【演奏会 感想】アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィル 第914回サントリー定期 (2019.01.23 サントリーホール)

2019.01.24 Thursday

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    ・アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィル 第914回サントリー定期

     (2019.01.23 サントリーホール)

     

     

     

     

     

     

     

     

     


     

    <曲目>>

    ・デュカス/交響詩『魔法使いの弟子』
    ・ザンドナーイ/『白雪姫』
    ・リムスキー=コルサコフ/交響組曲『シェエラザード』

     

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     アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルのサントリー定期を聴きました。

     

     今回の演奏会のテーマは「おとぎ話」。デュカの「魔法使いの弟子」、ザンドナーイの「白雪姫」、そしてリムスキー=コルサコフの「シェラザード」が取り上げられました。

     

     バッティストーニが振る「シェラザード」が聴きたくて足を運んだ演奏会でした。この曲は、絶対に彼の音楽的指向とマッチしていると確信していたからです。

     

    「シェラザード」と言えば、言うまでもなく、千夜一夜物語に由来する標題音楽。ドラマティックな展開あり、美しい旋律あり、ゴージャスで色彩豊かなオーケストレーションあり、最上の意味での音楽エンターテインメントです。そんな曲を、彼ならケレン味たっぷりに振って楽しませてくれるのではないかという予感があったのです。

     

     果たして、私の予想は当たりました。バッティストーニは中庸のほどよいテンポで音楽を進め、オーケストラからエスプレッシーヴォなカンタービレと、パッション溢れる響きを引き出して、リムスキー=コルサコフが描いた音の絵巻をカラフルに彩っていました。

     

     しかし、それだけで終わる訳がない。時折、往年の巨匠かというくらいに、思わぬところでのけぞるほどにテンポを伸縮させ、大胆かつ濃厚な表現をつけるので、一瞬たりとも退屈している暇がないのです。予想通りに予想を裏切られたというべきでしょうか。

     

     例えば、第2楽章「カレンダー王子の物語」冒頭のファゴット・ソロの自由なルバート。時に音量もテンポもぐっと落として大きな間合いをとり、次のフレーズを巻き戻して始めるのですが、そのたびに何とも言えない寂寥感が醸し出される。

     

     その後、ピチカートの上で奏でられるクラリネットやファゴットのアドリブ的なソロも、大きくテンポを揺さぶって自由に歌わせていたのが印象的でした。そこでバッティストーニはオケの奏者の自由にある程度は任せているように見えますが、きちんと外枠を作るという指揮者の責任はきちんと果たしていた。だからこそ、プレイヤーはのびのびと自己主張して演奏することができる。

     

     また、同じ楽章の最後、ホルンやフルートが淋しげに冒頭の主題を再現するあたりの表現も良かった。決して神経質にはならないのだけれど、消え入るような弱音でしみじみと歌わせているので、まるで何かに後ろ髪を引かれるような思いで、大草原をただ一人歩いているような孤独を味わえました。例えば往年のチェリビダッケなんかもそうですが、このスペクタクルが強調されがちな「シェラザード」から、このように人生の悲哀がこめられたような深遠な表現をする指揮者がいるのは興味深いことです。

     

     第3楽章の「若い王子と王女」のこぼれんばかりの豊かさをたたえた、瑞々しい弦のカンタービレ、弾力性のあるリズムも印象的でした。時折、バッティストーニが抑えた内向的な音を要求する場面があって、オケもそれに応えて充実した音色を出していました。とかく熱血漢ぶりがクローズアップされがちなバッティストーニですが、このところの彼の音楽の味わいの深まり具合はまさしく半端ないと感じました。私自身、この曲では一番好きな楽章なので、彼らの歌心に満ちた演奏こそは、個人的には当夜のハイライトでした。

     

     第1楽章の悠然と波打つ大海原の表現、第4楽章の祭りから嵐、そして船の難破へと至るドラマの語り口の鮮やかさは、さすがオペラ指揮者です。特に過激な表現はありませんでしたが、後者のクライマックスでの大きな盛り上がりはやはり劇場感覚を強く持った人だなと強く実感します。

     

     オケも絶好調。三浦章宏のソロ・ヴァイオリンを筆頭に、管楽器のソロはどれも素晴らしかった(特にクラリネット、ホルン)し、全体のオケのマスの音はとても充実している。私がかつて自分でもオーケストラに入りたいと思ったのは、こういう音の中に身を置いてみたいと考えていたからなのだということを思い出しました。もちろん、アマチュアの私はそんな音は自分でも出せてないし、そんな響きの中に身を置いたこともないのですけれど。

     

     この雄弁極まりない「シェラザード」において、バッティストーニはもちろんオーケストラを率いる指揮者として振る舞っていますが、それ以上に、ドラマのナレーターのような役割を担っているように思いました。そう、まるで、先日亡くなった市原悦子の「まんが日本昔ばなし」みたい。自分で何役分かのセリフを騙りながら、しかも語り手となって物語を進行することもある。しかもそれが表情豊かで間合いも絶妙、めちゃくちゃに面白い。バッティストーニは、音楽を通して聴衆に何かを語りかけるストーリーテラーとしての能力の高い人なのだと改めて思いました。

     

     ただ、部分部分の表現の面白さが際立つ反面、彼がオペラで聴かせてくれる息の長いドラマのうねりは、少し稀薄だったかなという気はします。恐らく、あと二回の本番でそのへんを練り上げて、もっと彫りの深い演奏へと到達するのでしょう。

     

     コンサート冒頭の、起伏に富んだ「魔法使いの弟子」も面白かったし、日頃ほとんど聴くことのないザンドナーイも、秘曲と出会えることの喜びを満喫しました。特に後者、さほど強烈な印象を与えてくれる曲とはいいがたいのですが、ウィンドマシンーンが登場するなど、意匠に富んだ管弦楽法は一級品でした。こういう我々にはなじみの薄い音楽を紹介してくれるのは、大変喜ばしいことです。これからも続けて頂きたい。

     

     今回、私は初めてP席からバッティストーニの指揮姿を真正面から見て聴きました。その姿はテレビでよく知っているつもりでしたが、やはり指揮ぶりの実物を見ると、顔芸といってよいほどの大きな表情の変化が面白い。大振りは相変わらずなのですが、以前よりも無駄がなくなったような気がしますし、難所ではきちんと細かく振っていたりして、彼の職人としてのたしかな腕前を感じました。

     

     また、彼の危機管理能力の高さの一端も垣間見ました。「シェラザード」で一箇所、トロンボーンが1小節早く飛び出したとき、ほんの僅かなアクションと唸り声、仕草だけで、事態を収束させたのです。その俊敏で的確な対応に感心してしまいました。大晦日のTVコンサートのカウントダウン企画で、まさかの15秒ロングトーンをやり遂げた彼の面目躍如と言ったところでしょうか。

     

     充実した愉しい時間を過ごしました。

     

     最後に余談。

     

     ポスト真実時代におとぎ話を聴くというのは、なかなか考えさせられる機会でもありました。音楽とは全く関係ないのですが、「魔法使いの弟子」を聴いていると、なぜかメディアプロデューサーとして「現代の魔法使い」と呼ばれている売れっ子学者さんの姿を思い起こしてしまいました。あるいは、「シェラザード」では、「トリクルダウン」とか「三本の矢」とか、「史上最高」という言葉などでゴテゴテと飾られた「アベノミクス」なんてものも、結局はおとぎ話にしか過ぎないんじゃないかと思えてきました。

     

     おとぎ話には必ず教訓があるのだそうです。時には残酷なものもあれば、時に微笑ましいものもある。であるならば、フェイクニュースに翻弄されながら生きている私たちは、今回の三曲から何を学ぶべきなのでしょうか。

     

     ところで、今回、「シェラザード」の時は、舞台上にはたくさんのマイクが立てられていました。管楽器は各奏者に一本というくらい。録音されたのであれば、是非聴きたいものです。

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    2019.05.08 Wednesday

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