【演奏会 感想】バンジャマン・アラール チェンバロ&オルガン・リサイタル (2018.12.8 武蔵野市民文化会館)

2018.12.09 Sunday

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    ・バンジャマン・アラール リサイタル

     (2018.12.8 武蔵野市民文化会館小ホール)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    <<曲目>>

    第1部 チェンバロ
    J.S.バッハ:ソナタ ニ短調 BWV 964
    J.S.バッハ:ラルゴとスピッカート ニ短調 (ヴィヴァルディからの編曲) BWV 596
    J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV 971
    第2部 オルガン
    J.S.バッハ:協奏曲 イ短調 BWV593
    J.S.バッハ:コレッリの主題によるフーガ 変ロ短調 BWV 579    
    J.S.バッハ:トリオソナタ 第4番 ホ短調 BWV 528
    J.S.バッハ:プレリュード、トリオとフーガ BWV 545b
    (アンコール)

    J.S.バッハ:幻想曲 BWV 571

    J.S.バッハ:フーガ ト長調 BWV 577

     

     

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     三鷹駅を降り、コンサート会場の武蔵野市民文化会館へ向かう途中、腹が減っては戦はできぬと、コンビニに寄っておにぎりを買いました。

     

     選んだのはその名も「悪魔のおにぎり」。10月に発売され、12月には1000万個以上売り上げたという人気商品だと後で知りましたが、そのネーミングセンスと、パッケージの斬新さに惹かれてまっすぐに手が伸びました。

     

     

     ホールに着いてロビーで食べてみると、確かに「悪魔のおにぎり」でした。「白だしで炊いた米に、天かす、青のり、天つゆを混ぜた」というその味には中毒性がある。「とにかく食べれば分かる」と言いたくなるくらい、旨い。

     

     まんまと商売上手の術中に嵌ったと思いつつも、ああもう一個買えば良かったと後悔しましたが、腹が膨れて眠くなってもいけないしと諦め、かねてから実演を聴きたいと願ってきたチェンバロ・オルガン奏者バンジャマン・アラールのリサイタルの開演を待ちました。

     

     定刻から数分して会場が暗転し、アラールが舞台の下手から現れました。初めて実物で見る彼は、映像や写真で見ていたよりずっと背が高くて痩身、ジャコメッティの彫刻のような姿をした人でした。グーグルのような最先端の企業で働くスーパーエンジニアのような知的な雰囲気を醸し出してもいる。いつからか髭を生やしているのだけれど不潔感は皆無で、娘たちから無精髭が汚いと毎日罵声を浴びている私とは大違い。彼はちょっと首を前に出してやや猫背気味に、そしてなぜか左手だけを前後に小さく振ってのそのそと歩き、舞台中央にあるチェンバロの前に座りました。

     

     彼が今回のリサイタルの曲目に選んだのはすべてJ.S.バッハの作品で、前半ではチェンバロ、後半ではオルガンを弾きました。前半の曲目は、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番をチェンバロ用に編曲したソナタBWV 964、ヴィヴァルディの曲を編曲したラルゴとスピッカートBWV 596と、イタリア協奏曲。後半は、楽器をオルガンに替えての協奏曲BWV593、コレッリの主題によるフーガBWV 579から続けてトリオ・ソナタ第4番BWV 528、そしてプレリュード、トリオとフーガBWV 545bというもの。

     

     自作や他人の作品からの編曲や引用作品を交え、ソナタ、協奏曲、トリオ・ソナタ、フーガ、プレリュードとフーガ(トリオつき)などヴァラエティに富んだ形式の音楽を横断的に取り上げているのが実にマニアックで面白いところ。バッハの全鍵盤曲を録音するプロジェクトの第1弾として発売されたCD(ハルモニア・ムンディ)も、二つの楽器による演奏が交互に聴ける構成になっているので、それを実演で再現しているような感があります。

     

     使用楽器は、どちらも武蔵野市民の備え付けのものでしょうか。チェンバロが2000年のヤン・カルスビークによるミートケのレプリカ。恐らくケーテン時代のバッハが使っていたと言われる2段鍵盤のジャーマン・タイプの楽器で、少し前にベザイデンホウトが来日公演でも使用したのと同じタイプ。そして、オルガンはお馴染みのマルクッセン&ソンの楽器。

     

     アラールの演奏は、コンサートの前に食べたおにぎり同様、「悪魔の味」でした。とにかく彼の演奏はこれまで聴いてきたCDのすべてでもそうですが、病みつきになる美味しさがあります。

     

     彼は、対位法を駆使した技巧的な曲であろうと、オペラアリアのような歌謡的な旋律をもった曲であろうと、ゆとりのある中庸のテンポのなかで、常に呼吸を忘れないたしかなフレージングを聴かせます。リズムもさほどエッジを立たせないし、ロックのような興奮を煽るアグレッシヴな演奏を目指してもいない。鍵盤を移動するときにも、瞬間芸と言って良いほどにまったく隙間を作らずに、音楽の流れを一瞬たりとも停滞させない。

     

     そんな彼の演奏は、チェンバロにせよ、オルガンにせよ、相当に高度な技術と、洗練されたセンスに裏づけられた高度なものであるはずなのに、楽器の奏法やテクニックとか、バッハはこのように演奏すべしというような解釈といった「方法論」は、ほとんど、というか、まったく感じさせません。二つの楽器を縦横無尽に弾きこなし、バッハの音楽のスタイルを完全に自分のものにしてしまった人の演奏と言えます。そして、教条主義的な威圧感とか、どうだ俺はすげえだろみたいな自己顕示ともまったく無関係で、ただただやわらかでしなやかな音楽が「自生」しているようなナチュラルさがあって心地良い。そこが、素晴らしく美味なのです。

     

     その音楽の温度感に言い知れぬ幸福を感じて浸っていると、かつて樋口隆一氏がレコ芸の月評で、マズアとゲヴァントハウスのベートーヴェンの再録音について、「冬の間、貯蔵したジャガイモを毎日食べている人たちの音楽」と評していたのを思い出しました。アラールのバッハは、それとは正反対の音楽。「いつの季節も、あたたかな陽射しをたっぷりと浴びて育った彩り豊かな野菜を食べている人たちの音楽」とでも評せば良いのかもしれない。採れたての新鮮な野菜をふんだんに使った料理を、陽光注ぐテラスで親しい人たちと楽しむ、といった場面を想起させる音楽。これがどうして病みつきにならずにいられましょうか。

     

     思えば、今回のリサイタルのプログラムには、バッハがイタリアの大作曲家ヴィヴァルディとコレルリの音楽に触発されて書いた音楽が含まれています。イタリアやフランスの流行の最先端のスタイルに強い関心をもち、それを自分のものとして貪欲に消化したバッハですが、彼は見たこともない異国へのあこがれをいつも心に抱いていたに違いない。一方、フランス生まれのアラールは、バッハの視線の先にあった土地の文化をバックグラウンドにして生まれた人です。彼の微笑みとあたたかさに満ちた美味なる演奏を作曲者が聴いたら、「おお、そこの若いの、ワシはまさにそういう音楽を書きたかったんや!」と大喜びしたんじゃないでしょうか(関西弁を喋ったとは思えませんが)。

     

     どの曲もアラールの演奏を堪能しましたが、特にトリでオルガンで演奏した「プレリュード、トリオとフーガ」は忘れ難い。楽器の特性やストップの選択の仕方もあるでしょうが、聳え立つような峻厳さよりも、すべてを柔らかく大きく包み込むような抱擁力と、満ち足りた心持ちで人生を肯定するようなおおらかさが際立っていました。もし人生の最後にこんなに幸せな音楽を聴くことできれば、自分の人生が終わって無に帰してしまうことでさえも、大きな幸福と捉えることができるかもしれないとさえ思えます。冒頭のソナタやイタリア協奏曲も同じことが言えます。前者の、偏愛してやまないアンダンテも原曲とは違う味わいに酔いましたし、後者の両端楽章の愉悦と、第2楽章でのリュートオルガン的な音色の美しさは夢見心地で聴きました。

     

     コンサートを通じて、アラールは、バッハという音楽家が、「音楽の父」として私たちを高いところから見下ろす偉い存在ではなく、まず何よりも日常の暮らしから生まれる感情や思考の機微を音で表現した「人間」であることを感じさせてくれました。確かにもっと違う観点からバッハの音楽を捉え、演奏したり聴いたりすることも可能でしょうし、彼の行き方がベストなのかも分かりません。でも、私は彼の描くバッハ像を好み、愛しています。

     

     演奏とは直接関係ないのですが、アラールのステージマナーもとても気持ちの良いものでした。別に愛想がいい訳でもないし、スターらしい華麗な振る舞いがあったということもありません。ただ、彼が後半のオルガンパートで、1曲演奏し終わると真っ先に譜めくりの女性に軽く会釈をして労をねぎらっていたのが、とても気に入ったのです。相手が女性だったからなのかは分かりませんが、素朴にいい場面だなと思いました。

     

     アラールの演奏をCDで初めて聴いてからまだ10年にも満たないところですが、ようやく実演が聴けて、しかもこんなに素晴らしい演奏を聴けて心底幸せでした。実演、CDともにまた機会を見つけてアラールの演奏を聴き続けていきたいです。

     

     いや、というよりも、実際のところは、バッハの音楽を聴くことのできる喜びと幸福をしみじみと感じたというのが一番大きいでしょうか。もちろん、そんなふうに感じられたのはアラールの演奏が素晴らしかったからに違いないのですが、それにつけてもバッハの音楽の尽きせぬ魅力と、私の人生にもたらしてくれるものの豊かさを思うと、彼という作曲家がこの地上に舞い降りて作品を残してくれたことにただただ感謝せずにはいられません。

     

     中国のことわざに、「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい」というのがあります。釣りにはあまり関心のない私の場合は、バッハの音楽があれば、永遠に幸せなのかもしれないとさえ思います。

     

     今日のリサイタルは、NHKが収録していました。テレビでは来年(2019年)2月11日にBSクラシック倶楽部で放映されるそうです。全曲放送してほしいという夢は叶いそうにありませんが、それでもこの幸せいっぱいなバッハに映像で出会えることを心から望みます。そして、またアラールの「悪魔のバッハ」を堪能することを楽しみにしています。

     

     ところで、最後に一つ、演奏会のマナー的なことを。あんまり細かいことを言うのは気が引けるのですが、ちょっと言いたいことがあります。

     

     今日の後半のプログラム、コレッリの主題によるフーガと、トリオ・ソナタ第4番は、アラールはどう見ても続けて演奏しようとしていました。フーガが終わる直前、譜めくりの女性が次の曲(つまりトリオ・ソナタ)の楽譜を開いて準備していたし、彼自身もフーガを弾き終わった途端、完全に動きを止めていました。

     

     しかし、その瞬間のことでした。客席からは二人分くらいの拍手が聞こえてきました。

     

     演奏者が明らかにアタッカで演奏するために神経を集中して準備しているときに、なぜそれを無視してまで拍手できるのだろうかと、不思議に思えてなりませんでした。アラールは、他の曲でも、楽器を弾き始める前に物音がすれば、いったん手を下ろして完全な静寂が訪れるのをじっと待っていました。そんな細やかな神経の持ち主の演奏家なのですから、あそこでの拍手はちょっと辛かったんじゃないかと想像します。

     

     コンサートで客席と舞台との濃密なコミュニケーションを生むためには、空気を読めとまでは言いませんが、まず聴き手が演奏者の意図に敬意をもって接するべきではないかと思うのですが。その理屈で言えば、演奏が終わった瞬間にこれ見よがしに客席を振り返ったら、響きが消えてなくても拍手やブラボーをしてもいいと思っています。

     

     かと言って、「拍手は演奏家の一挙手一投足に注意してお願いします」などとアナウンスする訳にもいかず。どうにかならないものでしょうかねえ・・・。

     

    【アラールのCD感想】

     以前書いた感想のエントリーですが、今回書いたのとあんまり変わり映えしてなくて、成長してないなと痛感。

     

    J.S.バッハ/パルティータ全曲 〜 バンジャマン・アラール(Cemb)

    【ディスク 感想】J.S.バッハ/鍵盤練習曲集第2巻 (イタリア協奏曲、フランス風序曲) バンジャマン・アラール(Cemb)

     

     アラールの目下の最新盤は、ハルモニア・ムンディから出ているバッハの全鍵盤楽器曲集の第1弾。感想は書いてませんが、バッハの最初期の音楽を、バッハが手本にした大作曲家(ブクステフーデやベームなど)の作品と並べ、声付きのコラールなども含めて、実に魅力的に演奏しています。3枚分を退屈せずに一気に聴けてしまいます。これもまた、悪魔のバッハです。


    ・J.S.バッハ/鍵盤楽器のための作品全集 第1集〜若き継承者

     バンジャマン・アラール(オルガン、チェンバロ)(HMF)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    【アラールの動画】

    ・名古屋でのリサイタルのリハーサルで撮影したもの

     

    ・ジャン・ロンドー、ベアトリス・マルタンとの共演

     

    ・オルガンで弾いたゴルドベルク(一部)

     

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    2020.03.19 Thursday

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