【ディスク 感想】シュワントナ―/「新たなる時代への黎明 ”自由の夜明け” 」〜 スラットキン/ナショナル響

2018.05.01 Tuesday

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    ・シュワントナ―/「新たなる時代への黎明 ”自由の夜明け” 」〜

     レナード・スラットキン/ナショナル響

     バーノン・ジョーダン(語り)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

     先日、今年2月に銃乱射事件が起きた米フロリダ州の高校の生徒たちが、ワシントンDCで銃規制デモ「March For Our Lives」を開催したというニュースを見ました。10代の高校生たちが非暴力を訴える姿に感銘を受けるとともに、銃社会であるアメリカは、子供たちにそんな運動をさせてしまうほどに病んでしまっているのかと愕然としました。

     

     デモには、今年が没後50年となるマーティン・ルーサー・キング牧師の孫である9歳のヨランダ・リネー・キングが登場してスピーチを行いました。彼女は、祖父の有名な演説「私には夢がある I have a dream」を引用し、銃による暴力のない世界を目指そうと人々に訴えました。その純粋無垢な訴えかけには胸を打たれたのは、きっと私だけではないはずです。

     

     キング牧師の残した言葉を改めてかみしめなければと思いました。タイムリーなことに、つい最近「マーティン・ルーサー・キング―非暴力の闘士」(黒真著、岩波新書)という本が出ました。早速購入してそれを読み始め、キング牧師の非暴力の思想に感銘を受けているところです。

     

     そしてまたもう一つ。ソニークラシカルの廉価BOXセットのシリーズの一環として発売された、レナード・スラットキンがRCAに録音したアメリカ音楽集“Leonard Slatkin:The American Collection”(13CD)”に、キング牧師の演説の言葉をフィーチャーしたシュワントナーの「新たなる時代への黎明 ”自由の夜明け” (New Morning for the World  "Daybreak of Freedom")」が収められているというので早速購入して聴きました。

     

     この曲のことは、既に知っていました。連載中のコロムビアのメールマガジンでカレル・フサの吹奏楽曲「プラハ1968年のための音楽」について書いたところ、私の親しいオケ仲間がその文章を気に入ってくれて、それではということで、この曲のことを教えてくれたのです。

     

     彼が言うに、ブラスバンド出身のオケ仲間の間で、このシュワントナーの曲が「流行している」らしい。毎年恒例の吹奏楽のコンクールでどこかの学校が取り上げて優秀な成績をとって話題となったのだとか。彼から、管弦楽版の初演をおこなったジェイムズ・デ・プリーストが指揮したCDのコピーをもらい受け、その「ヒット曲」を聴いたのでした。

     

     この作品は、アメリカの作曲家ジョゼフ・シュワントナー(1943〜)が、1982年に、小管弦楽とナレーターのために書いた、演奏時間25分ほどの曲。ナレーターは、キング牧師が遺した言葉を次々と語ります。有名な「私には夢がある」の演説の言葉だけでなく、彼のいくつかの有名な演説の言葉を比較的自由にミックスしているようです。件のCDに収められているのは、デ・プリースト盤同様に、大オーケストラのために編曲されたバージョンです。

     

     例えば、1955年のアラバマでのバスボイコットの時に演説で述べた”There comes a time when people get tired of being trampled over by the iron feet of oppression”や、1965年3月21日、セルマからモンゴメリーに向けた行進で述べたという「(勝利まで)あとどれくらいだ?まもなくだ(How Long? Not Long)」など。

     

     メインとなる「私には夢がある」の演説も、抜粋である上に、言葉もかなり要約されています。後半、韻を踏むかのように、同じ言葉を反復しながら高揚し、最後に黒人霊歌を引用して「我々はついに自由だ!」と叫ぶあたりは出てきません。

     

     そんなナレーションの背後で鳴り響く音楽は、前半は、打楽器の乱打と金管の咆哮が目立つ激しい曲調。キング牧師の、当時の黒人たちが置かれていた厳しい状況を打破するのだという強い意志が、そこに反映されているのでしょうか。

     

     膠着した状態で緊張感が高まっていくと、開始から10分過ぎ、あのワシントンでの演説の一節が読み上げられます。”We can not walk alone”という文が発せられるあたりから、確な調性と調和に満たされたハーモニーが広がっていきます。それはタイトルから考えれば「夜明け」をイメージして作られた音楽かもしれませんが、私には、重く立ち込めた雲から一条の光が射し込み、頭上に青い空とまばゆい陽光が広がっていくような情景を思わずにいられません。そう、チャップリンの映画「独裁者」のラストシーンのように。

     

     弦楽器の分厚いハーモニーで頂点を極めた輝かしい音楽は、どこか不気味な震えを残しつつ、やがて静かな祈りと収斂していきます。

     

     全体を通して、この曲の調べには晦渋なところは一切なく、映画音楽的なドラマティックな展開が目立ちます。その親しみやすい音楽が、キング牧師の言葉の力をと激しく共振するさまがが受け容れられたのか、もともとは小管弦楽のために書かれた作品でしたが、ここで聴ける大管弦楽版が90年代半ばに作られ、そして、吹奏楽版が2007年に初演されてから、広く知られる曲となりました。

     

     友人に聴かせてもらったKoch Schwann盤は、心から敬愛する指揮者デ・プリーストが指揮するものであり、今では入手の難しいもの。そのコピーが手元にあるだけでも十分と言えば十分なのですが、そこは音盤中毒患者。「自分の」ディスクを持たない訳にはいかない。そこに(再)登場したスラットキン盤を聴かない理由は、どこにもないのです。

     

     今回聴くことができたのは、キング牧師が「私には夢がある」の演説をおこなったワシントンで、1996年10月11日にワシントンで録音されたもの。演奏しているのは、「大統領のオーケストラ」であり、スラットキンが1996〜2008年に常任指揮者を務めていたワシントン・ナショナル響。語りは、クリントン大統領の側近も務めた弁護士で企業家のバーノン・ジョーダン。エヴリン・グレニーとの共演による打楽器とオーケストラのための協奏曲、マリンバ・ソロによる”Velocities”が併録されたシュワントナ―作品集に収められている。

     

     ワシントン・ナショナル響というオーケストラの能力や、スラットキンという音楽家の良い意味でのポピュラリティのおかげもあって、感動的と言って良い、素晴らしい演奏になっていると思いました。

     

     特に、「私には夢がある」のあたりからの音楽のエモーショナルな盛り上がりには、ついつい持っていかれてしまいます。そこで語られるキングの言葉のもつ力もあってか、知らず知らずのうちに、その理想、理念に引き込まれ昂揚してしまうのです。

     

     短く要約されたものとは言え、キングが人々に語りかけた言葉がどれほど人の心を打つリズムを持っているかがよく分かります。そして、その言葉の背後にある理想の世界がどれほど切実な願いから描かれたものなのか、現実がどれほどその理想からまだ遠く離れているか、それらすべてが、強い意味を持って迫ってくる。

     

     言うまでもなく、私という聴き手は、勿論、ワシントン行進でキング牧師の言葉に感動した人たちの熱狂とはまったく違う遠い視点から、その意味を味わっているに違いない。でも、調和に満ちた音楽の調べからは、遠い理想への切実な憧れと、それを見据える曇りのない澄んだまなざしを感じます。私も同じものを持ちたい、持たねばならないと義務感のようなものさえ抱かずにいられません。

     

     妄想が私の中で駆け巡ります。

     

     この曲を演奏しているワシントンのオーケストラの団員の中に、1963年のワシントン行進を目の当たりにした人がいたのかもしれない。あの場で、キング牧師の言葉に熱狂し、マリアン・アンダーソンの歌う国歌や、ボブ・ディランとジョーン・バエズの歌うプロテスト・ソングに共感した人たちが。

     

     当時は、多くのマイノリティが虐げられ、苦しみを味わっていた頃。でも、アメリカの希望の星であったケネディは生きていた。公民権運動も広がりを見せ、多くの人たちが自由や平等について真剣に考え、民衆の力で世界は変えられるかもと希望を抱いていた。そんな時代の空気を皮膚感覚として記憶している人たちが演奏者の中に少なからずいて、彼ら彼女らの思いが音楽の中に反映されているのかもしれない。そんな物語を想起してしまうほどに、この演奏は、「熱い」のです。

     

     私の思い込み、思い入れが過ぎるでしょうか。

     

     語りを務めるジョーダンは、クリントン大統領の側近も務めた弁護士で企業家。録音当時のアメリカの政財界で大きな影響力をもった人ですが、黒人で、人権活動家でもあるということで起用されたのかもしれません。

     

     彼の語りは、発声の癖がやや気になりますが、一つ一つの言葉には静かだが、力と実感がこもっていて、聞き取りやすく、力強い。音楽に合わせての起伏のつけ方もうまい。

     

     録音の2年後、ジョーダンは、クリントンの「不適切な関係」が発覚した折、不倫相手のモニカ・ルインスキーの就職先を斡旋し、大統領を擁護するなどして一躍名を知られることになります。でも、この録音時には、彼自身も、周囲も、まさかそんなことが起きるとは想像だにしていなかったことでしょう。小泉純一郎の決まり文句ではありませんが、人生には、「上り坂」「下り坂」、そして「まさか」と、三つの坂があるのです。

     

     そんなことはともかく、この曲に関して、考えることがあります。

     

     この曲が吹奏楽の世界ではヒットしていて、頻繁に演奏されている模様なのに、原曲のオケ版はさっぱり話題にもならないし、演奏もされていないことが不思議に思えます。いや、お前が知らなすぎだろうと言われるかもしれませんが、でも、CDは今入手可能なのはスラットキン盤だけだし、少なくとも在京の演奏会では演奏された形跡はない。どう考えても「需要がない」状況だとしか思えない。

     

     前述のように、この曲で、とびきり美しいハーモニーに満たさせる部分は、弦楽アンサンブルによって演奏されます。私自身が弦楽器を弾くアマチュアだからかもしれませんが、オーケストラの響きの重量感、充足感は、弦楽合奏だから出せるものだと思わずにいられません。吹奏楽版をYouTubeで聴いてみたのですが、貧弱な録音のせいもあるかもしれませんが、どれを聴いてみてもあの音楽の魅力は半減してしまっている。

     

     こういう曲こそ、オケの上質な響きで聴きたいなと思います。あのオケや、あの指揮者が振れば、きっといい演奏になるんじゃないかなあなどと思いを巡らせてしまうのですが、それが実現するのはいつになるのか(“How Long?”)という問いに「もうすぐだNot Long」と言える状況には、なさそうに思えます。

     

     どうしてそうなのか、私には事情は分かりません。あまりにも映画音楽的だとか、作曲技法が保守的すぎるとか、演奏するに値しない「機会音楽」でしかないのかもしれない。そもそもキング牧師の言葉なんて「私には夢がある」くらいしか知られておらず、関心も持たれていない可能性もある。そのあたりの私の「価値判断」の妥当性にはまったく根拠も自信もないので、黙ってこの曲を聴き続けることにします。

     

     いや、それ以上に、大事なことがある。

     

     吹奏楽というジャンルにまで関心や行動が追い付かないでいる私が、どうやってこの吹奏楽の分野の「こんないい曲あるよ」情報を入手すれば良いのだろうかということ。レコ芸の吹奏楽の月評は毎月読んでいるつもりではいますが、他に聴きたいものがありすぎて優先順位も上げられない状況では、なかなか情報として私の中に記憶として定着しない。

     

     なので、私にシュワントナ―の曲を教えてくれた友人のように、口コミで入れ知恵をしてくれる存在は、とても大事だなと痛感します。自分には遠いものであっても、あいつが面白いと言うんなら、きっと自分にも何か得るものがあるかもという信頼感みたいなものがある。実際に聴いてみて面白くないと感じたとしても「うーん、イマイチかなあ」と言える気安さもある。だから、自然にその情報に乗っかることができる。「生きた」情報というのは、人と人との直接のコミュニケーションの中から得られることが多いということなのかもしれません。

     

     でも、どんなに情報が周囲にたくさんあったとしても、それを「生きた」ものとして感じられるかは、自分自身の感性や好奇心に依存するところが大きい。まあやっぱりいろんなものに自然に興味をもてる「やわらかさ」を身につけたいなと、結局は自分にブーメランになって返ってきてしまいます。うむ、どこまでできることやら・・・。

     

     それにしても、キング牧師の遺した言葉の美しさには、心の底から打たれずにはいられません。彼が凶弾に倒れて39歳の短い生涯を閉じてから50年、彼の言葉は永遠の生命を持っていると痛感せずにはいられません。反差別、非暴力、反貧困は、やはり私たちにとっても切実なる願いであり続けているのです。

     

     キングは牧師であって政治家ではありません。彼の言葉は、あくまで宗教人、活動家としての立場からなされたもの。でも、それは非常に高度な意味で政治的な意味合いを持っていて、社会をより良いものにするのだ、正義が実践されるべきだという人々の意志を束ねる力があった。そして、彼自身は道半ばに暗殺されてしまいましたが、彼のもとに人々が力を結集することで、実際に社会が動いた。

     

     私たちは、今、「正義とは何か」と真剣に考え議論せねばならないほどに、キング牧師の言葉にある「正義が実践されねばならない」という前提は、もう確固たる前提ではない時代を生きています。ポリティカル・コレクトに疲れたと不平を言う人たちもたくさんいる。それに、美辞麗句を紡ぎだす誰かに身をゆだね、その言葉に陶酔し、熱狂することの危険性を皆が知っている。

     

     でも、すべての世界の人々が、キング牧師の演説の最後で言及された「自由の鐘」を鳴り響かせることができたら、私たちはどんなに幸せになれるでしょうか。いや、それができなければ、私たちは破滅への道を歩んでいくしかない。キング牧師の言葉を、他人事とせず、大切に生きていかねばならないと思いを新たにします。

     

    自由の鐘を鳴り響かせよう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を 鳴り響かせる時、われわれは神の子すべてが、黒人も白人も、ユダヤ教徒もユダヤ教徒以外も、プロテスタントもカトリック教徒も、共に手をとり合って、なつかしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるだろう。「ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神に感謝する。われわれはつい に自由になったのだ!」

    (1963年8月28日 ワシントン大行進でのキング牧師の演説 

     https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/)

     

     いつも通り、お花畑のポエムになってしまいました。これが私なのだと開き直って、このエントリーを閉じることとします。

     

     それから、このスラットキンのアルバム、とにかく収録曲が魅力的で、バーンスタイン、W.シューマン、コープランド、コリリアーノ、アイヴズ、ピストンなどの有名曲、無名曲がずらりと並んでいて壮観。これからちびちびと聴くのが楽しみです。

     

     

     

     

     

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    2018.09.18 Tuesday

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