【ディスク 感想】ダウランド/歌曲集第1巻 〜 グレース・ディヴィッドソン(S) デイヴィッド・ミュラー(Lute)

2018.10.28 Sunday

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    ・ダウランド/歌曲集第1巻

     グレース・ディヴィッドソン(S) デイヴィッド・ミュラー(Lute)(Signum)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

     

    ・騒ぎ立つ思いよ
    ・愛に望みを託す者
    ・わが思いには希望の翼
    ・もしもぼくの嘆きが
    ・ぼくの受けた苦しみを
    ・今こそ別れねば
    ・いとしい人よ,もしきみが
    ・噴きこぼれよ,わが涙
    ・行け,透明な涙よ
    ・眠ったふりをしているきみよ
    ・おいで,さあ,かわいい人
    ・しばし休んでおくれ,無情の心労よ
    ・眠れ,定まらぬ思いよ
    ・きみたち,愛と運命に
    ・つれない人,ぼくの心を奪って
    ・ぼくの思いこみが
    ・さあ,もういちど,愛が呼んでいる
    ・彼の金髪も
    ・めざめよ,愛,追放は終った
    ・来たれ,重い眠り
    ・去れ,自己愛の若者たちよ

     

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     女性歌手によるジョン・ダウランドの歌曲集でいいものが出ないかと、ずっと手ぐすね引いて待っていました。確かに、エマ・カークビーやドロテー・ミールズ、波多野睦美による名盤はいくつかある。アレンジがユニークなサラ・マリア・スンによるアルバムもある。単発ではソロアルバムに何曲かを歌う人もいる。

     

     でも、今を時めくカウンターテナーの名手たちが次々と好アルバムをリリースするのに比べ、ダウランドを積極的に録音する女性歌手は少ない。例えば、私が敬愛する名ソプラノ歌手たち(ヌリア・リアル、ハナ・ブラシコヴァ、ラケル・アンドゥエサ、スンヘ・イム)はダウランドをレパートリーにしていないし、ミールズも最近は歌っていない。セリーヌ・シェーンが歌っているらしいけれど、ディスクは出ていない。

     

     ダウランドの優しい歌は、カウンターテナーでも悪くないのだけれど、女性の柔らかな声でこそ聴きたい。羽毛のように空(くう)をふわふわと舞い、知らず知らずのうちに心の襞へと入り込んでくる声は、女性の声であってほしい。そんなふうにダウランドの歌をとらえ、女声による歌をもと聴きたいと願っている聴き手なんて私だけなんだろうか?

     

     そもそも、女性歌手にとってダウランドは興味のない作曲家なのか?そう思ってYouTubeを検索してみると、意外にもたくさんの女性歌手が歌っている動画がUpされている。つまり、音盤上では女性歌手によるダウランドへの需要がないのかもしれない。そう言い聞かせながら、飢餓感に身をやつしている状況で先ごろリリースされたのが、ソプラノのグレース・ディヴィッドソンと、デイヴィッド・ミュラーのリュートによる「リュート歌曲集第1巻」。デイヴィッドソンにとっては少し前に発売されたヘンデルのアリア集に次いで、Signumレーベルから2枚目のリリースとなるアルバム。

     

     これまでの私の渇きを癒すという以上に、私にとって一番のお気に入りとなるに違いない、貴いダウランド・アルバムに出会えました。

     

     私はこういうダウランドが聴きたかったんだ!アルバム冒頭の「騒ぎ立つ思いよ」の、デイヴィッドソンの第一声を聴いた瞬間にそう叫びたくなりました。

     

     先ほど述べたようなダウランドの音楽に求める軽さと優しさ、そして、何よりも何の混じりけもないピュアな声に、まずフィジカルに魅せられてしまう。私の聴覚の受容体が、この声に触れて喜んでいる。そう感じてしまうほどに心地良い歌なのです。特に高音の伸びやかさは、前述の私の女神さまたちとも互角に張り合えるだけの魅力がある。この歌声なら長い時間聴き続けても苦痛じゃないし、毎日聴いても飽きないというくらいに耳に馴染みます。

     

     そして、彼女の、ダウランドの曲と、私という聴き手との距離感のとり方が心地良い。音楽にのめり込みすぎて表現過多になることも、逆に客観性や様式感を重視しすぎて無味乾燥な演奏をすることもない。聴き手に何かを伝えよう、あるいは教えようと意気込んだりもしなければ、ただ我が道を往くとばかり自分の殻に閉じこもることもない。

     

     狭くて親密な場でありつつ、互いのパーソナルスペースの中では個人が個人でいられる、そんな心地良い空間がそこにはある。あたたかくてピュアな歌声と、撥弦楽器とは思えない柔らかで肉感的な音色をもったリュートの響きが、その中に沁みわたっていく。

     

     もしもこんな歌を実際に聴けたらどんなに幸せだろうかと思います。実際、ダウランドの音楽もそんな環境の中で生まれ、歌われていたのではないかとも思えます。

     

     最近、古楽のファンの方々がカフェやレストランに集い、レクチャーコンサートのようなものを開いているようです。まさにそんな場でこそ聴きたい歌がここにあります。純粋に音楽として優れているという以上に、何よりも人と人、人と音楽とを、その距離を快適に保ちながら繋げる歌。そのことによって、人々の暮らしを豊かにあたたかくする音楽。リュートだけの曲では聴衆も一緒になって手拍子したり踊ったり、演奏家と聴衆の間で会話があったり、おいしい料理や飲み物がそこにあったり、そんな場でこそ是非味わってみたい音楽。没交渉で非社交的、友人も少ない私はそんな場には相応しくもないし、行きたいともあまり思わないのですが、こういうダウランドが聴けるなら是非参加してみたい。

     

     また、ディヴィッドソンと言わずとも、日本の古楽歌手で、リュートやバロックギターを伴奏に、小さな会場で歌うコンサートも増えてきました。もちろん、そうした場でも聴いてみたい。

     

     プロの評論家による「価値判断」の中で、デイヴィッドソンの歌がどのように受け止められるかは全然分かりません。

     

     端正で折り目正しく、どこにもはみ出しのない歌のスタイルは、時代考証的にも妥当だと思っています。力んだところのない自然で柔らかい発声法や、経済的かつ効果的なヴィブラートの使用、あるいは、詩の言葉に対する控えめながら的確な反応など、技術的にも高度なものではないかとも思う。

     

     でも、デイヴィッドソンのフラットでナローな歌はまるで「呟き」のようです。そのありようとしては、クラシックの古楽歌手というより、トラディショナルな音楽のシンガーに近いのかもしれない。彼女の重要なレパートリーであるマックル・リヒターの音楽のような、ポストクラシカルミュージックの延長として捉えることも可能かもしれない。そうなると、辛口の評価を受けることもあり得ます。

     

     しかし、そんなことは、とりあえずはどうでもいい。私自身は、素晴らしいダウランド・アルバムに出会えたこと、グレース・デイヴィッドソンという私好みのピュア・クリスタル・ヴォイスの持主であるソプラノ歌手に出会えたこと、それだけで十分に「名盤」です。

     

     是非とも彼女の歌をナマで聴いてみたいものです。特にダウランド。そして、このCDの続編が出ることを心から願ってやみません。

     

    ■デイヴィッドソンがサックスとの共演で歌ったダウランド

     

    ■マックス・リヒターを歌うデイヴィッドソン

     

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    2018.11.10 Saturday

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