【ディスク 感想】バーンスタイン/「波止場」組曲、「ウェストサイドストーリー」〜シンフォニックダンス  レナード・バーンスタイン指揮フランス国立管

2018.08.25 Saturday

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    ・バーンスタイン/「波止場」組曲、「ウェストサイドストーリー」〜シンフォニックダンス

     レナード・バーンスタイン指揮フランス国立管 1979.9ライヴ (Warner)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     レナード・バーンスタインの100歳の誕生日、発売されたばかりの「新譜」を聴きました。

     

     フランス国立管弦楽団を指揮した自作の映画音楽「波止場」組曲と、「ウェストサイドストーリー」のシンフォニック・ダンスの2曲。これまで未発表だった1979年9月12日シャンゼリゼ劇場でのライヴ録音で、Warnerからリリースされた「パリのアメリカ人」と名付けられた7枚組のBOXセットに収められた一枚です。久々の発掘音源のリリースですし、バーンスタイン教の信者としては聴かない訳にはいきません。

     

     いずれも「ああ、これだ。これがバーンスタインだ!」と叫ばずにいられない演奏でした。

     

     オーケストラは、昨今の精密な演奏と比べると随分聴き劣りがします。アンサンブルは緩くて粗いし、ソロ楽器も決して下手な訳ではないけれども、お世辞にも超一流とは言い難い。ライヴならではの傷も少なくない(例えば、「ウェストサイド」の「ランブル」、散々引き延ばしたクライマックスの途中でトランペットが早く着地してしまうなど)。総合的に見て、これまで聴いてきた既発売盤や放送録音の中にあって、演奏の完成度や、解釈の徹底といった面では特に突出したものとはいいがたい。

     

     しかし、それでも、この演奏を聴けて良かったと心から思える理由があります。それは、恐らくほぼ無修正の完全ライヴ録音であり、「いかなる化粧も施さないスナップショット」であるということです。一夜のコンサートでのバーンスタインとオーケストラとの“Love Affair”を、生々しく、そして一貫した流れをもって再体験できるのです。指揮者とオーケストラが一体となって、大小の事故などものともせず、音楽のエネルギー準位を励起させとてつもない強度の光を放射していくさまの、何と眩しいことでしょうか。

     

     例えば、「波止場」の第1曲や、「ウェストサイド」のプロローグやマンボ、クール〜ランブルで聴くことのできるリズムの横溢と、トゥッティの暴力的なまでの音の嵐。両曲とも随所で聴くことのできる、何かを哀願し祈るような弦楽の熱いカンタービレ(特に「ウェストサイド」の「サムウェア」や「フィナーレ」)。「いつものバーンスタイン」の演奏の特徴が、漏らさず盛り込んでいるのです。オーケストラの音色が原色系で全体にギラギラしていて、ささくれ立ったところも随所にあって、余所行きの行儀のよさとは無縁の荒々しい響きが生まれていて、これらの曲にはよく合っている気がします。

     

     思えば、映画「波止場」もミュージカル「ウェストサイド」も、1950年代アメリカの青春群像として描かれたものでした。当然、バーンスタインが書いた音楽もまた、それと軸を同じくしています。つまり、若者たちの生命力を率直に表現したものでありながら、その裏腹の、社会の歪みや不条理への怒り、先の見えない不安、愛への渇望と憧れが同時に表現されている。その音楽の甘みや苦み、痛みは、やはり他のどんな指揮者からも求められないほどの強烈さと、凄まじい振れ幅をもって表現されています。オーケストラも、彼の指揮ぶりに激しく突き動かされ、夢中になって音楽に献身して弾いているさまがひしひしと伝わってくる。

     

     その意味では、今回初めて聴いた演奏は、まさに「予定調和的な」ものと捉えられるかもしれません。でも、そのことは、マンネリ化したワンパターンの演奏であることを意味しません。「いつも通りに、そこまでやるかと思わせてくれる」ところに最大の特徴がある。いつの瞬間だって、とにかくエキサイティングで創造的な音楽を生み出そうとしていたバーンスタインの面目躍如たるなのです。

     

     今年、バーンスタインのアニバーサリーイヤーを迎え、彼の作品を聴く機会が増えました。最近はコンサートに行く機会をあまり持てていないので、もっぱら音盤を通してですが、今を時めく一流演奏家たちによる新しい演奏を聴いています。自作自演盤だけをいつまでもありがたがって聴いていては面白くないので、今の時代の空気を吸っている演奏を通して「私たちの時代のバーンスタイン」を楽しませてもらっています。

     

     しかし、この演奏に限らず、彼が遺してくれた自作自演にかけがえのない魅力と価値があることは間違いありません。私はどうしても最後にはここに戻ってきてしまいます。

     

     いや、これは自作自演に限らないことですが、彼の演奏の最大の魅力は、純粋に音楽的にどうかということ以上に、私という存在が「ここにいて良い」と許容されていると実感できることにあります。そう、彼の音楽は、私にとっていつも “There’s a place for us” と語りかけ、手を差し伸べてくれるものなのです。いや、私だけではなく、数えきれないほどの聴き手が、同じように、彼の演奏、楽曲、著作、映像を通して自分の居場所を見つけ続けているのでしょう。

     

     そして、彼自身こそ、音楽を創作することで、自分の居場所を耳つけようと必死にもがいていた人でした。そのことが、すべての音から如実に感じとることができます。彼は、同じ問いを共有する聴き手と心の一番深いところで直接つながり、音楽の喜びを分かち合うとに最上の喜びを見出していたに違いない。それがあるからこそ、彼は、身を削り、命を削ってでも、あれほど熱狂的に音楽する喜びの中に没頭していたのでしょう。

     

     であるならば、聴き手の側も、彼の音楽が放射し続ける「喜び」を自分のものとして感じ体験することが、彼への感謝のしるしになる。そう信じて彼の音楽を聴いていきたいと思います。「ここはいつもあなたがいて良い場所だ」と囁いてくれる音楽が、私の傍らにあることの幸せを実感せずにはいられません。

     

     ところで、このライヴ録音がおこなわれた1979年9月というのは、とても興味深い日付です。1979年というと、妻フェリシアの死に伴う演奏活動休止から復帰し、ものすごい勢いで演奏活動をおこなって世界を席巻していた時期。しかも。この自作自演ライヴの前後には、二つの歴史的名演が遺されているのです。

     

     この半月ほど前、彼はザルツブルグとウィーンでウィーン・フィルを指揮してベートーヴェンの交響曲第9番を演奏しました。後者はCDと映像になっている有名なものです。そして、この演奏会の半月ほど後には、ベルリン・フィルを指揮してマーラーの交響曲第9番を演奏します。こちらも、カラヤンのオケを生涯一度だけ指揮した伝説の名演として語り継がれている。(ついでに言うと、この演奏会の2か月前、東京でニューヨーク・フィルを指揮したショスタコーヴィチの交響曲第5番も、今も名盤として愛されています)

     

     当時の私の記憶では、この時期のバーンスタインのヨーロッパでの大活躍ぶりは本当に凄まじく、雑誌でも大々的に報じられていました。彼がカラヤン帝国に殴り込みをかけたというような取り上げられ方をしたのをはっきり覚えています。このライヴ録音での聴衆の熱狂ぶりもすごい。

     

     今回の演奏では、そんな時期に刻み込まれた貴重な記録です。若い頃の演奏の大きな魅力だった強烈なエネルギーの放射と、弾力に満ちたリズムは十分に維持しながら、遅いテンポの中でとんでもなく重いものを一つ一つの音に乗せる晩年の演奏を予告する過渡期の最後の時期の指揮ぶりがはっきり刻印されています。指揮者バーンスタインの活動の足跡をたどるという意味でもなかなかに重要な位置を占めるライヴ盤だと思います。

     

     この7枚組のセットには、EMIに録音した5枚と、映像にもなった1975年のラヴェルコンサートの録音とリハーサル(これは初発売)が収録されています。改めて聴いて、バーンスタインに思いを馳せたいと思います。

     

     Happy Birthday, Lenny!

     

    ★1979.9、パリでの演奏会のリハーサル(クラリネットを吹いている!)

     

    ★1979.9 ウィーン・フィルとの「第9」

     

     

    ★1979.7 ニューヨーク・フィルとのショスタコーヴィチ

     

     

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    2018.11.10 Saturday

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