珠玉の小品 その30 〜 ヨーゼフ・メスナー/ザルツブルグ音楽祭のファンファーレ
2010.07.21 Wednesday
私がまだ小中学生のエアチェック小僧だった頃、毎年12月は一年のうち最もカセットテープの消費量の多い月でした。なぜなら、NHK-FMが、ほぼ1カ月にわたって、その年の夏のザルツブルグ音楽祭のライヴ録音を放送していたからです。(昼間にはバイロイト音楽祭の放送もありましたが、録音はしてませんでした)
私が音楽を聴き始めた70年代後半と言えば、勿論、帝王カラヤンの活躍が中心でしたが、私にとっては、何と言っても、大ファンだったカール・ベームの演奏会の録音を聴けるのが最高の楽しみでした。1976年の「グレート」やブラ2、ドレスデンとの「英雄の生涯」から、1980年の最後の出演時のベートーヴェンの2,7番と、モーツァルトの29,35番、ピアノ協奏曲第19番(w/ポリーニ) まで、毎年、オンボロのカセットデッキの前に正座してありがたく拝聴していました。また、ベームとカラヤンだけでなく、アバド、バーンスタイン、ショルティ、小澤、ムーティらの常連指揮者や、綺羅星のような超豪華ソリストたちの演奏を愉しみました。また、日曜日のオペラ・アワーもザルツブルグ音楽祭一色で、ベーム指揮の「ドン・ジョヴァンニ」「ナクソス島のアリアドネ」、カラヤン指揮の「ドン・カルロ」「サロメ」「アイーダ」、レヴァインの「魔笛」など今もまだ語り草になっているような上演のライヴを聴くことができました。
ザルツブルグ音楽祭のライヴが放送される時は、いつもオープニングで流れる曲は、NHKの番組の通常のものではなくて、ORF(オーストリア放送協会)が放送しているファンファーレでした。
これがなかなかいい曲で、私は大好きでした。トランペットの奏でる音域の広いスケールの大きなメロディに次いでホルンやトロンボーンの雄叫びが加わってアンサンブルになり、さらにティンパニも一緒になって非常に立体的な響きを作り出しながらスリリングな展開を見せる音楽で、それが、これからベームやカラヤン、バーンスタインらの演奏を聴けるのだ!という少年の心に宿っている期待をいやが上にも高めるのです。さっさと終わって早く本題に入ってくれ!と願いながらも、このゴージャスなファンファーレを聴きながら、胸のときめくようなワクワク感を愉しんでいるのも嬉しい、そんなマゾヒスティックな悦びを感じていたのをよく覚えています。そして、ファンファーレが終わりを告げると、女性の声で"Salzburger Festspiele"とか何とか、ドイツ語のナレーションがあって、「皆さん、こんばんは」という解説者(黒田恭一、金子建志、渡邉学而、丸山圭介各氏など)の声が聴こえ、待ちに待った番組がスタートする訳です。
ところが、80年代に入ってからは、どうした訳か、そのファンファーレは随分とカットされてしまって一瞬にして終わってしまい、この曲を聴いている時の私のマゾヒスティックな悦びは大幅に減じてしまいました。どうしてそんなにあっさり終わってしまうんだ!と半ば腹立たしい思いがしたほどです。(もう10年以上もFM放送は聴かなくなってしまいましたが、今はどうなのでしょうか。もしまだ短縮バージョンが放送されているなら、もったいないなあと思います。)
音楽的に見てこの曲が「よくできた」曲なのか、「全然だめ」な曲なのか、素人の私には全然分かりませんが、他の音楽祭のライヴ番組のオープニ ングと比べても、このザルツブルグ音楽祭のファンファーレは私にとっては非常に強く心に残る音楽でした。
ところで、CDの新譜の情報を漁っていたら、何と、Oehmsレーベルから例のファンファーレの新録音が発売されるということを知りました。作曲したのは、ザルツブルグ大聖堂の楽長を務め、モーツァルトの「レクイエム」の史上初録音をした指揮者としても名の残るヨーゼフ・メスナー(1893-1969)ということも初めて知りました。ちょうどカール・ベームと同年代の人ということになります。今度発売されるディスクですが、指揮はイヴォール・ボルトン、オケはザルツブルグ・モーツァルテウム管。メスナーの遺したオーケストラ作品を集めたもので、ザルツブルグ組曲、ロンド・ジョコーソ、モーツァルト・ファンファーレ(「レクイエム」などの引用ありの模様)がカップリングされています。
ネットショップjpcの商品ページから、このアルバムの試聴ができ、件の「ザルツブルグ音楽祭のファンファーレ」は全曲(と言ってもあっという間)を聴けます。放送で聴いていたものよりも随分とテンポが早くてあっけない感じもしますし、最後に何発かシンバルが叩かれていてこれも放送バージョンではなかったようにも思うのですが、この晴れ晴れとしたカッコいい音楽の「雄姿」を楽しませてくれます。これはディスクの発売がとても楽しみです。ああ、またFM(ネットラジオではなく!)をカセットテープでエアチェックしたくなりました。なんて、今の若い人たちには、まったく意味の分からない話かもしれませんが。
私が音楽を聴き始めた70年代後半と言えば、勿論、帝王カラヤンの活躍が中心でしたが、私にとっては、何と言っても、大ファンだったカール・ベームの演奏会の録音を聴けるのが最高の楽しみでした。1976年の「グレート」やブラ2、ドレスデンとの「英雄の生涯」から、1980年の最後の出演時のベートーヴェンの2,7番と、モーツァルトの29,35番、ピアノ協奏曲第19番(w/ポリーニ) まで、毎年、オンボロのカセットデッキの前に正座してありがたく拝聴していました。また、ベームとカラヤンだけでなく、アバド、バーンスタイン、ショルティ、小澤、ムーティらの常連指揮者や、綺羅星のような超豪華ソリストたちの演奏を愉しみました。また、日曜日のオペラ・アワーもザルツブルグ音楽祭一色で、ベーム指揮の「ドン・ジョヴァンニ」「ナクソス島のアリアドネ」、カラヤン指揮の「ドン・カルロ」「サロメ」「アイーダ」、レヴァインの「魔笛」など今もまだ語り草になっているような上演のライヴを聴くことができました。
ザルツブルグ音楽祭のライヴが放送される時は、いつもオープニングで流れる曲は、NHKの番組の通常のものではなくて、ORF(オーストリア放送協会)が放送しているファンファーレでした。
これがなかなかいい曲で、私は大好きでした。トランペットの奏でる音域の広いスケールの大きなメロディに次いでホルンやトロンボーンの雄叫びが加わってアンサンブルになり、さらにティンパニも一緒になって非常に立体的な響きを作り出しながらスリリングな展開を見せる音楽で、それが、これからベームやカラヤン、バーンスタインらの演奏を聴けるのだ!という少年の心に宿っている期待をいやが上にも高めるのです。さっさと終わって早く本題に入ってくれ!と願いながらも、このゴージャスなファンファーレを聴きながら、胸のときめくようなワクワク感を愉しんでいるのも嬉しい、そんなマゾヒスティックな悦びを感じていたのをよく覚えています。そして、ファンファーレが終わりを告げると、女性の声で"Salzburger Festspiele"とか何とか、ドイツ語のナレーションがあって、「皆さん、こんばんは」という解説者(黒田恭一、金子建志、渡邉学而、丸山圭介各氏など)の声が聴こえ、待ちに待った番組がスタートする訳です。
ところが、80年代に入ってからは、どうした訳か、そのファンファーレは随分とカットされてしまって一瞬にして終わってしまい、この曲を聴いている時の私のマゾヒスティックな悦びは大幅に減じてしまいました。どうしてそんなにあっさり終わってしまうんだ!と半ば腹立たしい思いがしたほどです。(もう10年以上もFM放送は聴かなくなってしまいましたが、今はどうなのでしょうか。もしまだ短縮バージョンが放送されているなら、もったいないなあと思います。)
音楽的に見てこの曲が「よくできた」曲なのか、「全然だめ」な曲なのか、素人の私には全然分かりませんが、他の音楽祭のライヴ番組のオープニ ングと比べても、このザルツブルグ音楽祭のファンファーレは私にとっては非常に強く心に残る音楽でした。
ところで、CDの新譜の情報を漁っていたら、何と、Oehmsレーベルから例のファンファーレの新録音が発売されるということを知りました。作曲したのは、ザルツブルグ大聖堂の楽長を務め、モーツァルトの「レクイエム」の史上初録音をした指揮者としても名の残るヨーゼフ・メスナー(1893-1969)ということも初めて知りました。ちょうどカール・ベームと同年代の人ということになります。今度発売されるディスクですが、指揮はイヴォール・ボルトン、オケはザルツブルグ・モーツァルテウム管。メスナーの遺したオーケストラ作品を集めたもので、ザルツブルグ組曲、ロンド・ジョコーソ、モーツァルト・ファンファーレ(「レクイエム」などの引用ありの模様)がカップリングされています。
ネットショップjpcの商品ページから、このアルバムの試聴ができ、件の「ザルツブルグ音楽祭のファンファーレ」は全曲(と言ってもあっという間)を聴けます。放送で聴いていたものよりも随分とテンポが早くてあっけない感じもしますし、最後に何発かシンバルが叩かれていてこれも放送バージョンではなかったようにも思うのですが、この晴れ晴れとしたカッコいい音楽の「雄姿」を楽しませてくれます。これはディスクの発売がとても楽しみです。ああ、またFM(ネットラジオではなく!)をカセットテープでエアチェックしたくなりました。なんて、今の若い人たちには、まったく意味の分からない話かもしれませんが。