシヴィリ ピアノ・リサイタル(2017.11.06 サントリーホール)

2017.11.07 Tuesday

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    <<曲目>>

    ・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
    ・リスト:ドン・ジョヴァンニの回想
    ・チャイコフスキー:くるみ割り人形(プレトニョフ編曲)
    ・ショパン:バラード4番 ヘ短調 op.52
    ・リスト:スペイン狂詩曲
    ・リスト:ハンガリー狂詩曲第2番(ホロヴィッツ編)
    (アンコール)
    ・ドビュッシー/月の光
    ・ヘンデル/メヌエット
    ・リスト/メフィスト・ワルツ第1番から
    ・ショパン/前奏曲第4番

     

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     カティア・ブニアティシヴィリのリサイタルをサントリーホールで聴いてきました。何年か前、彼女はクレーメルと来日した折に協奏曲や室内楽をここで演奏しましたが、リサイタルは初めてのはず(私がこれまでに聴いた2回はいずれも浜離宮朝日ホール)。客席もそこそこ埋まっていて、ついに彼女もここまでメジャーになったかと感慨も一入。

     

     今回のリサイタルは、ベートーヴェンの「熱情」から始まり、リストの「ドン・ジョヴァンニの回想」、休憩を挟んで、プレトニョフ編のチャイコフスキーの「くるみ割り人形」、ショパンのバラード4番、リストのスペイン狂詩曲、ハンガリー狂詩曲第2番。バラードとハンガリー狂詩曲以外は、彼女が弾くのは初めて聴きます。

     

     それにしても、ブニアティシヴィリはリストを嬉々として弾きます。難しいパッセージを早いテンポで豪快に駆け抜け(特にオクターヴ連打が好きみたい)、軽快なフレーズは鍵盤の一番浅いところでつま先立ちしながら舞い、静かなところではしみじみとした歌を歌う。それらのコントラストを極限まで強調して、音楽を華やかに彩る。彼女自身、まるでフラワーアレンジメントをするかのごとく、リストの曲たちをショーアップしている。

     正直に告白すれば、後半に弾かれた2曲では、あまりに彼女がヒートアップして、強い表現で音楽を塗りつぶしてしまうので、「そんなにさっさと昇りつめないで、もっと焦らしてほしいなあ」などと、おっさんくさい感想を抱いたのは事実。また、同じリストでも、私にとっては重要な「巡礼の年」や「詩的で宗教的な調べ」を、彼女の演奏で聴きたいとはあまり思いません。

     なのですが、この芳香をふりまき、こちらの官能をくすぐる煌びやかな音楽を前に、難しい顔をして拒絶することは、私にはできない。やっぱり面白かった。特に、「ドン・ジョヴァンニ」。騎士長のモチーフに続き、ドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」「セレナーデ」「シャンパンの歌」のアリアが次々と弾かれるあたり、「私の上を通り過ぎていった男たちの記憶」みたいな様相があって、それが良かった。勿論、原曲はそんな意図で作られた曲ではないでしょうけれど。

     

     彼女のもっとも重要なレパートリーの一つであるショパンのバラードは、リストに比べると、しっとりと潤った静かな場面が多かったのですが、やはりクライマックスではあっという間に、エクスタシーの階段を駆け上ってしまうのがもったいなかった。そうしないと音楽がダレてしまうということなのでしょうが、もう数小節我慢して盛り上げても遅くはないのにと思ったりしました。でも、若い聴き手は、この激しさに無上の喜びを感じながら音楽を受け止めているのかもしれません。
     この曲は、奇しくも前日にリュビモフのリサイタルでも聴きました。リュビモフはかなり過酷な状況での演奏を強いられ、不本意な演奏しかできなかったということですが、私は昨日ここで書いたとおり、それでも、その音の立ち居振る舞いから、彼の「至芸」を感じ取ることができました。バラードも、ブニアティシヴィリの華麗な演奏に比べれば、朴訥として、どこかゴツゴツした感触をもった地味な演奏でしたが、一つ一つの音にもたせたニュアンスの豊かさ(それでも本来の彼の何分の一しか発揮できていないはず)は、今思い起こしても驚くべきもの。格が違うと言ってしまうと元も子もありませんが、やはりリュビモフの演奏に深く惹かれます。
     とは言え、みずみずしい響きをたたえた弱音を武器に、涙に潤んだ瞳や、艶めかしいため息を思わせるような、フィジカルな感触をもった歌を紡いでいた彼女の演奏、これはこれでとても好きです。

     

     その意味で言うと、今回の演奏会で、私が一番感銘を受けたのは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」でした。まず、「金平糖の踊り」に震撼しました。彼女は、びっくりするくらいのスローテンポで、これまたびっくりするくらいの弱音で、あのチェレスタの旋律を弾く。そこは、もはや、おとぎ話の中のお菓子の世界などではない。暗黒物質に満ち溢れたブラックホールの中のようでした。そこに呑み込まれ、私は姿も形も消してなくなってしまう。この金平糖は一体何なのか?危険なクスリでも入っていて、私を幻覚に誘っているのか?そんなダークな2分間を味わいました。まさかこの曲でこんな世界を垣間見るとは想像だにしていなかったので、後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
     そのほかは、インテルメッツォでの、ずっと耳元でささやかれるようなひそひそ話も良かったのですが、終曲の「パ・ド・ドゥ」が美しかった。特にクライマックスを迎えた後、原曲はフォルティッシモで華々しく終わるところ、プレトニョフの編曲では静かに消え入るようなエンディングになっている。そこを彼女は、後ろ髪引かれるかのように、何かに溺れていくかのように、情感をたっぷりたたえて弾く。「あなたとお別れするのが辛い、まだもう少し一緒にいさせて」と無言で懇願されるような音楽に身悶えしながら、音が消えた後の余韻を味わう。ああ、これがあるから、私は彼女の演奏が好きなんだよな、これが聴きたくてCDやコンサートのチケット買ってしまうんだよなと思う。

     

     しかし、それに比べると、1曲目の「熱情」はあまり面白くなかった。彼女が弾いている音自体がどうこうというよりも、彼女が音にしなかったもの、捨象してしまったものの中に、この曲の核心があるんじゃないかという思いが最初から最後までぬぐえず、彼女の演奏に共感できなかったからです。ベートーヴェンだからといってドイツ的な演奏である必要は全然ない(今月のレコ芸で長木誠司氏が話題にされていましたが)のですが、音と音のぶつかり合いが生み出す葛藤や対立を、ドラマとして聴きたかったなと思います。特に、何の引っ掛かりもなく、気楽にサラサラと流れていく第2楽章には、抵抗感がありました。これじゃジョージ・ウィンストンじゃないかと。彼女ならこの曲よりも、もっと向いている曲はあるんじゃないかなという気がしてなりません。

     

     ラストの曲目だったリストのハンガリー狂詩曲で会場は湧き、彼女はお得意のナンバーをアンコールとして演奏しました。ドビュッシーの「月の光」、ヘンデルのサラバンド、リストの「メフィスト・ワルツ(途中から)」、ショパンの前奏曲第4番。リスト以外は、静かでメランコリックで官能的な彼女のダークな側面を押し出した演奏で、私の大好物。かなり予定調和なものになってきた気もしますが、やっぱりやめられない。

     

     これから彼女はどんな音楽家になっていくのでしょうか。私が彼女の演奏を聴き始めてからまだ7年しか経っていなくて、その道筋は見えてきてはいません。でも、だからこそ、彼女がどんな未来を切り開いていくのか、追っていきたいと思います。

     

     それにしても、今日、サントリーホールのピアノを聴いていて、昨日のリュビモフのリサイタルは、楽器もホールもやはり演奏家には酷な状態だったのだなと痛感しました。ただ、いくら環境が整っていても、心の動かない演奏もあれば(今日の「熱情」のように)、ボロボロの状況でも、胸を打つ演奏もある訳で、音楽というのは奥の深いものだなということも強く感じました。リュビモフの方は、次はちゃんと、という動きもあるようなので、関係者の努力に期待を寄せたいと思います。

     

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    2018.05.25 Friday

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