【映画 感想】「家へ帰ろう」(2017 スペイン・アルゼンチン)

2019.01.20 Sunday

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    ・映画「家へ帰ろう」(2017 スペイン・アルゼンチン合作)

     パブロ・ソラルス監督、ミゲル・アンヘル・ソラ主演

     →詳細はコチラ(公式HP)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


     

     昨年末、スペイン・アルゼンチン合作映画「家へ帰ろう」(2017)を見ました。パブロ・ソラルス監督、ミゲル・アンヘル・ソラ主演。2018年にいくつか観た中でも、「万引き家族」と並んで、特に心に残る映画でした。

     

     あらすじを大まかに記しておきます。

     

     主人公はブエノスアイレスに住むユダヤ人の仕立屋アブラハム。88歳を迎えて施設に入ることになるが、その前夜、彼は祖国ポーランドへ帰ることを決意する。終戦時、ナチスの収容所から逃れてきたところを救ってくれた友人に、自分が仕立てた最後のスーツを届けるという約束を果たすために。

     

     空路マドリードに着き、列車でパリを経由しさらにドイツを通って故郷を目指す。途上、かつて絶縁した娘、宿の女主人、駅で出会ったドイツ人歴史学者らに助けられつつ波乱の旅を続けるが、因縁のドイツを通過する車中で彼は倒れてしまう。一命をとりとめ、70年以上ぶりに祖国の地を踏んだ彼は、病院の看護婦に車椅子を押してもらい、懐かしい親友の家へと向かう。

     

     映画の語り口は淡々としたもので、全体に、静かなタッチの味わい深い映画といえます。歳を重ねた老人の帰郷にまつわるロードムービー、あるいは、「終活」映画としても見ることができる。ストーリーの背景は、会話や回想シーンから徐々に明らかになりますが、波乱の旅につれてそれらの断片すべてが一つの方向に合流し、観客が共感を高めたところで、客席の99.99%の人が望むであろう好ましいラストシーンが訪れる。

     

     要するに、「よくできた、いい映画」なのだろうと思います。でも、この映画が私の心を揺さぶったものは何だろうかと考えて、いくつかのキーワードに思い至りました。

     

     和解、肯定、そして女性。

     

    「和解」とは、アブラハムと長く絶縁状態にあった娘、そしてホロコーストの生き残りである彼と、その加害者であるドイツとの和解。厳密に言えば、「相互理解への意志」というのが正確かもしれない。

     

     まず、娘との和解。

     

     マドリードに着いて持ち金をすべて盗まれたアブラハムは、その街に住む娘を訪れます。彼女とはほんの些細なことで長く絶縁状態になっていたのですが、彼は自分の非を認めて謝罪し、事情を説明してポーランドへ帰るための資金援助を求める。娘は父を赦し、応える。

     

     そこでアブラハムが目にしたのは、娘の腕に刻まれた刺青でした。彼女はアブラハムがナチの収容所で彫られた番号を刻み込み、父親が若き日に受けた苦しみを追体験することで、父の心を理解しようとしていたのでした(実際、そうやって前の世代の苦しみを体感しようとする若者は、欧米では結構いるらしい)。

     

     アブラハムは、一緒に生活していた子供たちと違い、彼女がまるで「リア王」のコーディーリアのように自分への愛を示してくれていたことを初めて知ります。世代間の断絶を埋めようとする彼女の「相互理解への意志」が父親に伝わり、「和解」を生んだという訳です。

     

     しかし、ドイツとの和解は、そう単純にはいかない。

     

     アブラハムは、パリの駅で、ドイツを通らずポーランドへ行ける切符を求めますが、言葉が通じず押し問答になる。そこに通りがかったドイツ人の女性イングリッドが通訳を買って出ますが、鉄道を使う限り、ドイツを経由せずにポーランドへ行くことはできなかった。やむなく彼は予定通りの電車に乗ります。

     

     その車内で、彼はイングリッドと再会します。彼女はヘブライ語も話せる文化人類学者で、彼にドイツ人としてホロコーストの「責任」を感じていると伝え、彼の旅の手助けをしようとする。乗り換えでドイツの地を踏まねばならなくなったときも、彼女はアブラハムの傍で彼を支える。加害者の国に生まれた彼女のユダヤ人との相互理解への努力に打たれ、アブラハムはほんの少しだけ「和解」へと歩み寄る。

     

     でも、アブラハムはドイツと完全に「和解」できた訳ではありません。列車の中でドイツ人の言動に触れた途端、戦争の記憶がフラッシュバックし、意識を失ってしまうのです。戦争の直接の加害者と被害者が互いに向き合って「和解」することはいかに難しいか。

     

     その歩みはたとえ小さくとも、アブラハムとイングリッドは相互理解への意志を互いに示し、ほんの少しだけ「和解」へと近づいている。そのさまが私には美しいもの、いや、人間として当然こうあるべきものとして目に映りました。

     

     同時に、人が生きていく上では、相互理解と同様に、相互間の「肯定」が必要なのだと感じました。相互理解は、常に他者の存在への肯定が出発点になっていなければならない。

     

     ラスト近く、ポーランドの看護婦ゴーシャが、退院したアブラハムを車椅子でその故郷へ連れて行ったとき、絶望しかけた彼に「あなたは約束を果たすためにここへやって来た。あなたは素晴らしい人よ」と勇気づけます。そして、その言葉からあのラストシーンへと繋がる。

     

     彼女の一言に私も打たれました。あなたという存在は、ただ生きているだけで素晴らしい、それを否定するものは何もないのだ。人はそんな肯定の言葉を得て生きる勇気を得られるし、他者と共存できる。私自身の身に引き寄せて考えてもそうです。

     

     このことは、一対一の人間関係にとどまらず、国家間の関係でもまったく同じことが言えます。まずは互いの存在を尊重し、歴史や文化を肯定するところからすべてが始まる。でも、国家間の相互理解への意志が途切れ、ひとたび加害者と被害者の関係になってしまえば、それを修復するのは並大抵のことではありません。列車の中で倒れたアブラハムのように、残酷な記憶は一生残り、人を苦しめ続けるから。だからこそ、人格を否定し、その存在を脅かすようなことがあってはならないのだと強く感じました。

     

     最後のキーワード「女性」とは、アブラハムが旅の途上で出会う宿の女主人、ドイツ人の文化人類学者、そしてポーランドの看護婦の三人を指します。彼女らは、アブラハムの荒んだ心をよみがえらせ、「和解」「肯定」への扉を開く存在なのです。

     

     映画でその役割を果たすのが、女性であらねばならない理由はない。でも、私は、女性でなければならないと思う。ただ「絵になる」からというだけでなく、年老いたアブラハムを抱きしめると存在しては、象徴的に聖母マリアのような包容力、母性をもった女性である方がいい。

     

     ゲーテの「ファウスト」の結末には、「永遠にして女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ」という台詞があります。その言葉の通り、破壊と殺戮に明け暮れた時代を支配していたのが「男性的なるもの」なのだとすれば、いまだ破壊と殺戮をやめられない世界を救うことができるのは、「女性的なるもの」しかないのではないか。そう感じたのです。

     

     三人の中では、ドイツの文化人類学者イングリッドの振る舞いに惹かれました。私たち日本人も、彼女と同様「戦争加害者の子孫」としての立場を負っているからです。被害者の存在を肯定してその文化や歴史を尊重し、自国の加害責任を認めた上で相互理解への努力をひたすら続ける。その作業ができて初めて、私たちは自らの誇りを持ち、「戦争被害者の子孫」として世界に言葉を発することもできる。彼女の美しい姿を見ながら、私はそのことを痛感しました。

     

     最後に出てきてアブラハムを「肯定」する看護婦ゴーシャの存在も素晴らしい。医療従事者として人の怪我や病気を治すだけでなく、その人が「生きる」ことを人間として支えている。その姿が美しい。

     

     マドリードの宿の女主人ゴンザレスは、一見とっつきにくいけれど、話をしてみれば人の心の機微を知る人として描かれていました。彼女がいるからこそ、アブラハムは娘と和解ができた訳だし、彼が旅を続ける希望を持つことができた。

     

     というように、88歳の老人がたどった最後の旅を描いた映画という以上に、「女性的なるもの」に導かれた和解と肯定、それが、私にとってのこの映画の「核心」であると感じています。言い方を変えれば、この世界は「女性的なるもの」によってしか地球は救われない。それを結論としてしまってもいい。

     

     映画の登場人物を演じた役者さんの演技はどれも素晴らしい。

     

     主人公のアブラハムを演じたミゲル・アンヘラ・ソラは、ホロコーストを生き抜いたユダヤ人の複雑な心情を、淡々と、味わい深く演じていました。まるで彼のためにアテ書きされたのではと思うくらいに、彼自身がアブラハムであるかのような自然な演技。時折見せる子供のような純真な表情もいい。

     

     女性たちの中では、イングリッド役のユリア・ベアホルトに猛烈に惹かれました。視線の高さを相手と同じにして、じっと相手の目を見ながら、柔らかく話す表情に射抜かれてしまいました。

     

     ネットで彼女のことを調べると、政治的な発言や行動を展開していることを知りました。表現者が政治や社会に「物申す」ことがまるで良くないことのようにされているどこかの国とはえらい違い。音楽活動もやっているようで、俄然彼女に興味が出てきました。追っかけます。

     

     ゴーシャを演じるオルガ・ポラズの演技もいい。病院での清楚な佇まいから、アブラハムを車で故郷へと連れて行くとき、まるで別人のように妖艶な女性になっていてドキッとしました。絶妙のキャスティングじゃないでしょうか。

     

     ゴンザレス役のアンヘラ・モレーナは、アブラハムのヨーロッパの旅の方向を定めるという難しい役回りだと思うのですが、肩の力の抜けた振る舞いが美しい。

     

     全体に、どの俳優さんも、一部の邦画やTVドラマのように、キレず、怒鳴らず、テンパらず、常に最良の意味で「ゆとり」を持って演技をしていることに魅力を感じました。

     

     音楽はあんまり印象がないのですが、無闇やたらと濫用せず、うるさくないのがいい。

     

     今、私たちは、国家間レベルで、一度ひびの入った「和解」「肯定」を取り戻すことの難しさを、特に隣国との関係を通して痛感しています。徴用工問題や、自衛隊機へのレーダー照射の問題。これが拗れているのは、経済的、国際法的に解決済み案件だとしても、戦争で日本が韓国に対して何をやったかを無視して考えることはできない。この映画とは直接関係のないことかもしれませんが、映画の孕む普遍的なメッセージから我が身に照らし合わせて考えるべきことはいくらでもあると思います。

     

     年末から年明けを経ても、まだまだロードショーが続いているのも、そうした映画のメッセージが多くの人の心を打ち、口コミでそれらが広がっているからなのでしょう。かく言う私も、友人がFacebookで感想を書いていたのに興味を持ってみましたし。これからも全国でロードショーされて、多くの人たちの共感を生む「名画」となるのではないでしょうか。

     

    ■予告編

     

    ■ユリア・ベアホルト

     

     

    ちょっと若い頃の写真でしょうか。私の贔屓の徳永えりにちょっと似ているような。

     

    ■オルガ・ポラズ

     

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    2019.12.04 Wednesday

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