ヤナーチェク/草陰の小径を通って(アコーディオン&ピアノ版)
2009.01.31 Saturday
・ヤナーチェク(ホイッケ編)/草陰の小径を通って
・ホイッケ/ハイマート
マルコ・カッスル(アコーディオン)
トビアス・ブレドール(P) (Classic Cips)
→詳細はコチラ(Tower/Classic Clips)
・ホイッケ/ハイマート
マルコ・カッスル(アコーディオン)
トビアス・ブレドール(P) (Classic Cips)
→詳細はコチラ(Tower/Classic Clips)
私は、ヤナーチェクの音楽が大好きで、特にピアノ曲の「草陰の小径を通って」を好んで聴きます。センチメンタルと言っていいくらい甘美な旋律の美しさと、そこはかとなく感じられる哀愁が、私にはとても魅力的な音楽です。
「草陰の小径を通って」には、Winter&Winterレーベルから、名手アンゼロッティが弾いたアコーディオン版の演奏が発売されていて、私はとても気に入っています。元々、ハーモニウム(昔学校の音楽室にあった足踏みオルガンみたいなもの?)のために書かれた曲であるせいか、アコーディオンの持つ独特の音がこの曲の旋律とよくマッチしていますし、儚げなハーモニーがこの楽器のオルガンのような持続音によって、何とも言えない哀愁を帯びた色彩を与えていて、耳に心地良いからです。
さて、今日は、その「草陰」の別の編曲による演奏で、ドイツの作曲家シュテファン・ホイッケ(1959-)が、アコーディオンとピアノのために編曲したバージョンを聴きました。アコーディオンはマルコ・カッスル、ピアノはトビアス・ブレドールという、私のまったく知らない演奏家たちによる演奏で、CLASSIC CLIPSという聞き慣れないレーベルから発売されているものです。
どちらも鍵盤楽器のアコーディオンとピアノ(厳密にはピアノは鍵盤打楽器ですが)のデュオって、チャーハンとライスを一緒に食べるような感じ?と思いながら聴いてみましたが、これはとても良かったです。この演奏、全曲を演奏している訳ではなくて、第1集のうち10曲を抜粋してい演奏しているのですが、最初は原曲どおりにピアノがワンコーラス弾き、次にアコーディオンが弾き、さらに二つの楽器で旋律を分担してデュエットするというのが基本形。聴いてみて、ピアノとアコーディオンがこれほどいい感じの音色のコンビネーションを作るなんて想像ができませんでした。アコーディオンのうらびれた淋しい音色による旋律を、ピアノがあたたかく包みこむさまがとても美しくて暫し時の経つのを忘れて聴き入ってしまいました。よくこんな編成による編曲を思いついたものだと感心しますが、ライナーノートによれば、この演奏者カッスルとブレドールはどうやら常設のコンビらしく、彼らがホイッケに編曲を依頼したというのが真相とのことです。大好きな曲を素敵な編曲で聴き、いつもとまた違う姿を見るというのは、なかなかに愉しい体験です。
「草陰」にカップリングされているのは、編曲をおこなったシュテファン・ホイッケによる「ハイマート」という、これもアコーディオンとピアノの二重奏のために書かれた曲。「草陰」に触発された音楽とのことですが、タイトルの「ハイマート」というのは「祖国」を意味する言葉。ヤナーチェクの音楽の中にある、「祖国」「少年時代」「青春時代」と、パラレルな関係性を持たせた音楽なのだそうで、以下のような曲で構成されています。
1.Tracing
2.Childhood
3.Do You Know the Land
4.B B B(Bach Beethoven Brahms)
5.We Are Auschwitz
6.Lost
7.From now on...
8.Epilogue("Jetzt gang I ans Bruennele")
5曲目の「私たちはアウシュヴィッツだ」という曲が目を引きますが、これはホイッケ自身のオペラ「アウシュヴィッツの女性オーケストラ」からの引用がある曲だそうです。アウシュヴィッツの女性オーケストラというと、マーラー時代のウィーン・フィルのコンマスだったアルノルト・ロゼの娘、アルマ・ロゼが囚人を編成して指揮していたオケのことだと思うのですが、確か映画になっていたのは知っていますが、オペラになっていたとは知りませんでした。ドイツ人が、アウシュヴィッツの事実を「祖国」の一部として受け容れることの難しさをテーマとした音楽とのことで、他の静かな曲に比べると、常に動き続けるアコーディオンの音型と、リズミックなピアノの打鍵が、タイトな音楽を作り出しています。
それ以外は、時折アコーディオンが「笙」のような雅な音を奏でながら、ピアノと静かに対話するような音楽で、聴きやすい現代音楽です。ヤナーチェクの音楽との関連というのは直接は見えませんが、最後のエピローグだけが甘く優しい旋律を持った音楽になっていて、どことなく「草陰」の持つリリシズムとの共鳴を感じさせます。
このディスク、CDショップで偶然見つけたのですが、こういう面白いものと出会えるとほんとに嬉しいものです。やめられません・・・。
「草陰の小径を通って」には、Winter&Winterレーベルから、名手アンゼロッティが弾いたアコーディオン版の演奏が発売されていて、私はとても気に入っています。元々、ハーモニウム(昔学校の音楽室にあった足踏みオルガンみたいなもの?)のために書かれた曲であるせいか、アコーディオンの持つ独特の音がこの曲の旋律とよくマッチしていますし、儚げなハーモニーがこの楽器のオルガンのような持続音によって、何とも言えない哀愁を帯びた色彩を与えていて、耳に心地良いからです。
さて、今日は、その「草陰」の別の編曲による演奏で、ドイツの作曲家シュテファン・ホイッケ(1959-)が、アコーディオンとピアノのために編曲したバージョンを聴きました。アコーディオンはマルコ・カッスル、ピアノはトビアス・ブレドールという、私のまったく知らない演奏家たちによる演奏で、CLASSIC CLIPSという聞き慣れないレーベルから発売されているものです。
どちらも鍵盤楽器のアコーディオンとピアノ(厳密にはピアノは鍵盤打楽器ですが)のデュオって、チャーハンとライスを一緒に食べるような感じ?と思いながら聴いてみましたが、これはとても良かったです。この演奏、全曲を演奏している訳ではなくて、第1集のうち10曲を抜粋してい演奏しているのですが、最初は原曲どおりにピアノがワンコーラス弾き、次にアコーディオンが弾き、さらに二つの楽器で旋律を分担してデュエットするというのが基本形。聴いてみて、ピアノとアコーディオンがこれほどいい感じの音色のコンビネーションを作るなんて想像ができませんでした。アコーディオンのうらびれた淋しい音色による旋律を、ピアノがあたたかく包みこむさまがとても美しくて暫し時の経つのを忘れて聴き入ってしまいました。よくこんな編成による編曲を思いついたものだと感心しますが、ライナーノートによれば、この演奏者カッスルとブレドールはどうやら常設のコンビらしく、彼らがホイッケに編曲を依頼したというのが真相とのことです。大好きな曲を素敵な編曲で聴き、いつもとまた違う姿を見るというのは、なかなかに愉しい体験です。
「草陰」にカップリングされているのは、編曲をおこなったシュテファン・ホイッケによる「ハイマート」という、これもアコーディオンとピアノの二重奏のために書かれた曲。「草陰」に触発された音楽とのことですが、タイトルの「ハイマート」というのは「祖国」を意味する言葉。ヤナーチェクの音楽の中にある、「祖国」「少年時代」「青春時代」と、パラレルな関係性を持たせた音楽なのだそうで、以下のような曲で構成されています。
1.Tracing
2.Childhood
3.Do You Know the Land
4.B B B(Bach Beethoven Brahms)
5.We Are Auschwitz
6.Lost
7.From now on...
8.Epilogue("Jetzt gang I ans Bruennele")
5曲目の「私たちはアウシュヴィッツだ」という曲が目を引きますが、これはホイッケ自身のオペラ「アウシュヴィッツの女性オーケストラ」からの引用がある曲だそうです。アウシュヴィッツの女性オーケストラというと、マーラー時代のウィーン・フィルのコンマスだったアルノルト・ロゼの娘、アルマ・ロゼが囚人を編成して指揮していたオケのことだと思うのですが、確か映画になっていたのは知っていますが、オペラになっていたとは知りませんでした。ドイツ人が、アウシュヴィッツの事実を「祖国」の一部として受け容れることの難しさをテーマとした音楽とのことで、他の静かな曲に比べると、常に動き続けるアコーディオンの音型と、リズミックなピアノの打鍵が、タイトな音楽を作り出しています。
それ以外は、時折アコーディオンが「笙」のような雅な音を奏でながら、ピアノと静かに対話するような音楽で、聴きやすい現代音楽です。ヤナーチェクの音楽との関連というのは直接は見えませんが、最後のエピローグだけが甘く優しい旋律を持った音楽になっていて、どことなく「草陰」の持つリリシズムとの共鳴を感じさせます。
このディスク、CDショップで偶然見つけたのですが、こういう面白いものと出会えるとほんとに嬉しいものです。やめられません・・・。