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2019.08.15 Thursday

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    【ディスク 感想】おはこ 〜 柴田淳

    2019.07.30 Tuesday

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      ・おはこ 〜 柴田淳

       →詳細はコチラ(Tower/HMV)
       

      <収録曲>
      1. 魅せられて / ジュディ・オング (1979年)
      2. 夢芝居 / 梅沢富美男 (1982年)
      3. つぐない / テレサ・テン (1984年)
      4. メモリーグラス / 堀江淳 (1981年)
      5. 恋 / 松山千春 (1980年)
      6. あずさ2号 / 狩人 (1977年)
      7. 石狩挽歌 / 北原ミレイ (1975年)
      8. シルエット・ロマンス / 大橋純子 (1981年)
      9. 遠くへ行きたい / ジェリー藤尾 (1962年)
      10. ラブ・イズ・オーヴァー / 欧陽菲菲 (1980年)
      11. 黄昏のビギン / 水原弘 (1959年)

       

      ---

       この間、シンガーソングライターの柴田淳が夢に出てきました。

       

       麗しい女性を薄汚れた中年オヤジの夢に登場させてしまって申し訳ない限りですが、私はなぜか彼女と「老後二千万円問題」について熱く議論を交わしていました。具体的に何を話したかまでは覚えていないのですが、彼女と深い共感を抱きながら話せた嬉しさが、リアルな感覚として残っていて、最近には珍しく心地良い目覚めを体験しました。

       

       でも、せっかく柴田淳が夢に現れてくれたのだから、彼女と音楽の話をしたかった。それがファンとしての偽らざる本音です。

       

       例えば、昨年秋に出たオリジナル・アルバム「ブライニクル」がとても気に入っていること。音と言葉が完全にシンクロして刺さる瞬間がたくさんあるし、彼女の声もキラキラと輝いている。「あなたが泣いてしまう時は」「嘆きの丘」は名曲だ、と。

       

       そして、今年の二月末、NHKホールで彼女のライヴを初めて聴いて心の底から感動したことも。「ブライニクル」からの曲を中心に彼女の曲と声を堪能し、いくつかの曲で思わず感極まってしまったこと。隣の席にいた見知らぬ女性も、時折ハンカチで目を拭っていたこと。バックバンドの演奏も素晴らしく、いい歳をした大人たちが寄ってたかって「いい音楽」をやっている姿が痺れるほどカッコ良いと思ったこと。翌日に大きな仕事の締め切りを迎えてプレッシャーで折れそうになっていたところ、彼女の歌に勇気づけられて何とか乗り切れたこと、等々。こっちはいい歳をして、こんな小学生程度のことしか言えないのが悔しいのですが。

       

       彼女と夢の中で話したかったこと、もう一つあります。それは、昨秋、「ブライニクル」発売前後にネットに掲載されたインタビューにあった彼女の言葉についてです。

       

      今回はもう自分の好きなタイプの曲を、好きなように作ってみようと思って。そうしたらね、全部が火サス(火曜サスペンス劇場)のエンディングに流れるような、マイナー系のバラードになっちゃって(笑)。

       

      ──あははは(笑)。柴田さんの得意なテイストではありますからね。

       

      そう。やっぱりこういうのが好きなんだなって自分でも思いました。

       

      柴田淳「ブライニクル」インタビュー|苦難の果てに取り戻した”自分の声” 音楽ナタリー

      https://natalie.mu/music/pp/shibatajun05

       

       この「火サスのエンディング」という言葉ですが、以前、私は彼女のアルバム「あなたと見た夢 君のいない朝」の感想を、拙ブログでこんなふうに書いていました

       

      以前は、彼女のドラマティックな展開を持ったバラードを聴いていると「うーん、いい曲だけど、火サスのエンディング・テーマ風だなあ。」と感じることがない訳じゃなかったのですが、

       

      【ディスク 感想】「あなたと見た夢 君のいない朝」〜 柴田淳

      http://nailsweet.jugem.jp/?eid=1006#sequel

       

       二時間ドラマのラスト。断崖絶壁の危機一髪のシーンで殺人犯が分かって事件の全容が明らかになり、犯人はブタ箱行き、標的となっていた人は助かって穏やか日々が戻ってくる、そして主役の船越英一郎や片平なぎさは次の事件へと向かう。BGMは、壮大なストリングスをバックにしたバラード。確かに柴田淳の曲の中には、そんな場面にもってこいのものがいくつもあります。

       

       ただ、ドラマの方向性に引っ張られ、「感動の押し売り」的で、パターン化した音楽を彼女が量産するようになったら、ちょっと嫌だなと思ったのです。彼女にシンガーソングライター界の相田みつを的な位置には行ってほしくない。柴田淳の前掲のインタビューにある「幕の内弁当」的に多彩な音楽を収めたアルバムが聴きたい。そう思ったのでした。

       

       この「あなたと見た夢 君のいない朝」のブログ、実は書いた直後に、ご本人が読んでツイッターでコメントを残してくれました。彼女はそのことを忘れているでしょうけれど、私の文章はややネガティブな意味合いを持たせて書いたものなので、もしかするとこれが彼女の中のどこかで引っかかっていたんじゃないだろうかと心配になってしまいました。

       

       私は自分の率直な感想を書いただけなので、彼女に忖度する必要はないのです。むしろ、私が彼女のいくつかの歌に対して抱いていたイメージは、彼女自身の中にも多少はあるものなのだと安心しています。ですが、この文章を書いた後で、私は気づいてしまったのです。「あなたと見た夢 君のいない朝」以降のアルバムをリアルタイムで聴き、それ以前の作品まで遡って彼女の歌を聴き続けるうち、私の方こそ、彼女の「火サスのエンディング・テーマ」的なバラードが好きなんだと。これからどんなに作風が変わっても、「火サス風」の曲を作って歌い続けてほしいと思うくらいに。だから、以前ブログであんなふうに書いてごめんなさいと夢の中でいいから伝えたかった。

       

       また彼女が夢に出てきてくれないかとモヤモヤしているうち、彼女の7年ぶりのカバーアルバム第二弾「おはこ」がリリースされました。もちろん、発売前日に店頭でフライングゲットしました。

       

       前回の「COVER 70‘s」はタイトル通り70年代の曲を集めたアルバムでしたが、今回は80年代の曲を中心としたラインナップ。「魅せられて」「夢芝居」「つぐない」「メモリーグラス」「恋」「あずさ2号」「石狩挽歌」「シルエット・ロマンス」「遠くへ行きたい(これだけ60年代の曲)」「ラブ・イズ・オーヴァー」「黄昏のビギン」。思わず「懐かしい」という言葉が口をついて出てしまう曲ばかり。

       

       女性シンガーの曲がほとんどの前作とは異なり、今回は男性歌手の曲もいくつかあります(「メモリーグラス」「恋」「あずさ2号」は歌の主体は女性ですが)。「あずさ2号」のようにデュエット曲を多重録音したものがあるのも目新しい。そして、今回もアレンジはコピーと言っていいほどにオリジナルを意識したもので、柴田淳は70〜80年代の歌の世界に完全に没入して歌っています。歌謡曲やニューミュージックの歌姫やコテコテの演歌歌手になりきり、様々な女性の「なりすまし」となって歌う、そのプロセス自体を楽しんでいる。それが歌からストレートに伝わってきて嬉しい。

       

       でも、その歌の中心にいるのは、誰がどこからどうみても「柴田淳」です。ら行、た行の子音や、母音の独特の発声。フレーズ頭での聴き手の心をくすぐらずにいらない声の捩らせ方。ほんのちょっとした節回し。ビートからほんの僅かずらしてから戻すあたりの間合いのとり方。そして伸ばした声のヴィブラートのかけ方。そのどれもが一聴して「あ、柴田淳」と瞬時に判別できる。絶対に聴き間違えようがない個性的な歌です。柴田淳にとっての「歌」とは、シンガーとしても、ソングライターとしても、どこまでも「自己表現」なんだなと、当たり前のことをしみじみ思いました。

       

       しかし、「自己表現」なんていうのは、誰だってやろうと思えばいつでもできることです。

       

       先日、とある場で「ぬり絵」に挑戦した時のことを思い出しました。小学生の頃以来、何十年ぶりかの作業は楽しく、時間が経つのを忘れて没頭しました。いつも私は会社でこんなに集中して働いているだろうかというくらいに。

       

       その絵は、紛れもない私の「自己表現」でした。色の選択から何からそれはすべて私の内側から出てきたものです。できた絵が、私という人間の考えや価値観の何を表現しているのか、後付けですが言葉で説明することは可能でした。しかし、その「自己表現」としての私の絵は、とても他人からの「鑑賞」や「評価」に耐えるものではありません。私を知らない人が、この絵を見て感動するはずもない。理由は簡単、下手クソだからです。しかも、そこで表現されているものは私にとっては切実なものではあっても、単なる凡人の取るに足らない小市民的な世界でしかない。

       

       その点、柴田淳の歌は、私だけでなく多くの聴き手の心をとらえて離さないものでありながら、自作であれ、他人のカバーであれ、究極的には彼女の自己表現をとことん追求したものなのです。プロですから自分のことなんて表現しません、ただ聴き手を熱狂、興奮させることが私の仕事です、なんていうような分別臭いことは言わない。しかも、受け手自身の内面をも表現しているかのように思わせ、時にその人生にまで影響を与えてしまうような「普遍」にまで高めた歌を世に送り出している。それこそが彼女の歌の魅力なんだと思います。

       

       少し前、とあるトークショーのゲストとして登場した山田ズーニーさんが、何かの質問に答えて「自分が一番書きたいものは、自分が書きたくないもののすぐそばにある」と言っていました。まさにそれを歌を通して実践しているのが、この柴田淳というシンガーソングライターなんじゃないでしょうか。表現者としての自分のすべてをさらけ出して歌うから、受け止められる人が受け止めてくれればいい。だから、自分を飾って良い人ぶったり、昨今のJ-POPのナンバーのようなポジティブ教のお経のような歌を歌ったりなんて決してしない。「日本一暗い歌手」だなんて言われても気にせず、自分の表現を貫く。全曲が他人の曲で構成されたカバーアルバムでさえ、そんなありようを感じさせる柴田淳の矜持に、私はひどく打たれました。

       

       どの曲も繰り返して聴きたくなる「名唱」揃いですが、一番グッときたのはテレサ・テンの「つぐない」でした。どんなフレーズ、どんな言葉からも切実な「痛み」が滲み出てきてたまらなく切ない。

       

       この曲では道ならぬ恋の終わりを告げた女の傷心が歌われていると思うのですが、自分からさよならを告げるのだけれど、私のことは忘れないでと願う複雑な心、女性の別離と孤独を選んだからこその愛の深さを、細かいニュアンスを大切にして歌いあげていく柴田淳の歌は、オリジナル以上に胸に響きます。このしっくり感は、彼女はテレサ・テンの歌が好きで、「つぐない」をずっと歌い続けていることから来るのでしょうか。胸に沁みる魅力をたたえた歌に参ってしまいました。本人出演のカラオケ映像みたいなPVを作ってほしい。スーツケースを置いたホテルの一室で佇む柴田淳の姿がソフトフォーカスで映し出される。彼女は、水割りの入ったグラスを片手に、頬杖をついて涙する、みたいな・・・。

       

       松山千春の「恋」もいい。愛に疲れて別れを決意しながらも、何度も何度も「それでも」という言葉を呟き、恋に落ちてしまった自分を否定しきれない悔しさを確認する、そんな心の動きを抑えた調子でしっとり歌うさまはまさに「大人の歌」。

       

       でも、やはりこの曲は、男の目線で想像した女心の表現なんだろうと思います。その意味では、アルバム発売直後にお台場で開いたミニライヴで歌った彼女の「愛をする人」という歌は、「恋」のアンサーソング、あるいはアンチテーゼとして、なかなか味わい深い「対」をなしているようです。それは徹底的に女性の目線から女心を表現した曲ですが、サビでは「恋」と同様に「それでも」という言葉が重ねて歌われます。しかし、その先がちょっと違う。思いが相手に届かなくてもそれでも愛してしまうのが女なんだとやや自嘲・自虐気味に柴田は歌う。

       

       どちらが正しいか、ではなく、どちらも正しいのだと思います。今の時代、恋愛を語るときに男だ女だと性別を云々するのも有意義なこととも思えませんが、松山の歌が「男の中にある女性性」から生まれたものなら、柴田淳の歌は「女のなかにある女性性」を燃えたぎらせたものと言って良いのでしょうか。そう考えると、「愛をする人」は、それにつけても思うのは、恋愛にまつわる人間の心模様は、その組み合わせの数だけあるのだということ。もうそんな色っぽいものとは完全に縁を切ってしまった私が言うのも何なのですが。

       

       堀江淳の「メモリーグラス」は、ヒット当時、堀江のなよっとした歌い方のせいもあって、男が女の気持ちを代弁して歌うことへの反発があったのを覚えていますが、彼女が歌うと全然違和感がない。むしろ、柴田淳の曲の歌詞と相通ずるものがあぅて、これもまた彼女の音楽的原点にある曲なんじゃないかとさえ思う。特に「あいつなんか あいつなんか」というセクエンツの苦しげな歌いくちがたまらなく蠱惑的。私のこれまでの人生で、私のことを「あいつなんか飲み干してやるわ」と思った女性なんて一人もいないでしょうから、その気持ちはこれっぽっちも理解できませんけれど。

       

       今回のアルバムで意外だったのは、「夢芝居」や「石狩挽歌」「あずさ2号」の彼女のハマりっぷり。そのサビで聴かせる声の張り方はサマになっています。笑ってしまうくらいにベタな伴奏(特に「石狩挽歌」のイントロのトランペットのソロ)に導かれ、演歌歌手に転向しても大成功するんじゃないかというくらいに(できれば転向しないでほしいですが)、ベタベタの演歌を実に気持ちよさそうに歌い上げています。

       

       サビで、ここぞというキメの部分でほんの一瞬だけ溜めを作り、ちぎって投げるかのように声を放って見得を切る、そんな仕草が痺れるほどにカッコいい。彼女の自作の歌にはどこかある種のダンディズムを目指したようなところがあると思いますが、その根っこにはこういう歌舞伎的、新劇的な身振りがあるのかもしれません。もっと言えば、彼女の「火サスのエンディング・テーマ」的な曲にも、それが隠し味的に散りばめられている気がします。

       

       原曲の熱海の秘宝館的な淫靡さはないけれど色っぽい「魅せられて」、聴く前からこれは絶対に合うという期待に見事にこたえてくれた「シルエット・ロマンス」も良かった。ストリングスのゴージャスな響きに包まれ、儚げな声で遠い目つきで歌う「黄昏のビギン」も素敵(これはオリジナルに寄せて歌っているように思います)。柴田淳に背中を叩いて励まされているような気がする力強い「ラブ・イズ・オーヴァー」。

       

       ともかく、前回のアルバムも気に入って散々聴いてきましたが、今回の「おはこ」も愛聴盤の仲間入りをしそうです。次回作はオリジナル・アルバムになるのでしょうか。また彼女の新しい曲が聴けるのを楽しみにしています。

       

       そしてカバーアルバムが三たび作れられることがあるなら、もうちょっと古い歌、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」や弘田三枝子の「人形の家」、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」、由紀さおりの「手紙」あたりが聴きたい。八代亜紀の「舟歌」もいいかもしれない。ちあきなおみと美空ひばりの曲は、歌手へのリスペクトが強すぎて歌えないとのことでしたが、今回は前者の「黄昏のビギン」が入っているので、今度は後者の「一本の鉛筆」が聴きたい。希望や妄想はどんどん広がっていきます。さて、今度はどんな「自己表現」を聴かせてくれるでしょうか。楽しみです。

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