「死の国の旋律・アウシュビッツと音楽家たち」(BS2)を見て

2010.12.05 Sunday

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    ・死の国の旋律・アウシュビッツと音楽家たち(BS2)
     →詳細はコチラ(NHK) 2010.12.05(2003年の再放送)



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      つい先ほどまでNHK]]BS2で放送されていたBSアーカイブス名作選「死の国の旋律・アウシュビッツと音楽家たち」を見ていました。

     1時間半、時折、見ているのが辛く思えるほどの重い番組でした。

     ナチス・ドイツ占領下のポーランド、100万人のユダヤ人が殺されたと言われるアウシュビッツ強制収容所では、囚人女性で組織されたオーケストラがありました。(もちろん自発的に組織されたものではない)そのオーケストラは、囚人の強制労働を鼓舞するために過酷な作業の横で音楽を奏でたり、ガス室へ送られる人達を見送るために行進曲を演奏したり、時には逃亡を企てた囚人が捕えられた時に演奏したり、またある時には外部へのカモフラージュのために演奏したりしていました。

     このドキュメンタリーでは、そのアウシュビッツ収容所から生還したオーケストラ団員の女性が、初めてその重い口を開いて収容所で体験した悲劇を証言し、これが人生最後とアウシュビッツを訪れる様子が映し出されていました。

     強制収容所では、たくさんの同胞が収容所に送り込まれてきて、親子が離れ離れになり、過酷な状況の中で倒れ、ガス室に送り込まれて死んでいきました。彼女は、その横で音楽をずっと奏で続けなければならなかったのです。演奏を止めれば自分も処刑されることになるからです。

     彼女にとって、それは想像を絶するような辛い体験でした。ある時、「死のブロック」と呼ばれる衰弱した女性たちが収容された棟で音楽を演奏させられた時、彼女たちから「おお、神よ、何と言うことだ!どうしてこんなところで音楽なんか!どうして音楽なんて聴かなくちゃならないんだ!」と罵られることもあった。電車で連行されてそのままガス室へ直行させられるユダヤ人が「オーケストラがあるくらいだからきっとここはいいところだよ」と話しているのが聞こえてきても、演奏を続けなければならなかったのです。

     そんな凄まじい体験を経た彼女は、戦後、収容所から開放されてからも、自分だけが生き残ったことを悔い、じっと考え込むようになってしまいました。常に自分に対してこう問いかけ続けていました。「アウシュビッツのあと私はどう生きていけばいいのか。私の人生に、そして世界にどんな意味があるのか。人間に何の意味があるのか。」と。軍服を着た人を見ると卒倒し、強制労働の時に弾かされた「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」を聴いただけで卒倒し、人生から音楽はまったくと言っていいほどに消えてしまった。そして、自分の生きる意味とは何なのか、まったく分からなくなってしまった。

     深い絶望の淵に立たされた彼女は、1958年、意を決してアウシュビッツを再び訪れます。そこで彼女が見たのは、かつてここに一緒にいた多くの元囚人たちが、一人歩きまわり、じっと考えこんでいる姿でした。それを見た彼女は奇妙な安らぎを覚え、自分に折り合いがつけられ、生きる力がわくように感じられました。そして、戦後13年が経って初めて新しい人生の第一歩を踏み出すことができたのです。

     それでも、彼女はずっと自分の収容所での辛い経験について、かつてのオーケストラ仲間以外の人に語ることはありませんでした。そこに彼女の存在を聞きつけたNHKのプロデューサーが、手紙による粘り強い交渉を続けた結果、彼女はテレビ出演に応じて「証言」をし、そして人生最後(彼女は既に脳梗塞を患い体調があまり良くない)のアウシュビッツ訪問をします。番組は、そうした出来事の周辺で、やはり同じ体験の後遺症に苦しむ他のオケ団員女性2人の姿も映し出しながら進められました。

     この番組を見て感じたことは、音楽は人によって作り出されるものであるがゆえに、人を幸福にすることもできるけれども、同じように音楽は人によって作り出されるものであるがゆえに、人を不幸のどん底にまで陥れてしまうことがあるということ。

     勿論、音楽そのもの、それ自体が悪い訳ではありません。やはり音楽は人間の精神の営みの所産であり、人の心を豊かにするものであると思います。問題なのは、音楽を「使う」側の人間の方にある。今日の番組で言えば、当時のナチス・ドイツの指導者たち。彼らは、音楽を「悪用」した。音楽は人の心に直接訴えるものであるがために、「悪用」された音楽は暴力的な力に満ちた醜悪なものへと変質していく。

     そのことを身を持って体験して深く傷ついたオケの団員たちは、戦後、たとえ生き残れても、もはや楽器を演奏することはできなくなってしまった。人生を豊かに彩ってくれるはずの音楽との関わり合いは、もうずたずたに破壊されて二度と元に戻ることはなかった。差し迫った死への恐怖のために、自分が生き残るために音楽を続けたことで、多くの仲間たちの殺戮に手を貸してしまったことで「自分は敗北した」と感じたからです。

     人間には、美しい音楽を作ることができる一方で、ホロコーストのようなこんなむごたらしいことをやってしまう卑劣さもある。その恐ろしさを改めて痛感して、悲しくなってしまいました。そして、今私たちが、音楽を、何の気兼ねもなく自然に楽しみ、ああだこうだとちっちゃな「議論」を楽しんでいられるというのは、実はとても幸せなことなのだと実感せずにいられませんでした。

     そして、私たちの子孫には、音楽の豊かな恵みを享受できる社会を残してやらなければならないと思いました。そのためにも、音楽を悪用しようとする力が台頭して来ないように、常に意識を保っていたいと思いました。この間、私の二女は、「好きな歌を歌ってると、肌にブツブツができるよ!」と嬉しそうに話をしてくれたのですが、その「肌のブツブツ」を自由に楽しめる社会を守りたいです。

     そして、こんな哀しい歌が二度と歌われないようにしなければと強く思いました。
    重く硬くなった死体を 私は引きずる
    私の髪はたった一晩で 白くなった
    そこには私の幼い息子がいた
    両手を固く握って 指を口にくわえたまま
    どうしてお前をここで 火に投げ入れることができよう
    美しい巻き毛のお前を
    (特別作業班(死んだ囚人を焼却炉で焼く囚人)で歌われていた歌)
     見ていてヘトヘトに疲れてしまい、気持ちがとても重いので、今日は寝るまで音楽は聴かずにいようと思います。

     なお、ドキュメンタリー本編が終わった後、キャスターの女性が、収容所の悲劇を体験した音楽家を3人取り上げて話をしていました。まずマーラーの妹と、ウィーン・フィルのコンマス、アーノルト・ロゼの間に生まれたヴァイオリニスト、アルマ・ロゼ、作曲家パヴェル・ハース、指揮者カレル・アンチェル。ほんの少しの紹介だけでしたが、パヴェル・ハースSQの演奏するハースや、アンチェル/チェコ・フィルの来日公演の映像が流れたり、なかなかいい内容でした。このうち、アルマ・ロゼについては余り知られていないかもしれませんが、女性オーケストラの指揮とヴァイオリンを担当した人で、映画にもなったことがあるそうです。昔読んだ桜井健二著「マーラーとヒトラー」で結構詳しく取り上げられていたのを思い出しました。

     また、この番組はNHKのオンデマンドサービスでも見られるそうです。

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    2024.02.28 Wednesday

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      コメント
      この時代の音楽については、私も自分の仕事の中で、できるだけ重きを置いて取り上げるようにしています(自分自身が興味を持っているので)。
      とりあえず、今月はブラウンフェルスとツェムリンスキーをこっそり推していまして、少しずつ反応が戻ってきているところです。

      大切なことだと思うので、気長に取り組みます。
      • by yoshida
      • 2010/12/05 10:22 AM
      > この時代の音楽については、私も自分の仕事の中で、できるだけ重きを置いて取り上げるようにしています(自分自身が興味を持っているので)。

      私も退廃音楽、ナチ政権下のユダヤ人の音楽には強い関心を持っています。

      > とりあえず、今月はブラウンフェルスとツェムリンスキーをこっそり推していまして、少しずつ反応が戻ってきているところです。

      まだ買ってないんです。ショップでは手にとってはいるんですが、映像って買ってもなかなか見ないんですよね。でも、「鳥」は少なくとも見たいです。こっそりじゃなくて大々的に推して下さい。CPOだってあるんですし。

      > 大切なことだと思うので、気長に取り組みます。

      心から応援してます。耳よりな情報があったら是非呟いて下さい。拡散しますので。
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