マーラー/交響曲第9番 〜 バーンスタイン/IPO(1985.9.3)
2008.02.05 Tuesday
1985年9月3日、私は大阪フェスティバルホールの2階客席にいました。この日、レナード・バーンスタイン指揮するイスラエル・フィルの演奏で、マーラーの交響曲第9番ニ長調を聴いたのです。
既に伝説と化した演奏で、多くの人がそれぞれの思い出を語っていますが、私も、ブログを立ち上げたのを機に自分なりの思いを文章にしておきたいと思います。
当時の私は、既にバーンスタインの熱狂的なファンでした。彼の演奏がどんなものかは、ディスクや映像を通してそれなりに知っているつもりでした。
しかし、彼のナマ、しかも得意のマーラーを聴くのは、何もかもが特別で衝撃的な体験でした。
オケのチューニングが終わってから、非常に長く緊張した時間を息を呑んで過ごした後、ゆっくりと堂々とした足取りでバーンスタインが舞台に現れました。彼は拍手に答礼し、指揮台上で祈るような仕草を見せてから徐にタクトを上げ、演奏は始まりました。
冒頭のチェロが奏する「不整脈」のシンコペーションに次いで、「ため息」のような第2ヴァイオリンの主題がゆったりと陶然と奏でられた時から、深く永遠に続くかと思えるような極限の沈黙を生み出した最後の音が消えるまで、ある時は慟哭し、またある時は止まったかのような時間の中で深く沈潜し、そしてやがて訪れる死への恐怖に悶え苦しみながら身を焦がし、といったふうに、バーンスタインとオケが一体となって、スコアにこめられたありとあらゆる感情を、ものすごいダイナミズムをもって強烈に表現するさまは凄絶そのものでした。
そして、希望と絶望、慰めと恐怖と言った、音楽が内包するあらゆる対立要素が、激しい葛藤の中でぶつかり合ってものすごい力を放射しながら「生への渇望」へと収斂していくさまを目の当たりにするのは、とてつもない「事件」にリアルタイムで立ち会っているかのようでした。ある高名な評論家がバーンスタインのマーラーの9番の演奏を評して、「人間が死を前にしてこれほど恐怖でのたうちまわるのなら、人間は何と呪われた存在なのか」と書いていましたが、本当にそう思わずにはいられない演奏だったと思います。
あの日、そんな演奏を客席で聴いていた時は、その凄まじい音楽の力の放射に、私はただただ圧倒され夢中になっているばかりでしたけれども、今になって「あの時の体験が私にとって何だったのか」を振り返って総括してみれば、音楽には人間の精神の営みをこれほど豊かに雄弁に表現する力があるのだということ、そして、バーンスタインが生前しばしば口にしていた音楽の「無限の可能性」に気づくことで、音楽を通して「人間としてあることの素晴らしさ」「生の実感」を得ることができるのだ、ということを教えてもらいました。まさに啓示とも言うべき体験だったと言えます。
あの難曲をほとんどノー・ミスで演奏しきったオケも神々しいばかりでした。特に、有名な「イスラエル・フィルの弦」のこぼれんばかりの美音には本当に感動しました。
バーンスタインの、何者かが憑依したかのような没我の指揮姿も忘れられません。第3楽章のコーダの最後で見せた有名な「レニー・ジャンプ」や、第4楽章のクライマックスで2階客席にまで響きわたった、バーンスタインの唸り声と指揮台を踏みつけた足音も未だに私の記憶に焼きついています。そして、最後の音が消えてから拍手が起こるまでの客席の長い長い静寂!!指揮者、オケ、聴衆が一体となって作り上げた「名演」だったと思います。
私は、あの日以降、これほど濃密な音楽体験はさほど多くは持っていませんし、今後もそう滅多にこんな凄い演奏に出会えるとも思っていません。でも、悲しくはありません。こんな素晴らしい演奏の場に居合わせたというということは一生の宝だし、私にとって、その体験の価値は一生変わらぬものだと信じているからです。
・・・・
さて、実は、私は「あの日」の演奏に最近「再会」することができました。当日のイン・ホール(膝上)録音が収められたCD-Rを購入したのです。
私にとってかけがえのない「思い出」に再会できるということで、嬉しさと怖さが半ば入り混じった複雑な気持ちになってしまい、購入したのは良いものの、なかなか聴く気にはなれませんでした。
しかし、「禁断の果実」を毎日目の前にしていると、どうしても「聴きたい」という気持ちが抑えきれなくなる時が来るもので、思い切ってあの演奏を聴くことにしました。
ところが、実際に聴き始めてみたら、何やらおかしいのです。
ディスクのジャケットに記された演奏時間を見て若干危惧はしていたのですが、ピッチがほぼ半音高くなっていて、「テンポ」もその分早くなっているようなのです。冒頭が嬰ニ長調、そして第4楽章がニ長調になっていては非常に気持ち悪いですし、第3楽章のコーダも実際に確かに凄まじい追い込みでしたが、人間業ではあり得ないような速さになっています。
そこで、このピッチ上昇が、テープの再生速度のミスマッチが原因と仮定し、PCにCDのデータを取り込んでフリーソフトでピッチと再生速度を変換した上で、再度WAVデータとして保存してみることにしました。さほど手間もヒマもかかりません。
その結果、同時期に演奏されたアムステルダム・コンセルトヘボウ盤と比べ、デッドなホールのせいか第1,2楽章のテンポが若干早めになっていること、第3楽章は中間部がやや遅めだがコーダ近くがかなり早くなっていること、第4楽章がより粘りに粘った演奏で演奏時間がかなり長くなっていること、などから、当時の私の記憶と重なる現実味のある「演奏データ」を作ることができました。
そうやって改めて聴き直してみると、私があの時に聴いた演奏が、いかに人間の心の葛藤や軋みを凄絶に表現したものだったのか、そして、その演奏の記憶が私の中で過度に美化されずこともなく、いかに価値のある体験として刻み込まれたのかを、まざまざと思い知った次第です。
この録音が残っていたことに心から感謝したいと思います。
この年のバーンスタイン&IPOの名古屋公演を聴いていました。
記憶が随分遠のいていますが、第4楽章アダージョに痺れたことを思い出しました。
まだ高校生だった私にある意味運命的なものを感じさせた演奏でした。
あの演奏を聴いていなかったら、音楽がここまで好きにはなっていなかったかも、、、と思います。
あの演奏がCD-Rで出たのですね。