【動画 感想】ベートーヴェン/交響曲第9番「合唱」 〜 バーンスタイン/チェコ・フィル (1990.6.2 プラハ)

2020.08.03 Monday

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    ・ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調Op.125「合唱」

     ルチア・ポップ(S) ウテ・トレケル=ブルクハルト(A)

     ヴィエスワフ・オフマン’T) セルゲイ・コプチャク(Br)

     プラハ・フィルハーモニー合唱団

     レナード・バーンスタイン指揮チェコ・フィル

     (1990.6.2 スメタナ・ホール 「プラハの春」国際音楽祭閉幕演奏会)

     

     

     

     

     

     

     
     

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    「プラハの春」国際音楽祭の公式HPで、1990年6月2日の閉幕演奏会、レナード・バーンスタイン指揮チェコ・フィルによるベートーヴェンの「第9」の映像記録が、期間限定で公開されています。今年の音楽祭がコロナ騒ぎで中止(無観客のコンサートはいくつか開かれたようですが)されたため、とっておきのアーカイヴ映像を蔵出ししたということのようです。

     

     

     該当の演奏会は、バーンスタインが、ビロード革命成就を祝って、44年ぶりにチェコを訪れて開かれたもの。彼が前年のクリスマスにベルリンの壁崩壊を記念して同曲を指揮した際の興奮が冷めやらぬ中、世界じゅうから熱い注目を集めました。

     

     私は、バーンスタインの熱烈なファンとして、コレクター的な意味でも、あるいは、1989〜90年の熱い時代の記録に触れたいという意味でも、この映像を見たいとずっと願ってきました。チェコ・フィルの創立100周年記念のドキュメンタリー番組で一部が使用されていたし、音では複数の音源を通して聴いたことがあるのですが、一度も機会を得ることはできませんでした。

     

     ただ、見るのは怖くもあった。何しろ、バーンスタインが亡くなる僅か4か月前の記録でもあるからです。不治の病を押して彼が生前最後に「第9」を指揮したときの映像を、そして、あの最後の来日の1か月前の記録を、平静を保って視聴できる自信がなかったのです。

     

     でも、長年の念願が叶って見ることができるようになった以上、見ない訳にはいかない。心の準備をして、じっくり視聴させてもらいました。

     

     音だけで聴いていたときの印象の通り、それは異様な演奏でした。とにかくテンポが重い。のしのしと、ちっとも前に進まない。演奏時間は前年のベルリンの第9とほぼ同じ(第3楽章の演奏時間はむしろ短いくらい)なのですが、それ以上に停滞・弛緩した瞬間が多々ある。実質初顔合わせとなるオケは、彼の独特の指揮ぶりには慣れておらず、随所で戸惑いを見せていて、アンサンブルも手探り状態になっている(特に第1楽章)。これを巨匠の風格をもった重量級の演奏と聴くことは難しい。

     

     映像で彼の指揮姿を見ると、明らかに体調が悪そうです。確かに、第2楽章のトリオや第4楽章のコーダではロックンローラーのようなステップを踏み、時折、指揮台上でジャンプさえしてもいる。それらは数多くの映像でお馴染みの指揮ぶりですが、大粒の汗をかき、時に苦悶の表情を浮かべて必死に棒を振る彼の姿は、あの二回の東京公演の記憶とオーバーラップして、見ていて辛くなったりもする。

     

     そのような過酷な状況でおこなわれた演奏に対して、その出来がどうとか、ベートーヴェンの「第9」の解釈としてどうかとか、そういう観点からの評価はほぼ不可能です。評論家的な言葉を借りれば、(私と同様かそれ以上の)熱烈ファン以外には、歴史的資料としての価値以外のものを見いだすのは難しいかもしれません。

     

     でも、それでも、私はこの音楽に打たれずにはいられませんでした。感動したと言っていい。それはお前がバーンスタインの盲目的なファンだからだろうと言われればそれまでなのですが、彼が80年代に入ってからしばしば聴かせてくれるようになった、深い「祈り」の音楽がそこにあるからです。

     

     特に第3楽章。バーンスタインは、いつもの通り、交互に現れるアダージョとアンダンテの変奏で明確にテンポを変えていますが、アダージョの部分はほとんど止まりそうなスローテンポになっています。

     

     彼は、すべての音符を、音価ぎりぎりまで余すところなく歌い尽くしてくれ!と懇願するような表情や仕草で、オケからエスプレッシーヴォなカンタービレを引き出す。物理的なテンポや音量では測れない「何か」が気配として音に立ち現れると、彼はまだ足りない、これ以上は行けないというくらいに深くへ!とばかりに、音楽をさらなる沈潜へと導いていく。

     

     そんな官能的とさえ言えるコミュニケーション・プロセスを経て生まれる音楽は、ほとんど宗教儀式のような厳粛さ(ファンでない聴き手には怪しさ、かもしれない)を帯び、もはや音楽という範疇を超えた「祈り」へと転化しています。そう、1985年のイスラエル・フィルとの来日公演でのあのマーラーの9番の大阪公演で、彼を「まるで司祭のようだった」と評した吉田秀和の有名な新聞評の言葉そのままの場面を、ここでも目の当たりにすることができるのです。あるいは、この直後に札幌で指揮したシューマンの交響曲第2番の第3楽章や、東京公演で聴いたベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章を挙げても良いでしょうか。

     

     勿論、ここでもバーンスタインの体調が万全でないのは明らかですし、オケが超スローテンポを支え切れているとは言えませんが、それでもバーンスタインの「祈り」をこそ愛してやまない私にとっては、何よりもかけがえのない音楽です。

     

     オケの献身的な演奏も感動的で、第3ホルン奏者のために書かれた印象的なソロを、第1奏者を務める名手ズデニェク・ティルシャルが吹き、時折感極まったような音を聴かせているのも心に残りますし、チェコ・フィルの弦の柔らかい響きや、古雅な管楽器の音色もいい。

     

     続く第4楽章も、30分近くを要する「巨大」な音楽。同時に、異様なほどに膨張し、弛緩した音楽であり、指揮者の体調を思わずにいられない痛々しい音楽でもあります。

     

     しかし、第3楽章で述べた「祈り」は随所で聴くことができます。特に、トルコ風マーチから「歓喜の歌」再現の後、「幾百万の人々よ、抱き合え」と合唱が歌うところ。もしかしたら永遠に手に入れることはできないかもしれない、でもだからこそ追い求めずにはいられない理想、憧れへと近づきたいという渇望が聴こえてくるようです。そして、コーダへ至る過程で音楽する喜びをすべての人々と共有したい、分かち合いたい、合一したいという願望は、祈りへと昇華していく。演奏の表層のあれやこれを飛び越えて、揺さぶられずにはいられません。

     

     これは果たしてバーンスタインが本当に望んだ音楽だったのか、頭の中ではもっと違う音楽が鳴り響いていたのか、私には当然分かりません。実際、この演奏の後、いつもなら人でごった返す彼の楽屋は閉じられていたそうで、消耗が激しかっただけでなく、演奏の出来に満足していなかった可能性も否定できません。演奏後のにこやかな笑顔も、聴衆の前では最後まで「レニー」であろうとした彼の精一杯のサービスだったのでしょう。

     

     でも、私は、完成度や出来はともかくとして、この演奏は、バーンスタイン自身が追求する音楽をしっかりと刻み込んだものだと思います。

     

     例えば、楽譜の扱い。第1楽章の第374小節目で大きなアゴーギグを見せたり、第2楽章の最後にティンパニを追加したりするのはベルリンでの演奏と同じですが、第4楽章の「神の前に vor Gott!」の合唱とオケのロングトーンで、ティンパニをディミヌエンドなしで叩かせているのが目を引きます。ベルリンの「第9」では、慣例通りティンパニだけ音量を下げていたし、それまでの演奏では(1970年のタングルウッドでの演奏も含め)同じ。つまりこのプラハで初めて実践したことになる。彼が同じ年に残した他の演奏同様、最後まで研究と実践をやめなかった音楽家の姿をここに見ることができます。

     

     また、彼の最後のロングインタビューでは、1989年、ウィーン・フィルとボンで第7番を演奏した折、従来よりもテンポを遅くとったところ大きな発見があったと述べています。この(時折フルトヴェングラーを想起させる)巨大な音楽は、彼が新しい境地に達したところから生まれたものなのと言えるでしょう。

     

     そして、様々な新しい取り組みを見せる一方で、彼が生涯変えることのなかった信念もまた、この演奏の随所で容易に見てとれます。

     

     ベルリンでの演奏では、“Freude(歓喜)”を”Freiheit(自由)“に替えて歌わせたことで大きな話題となりましたが、ここではオリジナル通り。その”Freude“という言葉は、”Bruder(兄弟)”とともに、この「第9」の最重要のキーワードだとバーンスタインは述べていました。そのコメントの通り、「歓喜の歌」の“Bruder”という言葉でアクセントを強調しているのは明瞭に聴き取れますが、そこでは彼の指揮ぶりが映っていない。その代わりに、合唱団のメンバーが首を大きく振って強く歌っているのが見てとれます。

     

     ただ、面白いのは、そのアクセントは柔らかくて、穏やか。こうしたところに、ビロード革命を成就したチェコの人たちの優しい心性が現れていて、バーンスタインはそれを愛しながら指揮したのではないかと、つい妄想してしまいます。

     

     というようなことを映像で見出していくうち、バーンスタインはベートーヴェンの書いた音符の向こう側に何を見ていたのだろうか、そのスローテンポはなぜ、どこから生まれてきたのか、なぜそうでなければいけないのか?理解するところまではいけなくとも、その答えの欠片でもいいから見つけたい、そんな思いを強く抱きかずにはいられませんでした。

     

     数日前の朝日新聞「プレミアシート」欄で、先日亡くなった大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」に書かれていたレビューを思い出します。大林監督が不治の病を押して制作した映画への、熱烈な称賛の言葉が連ねられた文章で、とても心を動かされましたが、その中にこんなセンテンスがありました。

     

    本来、映画は映画の価値だけで見られるべきであり、その作者がどんな思想を抱いていかに生きていかに死んだかとは無関係に鑑賞すべきである。だが、本作にかぎっては、誰も大林宣彦の人生と切り離しては見られまい。

    柳下毅一郎

     

     私の場合、「映画」を「音楽」に、「大林宣彦」を「バーンスタイン」に完全に置き換え可能です。

     

     彼が指揮する演奏に、ただ音楽として接しているだけでは物足りない。彼の私生活や政治思想そのものに関する知識を得るのではなく、前述のように、彼が音の向こう側に何を見て音楽に向き合い、どうやって生き死んだのか、様々な聴体験や調査を通して考えたい。そうしないのは、むしろ知的怠慢であるというくらいに。

     

     私にとって、バーンスタインほどに、全人格的に向き合いたいと願う音楽家は他にはいません。勿論、現役・物故者に限らず、敬愛する音楽家、大好きな音楽家はたくさんいる。でも、特に今活躍している音楽家で、ここまでのめり込む人はいない。決して「最近の音楽家はだめだ」ということではありません。ただ単に、私自身が歳を重ねて、一人の音楽家にずぶずぶとのめり込むことがなくなってしまっただけのことです。もし私が若くて、バーンスタインをリアルタイムで聴いていないのであれば、現役の音楽家に強い関心を持っていたはずです。

     

     どうしてバーンスタインなのか。それは若い頃に夢中になって聴いていたから、実演の思い出があるからということもあるでしょうし、私にマゾヒスティックな性向があり、その暑苦しく押しつけがましい音楽に惹かれてしまうからかもしれません。でも、彼が実人生でも、音楽上でも、ずっと抱えていた様々な矛盾や葛藤、危機、憧れ、そしてどこか破滅型の生きざまに共鳴しているというのが一番大きいだろうと思います。勿論、彼は私のような凡人にはまったく手の届かない天才、偉人なので、共鳴などというのはまったくもっておこがましいのですが。

     

     バーンスタインが没してはや30年、私がいまだにバーンスタインの音楽に熱中し続けているのは、良いことなのか悪いことなのかさっぱり分かりません。でも、私自身はバーンスタインの音楽に出会えたことは、私の人生の中で、最大の幸福の一つであると感じながら、この「プラハの第9」を見終わりました。

     

     最後に、この演奏会の独唱者について。

     

     ここでは、チェコ出身のルチア・ポップ、東ドイツのウテ・トレケル=ブルクハルト、ポーランドのヴィエスワフ・オフマン、スロヴァキアのセルゲイ・コプチャクと、旧共産圏の歌手たちが出演しています。ベルリンでの米英独(東西)という人選同様、東欧の自由化を祝うに相応しい顔ぶれと言えます。

     

     晩年のベーム指揮の録音でお馴染みだったオフマンの起用も嬉しいところですが、何といっても、ポップが参加しているのが本当に嬉しい。

     

     この僅か3年後には癌で亡くなってしまう彼女の「最晩年」の「里帰り」の記録ですし、「ばらの騎士」「フィデリオ」、ハイドンの「天地創造」やミサ曲、マーラーの「子供の不思議な角笛」などで、バーンスタインとたびたび共演した名花の起用は、この晴れがましい「第9」にはまことに相応しい(そう言えば、彼女の歌う「第9」も珍しい。マゼール盤くらいでしょうか)。当時、ドラマティックな役柄にシフトしていた頃の円熟した歌唱で、時折、指揮台のバーンスタインを見ながら熱っぽく歌う彼女の凛とした姿は眩しい。

     

     1978年、ウィーン国立歌劇場でバーンスタインが指揮して大成功を収めた「フィデリオ」のフィナーレで、彼女が演じるマルツェリーネが、他の登場人物とともに全身で自由の喜びを表現する(恋をしたフィデリオが実は女性で、マルツェリーネは失恋してしまったはずなのに!)場面を思い出さずにいられません。

     

     

     「フィデリオ」というと不穏な結末の演出が増えてきた今、こんなふうに「自由」「歓喜」「兄弟」などという言葉を、純粋に、狂おしいほどに愛おしむことのできる時代なんて、もう二度とやってこないのではないかとため息が出てしまいます。

     

     それはともかく、先ほど述べたように、この「プラハの第9」は、一般的にはよほどのファンでなければ楽しめない演奏なのかもしれませんが、このように歴史的価値は計り知れない記録であることは間違いないので、是非ともこの映像を商品化してほしいと思います。その折には、第1楽章の再現部のかなり大きな欠落(一番の聴きどころなのに!音声だけの記録ではそんなものはなかったのに!)は静止画にしても良いので、何らかの形で修復してほしいです。

     

     

     

     

     また、以前見つけたのですが、こちらのページで演奏会に先立つリハーサル風景の様子がとりあげられていて、映像も、一部公開されています。第9の練習番号の”H"を、楽団員の掛け声で”Habel"と呼ぶことにしたなど、微笑ましいエピソードが書かれていますし、チェコ・フィルの人たちがバーンスタインから大きな影響を受けたことなども綴られていて素晴らしいです。

     

     

     

     

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