【ディスク 感想】ハイドン/交響曲第29, 98番、モーツァルト/コンサート・アリア 〜 中江早希(S) 鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・クラシカ

2018.07.02 Monday

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    ・ハイドン/交響曲第29, 98番

     モーツァルト/コンサート・アリア

     中江早希(S) 鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・クラシカ(Arte dell'arco Japan)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

    ・ハイドン/交響曲第29番 ホ長調 Hob.I:29
    ・モーツァルト/コンサート・アリア「私のうるわしい恋人よ、さようなら」K.528*

    ・モーツァルト/コンサート・アリア「いいえ、あなたにはできませぬ」K.419*
    ・ハイドン:交響曲第98番 変ロ長調 Hob.I:98

     

     

     

     

     鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・クラシカ(以下OLC)の新盤、ハイドンの交響曲第29,98番と、ソプラノの中江早希を迎えてのモーツァルトのコンサート・アリア2曲を組み合わせた一枚を聴きました。2016年6月18日に三鷹の芸術センターでおこなわれた演奏会のライヴ録音(拍手はアルバムの最後だけ収録)。

     

     当盤は、世間一般的には、結成以来、地道にハイドンの交響曲を取り上げていたOLCが、ついにロンドン・セットにまで到達したということで注目されるものに違いありません。

     

     実際、ここで聴くことのできる交響曲第98番は、掛け値なしに充実した演奏だと思います。鋭すぎず、激しすぎず、しなやかな弾力と生命に満ちた推進力をもって、起伏豊かに展開していく音楽は、とにかく立派です。と同時に、聴いていて愉しい。特に、第1楽章展開部での、立体的で血の通った対位法の響きの美しさには目を見張ります。

     

     アルバム冒頭の第29番の演奏も、心踊る聴きものでした。プリミティブな構成の中に、独創的なアイディアに満ちた(例えば、伴奏音型だけで音楽が進む第3楽章のトリオとか)曲を、鈴木とOLCは丁寧に、しかし、活力を失うことなく、のびやかに演奏しています。音楽家たちが最良の意味で脱力して演奏しているからでしょうか、いつも沸き立つような愉悦感が振りまかれていて、聴いているこちらまで頬が緩み、体もリラックスしてきます。

     

     しかし、このアルバムの私にとっての目玉は、中江早希のオフィシャルなCD初録音となるモーツァルトのコンサート・アリアです。

     

     彼女の歌は、コロラトゥーラの技術、オペラティックな表現力、古楽オケとの共演に相応しいスタイル、いずれの点においても高い水準を保ったものではないでしょうか。ここ数年、彼女が特にモーツァルトのオペラ上演には欠かせない存在となりつつあり、また、いくつものオーケストラに請われて声楽曲で共演を重ねているのは、この彼女の実力が評価されての結果なのだと強く確信します。

     

     でも、まだ若くてさほど評価の定まっていない歌手への客観的な「評価」は、素人の私の領分ではありません。評論家の真似事のような言葉を連ねるのは、ここで止めておきます。

     

     そう割り切って思い切りミーハーなことを言ってしまいますが、私は彼女の声に完全に参っています。何の混じりけもないピュアな声そのものの美しさ、大きなヴィブラートに頼らずとも、声を遠くへと飛ばす倍音の豊かさ、それら天然石にも似た輝きをもった彼女の声に、私は猛烈に惹かれてしまうのです。

     

     そして、彼女の声は、どこまでも自然で、力みがない。ヴィブラートも過剰にならず、表現が大仰になることもない。どんなに高音でスピントしても、金切り声の絶叫に陥ることもない。それが彼女の発声の技術によるものなのか、彼女の身体的な要因によるものなのかは分かりませんが、日本の歌手に時折見られる、音色の硬さや扁平さがない。とにかく、そこがとてもいい。

     

     そして、もう一つ。オケをバックに独唱者としての存在感を確実に示しながら、同時に、一つの楽器としても美しく共存している点も好ましい。それは彼女の謙虚とも言える歌い口のやわらかさの表れでもあるのでしょう。でも、それ以上に、器楽とも共鳴することのできる、濁りのない声の響きの美しさ、そして、彼女の響きの純正さへの鋭敏な感覚ゆえに可能になったことだろうと私は思います。

     

     さらには、18世紀の音楽の様式を完全にマスターした端正な歌には、「西洋の音楽を勉強しました」というような形跡もまったくない。私が常日頃好んで聴いているソプラノ歌手が、確実に身につけているものを、彼女もまた完全に体得しているように思えます。

     

     日本でもこういう声楽家が出てきたんだなあと思います。とりたてて勉強せずとも、物心ついたときから、歌う場を楽器の一部として共鳴の空間にしてしまう能力を自然に身につけてしまっている。もしかすると、生まれた時から、石造りの、声がよく響く部屋で育ったのではないかというくらい。

     

     彼女の歌には未完成な部分もあるでしょう。例えば、今後、その表現の強度や多様性は広めていくであろうし、彼女の強みである天性の声にもさらに磨きをかけていくことは間違いない。でも、このアルバムで聴けるフレッシュでのびやかな歌の魅力は、もうそれだけでかけがえのないものです。彼女のこれからの大いなる躍進に期待を込めつつ、記念すべき彼女の本格デビューを心から喜び、精一杯の賛美を送りたいと思います。

     

     ところで、今は、OLCやBCJという古楽オケとの共演でプレゼンスを上げている中江早希ですが、彼女にはもう一つ別の顔があります。芸大でハンス・アイスラーを研究していた人であり、ヴァイルやシェーンベルクを歌える人なのです。昨年も、注目の指揮者、坂入健司郎の抜擢により、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を歌って絶賛を浴びてもいる。古楽から現代曲まで、その曲に相応しいスタイルで、それらの作曲家の語法をきちんと歌で表現できる順応力をもった人に違いありません。

     

     思えば、私が彼女の歌を初めて聴いたのは、2015年7月、明治学院大学でおこなわれた「政治的歌曲の夕べ」というコンサートでした。そこで彼女は研究対象であるアイスラーやヴァイル、デッサウ、そして、武満や林光の歌を聴き、その声の美しさに射抜かれると同時に、並外れた表現力に度肝を抜かれたのです。その後、なぜか実演はなかなか都合がつかずに聴くことができていないので、何とか、彼女の歌を音盤で聴きたいと願い続けてきたのです。ですから、ここでようやく願いが叶って非常に嬉しい。

     

     きっと彼女はこれから間違いなく、多くの聴き手、演奏家から愛される歌手へと成長していくに違いありません(現にもうそうなっているのですが、さらにという意味で)。でも、一つ私が願ってやまないことは、彼女が本当にやりたいこと、一番歌いたいものを歌える機会を、是非与えてあげてほしいということです。

     

     彼女が歌う迫真のアイスラーやヴァイル、そして、しんしんと胸に沁みる日本の現代歌曲。それらは、商業的に大成功を見込めるレパートリーとは思えません。でも、彼女自身が志している音楽ですし、我々聴き手にとっても素晴らしい歌唱に触れる貴重な機会です。採算は厳しくとも、ある程度の間隔は空いてでも、彼女がそうした「とんがった」音楽に定期的に取り組める環境を作ってほしいのです。いや、私たちが作ってあげたい。

     

     これは、中江に限らず、志を持った若い音楽家に対して、私たちの音楽の「市場」から「やってみなはれ」と言ってあげられるような場になれるかどうか。ちょっと風呂敷を広げてしまいますが、そのことこそが、私たちが、自分たちの文化を豊かなものにできるかどうかを決めるのだと思います。

     

     その意味で、この素晴らしい素質をもったソプラノ歌手は、私たちにとっては、炭鉱のカナリア的存在なのかもしれません。彼女が悲鳴を上げて失神しないように、社会の中の空気をきれいに保ち、その美しい鳴き声をずっと聴いていたいものです。

     

     ともあれ、新時代のディーヴァの輝かしい未来と、鈴木/OLCのますますの活躍に、心からの乾杯を。とは言っても、私は超下戸なので、ノンアルコールですけれど・・・。

     

     因みに、このアルバムのモーツァルトのコンサート・アリアの歌詞対訳は、中江早希自身が書いたものです。とてもこなれた訳なんじゃないでしょうか。きっと多才な人なのでしょう。

     

     

     

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    2018.11.10 Saturday

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