【ディスク 感想】グリーグ/ピアノ協奏曲、ピアノ小品集 〜 田部京子(P)小林研一郎指揮東響

2018.09.28 Friday

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    ・グリーグ/ピアノ協奏曲、ピアノ小品集

     田部京子(P)

     小林研一郎指揮東響 (Triton)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

    <<曲目>>

    グリーグ
    ・ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
    ・過ぎにし春 作品34-2 (2つの悲しい旋律 作品34 より)
    ・ペール・ギュント 第1組曲 作品46
     1 朝
     2 オーゼの死
     3 アニトラの踊り
     4 山の魔王の宮殿にて
    ・ソルヴェイグの歌 作品52-4
    ・君を愛す 作品41-3

     

     

     今日は、もうすぐ退社する同僚と、引継ぎの打ち合わせをしました。会議が終わって、彼が転職を決めた理由を雑談がてら尋ねてみました。返ってきた答えは、今のままじゃポストはないし給料も上がらないし、「定年」という文字もチラホラ見えてきたので思いきることにした、というものでした。

     

     身に沁みました。

     

     人生100年、まだ折り返し。でも、私たちは、親世代よりもずっと長く働かなければならない。引退までにはまだまだ時間がある。金を稼ぎ続けないと経済的にも辛いし、社会全体で見ても70〜80代くらいまで働くのが当然になってきている。昨年ベストセラーになった「LIFE SHIFT」で主張されていたように、従来の「教育―仕事―引退」という3つのステージではなく、4つもしくは5つのステージを生きるのが主流になるのかもしれない。ステージが変わる毎に新しいスキルや思考を手に入れ、自らを「リ・クリエーション(再創造)」しなければ生きていけないのかもしれません。

     

     その同僚と私はほぼ同年齢。気づいたら結構な歳になってしまいました。マルチステージ時代に向け、今からでも何か準備せねばなあと危機感のようなものが芽生えてきたところでした。同僚の決断に頷きながら、私も、転職するかどうかは別としても、自分のこれまでのキャリアを振り返りつつ、これからどんなふうに生きていきたいか、今後のためにどんなふうに「リ・クリエーション」するのが良いだろうか考えようと思いました。

     

     フリーで腕一本で稼いでいる方々や、高いスキルをもって労働市場を渡り歩いている凄腕の方々からは、「ボーッと生きてんじゃねえよ」と言われてしまうかもしれません。もっと早くに考えていればという後悔もあります。でもまあ、ジタバタしても、できることしかできないので、前向きに考えていこうと思っています。

     

     あれ、私は何の話をしようとしているのでしょうか・・・。そうそう、田部京子の最新盤、グリーグのピアノ作品集を聴いた感想を書こうとしていたのでした。

     

     彼女の演奏を聴いていて、真っ先に思い浮かんだ言葉は、そのまさに今の私の最大の関心事である「自己のリ・クリエーション」でした。

     

     田部京子は、今年でCDデビュー25周年。その記念すべき年に、彼女がシューベルトと並んで最も得意とするグリーグの作品を録音しました。収録曲は、これまで何度となく実演では弾いてきたピアノ協奏曲(小林研一郎指揮東響)、「ペール・ギュント」から第1組曲と「ソルヴェーグの歌」、「過ぎた春」、「君を愛す」。いずれも2018年4月の録音で、協奏曲はミューザ川崎でのライ、その他は富士見市民文化会館でのセッション。

     

     彼女の弾くグリーグを聴いていると、田部京子というピアニストは、常に自らを「リ・クリエーション」してきたのだなあと思わずにいられませんでした。

     

     例えば、再録音となる「ペール・ギュント」の第1組曲。もぎたてのレモンのようなみずみずしい抒情をたたえた「朝」、深い哀しみが心の襞に沁みてくる「オーゼの死」、気品と妖艶さがユニークなブレンドを見せる「兄トラの踊り」、思いのほかスケール壮大に盛り上がる「山の魔王の宮殿にて」。

     

     どれもこれも、長く聴いてきた田部京子の音楽そのままの特徴を湛えた演奏ではあります。解釈的にも旧盤と共通するところが多いと思います。ですが、細部の彫琢は精緻を極め、陰翳はより濃やかに、そして表現と音量のダイナミックレンジは広くなっています。アンコール的に収められた「君を愛す」も、何年か前に実演で聴いたときと同様に、旧録音より積極的で情熱的な愛の告白になっているように思えます。

     

     当然のことですが、彼女は同じところには立ち止まっていないのです。

     

     タッチの瑞々しさ、澄んだ音色、聴き手を包み込む母性愛のような柔らかさは、さらに磨きがかかっている。演奏にはより陰翳の深いニュアンスが加わり、弾き手の中で湧き起こる「楽興の時」がより豊かで、彩りに満ちたものになっていることが、はっきり見てとれます。彼女が楽譜の背後に見ている景色、劇の情景や人物像は、より美しく、より生き生きとして光彩に溢れたものになっているに違いありません。

     

     彼女は、既に弾き慣れた曲を新鮮な視点から見つめ直し、新たに身につけた表現方法やテクニックを駆使して、高めた視点や深まった思考を音楽に反映させ、まさに「リ・クリエーション」の渦中に自らを置いて演奏している。そのことが、あらゆる音符からひしひしと伝わってきます。

     

     それはピアノ協奏曲も同じです。バックの雄大な演奏の力によるところも大きいでしょうが、以前聴いた実演よりもぐんとスケールが大きくなり、表現にも音にも厚みが増している。ピアノの音色はただ繊細なだけではなく、適度なソノリティが加わり、強音でも弱音でも実体感がある。ほんの僅かに半音階の響きを強調するだけで、響きの奥行きも随分と変わってくる。その演奏が北欧的なのかは分かりませんが、グリーグの協奏曲を、後期ロマン派寄りの視点から、雄渾で内容の濃い音楽と捉え、その曲の面白さや美しさを味わわせてくれる点、私の好みにぴったりと合います。中でも第2楽章の静謐なリリシズムには惹かれました。

     

     小林と東響の演奏は、ゆったりとした、いや重厚といって良いくらいの堂々たるテンポが印象的。弦の刻みを几帳面に聴かせるなど細部への目配りも十全で、一点もゆるがせにしないシンフォニックな演奏を楽しむことができます。絶好調の東響の充実した響きの美しさは特筆すべきものと言えるのではないでしょうか。全体に音の体温は高めで、やや温暖化したノルウェーの音楽になっていますが、その無国籍的な響きは、田部のピアノの響きと軸を一にしています。なかなかに良き協調ぶりと言えると思います。

     

     でも、私にとって、このアルバムの白眉は何と言っても「過ぎた春」と「ソルヴェイグの歌」です。どちらも私が偏愛する曲だからです。かつて自分でもピアノで毎日のように弾いて悦に入っていた時期もあります。高校生と浪人の頃、受験勉強に行き詰まると、ピアノに向かってこれらの曲を弾いて現実逃避していたのです。まあ、そうやって逃げてばかりいたから、第1志望の大学に行けなかったのかもしれませんが。

     

     ともあれ、そんな私の汗臭い青春の思い出の詰まった曲を、敬愛する田部京子が弾いてくれるというのですから、聴く前から楽しみでなりませんでした。

     

     そこで私が聴くことができたのは、言うまでもないことですが、かつての私がこれらの曲に求めていたような若さゆえの感傷やロマンとは無縁の、高貴とさえ言える佇まいをもった静かな音楽でした。

     

     こうした抒情的な作品で聴かせてくれる繊細でピュアな音楽は、田部京子の最も得意とするところ。私もそれに惹かれて彼女の演奏をずっと聴き続けてきました。でも、この新しい「過ぎた春」「ソルヴェイグの歌」は、ただきれいだとか、ただ透き通っているというようなレベルのものではないように思います。

     

     全体に淡い情趣で彩られながらも、部分部分には優しい抑揚が細かにつけられていて、聴き手に何事かを親しげに語りかけてくる、そんな演奏。聴けば聴くほどに、一つの音に、強弱、濃淡、彩りの変化とかが、ほんのちょっとした間合いを伴いながら、実に自然にまとわりついていることが感じとれる。このピアノの響きは、「何もない」透明さではない。あらゆるものがそこに含まれた豊穣な透明さである、といえば良いでしょうか。

     

     この響きには滋養がある。聴き手の渇きを潤し、細胞を活性化させる力がある。

     

     そんな音楽は、自らの技術を磨き、人間として、教師としてさまざまな人生経験を経て自己と音楽を変革し、「リ・クリエーション」を続ける勇気をもつ音楽家からしか生まれ得ないのではないか、そんな気がしてなりません。もちろん、それを田部京子が身をもって実践しているのは言うまでもないことです。

     

     私と同世代の田部京子が、そうやって研鑽を重ねて真摯に音楽に向き合っているのに引き換え、私は一体何をやっているのだろうと愕然としてしまいます。彼女と同じ長さの時間が平等に過ぎていったはずなのに、と。

     

     でも、この素敵な田部のグリーグの演奏を聴いて心の栄養を注入してもらいながら、今からでも遅くはない、ささやかでも豊かな人生を過ごせるよう、私なりの「リ・クリエーション」を楽しみながらチャレンジしていきたいと思いました。

     

     ああ、小学生でもこれより巧く感想を書くだろうなと思いつつ、これにて日記ともエッセイとも感想文ともつかない駄文を閉じることとします。

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    2018.12.09 Sunday

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