珠玉の小品 その26 〜 テオドラキス/汽車は8時に発つ

2009.06.11 Thursday

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    ・テオドラキス/汽車は8時に発つ
     アグネス・バルツァ(Vo)
     (「わが故郷 ギリシャの歌」所収)
     →詳細はコチラ(HMV/Tower/Amazon)


     

     もうたくさんの方がブログなどで取り上げておられますが、先日、音楽評論家の黒田恭一氏が亡くなりました。

    黒田氏と言うと、カラヤンの評論でも有名ですが、私にとっては何よりも「人間の声」を聴く楽しみを私たちに教えてくれた評論家という印象が強いです。例えば、NHK-FMの夜のクラシック番組で歌もののリサイタルの解説を担当された際の、氏のゆったりとした穏やかな語り口は今も私の耳に残っています。オンエアする曲たちのタイトルを、ゆっくりと十分な間合いを置いて、愛しい存在を撫でるかのように優しく読み上げる語り口は、夕食後のひととき、ゆったりと歌曲を味わうにはまさに「うってつけ」でした。

    私は今、氏が生前とても高く評価していた、アグネス・バルツァの歌う「わが故郷ギリシャの歌」というアルバムを久々に聴いています。1985年に録音されたこのアルバムは、とにかく珠玉の佳品揃いで、しかも絶頂期のバルツァの歌が超絶的に素晴らしく、私にはたまらない魅力を持ったものですが、中でもテオドラキスの「汽車は八時に発つ」は私の最も愛する曲の一つです。

    これは完全に「歌謡曲」の世界。甘く、メランコリックでせつない旋律からは、心にのしかかる哀しみに抗うのではなく静かに受容しようとするかのような物憂げな諦念がにじみ出てきます。同郷のエレニ・カラインドルーの音楽でもそうですが、テオドラキスのこの曲にある「哀しみ」の表現への志向というのは、日本人のDNAにも塩基の配列としてどこかに組み込まれているのではないかと思うくらい、私の心にすーっと入ってきます。もしかしたら、八代亜紀とか石川さゆりが歌っても、結構違和感なく聴けるのではないかというくらい。

    2004年には、アグネス・バルツァが来日して「わが故郷ギリシャの歌」に収録された一連の作品を演奏会で歌いました。黒田氏は、演奏会場だったBunkamuraのプロデューサーをなさっていたので、恐らく企画から招聘まで制作に深く関わっておられたのだと思います。私は、残念ながら所用で聴きには行けませんでしたが、大変に素晴らしい演奏会だったようで、こういう「クロスオーバー」的な音楽に対しても常にやわらかなスタンスを取り、新しい音楽の楽しみ方を私たちに積極的に紹介されていた氏の大きな功績の一つとして記憶されるべきではないかと思います。(BunkamuraのHPに紹介記事が残っています)

    テオドラキスの曲に戻りますが、この曲は、兵役のために故郷を発つ恋人への思いを歌った哀しい歌。ギリシャの内戦が背景にあるのでしょうか。こうした「別離」が消えてなくなる世の中というのは、一体いつになったら来るのだろうかと、聴くたびに暗然たる思いに駆られます。

    ところで、作家の五木寛之氏が、バルツァの歌うこの曲に魅せられ、歌詞の日本語訳を試みておられる旨、上記HPに書かれていましたが、その後、氏は美しい日本語を見つけられたのでしょうか。
     

    『汽車は8時に発つ』
    汽車はいつも8時に発つ
    カテリーニに向かう旅路へと
    11月はもう残り少ないから
    あなたをきっと忘れてしまうでしょう
    ・・・
    あなたは今カテリーニで監視の役についている
    朝霧の中、5時から8時まで
    いっそあなたの心の中のナイフになってしまいたい
    あなたはカテリーニで監視の役についている
    (作詞:マノス・エレフセリーウ 訳:山口大介)

     黒田氏のご冥福を祈りつつ、またこのテオドラキスを聴きたいと思います。

     

     

     

     

     

     

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