薬師丸ひろ子に思う 2018年秋 (「エトワール」、Billboardライヴ、映画)

2018.11.04 Sunday

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    ・薬師丸ひろ子

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ・エトワール

     薬師丸ひろ子 (Victor Entertainment)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV/Victor)

     

     

     

     

     

     

    <<曲目>>

    1. エトワール
    2. まなざし
    3. 野の花
    4. ここからの夜明け
    5. 窓 ※NHK「みんなのうた」2018年4-5月放送
    6. こころにすむうた ※ NHK「ラジオ深夜便」 4~5月「深夜便のうた」
    7. 私の勝手に好きな人
    8. 明日が来る
    9. アナタノコトバ
    10. 今日がはじまるなら
    11. 愛しい人

     

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     今年の薬師丸ひろ子ファンは忙しい。

     

     何しろ、彼女のメディアへの露出と音楽活動が例年になく多いからです。2つのレギュラー番組に加え、映画、テレビ(ドラマ、音楽番組、バラエティ番組、CM)、ラジオ番組への出演、冬と秋に東京と大阪でコンサートを開催(例によって満員札止め)。大阪でのロックフェスティバルへの初参加も話題になりました。彼女の出演映画を特集した熊本の映画祭への登場、NHKの「みんなのうた」での新曲のオンエアもあった。そして、ディスクの分野では、2月のオーチャードホール公演の映像パッケージのリリースに続き、5月には待望の20年ぶりのオリジナルアルバム「エトワール」がリリース。

     

     その全部に接した訳ではないのですが、それでも、今年は彼女の活動をたっぷりと、ほぼフルコースで楽しめているという実感があります。足りないものがあるとすれば、舞台出演と、もう何年も出していない写真集(昔、「フォトメモワール」という素晴らしい写真集がありました)くらいでしょうか。

     

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     今年の彼女の活動のハイライトは何と言っても、ニューアルバム「エトワール」のリリースでしょう。何しろ20年ぶりのオリジナルアルバムです。カバーアルバムやライヴ盤も良いのですが、新曲で埋め尽くされたアルバムが出るのを、我々ファンはどれだけ待ったことでしょうか!

     

     

    ・エトワール

     薬師丸ひろ子 (Victor Entertainment)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV/Victor)

     

     

     

     

     

     

    「エトワール」は、ユニークなプロセスを経て作られたアルバムです。つまり、まず何人かの作曲家に薬師丸に歌わせたいメロディを書いてもらい、その中から彼女が歌いたいと思うものを選んで後から詞をつけたらしい。アルバム全体が、いわゆる「曲先(詞より曲が先にできること)」で、作曲と作詞が分業になっている曲が多い。これまでのように名の通ったシンガーソングライターに丸投げするというスタイルとは全然違うのが大きな特徴です。

     

     彼女に旋律を提供した作家陣の顔ぶれは、池田綾子、兼松衆、さかいゆう、高橋啓太、松本俊明という、薬師丸とは初めてコラボする人たち。作詞には高橋、さかいのほか、いしわたり淳司、松井五郎、そして脚本家の岡田惠和らベテランが参加、「エトワール」「アナタノコトバ」では薬師丸自身が作詞しています。編曲には兼松をメインとして、河野伸、坂本昌之、鈴木正人らが担当、演奏にはライヴでいつも共演する弦一徹のアンサンブルなどが参加。新しい顔ぶれと、お馴染みの人たちがバランスよく入り混じりながら音楽を作っています。アルバムのプロデュースは薬師丸ひろ子自身がおこなっているので、彼女の意志や意図が隅々にまで反映されたアルバムと言えます。


     「エトワール」は、なにか統一的なテーマに基づいて作られたコンセプトアルバムというわけではありません。その代わりに、多くのミュージシャンが共通して抱く薬師丸ひろ子のイメージが、眩しくも輝かしいポートレートとして描かれていると言えば良いでしょうか。

     

     彼女の高音の魅力を強く意識したメロディと、そこにつけられた前向きで力に満ちた言葉たち、そして、シンプルでありながらも広々とした空間を思わせるバックのサウンドが深く胸に響きます。

     

     特に、弦一徹を中心とするストリングのゴージャスな響きに包まれるような、スケールの大きな曲が多いのが目を引きます。中盤からスネアがボレロのリズムを叩き、大きなクライマックスを作る「ここからの夜明け」や、サビの部分で高くて強い声を要求するドラマティックな「アナタノコトバ」が代表例。また、ケルトミュージックなどのトラディショナルミュージックのテイストを取り入れたアレンジが魅力的な曲(「野の花」「愛しい人」)、70年代のシティポップやニューミュージック的な肌触りが懐かしい曲(「私の勝手に好きな人」)があり、3拍子や6拍子のリズムが心地良い歌も心に残ります。
     

     完全オートクチュールの曲たちを歌う薬師丸ひろ子の歌は、生き生きとしていて、透明で、あたたかく、優しい。一つ一つの言葉がはっきりと聴こえてきて、こちらの耳と心にすっと入り込んで来ます。彼女が歌手活動を本格的に再開してから約5年、その当初に比べ、歌のスケールも表現力も格段にアップしているのは間違いありません。そして何よりも、人生のすべてを受け容れて肯定するような、力強さに満ち満ちています。

     

     メディアに掲載されたインタビューによれば、彼女は「エトワール」の曲たちを、「人生の応援歌」として歌っているそうです。自分のコンサートを聴きに来てくれた特に同年代の人たちの姿を思い起こしながら、それぞれの人生を生きていくのを応援するような気持ちで歌っている、と。

     

     確かに、彼女の言う通りの聴き方は可能です。いや、そう聴くのが正しい、とも言える。でも、私の場合、この「エトワール」を、応援歌というより「人生の伴走歌」として聴いています。

     

     アップアップしながらゆっくり走る私の傍らで、彼女が私と同じスピード、同じ歩幅で走り、一緒になって障害物を乗り越え、雨風に耐えているような、あたたかい距離と、心強い連帯を感じさせる歌。もしかすると本当はもっと速く走れるところ、どんくさい私のペースに合わせてくれているのかもしれない。でも彼女の歌には、それをむしろ喜び楽しんでやってくれているような朗らかさが嬉しい。聴き手へのほとんど「無償の愛」のような慈悲のようなものがある。コンサートで、ファンへの「おもてなし」のように歌を大切に届けてくれる、あの彼女の姿を思い起こさずにはいられません。

     

     思えば、彼女のファンになって30年あまり。嬉しい時も、辛い時も、彼女の歌はいつも私の傍らにありました。でも、それらは単に憧れのアイドルの歌であるという以上に、私の「人生の伴走歌」であり続けてくれているのでした。今までは私の若さ、未熟さゆえに、そのことに気づけてはいませんでしたが、どうして私が彼女の歌にこれほどまでに惹かれ、大切に思っているのか、このアルバムを聴いてやっと分かりました。

     

     発売から半年余り、ことあるごとにこのアルバムを聴いては、「人生の伴走歌」とともに生きることの喜びをしみじみと噛みしめています。

     

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     ですから、彼女が先月4日にビルボード東京でおこなったライヴで、「エトワール」の中の曲を6曲(「エトワール」「窓」「私の勝手に好きな人」「アナタノコトバ」「今日がはじまるなら」「愛しい人」)も聴くことができたのは本当に幸せなことでした。

     

    ・薬師丸ひろ子 Premium Night 〜 エトワール 〜

     (2018.10.4 Billboard東京)
     

     

     前述のように高い音が頻発する曲が多く、例えば「私の勝手に好きな人」のように音が相当に跳ぶ曲もあり、どの曲もライヴで歌うのは難しいはず。薬師丸ひろ子がいくら歌が巧いといったって、これらの曲をライヴでミスなく歌うのは至難の業ではないかと、聴く前はちょっと心配でした。

     

     でも、フタを開けてみると、それはまったくの杞憂でした。当日、私は2ステージ聴きましたが、どちらも危なげなかった。いや、それどころか、リスクを恐れず、あのハイトーンたちから一切逃げずにむしろそこにパワーを集中させて、会場いっぱいに音楽を満たしていました。

     

     ありきたりの言葉を使ってしまえば、圧巻のステージと言うほかありませんでした。ときに、彼女のピンと張った高音がビリビリと会場を震わせ、その声がこちらに飛んでくるたび、客席シートの背に縛り付けられるような感覚を味わいました。特に「アナタノコトバ」と、アンコールのトリで歌った「愛しい人」。また、しみじみとした歌が会場の隅々まで沁みわたる時間を堪能することできました。もちろん、往年のヒット曲(「セーラー服と機関銃」「探偵物語」「メインテーマ」「Wの悲劇」「時代」)の素晴らしさは言うまでもありません。歌うたびにその世界が広がり、深まっている。懐メロなんていうのではなく、もはや古典と呼びたくなるほどの普遍性を手に入れた音楽と詞がそこにある。

     

    「エトワール」の肯定的な曲たちが、いまの彼女の「陽」を表現したものであるなら、これらのヒット曲は「陰」にあたるものなのかもしれません。「時代」以外は、曲がマイナー(短調)だからということもあるのでしょうが、どこかに不安を宿した翳りを孕んだ松本隆の詞、ユーミンや大瀧詠一らの曲の世界を、今の薬師丸ひろ子は、アイドル時代以上に陰影濃く、深く、豊かに表現している。

     

     正直言うと、「エトワール」を最初に聴いたとき、前述の「陽」の部分にたまらない魅力を感じつつも、もうちょっと「陰」の部分を聴きたいという気もしました。私は彼女のちょっと陰のある表情にたまらなく惹かれるからです。

     

     でも考えてみると、50歳過ぎた大人がネガティヴな歌を歌うのは、なかなか難しいことなのかもしれない。失恋の歌を歌えば、陰惨な不倫の結末とか、泥沼の離婚みたいな状況を想起させてしまうからです。あるいは、人生の切実な問題を歌おうとすれば、健康不安や、親の介護、定年などといった歌には不向きなテーマばかりが頭に浮かんでしまう。そんな歌を歌う薬師丸ひろ子の姿も見たいとは誰も思わないでしょう。だから、彼女の「陰」の部分は、かつてのヒット曲を聴かせてもらうので十分なのです。いつものように直立不動で「セーラー服と機関銃」を歌う彼女の姿にうっとり見惚れながら、そんな結論に到達しました。

     

     どの曲も良かったけれど、最後に歌った「愛しい人」の余韻が、ライヴから1か月経った今もはっきり残っています。あなたから受けた愛があるからこそ私は生きていける、という感謝の言葉が胸に迫る優しい歌です。私は思わず、亡母のことを思い出したり、家族の存在のありがたさを思ったりして、こみ上げてくるものをこらえるのが大変でした。アルバムを聴いていたときよりも、深く心にしみこんでくる歌で、一気に好きになりました。

     

     最近の彼女のライヴは本当にチケット入手が難しい(とにかくすぐ売り切れる)のですが、聴けて本当に良かったと心から思いました。

     

     今回のバンドは、ドラムが若い人に変わったということもあってか、全体に演奏の切れ味が前面に出て印象的でしたが、弦一徹のアンサンブルを中心とするバックバンドが、彼女の歌を手厚くサポートする演奏がとても素晴らしかった。

     

     客席も満員でした。年齢層は私と同じか高い人が多く、夫婦と思しき二人連れもたくさんいました。熱狂的なファンサークルのメンバーが集まっているらしき場所もあった。どう見てもクラブのホステスさんを同伴したおじさん、という訳アリっぽい人たちもいた。私と同じく一人で会場に来た人もたくさんいました。でも、みんな同じ時間と空間のなかで薬師丸ひろ子が歌う「人生の伴走歌」をしみじみと味わい、かつて同時代に共有した歌を懐かしんだ。

     

     終演後、熱烈な拍手とスタンディングオベーションを浴びる彼女は、手がちぎれるんじゃないかというくらいに大きく、ゆっくりと客席に手を振ってくれていました。客席を埋めた聴衆は、みんな彼女に歓声を挙げながら、手を振っていました。私はというと1ステージ目では、照れてしまって見ているだけでしたが、2ステージ目は気分も昂揚していたので、我慢できず年甲斐もなく手を振り返しました。正直、いい歳をしてとちょっと恥ずかしい気もしないでもありません。妻や娘たちにはとてもこんな姿は見せられない。でも、ああやってお互いに手を振り合って交流できる時間は、なんと幸福だったことでしょうか。

     

     また近いうちに、とMCで彼女自身が言ってくれた次のライヴ、今度はたぶん大きなホール(またオーチャードでしょうか)で開かれるのでしょうけれど、再び彼女と手を振り合えるのを楽しみにしています。

     

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     ビルボードでの幸せな一夜の後、彼女が出演した映画「コーヒーが冷めないうちに」を観ました。松重豊との夫婦役で、彼女は若年性認知症を患う女性を演じていました。

     

    ・映画「コーヒーが冷めないうちに」

     →詳細はコチラ(公式HP)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     私が見たとき、左右はほとんど全員女性だったのですが、薬師丸ひろ子のエピソードのときにはほぼ全員がハンカチを出して目を拭い、洟をすすっていました。

     

     このテの「泣いてください」という映画はとても苦手なのです。嫌いなのです。泣いてしまうから。これ見よがしなお涙頂戴をくだらないと切り捨てられず、恥も外聞もなく泣いている自分が悔しいのです。カッコ悪すぎる。でも、この映画に出ているのは薬師丸ひろ子です。グチョグチョの状態になっても悔しくなんかありません。いいのです、彼女の演技のためにならいくらでも喜んで涙を流します。

     

     特に、彼女のエピソードの最後、タイムトリップしてきた夫に投げかける複雑な笑顔と、彼女が手紙にしたためた最後の一言。無駄な抵抗はやめておこうと思いましたが、案の定ダメでした。いま思い出すだけでも、体温が上昇してしまいます。

     

     私の大好きなもう一人の女優さん、石田ゆり子も素晴らしかった。「ひよっこ」の記憶も新しい主演の有村架純も良かった。あの最後のエピソード、どうして泣かずにいられましょうか。そうでなくとも涙腺が衰弱しているのに。波瑠も、吉田羊も素晴らしい演技だった。でも、ファンの贔屓目に違いないけれど、やっぱり薬師丸ひろ子の演技、いや存在が一番印象に残りました。映画館の大きなスクリーンで彼女の姿を観るのはとても久しぶりのこと、ただただ嬉しかった。

     

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     ところで、「エトワール」の中で彼女自身が作詞した「アナタノコトバ」のサビはこんな詞です。

     

    争いのない世界なんてない

    それでも それでも それでも

    今日をよく生きよう

     

    「それでも生きる」は大学時代からの私の座右の銘でした。それは「夜と霧」のフランクルの言葉ではありません。私の大好きな指揮者エリアフ・インバルが来日して作曲家グスタフ・マーラーのシンポジウムに出演した折、そこでマーラーの音楽に込められたメッセージは「それでも生きる」なのだと発言したのを聞いて感銘を受けたのです。

     

     若い頃は、今からすれば笑ってしまうような些細なことでも悩み、苦しみ、悲しみを感じながら日々を過ごしていました。勿論、楽しいこと、嬉しいこと、心躍るようなこともたくさんありました。でも、いつもつまずきながら生傷をたやさずに生きていたという実感の方が強いのです。でも、そんな苦境にあっても生きるのだ、生きねばならないのだと自ら鼓舞するようなインバルの言葉に出会い、まさしく電撃的な感銘を受けたのです。

     

     薬師丸ひろ子が「それでも生きる」と歌っている。しかも、繰り返し繰り返し、強い表現をもって歌い上げている。私はただそのことだけで、激しく揺さぶられてしまいました。私が「よく生きる」ことができるかはとりあえず置いておいて、ですが。

     

     この言葉に対して、私の大好きなシンガーソングライターの池田綾子さんが、ふるいつきたくなるようないいメロディをつけています。最初は長くて上向する音型で、次には短く下向し、最後にはまた上向して念を押して「それでも」と畳みかけ、最後に「今日をよく生きよう」という強い理想と意志に満ちた解決にたどりつく。気高いとさえ言いたくなるような歌になっています。

     

     この歌を聴いていると、私は彼女に言いたくなるのです。あなたが「それでも生きる」と歌うとき、「私にはあなたの歌がある。人生の伴走歌がある。だから生きられる」と思えるのです、と。

     

     人が「それでも生きる」という言葉を吐かずにいられないのは、目の前にある現実には辛くて哀しいものがたくさんあるからに違いありません。生きる拠りどころとしていたものに裏切られ、生きる理由も分からなくなってしまうこともある。そんなとき、「それでも生きて」いさえすれば、いつかは厳しい現実をひっくり返すことができると希望をもっている方が良いのは間違いありません。でも、現実をいつもそんなふうに捉えて生きるのは、実にしんどいことです。それがたとえ刹那のものであったとしても、「だから生きる」と言いたくなるようなことも、ほんの少しだけでもいいからあってほしいと思うのが人情のはずです。

     

     私にとっては、その「だから生きる」と言える一つの根拠が、薬師丸ひろ子の歌なのです。これまでも、そして、これからもずっと。生きる理由を自分の外部に求める危険を知りつつも、自分が生きることの理由となる「愛の対象」があることの幸せを噛みしめながら、薬師丸ひろ子の歌を聴き続けていきたいと思います。

     

     余談。

     

     今の彼女の活動で足りないものが一つあるのを書き忘れていました。それは、彼女を主演とする映画、ドラマです。それも恋愛もの。脚本家の岡田恵和が、彼女をゲストに迎えたラジオ番組で「オレが脚本を書く」と仰っていました。春日大社でのライヴ盤に封入された井上陽水との対談でも、彼女が主演の映画が作られないのは日本の文化の未成熟だと彼は憤慨していました。きっと多くの心あるクリエイターの方々が、彼女をメインに据えた物語を世に問いたいと願っているに違いありません。ファンとしても、それが現実のものになる日を心待ちにしています。

     

     もうひとつ余談。

     

     その岡田恵和氏のラジオ番組で知ったのですが、「エトワール」の作詞作業に入るとき、薬師丸自身が旋律をラララと歌った音源が作詞家に配布されたのだそうです。これに詞をつけてください、と。

     

     その音源、ほしい!と思いました。

     

     私は、「セーラー服と機関銃」「元気を出して」「夢で逢えたら」などで聴く彼女の「ララララ〜」というヴォカリーズを聴くと、鳥肌が立ちます。それは、脳髄に響く歌声だと思っています。

     

     そもそも、彼女の歌を聴いていると、私はいつも「あ段」の音の発音の美しさに心を奪われるのです。それを知ってか知らずか、彼女のヒット曲の歌い出しやサビの頭は「あ段」の音で始まることが多い。ですから「ララララ〜」と彼女が旋律だけを歌うのを聴くと、もうメロメロに融けてしまいます。

     

     もちろん、彼女の歌の魅力は、一つ一つの言葉を心に届けてくれることにあります(岡田氏も「薬師丸さんの歌は言葉がちゃんと伝わる」と言っていました)。でも、その根底には、この人を惹きつけてやまない「あ段」の歌声の魅惑があると勝手に思っています。だから、「エトワール」の曲たちを彼女が「ララララ」と歌っているバージョンがあるのなら、お金を出してでも聴きたい。喉から手が出るくらいにその音源が欲しい。ですから、岡田氏のラジオ番組を聴いたとき、エトワールの初回限定盤、各曲のインストゥルメンタルじゃなくて、彼女の「ララララ」バージョンのディスクをつけてほしかった、と残念で残念で寝込んでしまいました。というのは冗談ですけど。どうでもいい話。

     

     

     

     

     

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    2024.02.28 Wednesday

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      コメント
      少し投稿させて頂きます。
      アルバム「エトワール」について書かれているのは、
      少ない。私も曲が先というのは知っていたが、製作
      プロセスいろいろ参考になりました。
      ただ、プロデースが薬師丸さんとは、そう思いま
      した。大したものです。音楽の才能がある。
      どれもいい曲です。どれもいい詞です。
      ビルボードでは、内6曲歌われたのですね。
      2月のコンサートで「セーラー服〜」の「ラララ〜」
      が、すごく長いですね。
      新ドラマ岡田恵和さんならいいですね。期待します。
      • by Haruki
      • 2019/02/01 3:09 AM
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