バーンスタイン/キャンディード マリン・オールソップ指揮NYP他

2009.08.22 Saturday

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    ・バーンスタイン/キャンディード
     ポール・グローヴズ、クリスティン・チェノウス
     サー・トーマス・アレン、パティ・ルポン他
     マリン・オルソップ指揮ニューヨーク・フィル他
     (2004.5.7 エイヴリー・フィッシャー・ホール)
     (2009.8.18 NHK BS-Hi)

     
     巷では「カツマー」と呼ばれる信奉者が出てくるくらいに勝間和代氏の人気が凄いです。本屋に行っても、彼女の出る本はベストセラーの上位に君臨して、たくさんの著作が平積みされています。残念ながら私はまだそれらを読んだこともなく、むしろ「勝間和代を目指さない」ことを幸せになるための方法の一つとして説く香山リカの新書を買ってしまったくらいなのですが、勝間氏の本のタイトルに一際私の興味を引くものがあります。それは、「起きていることはすべて正しい」。この本を読んでいないので何が書かれているかは知りませんが、このタイトルを見るたび、私の脳裏にはバーンスタインのミュージカル「キャンディード」の音楽が鳴り始めるのです。それはなぜか。

     「キャンディード」は、ヴォルテールの小説「カンディード」を原作としたものであり、この小説は当時ヨーロッパで支配的だった哲学者ライプニッツの思想への痛烈な批判をこめたものであるのは周知の事実ですが、そのライプニッツの思想とは「この世界は神の作ったものであるから最善のものである。だから、どんなにひどいことが起こってもそれは天の配剤であると考えて受け容れるべきだ。」というようなものでした。「起こっていることはすべて正しい」という本のタイトルとを見ると、「キャンディード」の第1幕で繰り返し歌われる”The Best of All Possible Worlds"という言葉が頭の中に湧いてきて、あの1989年、死を目前に控えたバーンスタインがロンドンで「キャンディード」を指揮した公演の映像がフラッシュバックして、あの陽気な序曲の音楽が鳴り響き始めるのです。

     そんなふうに私の中で軽い「キャンディード」サブリミナルが発生している中、タイミングよくBS-hiで2004年にニューヨークで演奏された「キャンディード」の演奏が放映されました。先ほど、その映像の録画を見終わったのですが、とても楽しみました。

     まず、ごく普通の演奏会形式だったバーンスタイン自身の映像と違って、この公演は、エイヴリー・フィッシャー・ホールの舞台上にスペースを作ってある程度の演技が繰り広げられるセミ・ステージ上演。合唱団も含めた出演者全員が所狭しとばかりに歌って踊り、走り回ってという、とてもアクティヴな展開があって、一瞬たりとも目が離せません。

     しかも、そこで歌い演じている人たちは、皆超一流の人たち。パングロス博士にイギリスの名バリトンのトーマス・アレン、キャンディードにポール・グローヴズといったクラシック畑の歌手を配し、クネゴンデ役にクリスティン・チェノウス、老女役にパティ・ルポンというミュージカル界のビッグ・ネームを起用した混成部隊。バーンスタインのとても難しいナンバーを軽々と歌いこなし、そして彼ら彼女らがなんとも洒脱な演技を見せていて圧巻。特にオペラ歌手ではないチェノウスがあの難しいコロラトゥーラを確実に歌い、ルポンがスペイン訛りで何とも妖しい"I'm easily asimulated"を歌っているのには驚嘆せざるを得ませんでした。

     オケはバーンスタインの弟子の一人、マリン・オールソップ指揮するニューヨーク・フィル。かつてバーンスタインが音楽監督を務めたゆかりのオケが、ついにこの「失敗作」を舞台で演奏していることに非常に深い感慨を覚えます。「キャンディード」は、初演当時ブロードウェイではさっぱり客が入らず、あっという間に上演がとりやめになった「失敗作」で、バーンスタインが「靴の中の小石」と呼んで最後まで改作を続けた曲。その「不詳の息子」が、かつて自身が活躍した舞台でクラシック音楽として演奏されて、客席からもスタンディング・オベーションを受けているのですから、天国のバーンスタインはどれほど喜んでいたことでしょうか。

     それにしても、呆気にとられるほどに目まぐるしくストーリーが展開していくミュージカルです。しかも、いろんなオペラや舞踊のパロディが頻出して、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなどたばた騒ぎ。下手をすると吉本新喜劇の一歩手前まで行ってしまいそうなくらい。特に第2幕に至ってはもうヤケクソみたいな「あり得ない」展開が続いて失敗作と呼ばれたのも合点がいきそうになるのですが、最後に話が急展開して終曲の「メイク・アワ・ガーデン・グロウ」が鳴り始めると、涙腺が一気に決壊してやっぱり号泣してしまいます。実のところ、このミュージカルは、この曲を聴きたいがために聴く(観る)というところもあるくらいなのですが、この2004年NYで上演された隅々まで工夫が凝らされた舞台をもってしても、結局はこの感動的な終曲での高揚が一番心に残ります。それほどまでにバーンスタインの書いた音楽の強い力を感じるところです。終わり良ければ、ではないですが、オルソップ指揮のもと全出演者が感動に打ち震えながら「僕たちの庭を作ろう 僕たちの畑を耕そう」と歌うのを聴いていると、ああ、何ていい音楽なんだろう!と思わずにいられません。この場に私もいたかったと激しく思います。

     そんな感動のほとぼりから冷めて、パングロス博士のナレーションを思い起こしてみると、このミュージカルにこめられた「笑い」の中に、いかにシニカルで辛辣な風刺がこめられているかも改めて強く感じました。このミュージカルには、異教徒を差別し、挙句の果てに裁判にかけて殺してしまうという場面がいくつか出てきますが、トーマス・アレン演じるパングロスがそれらの場面をさして「まるで今の世の中みたいですね」と言うと、会場内に引きつった爆笑が起こります。2004年というと、アメリカがイラクに対して「大量破壊兵器を製造している疑い」があるとして戦争をしている最中でしたから、まるで笑えないジョークです。バーンスタインの89年盤では、演奏に先立って自らこの曲を作曲した頃に全米で吹き荒れたマッカーシズムについて語り、「キャンディード」に含まれる「異質なものの排除」へのあてこすりをイギリスの聴衆に向かって説明していましたが、ここでは、イギリスからやってきた紳士が、アメリカの聴衆に向かってやんわりと批判をしているようで興味深い場面でした。そして、戦争や差別といった不条理で悲惨なことが「神の思し召し」の名のもとにまるで「必要悪」のように扱われるのは納得がいかない、「自分たちに与えられた役割、人間の場合はただ懸命に働くこと、を今こそ果たすべきだ」という脚本のリリアン・ヘルマンとバーンスタインの「主張」は、作曲から半世紀経った今でもなおアクティヴであることを思い知りました。ある意味残念なことですが、このバーンスタインの「キャンディード」は、これからどんな時代になっても、観る人の引きつった笑いを誘い、「メイク・アワ・ガーデン・グロウ」であたたかい感動を与える作品であり続けるだろうと思います。

     天国のレニーは、マーラーのように「私の時代が来た」と喜んでいるでしょうか。それとも、「50年経っても事態が改善されていないことに絶望した」と嘆いているでしょうか。

    <<バーンスタイン(語り) 「キャンディード」イントロダクション('89)>>


    <<バーンスタイン指揮ロンドン響 キャンディード序曲"('89)>>


    <<バーンスタイン指揮ロンドン響 "Make Our Garden Grow"('89)>>

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    2019.12.04 Wednesday

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