【ディスク 感想】春に寄す〜グリーグ作品集 〜 イリーナ・メジューエワ(P)

2018.12.17 Monday

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    ・春に寄す〜グリーグ作品集

     イリーナ・メジューエワ(P) (若林工房)

     →詳細はコチラ(Tower/HMV)

     

     

     

     

     

    <<曲目>>

    ・抒情小曲集(16曲)
     (1)アリエッタ 作品12-1
     (2)メロディ 作品38-3
     (3)ワルツ 作品38-7
     (4)子守歌 作品38-1
     (5)蝶々 作品43-1
     (6)春に寄す 作品43-6
     (7)民謡 作品12-5
     (8)愛の歌 作品43-5
     (9)ハリング 作品47-4
     (10)夜想曲 作品54-4
     (11)郷愁 作品57-6
     (12)夢想 作品62-5
     (13)トロルドハウゲンの婚礼の日 作品65-6
     (14)あなたのそばに 作品68-3
     (15)小妖精 作品71-3
     (16)ゆりかごの歌 作品68-5

     

    ・自作歌曲のトランスクリプション(5曲)
     初めての出逢い 作品52-2
     詩人の心(海の永遠の動きをあなたは知らない) 作品52-3
     ソルヴェイグの歌 作品52-4
     愛 作品52-5
     君を愛す 作品41-3

     

    ――

     

     

     

     イリーナ・メジューエワが18年ぶりに再録音したグリーグの作品集を聴きました。今回は、抒情小曲集からのセレクション(16曲)に加え、グリーグの自作歌曲からのトランスクリプションが5曲という選曲。今年6月、いつものように新川文化ホールでレコーディングされたものです。

     

     メジューエワの弾くグリーグから、私は「勁さ(つよさ)=たるむことなく強くまっすぐに張っているさま」という言葉を連想しました。

     

     それは、同じグリーグの曲集の音盤でも、彼女の偉大な先達であるリヒテルやギレリスが残した名盤や、彼女の旧盤からは感じたことものとはどこか違うものでした。ピアノの瞬間の音色の中にも、音と音の時間的な繋がりの中にも、どこかピンと張り詰めたような「力」を感じるのです。

     

     グリーグのピアノ曲の演奏というと、その優しさや親密さ、あるいは繊細さに表現することに主眼を置き、そうした「力」を背後に押しやるものが多いと思います。しかし、今回のメジューエワの演奏を聴いていると、グリーグの音楽はただ柔らかいだけのものではなく、表面的にも、内面的にも十分に手ごたえのある「硬度」をもっていて、実はそこに彼の音楽の本当の魅力があると感じます。

     

     それは冒頭の抒情小品集の「アリエッタ」から「子守歌」「夜想曲」「ゆりかごの歌」といったリリカルで優しい耳触りの音楽でも、「トロルドハウゲンの婚礼の日」のようなダイナミックな曲でも、あるいは、「ソルヴェイグの歌」「初めての出逢い」「君を愛す」などの歌曲からの編曲でもそうでした。

     

     グリーグの音楽の「勁さ」の背後に、私は「厳しさ」を見出さずにいられません。その「厳しさ」は、ノルウェーという国の「冬」に由来するのかもしれないし、森やフィヨルドなど「自然」に由来するのかもしれない。あるいはその他のものに由来するのかも。でも、私にはそうした人間の外部にある森羅万象以上に、グリーグという作曲家の内面を占めていたであろう「孤独」が生み出した「厳しさ」であるように思えます。

     

     特に「アリエッタ」「夜想曲」といった曲で聴くことのできる、すべてが透明に結晶化した響きと歌からは、身を切るような人間の孤独な肉声を感じずにはいられない。

     

     でも、それは絶望的な孤独ではありません。

     

     音と音は垂直、水平にもきれいに「分離」されていて、それらは星のように距離的にぽつねんと離散している。聴き手である私の耳は、調性やフォルムといった音楽の構成原理から「万有引力」のようなものを見出して、それによって音同士の繋がりを見つけ出す。そして、星と星をいくつも結びつけ、星座のようなひとつのイメージや物語を生んでいく。

     

     メジューエワが描き出してくれたグリーグの音楽は、人間の内面に広がる星空のようなものとして、私の中で像を結んでいるのだと思います。その凛とした気品をもった音楽は、絶対零度の宇宙の孤独を思わせる、とてもひんやりとした感触をもったものですが、私という聴き手にとっては、むしろそれだからこそ心にあたたかなぬくもりを与えてくれます。孤独を抱えた人間それぞれは孤絶した淋しい存在だけれど、それだからこそ、人間同士は孤独でつながることもできる。厳しい宇宙の中でも、互いの体温だけであたため合うことができる、というような。

     

     これこそ、グリーグに限らず、私が音楽に求めているものです。こうした感慨を強い実感を伴って抱くことのできる音楽を、私は聴きたいし、探し求めている。私と音楽との関わりの最も根源にあるものが何なのかを、こうして示してくれるメジューエワのグリーグを、私はこれからもずっと聴き続けていくだろうと確信します。

     

     振り返ってみると、今年もイリーナ・メジューエワのCDをいくつも聴くことができました。

     

    ・ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第30〜32番

    ・リスト/「巡礼の年」第1年「スイス」

    ・日本デビュー20周年記念リサイタル2017〜18(4枚組)

    ・J.S.バッハ/平均律クラヴィーア曲集第2巻(2枚組)

    ・ドビュッシー/映像、仮面、版画

    ・春に寄す〜グリーグ作品集

     

     ピアニストにとって最も重要なレパートリーを立て続けに取り上げるだけでも大変なことなのに、そのどれもがそれらの曲の正統的で、かつ、強く印象に残る演奏になっているところが、もはや空恐ろしいくらいに凄いことだと思います。しかも、そのどれもが専門家からもファンからも高い評価を受けている。それもまた凄いことです。

     

     最近のメジューエワは、ヴィンテージ・ピアノを弾く機会が増えたこともあってか、どんな曲でも、より多彩でイマジネーション豊かな音色をピアノから引き出していて、ピアニスティックな観点からも聴きどころ満載の演奏を繰り広げています。もちろん、今までの演奏だってそうだったには違いありませんが、ピアノという楽器の性能を最大限に生かした演奏でありながら、同時に、むしろ機械としての楽器を使いこなしているという感がより希薄になっている。

     

     メジューエワの音楽家としての関心は、ピアノをどう弾くかということ以上に、その音楽から何を汲み取り、何を表現するのかということに重心が移っているはずです。何しろ最近彼女が取り上げている曲たちは、ピアノを弾きこなす技術を磨いただけではどうにも歯が立たないであろう音楽であり、その「What」への「問い」が演奏家の内部で明確なものとして立てられていなければ、演奏する意義さえない。何よりも、「問い」を立てること自体が最も重要な作業になるはずなのです。

     

     楽譜を深く研究し、十分に弾き込んだ音楽から改めて「問い」を見出し「答え」を模索する、そんな姿勢を常に持ち続けるのはほんとうに難しいはずです。彼女が演奏に際して目の前にいつも楽譜を置くのも、きっと自らの中でその「問い」を間違いなく立ちのぼらせるためのある種のルーチンなのかもしれません。

     

     さて、来年はメジューエワの演奏、どんなものを聴けるのでしょうか。今年は結局一度も実演を聴けなかったので、是非彼女の演奏会に足を運びたいと思います(名古屋ではベートーヴェン・チクルスが始まるとのこと、首都圏でも是非開催してほしいものです)。そして、これからもずっとメジューエワの演奏をできるだけ聴き、彼女が音楽と自身に投げかけたであろう「問い」の存在を感じとり、それを通して、私自身がパーソナルな「問い」、しかも良質な「問い」を立てられれば幸せだなと思います。

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    2019.01.14 Monday

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