【演奏会 感想】バーンスタイン/ウェストサイドストーリー 〜 パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK響ほか  (2018.03.06 オーチャードホール)

2018.03.07 Wednesday

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    ・バーンスタイン/ウェストサイドストーリー

     パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK響ほか

     (2018.03.06 オーチャードホール)

     

     

     

     

     

     

     

    指揮         パーヴォ・ヤルヴィ
    マリア        ジュリア・ブロック
    トニー        ライアン・シルヴァーマン
    アニタ        アマンダ・リン・ボトムス
    リフ         ティモシー・マクデヴィット
    ベルナルド      ケリー・マークグラフ
    アクション      ザカリー・ジェイムズ
    A Girl          アビゲイル・サントス・ヴィラロボス
    ロザリア       竹下みず穂
    フランシスカ     菊地美奈
    コンスエーロ     田村由貴絵
    ディーゼル      平山トオル
    ベビー・ジョン    岡本泰寛
    A-ラブ        柴山秀明

    ジェッツ/シャークス  東京オペラシンガーズ
    ガールズ       新国立劇場合唱団

    管弦楽        NHK交響楽団

     

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     パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団による、バーンスタインのミュージカル「ウェストサイドストーリー」の演奏会形式上演を、オーチャードホールで聴いて来ました。

     

     言うまでもなく、作曲者の生誕100周年を記念しての公演。主役級にはヤルヴィが連れてきた海外の歌手たちが出演し、日本人歌手が脇を固め、東京オペラシンガーズと新国立劇場合唱団のメンバーがコーラスを担当。

     

     セリフは、バルコニーシーンでのトニーとマリアの会話以外は完全にカット。舞台上でも演出らしい演出も、ジェームズ・ロビンス振付のダンスもなし。ただオーケストラをバックに歌手たちが歌う、それだけ。どうやら、ヤルヴィは、バーンスタインの最晩年の「キャンディード」のロンドンでの演奏会形式での上演を意識し、バーンスタインの音楽を主役にしたコンサートを目指したということらしい。

     

     こうやって「ウェストサイド」の音楽だけをコンサートで聴き、改めて実感したことがいくつかあります。

     

     まず、セリフをなしで音楽だけを演奏した場合、ストーリー展開が途切れ途切れになってしまうこと。あらすじを予め知っていなければ、曲と曲との間で一体何が起こったのか、各場面がどういう因果関係から生じたのか、やや追いにくいところがあるかもしれない。

     

     もう一つは、ロバート・ワイズ監督の映画ではジョージ・チャキリスが演じ、踊り、強烈な存在感を示していたベルナルド(マリアの兄)と、彼が率いるプエルトリコ移民のシャーク団のメンバーが、音楽的にはほとんど存在しないに等しいこと。リフをリーダーとする白人グループ、ジェット団が歌でも大活躍するのに比べると奇妙なほどにアンバランスなのです。その代わりに、マリアとアニタが重要なナンバーを多く歌うのですから、そこに差別的な意図がないのは当然のことですが・・・。

     

     そう考えると、この音楽は、歌あり、踊りあり、セリフありのミュージカルとして上演すべきではないのかという考え方は十分に成立しそうな気がします。

     

     しかし、実際には私はそうは思いませんでした。パーヴォ・ヤルヴィがインタビューで述べていた、このミュージカルの音楽にフォーカスして上演することには大きな意義があるという意見に激しく共感しました。バーンスタインが書いた音楽がいかに魅力的で、いかに心を打つものであるかということを、素晴らしい演奏でもって、力強く、そして美しく示してくれたからです。

     

     その音楽の魅力とは、この救いようのない悲劇がもたらすカタルシスを、普遍的な地平にまで高めたところにあると私は思います。

     

     それは、この音楽があらゆる意味で分かりやすく、大衆受けしやすいものであることだけが理由ではありません。

     

     若者たちが体の奥から発散する若いエネルギーをマンボやチャチャのダンスのリズムで発散させ、移民への人種差別ゆえに引き起こされた憎悪や疑心暗鬼をクールやフーガのような緊張度の高い音楽で表現する。そして、甘美で親しみやすいメロディで、希望に満ちた若い男女の間の愛を歌う。それらのすべてが、高い作曲技術を駆使して作られた音楽で十全に語られると同時に、どこにも嘘のない切実なものとして響いている、だからこその「普遍」なのだと思います。そう、この作品の下敷きになっているシェークスピアの「ロミオとジュリエット」と同様に。

     

     ヤルヴィとN響、そして声楽陣による演奏は、本当に素晴らしかった。

     

     若い才能あふれる歌手を揃えた主役級の人たちの歌(特にマリア役のブロック、アニタ役のボトムス、リフ役のマクデヴィッド。日本人歌手も健闘していたと思います)。

     

     多少の瑕はありながらも、時に若者たちの歌を、まさにドラッグストアのドクのように優しく見守り、時に、破局へと一直線に転げて落ちていくドラマを雄弁に語るオーケストラ。大活躍のパーカッションセクションの闊達なプレイ、スタンドアップしてもいいくらいに弾けたブラス、心に沁みいるような木管のソロとアンサンブル、透明なリリシズムをたたえた弦、すべてが魅力的でした。

     

     そして、それらをすべてを有機的に統合し、「サムウェア」〜「フィナーレ」の静謐な祈りへと着地させたヤルヴィの指揮。

     

     ヤルヴィは、「名曲ぞろいの中でも核になるのは“サムウェア”だと思うので、あの曲に向かっていく感情の高まりもていねいに演奏したい」とインタビューで話していますが、まさに有言実行。人種差別、憎悪、暴力が引き起こした悲劇が、いつかどこかに私たちのための場所があってほしいという願い、祈りへと収斂していくさまを、彼らは何と美しく、切なく、そして残酷に描いていたことでしょうか。しかも、音だけで。

     

     決して完全な演奏ではなかったし、会場の音響のせいか音像が遠く、もう少し踏み込んだ生々しい音を聴きたいという場面もありました。しかし、私の偏愛する音楽を、これほどまでに見事な演奏で聴かせてくれたすべての出演者に心から感謝したいと思います。

     

     「ウェストサイド」初演から61年。当時は「ロメオとジュリエット」の翻案作品ということで話題をさらったようですが、今もまだ読み替えの必要のまったくないリアルな題材を扱ったミュージカルであることに、半分驚き、半分失望しました。

     

     トランプ大統領就任前後から、政治的に分断されてしまったアメリカの姿が、ジェット団とシャーク団の姿に重なる。ニューヨークへの移民であることを自虐的に歌うプエルトリコ人と、同じような境遇で生きている人たちもたくさんいる。いや、アメリカだけじゃない。

     

     日本にだって似たような状況は、きっとある。例えば、川崎で何が起きているかを考えてみれば良い。「あいつらを叩きだすんだ」と息巻く白人たちの言葉を、川崎でヘイトスピーチを巻き散らす人たちの言葉に重ねることも可能なはずです。「カワサキサイドストーリー」が作られてもおかしくはない。あるいは、沖縄を舞台にして、基地容認派と、基地反対派の間での抗争を描くことだって無理ではない。

     

     そして、シリアで、パレスチナで、ロヒンギャ・・・。

     

     今のこの嘆かわしい状況を、バーンスタインが生きていて目の当りにしたら、一体、どんな言葉を口にし、どんな音楽を作り奏でるだろうかと思わずにはいられません。

     

     彼は終生「リベラル」を貫いた人でした。ケネディを理想の政治家と考え、民主党を支持し、共和党のニクソン、レーガン、ブッシュには反対の立場をとっていた。レーガン時代にはホワイトハウスに背を向け、晩年、ブッシュ大統領からのメダルを拒否したことでも話題になりました。彼のそうした思想や願いは、この「ウェストサイド」にも色濃く反映されています。そう、「サムウェア」の歌詞のように、憎しみのない世界を願い、平和を訴え続けた彼の思いが、その身を切るような音の奥底にまで込められている。

     

     時に大きな跳躍を見せて上向するスケールの大きな旋律。登場人物の心の綾や、その場面の情景をリアルに映し出し、甘美さから苦さや痛みまでを繊細に、そして大胆に表現した和声。様々な様式の音楽をとりいれつつ、生命の躍動をパルスに変換したような生き生きとしたリズム。それらのすべては、バーンスタインがはるか遠い彼方に見据えていたであろう理想の社会への憧れへとまっすぐ繋がっている。解決することなく不協和音のまま閉じられる不吉なエンディングは、その理想への遠さを表現していて、聴き手である私たちへの警鐘として鳴り響かせているのかもしれない。

     

     音楽は政治や社会と切り離して考えるべき、音楽にそうしたものを持ち込むのは良くないという考え方があるのも承知しています。しかし、いつの世にも存在する社会の問題や病巣を題材に、痛切な音楽として表現した「ウェストサイドストーリー」をただ音だけで聴くことは、少なくとも私には、できない。「サムウェア」やフィナーレの音楽に心を高ぶらせ、映画版のラストでマリアが言っていたセリフ、「あなたたちの中にある憎しみがトニーを殺したのよ!」という言葉を思い起こしながら、バーンスタインが音楽に込めた思いに心の底から共感せずにはいられない。

     

     もちろん、この音楽を聴いて涙を流すほどに感動する人が、そのまま他方では、憎悪に満ちた言葉で他者を排斥し、格差や暴力を容認することは実際のケースとしてあるのでしょう。リベラルは死んだと冷笑し、「今あることは何であれ正しい」と政権を擁護する人たちの中には、何度も自らのことを「リベラル」と呼んだバーンスタインの思想にはまったく反対だけれど、音楽とドラマの内容には心を動かされ共感するという人だっているでしょう。そんな聴き方だって否定することはできない。

     

     そもそも、バーンスタイン自身、様々な矛盾を抱えた人でした。あれほど熱心に平和や反核を世界に訴えながら、イスラエルという国家を無条件に支持していたし、ホロコーストをテーマにしたオペラを書くことが自らの使命と言いつつ、ワーグナーのオペラを指揮し、反ユダヤの空気が残っているウィーンで嬉々として演奏活動を続けた。ブラックパンサーと近づいて世間から激しい非難を受けたこともある。

     

     ですから、聴き手側の矛盾も、この大きな包容力をもった音楽は許容してしまうのかもしれません。こんなことを言っている私も、小人なりの矛盾はたくさん抱えて生きている。

     

     でも、「サムウェア」の「平和で静かな場所がどこかにあるはず」「許すことを学ぼう」という、絶望と希望の入り混じった言葉をせめて共有し、その音楽が指さす先にあるものについて、この音楽を愛する人たちのめいめいが考え、時には議論していくことができないだろうかと願わずにはいられません。甘いでしょうか。これは質の悪いポエムでしかないでしょうか。

     

     ともあれ、今は、バーンスタインがこの世にはいない。彼が遺してくれたこの宝物のような音楽を道標にして、「私たちの場所」を探し続けなくてはならないということなのでしょう。

     

     ところで、オーチャードホールで聴く「ウェストサイド」というと、どうしても忘れられない思い出があります。10年くらい前にこのブログで書きましたが、1990年7月、バーンスタインの日本での最後の演奏となった同ホールでのコンサートで、「シンフォニックダンス」を聴いたのです。ただし、既に不治の病に侵され、コンサート全部を指揮する体力の残っていなかった彼は、この曲だけ、指揮は弟子の大植英次に任せたのでした。

     

     ヤルヴィとN響の演奏は、晩年のバーンスタインの演奏とはまったく趣が異なり、もっと軽くてスマート、そしてもっとアグレッシヴなものでした。だから、私が演奏を聴いて心を動かされたのは、音楽そのものの力によるのはもちろんのこと。でも、やはりどうしてもあの日の演奏会の記憶がよみがえってしまって、とても、冷静には聴いていられませんでした。

     

     マリアとトニーが二人で愛を語る場面(”One Hand, One Heart"など)で、弦楽器が静謐な祈りを表現する音楽を奏でると、もうダメなのです。そして、あの「サムウェア」。ヴィラロボスという名前のソプラノ歌手の美しい声もあって、それはもう・・・。

     

     演奏会が終わり、腫れぼったい目をこすりながら会場を出て、私はホールの楽屋口へと回りました。あの夏の日、「ウェストサイド」を聴いた(=彼の指揮では聴けなかった)演奏会の後、バーンスタインを出待ちした場所をもう一度見たかったからです。

     

     周囲の建物は、当時から様変わりしたでしょうが、その楽屋口は何も変わっていなくて、ちょっと嬉しかった。あのとき、付き人の肩につかまってヨロヨロと出てきたバーンスタインに、私たち聴衆は再び拍手を贈りました。彼はそれに弱々しく応え、リムジンに乗り込み去っていった。それが、私が彼を見た最後の瞬間になってしまいました。

     

     あのときの自分に言葉をかけることができるとしても、私は、その三か月後には彼がこの世を去ってしまうことは言わないでしょう。ショックが大きすぎるから。その代わり、お前はこの30年近く後になってもバーンスタインの音楽を聴き続けている。だから心配するな、同じホールで「ウェストサイド」の素晴らしい上演を聴くことができる、と言ってやりたい。

     

     レナード・バーンスタインという音楽家の音楽に出会えたこと、たった15年足らずでしたが、バーンスタインの音楽をリアルタイムで聴くことができたこと、そして、僅かではあっても実演に接することができたことのとてつもない幸せを、いつまでも忘れずに噛みしめながら生きていきたいと思います。

     

     聴きに行って本当に良かったと心から思える演奏会でした。

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    2018.07.19 Thursday

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