【ディスク 感想】モンポウ/ひそやかな音楽、風景 〜 アリス・アデール(P)

2018.01.22 Monday

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    ・モンポウ/ひそやかな音楽、風景

     アリス・アデール(P) (Paraty)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

     

     

     久しぶりにアリス・アデールの新盤がリリースされました。2012年5月にラヴェルの作品集が出て以来、5年半ぶりの新譜(配信のみでモーツァルトのソナタがリリースされていたのは知っていますが未聴)。しかも曲目は、モンポウの「ひそやかな音楽」と「風景」の組み合わせとくれば、どうして聴かずにいられましょうか。

     

     「ひそやかな音楽」の冒頭、イ短調の淋しげな響きからほぼ1時間にわたって、私はこの音楽に猛烈に引きつけられました。この曲集は全28曲からなり、一つ一つは高々数分の短い曲。いずれもシンプルな構造をもち、親しみやすい民謡的な旋律や、鐘の音を模したと思しき描写的な響きなどが散りばめられていて、彩りも豊か。それぞれの曲は異なったキャラクタをもっていて、起伏もそれなりにある。でも、全体を通して、音楽は常に静謐なたたずまいを崩さない。内省的、そして発展せず、どこへも行かず、ただ漂っているだけ。

     そうした音楽を、アデールは、そのとおりの音楽として演奏しています。というか、この曲はそういうふうにしか演奏のしようがない。ショパンのように弾いても、フェルドマンのように弾いても、「ひそやかな音楽」にはならない。徹頭徹尾、モンポウの音楽として弾かなければ意味がない。

     

     しかし、当然のことながら、彼女の演奏は、他の演奏、例えば自作自演盤やぺリアネス盤とは違う。アデールにしかなしえないユニークな演奏になっています。

     何がユニークかというと、例えば、1897年製のスタインウェイというヴィンテージもののピアノの音色(ライナーにはSteinway 1897とあり、響きには確かにそれらしい古雅な味わいがあります。特に低音)とか、テンポのとり方や、デュナーミクの振れ幅など、いろいろな点を挙げることも可能かもしれません。

     

     でも、私が彼女の演奏の最大の特徴だと感じるのは、その音の周辺にまとわりつくものが「何もない」ことです。一切の虚飾を排したとか、無駄のないとか、そんな常套句で語ってしまうのはもったいないくらいに、何もない。そこが心に沁みるのです。

     

     武満徹の歌「小さな部屋」の歌詞(川路明・詞)を思い出します。

     

    「小さな部屋」より (川路明・詞、武満徹・曲)

     

    春がきたけど

    なにもない

    夏がきたけど

    なにもない

    何もないけど暖かい

    あたたかいのは空と風

    あたたかいのは雲と陽光(ひかり)

    ああ、ひとのこころの暖かければ

    何もないけど

    それこそすべて

     

     ただ、アデールの音は、「何もないけどあたたかい」というより、「何もないからあたたかい」と言ってよいかもしれない。あらゆるものを結晶化させ、純化させ、包摂してしまった末の「何もない音」、だからこそ、聴いていてあたたかく感じる、のかもしれない。どちらかというと厳しい面持ちで、きりりと口元が締まり、凛とした立ち姿の音楽なのに、いつもその音には「温度」があり、血の通ったぬくもりがある。だから「暖かい」のだし、空や風、陽光が感じられる。

     

     私は先ほど、内省的という言葉を使いました。このモンポウの作品はスペインとかカタルーニャなどという特定の地名を想起させる「民族色豊かな」音楽ではありません。人間の内面を見つめ、そこで湧き起こった歌をそのまま音符にしたような曲です。

     ひたすら自己を内観するような音楽を演奏するときには、演奏家自身の内側にあるものも、音楽の内部に存在するものも、すべてひっくるめて昇華せねばならない。それでしかこの音楽は成立しないし、そうすることでしか音楽への愛情も表現できはしない。この演奏の何もなさは、そんな彼女の潔いまでの「優しさ」の表れなのではないか、そんな気がします。

     だから、曲集の掉尾を飾る第28曲、その最後の和音が、ペダルを踏んだ状態で完全に消えるそのギリギリ極限まで伸ばされているのも、この音楽の世界から立ち去りがたい彼女の愛惜の念がそうさせたのかもしれない。そんな想像をしてしまいます。

     ああ、何と美しい演奏なのでしょうか。

     

     カップリング曲として、三曲の小品からなる「風景」が収録されています。こちらは「ひそやかな音楽」よりも解放的で、親しみやすい作品ですが、ドビュッシーやメシアンで名演を聴かせたアデールの面目躍如たる、繊細かつ多彩な表現が魅力的。「ひそやかな音楽」で深く沈潜したあとに、この愛すべき曲集で心をほぐせるというのは何という幸福でしょうか。最高のカップリングです。 ところで、私はこの曲集も大好きで、特に2曲目の「泉」を偏愛していますが、ライナーノートのアデール自身の文章によれば彼女も「泉」が一番好きなんだとか。「奇遇ですね」と言いたくなるような嬉しい言葉ですが、その「泉」の演奏は、そう思って聴くからか、音に込められた滋味は深く、広がるイメージも豊かで素晴らしい。私にとっての「命の泉」となりそうな演奏です。

     

     長い間、待った甲斐があった。アデールの演奏を聴けて良かった。そうしみじみと感じながら、このアルバムをもう三回も繰り返して聴いて楽しんでいる私が、今ここにいます。

     

     彼女の新盤が出なくなってからの5年半、私は彼女のアルバムの大半を入手することができました。未入手だったメシアン、ドビュッシー、ヌネス、エルサンなどのアルバムを中古ショップで見つけると、「ギャー!」と奇声を発しそうになりながら、CD片手にレジへ直行していました。あとはメシアンの「世の終わりの四重奏曲」と、ブラームスの作品集(MP3では入手できるのですが)がまだ手に入っていません。

     でも、これまで聴けた彼女の演奏は、どれも私にとってはかけがえのない価値のある素晴らしいものでした。このモンポウをレコード芸術で激賞されている相場ひろ氏は、30年来のアデール・ファンとのこと、あの「フーガの技法」以来、高々7年ほどしか聴いていない私など、俄ファンとしか言いようがなお。でも、こうして彼女の演奏をリアルタイムで聴くことができていることは幸せだと思っています。

     

     こうなると彼女の実演を聴いてみたいと思うのは人情。もちろん、それが実現困難なことであるとは重々承知なのですが、これだけの演奏を聴かせてくれる名手、やはり何とか日本に招聘してほしいものだと切に願わずにいられません。クルレンツィスもペトレンコも聴きたいけれど、私はアデールと、ヌリア・リアルをナマで聴かないうちは死にきれません・・・。

     

     どうか、どなたか、彼女を日本へ。

     

     

     

     

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    2018.05.25 Friday

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