【演奏会 感想】ダニエル・ハーディング指揮新日本フィル チャリティ・コンサート(2011.6.20 すみだトリフォニーホール)

2011.06.21 Tuesday

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    ・ダニエル・ハーディング指揮新日本フィル チャリティ・コンサート
     ―3.11 東日本大震災、明日への希望をこめて―
     エルガー/エニグマ変奏曲第9変奏「ニムロッド」
     マーラー/交響曲第5番
     (2011.6.20  すみだトリフォニーホール)




      ダニエル・ハーディング指揮新日本フィルのチャリティー・コンサートに行ってきました。曲目は、3月11日の震災の日に演奏したマーラーの交響曲第5番。その日は彼がMusic Partner of NJPというポストに就任した記念すべき披露演奏会でしたが、地震の影響ですべての交通機関がストップしたため、会場に集まることのできたたった100人ほどの聴衆のために演奏会は開かれました。終演後は、団員も聴衆もホールで一夜を過ごし、翌日の演奏会は中止となりました。

     あれから3カ月、この6月の定期演奏会に出演したハーディングは、正規の2つのプログラムの演奏会の谷間の3日間を、3月11・12日の定期演奏会の代替公演と、チャリティー・コンサートに当て、あの日に演奏したマーラーの5番を再演しました。

     私は、3月11日の公演を聴きに行くべく、チケットを入手していました。演奏を聴くことだけでなく、親しい友人と会場で久しぶりに会えることも楽しみにしていましたが、何せ全ての交通機関が止まっていたので演奏会は聴きに行けませんでした。当然、友人との再会も果たせず。

     ですから、彼らが同じ会場で同じ曲目を再度演奏してくれると聞き、迷わずチャリティー・コンサートのチケットを入手しました。3月11日のチケットを払い戻ししたことに何となく罪悪感を感じていたので、幾許かのお金を寄付することで罪滅ぼしをするような意識があったのは事実ですが、とにかくあの日に聴けなかった演奏を聴くことで、私の中で、たとえ小さくとも何か円環を閉じるような体験ができるのではないかと期待して聴きに行きました。

     マーラーに先だって、震災で亡くなった方々の冥福を祈って、エルガーの「エニグマ変奏曲」のニムロッドが演奏され、長い黙祷がありました。拍手もなくハーディングは静かに退場、そしてチューニングの後、マーラーが演奏されました。

     正味1時間30分ほどの間、夢中で音楽を聴いていました。いや、夢中というと違うのかもしれない。

     あの日のことを思いながら、音楽以外のいろいろなことを考えながら聴いていたからです。あの日聴けなかった演奏を、今こうして3カ月のブランクの後にようやく現実の音として聴いているのだという強烈な思いを前にして、この演奏がマーラーの交響曲の演奏としてどうなのか、指揮者の解釈は?オケの出来は?というような高尚なことをチェックしながら、冷静に「演奏」を聴くことなど私にはできませんでしたし、正直そんなことはどうでも良かった。(真っ当なレビューや評論を求めてハーディングや新日本フィルという単語で検索にひっかかってココに来てしまった方々、ごめんなさい。)この音楽を聴きながら、私の中で何が起こっているか、それが私にとって何であるか、それだけが私の関心事でした。

     3月11日から3カ月のいろいろな場面が頭をよぎりました。特にあの日のこと。一生忘れられないであろう、あの日の体験。テレビなどで見た被災地の凄まじい状況と、被災された方々の姿。原発。ありとあらゆる場面が走馬灯のように頭を駆け巡りました。

     演奏を聴きながら、ああ、実は今までの3カ月は夢だったんだ。地震なんてなかった。今、私は、3月11日のトリフォニーホールにいて、マーラーの5番を聴いているんだ、あとで友人にも会える。

     そうだったらいいのになあと切実に思いました。

     しかし、残念ながら、あれは夢じゃなかった。マーラーの音楽のそこかしこにある「カタストロフ」に遭遇するたび、ああ、これは現実なのだ、私たちは厳しい現実の中を生きているのだと思い知りました。

     もう地震の前の私たちには戻れない。舞台の上で演奏する人たちも、客席で聴いている私たちも、もしも地震がなかったらなっていたであろう「自分」とは、深刻な差異をもった別の「自分」を生きている。

     そう考えているうちに、あのアダージェットがやってきました。弦の繊細で儚げな響きが、声を上げて泣きたくなるくらいに哀しい現実に打ちひしがれる私を優しく包み込み、寄り添ってくれるかのように感じました。それは深く心を打つ音楽であり、激しく魂が震えるような体験でした。

     どんなに抵抗しても私たちは自然の営みの力には勝てない。運命を克服することもできない。たとえ叡智を集結して戦争を防げたとしても、医学の進歩によって健康を阻害するものを排除できたとしても、荒れ狂う自然の猛威の前には私たちは余りに無力です。

     私は昨年の3月に母を亡くしましたが、母の死を経た今、その哀しみを乗り越えることができると感じています。母が苦しみから解放されたこと、最期のいくらかの時間を母と過ごすことができたことが私の中で「救い」になっているからです。哀しみから何がしかのカタルシスを得ることができる。身も心も引き裂かれそうになる哀しみでさえも、時さえ経てば自分の人生の糧とすることができるという実感がある。 

     しかし、この震災はどうか。東北の被害の大きさ、深刻さに何か少しでも「救い」を見出せているでしょうか?答えはまだ「No」です。被災者の救済はどんどん遅れ、行政はなかなか動けず、下らない政争を繰り返している。そして、私たちの生活への大きな影響を及ぼし続けている致命的な「人災」の被害はじわじわと広がり続けている。このどこに希望を抱けばいいのだろうか?何かを糧にできるようなプラス思考ができているだろうか?何度考えても、「No」という答えしか私には思い浮かびません。

     己の小ささ、無力さに立ちすくむ私たちは、完全な敗北を認めなければならない。いくらじたばた抵抗しても、私たちが望む「完膚なきまでの勝利」などあり得ない。永遠に手に入らない。手に入れられたと思ってもそれはせいぜい、何らかの留保条件付きのフェイクのに過ぎない。私たちにできることと言えば、ただひたすら勝利という幻想を求めて「祈り」を捧げることだけだ。

     そんなことを考えているうちに白熱した演奏は見事に大団円を迎えました。何か結論が出た訳でもないし、カタルシスを得られた訳でもない。演奏を聴きながら、ただただ下らない妄想をしていただけなのでしょう。でも、マーラーの5番の音楽のプロセスを、私なりに、そう、「震災」を首都圏で経験した私なりに、私自身のものとして「追体験」できたという実感、大きな思いで私の心は満たされていました。

     演奏が終わって、会場は熱狂的な拍手に包まれました。私も手が痛くなるほどに拍手をしました。指揮者もオケも持てる力を出し切ったという満足感に溢れた表情をしていました。コンサートマスターの崔さんを始め、団員全員からも、ハーディングへの信頼と共感を露わにしたあたたかい拍手が送られていました。あの日、あの瞬間を共に体験し、その場にいた人たちにとって一生忘れられないような体験を分かち合ったという、ものすごく強い「一体感」が客席にも伝わって来て、胸にこみ上げるものがありました。

     オケが退場してからも、私だけでなく多くの聴衆が帰らずにその場で立ったままハーディングへの拍手を続けていました。1回目は一人で、2回目はコンマスの崔さんと二人で舞台に出てきた彼に、素晴らしい音楽を、素晴らしい体験をどうもありがとうと心から拍手を送りました。

     昂揚した気分でホールからロビーに出ると、ごった返す人々の中で、ハーディングとオケの団員たちが、アクリルの箱を持って募金を呼び掛けていました。私も列に加わって少額ながら寄付をしました。目の前で見るハーディングはとても小柄で華奢な人、可愛らしいくらいにちっちゃな目をした「優男」でした。舞台で長身に見えるのは、彼がそれだけ大きなオーラを出していることの証左なのでしょう。素晴らしい体験をさせてくれた彼を目の前にして緊張してしまい、お札を箱に入れるのにほんの少し手間取りましたが、でも、これも今日の忘れられない光景として記憶したいと思います。

     この素晴らしい体験の中で、私は、この危機的で絶望的な状況にあっても、音楽がそばにあってくれることの大切さと幸せを深く味わいました。と同時に、マーラーという一人の偉大な作曲家−喜びのうちにあっても哀しみを、幸福のうちにあってもカタストロフを、光のうちにあっても闇を、そして横溢する生のうちにあっても、不可避で、唯一私たちが手に入れられる完全な永遠である死を、まったく同時に見てしまう作曲家−が、私たちの心に寄り添ってくれる音楽を、まさに殉教者のような覚悟と犠牲のもとに残してくれたことに深く感謝したいと思いました。そして勿論、こんなに素晴らしい演奏をしてくれるハーディングと新日本フィルという卓越した音楽家たちが存在してくれることにも。

     何度も繰り返して言いますが、ハーディングと新日本フィルの方々には、心から素敵な時間をありがとうとお礼を言いたい。そして、これからもできる限り、彼らの演奏会には足を運ぼうと固く決心しました。

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    2019.08.15 Thursday

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      コメント
      感動的な文章、ありがとうございました。
      たまたまこちらを拝見したのですが、思わず
      書き込んでしまいました。
      ハーディング自ら募金箱を持つ姿、
      涙がこぼれそうでした。
      • by のり
      • 2011/06/21 10:50 AM
      私は21日のサントリーホールでマーラーを聴いて
      きました。指揮者と演奏者と観客が一体となる素晴
      らしいコンサートでした。涙が出ました。
      言葉で気持ちを表現できなかったのですが、こちら
      の感想を読んではっとさせられる思いがしました。
      私も思わず書き込んでいます。
      疲れているだろうにハーディングは一生懸命笑顔で
      お客様に対応して募金を募っていました。本当に英国
      紳士を絵に描いたような素敵な方ですね。素晴らしい
      演奏をありがとうとオケの方々とハーディングに伝え
      たくて手が痛くなるほど拍手をしてきました。
      久しぶりに気持ちの高揚する夜でした。

      • by のび子
      • 2011/06/21 11:47 PM
      私も一緒に感動を味わいました。パッションあふれる音楽を堪能させていただきました。
      迷わず本日のトリフォニーも予約を入れました
      • by かっとび
      • 2011/06/22 9:58 AM
      私は昨日のサントリーホールで聴いてきました。新日のお客さまから招待券を頂戴した身分なので、更に罪悪感を感じながら演奏を聴いていました。

      新日の方々にチャリティ整体でもしようかなと考えています(笑)
       初めまして。自分もあの場にいました。あの感動をうまく言葉にしてくださっているブログがないかなと探して、こちらのブログにたどり着きました。

       あのアダージェットのあたたかく繊細な優しさに包まれて涙を流し、5楽章が終わった後、ほとんどの楽団員が檀上から去ってもスタンディングオベーションを続け、ブラボーの声をかけ続けました。あの日の公演には、演奏がどうとか指揮がどうとかいうのを超越した感動と一体感があったと思います。今このブログを拝見し、また涙がこみあげてきました。ハーディングと新日本フィルには心からありがとうと言いたいです。そして、素敵な感想を読ませて下さり、もう一度感動させてくださったLangsamer Satzさんにも。ありがとうございました。

      追記:
       自分のブログは「ネタブログ」的なものなのですが、こちらのブログ記事を紹介させていただいてもよろしいでしょうか。
      ブルックナー、マーラーのリハーサル、20日のマーラー チャリティーコンサートと順に聴きました。

      彼が再びここに来てくれたこと、誠実に真摯に振ってくれたことに胸がいっぱいです。

      3月11日震災当日。
      たまたまその日に、被災地に行った(大震災の15分前に駅に降り立ったと後から聞きました)家族の身を案じながら、職場で指示を出していた、あの日の気持ちは忘れようもありません。

      ハーディング氏のあの日体験も、同様に、想像するにあまりあります。
      そして、彼は再訪し、私たちと音楽という時間を共有してくれました。

      ハーディング、新日本フィル団員、そして私たちが緊密に結びついた時間がトリフォニーに流れていました。

      ブルックナーの後は
      “あなたが来てくれたことが、私たちを勇気付けてくれる。”と伝えました。

      今回のマーラー初日の後は、ただ“ありがとう”と。ハーディングは、繊細だが力強く暖かい手をしていました。顔には終始笑みをたたえていました。
      週末のBeethoven7にも行きますからハーディング三昧です。


      昨年のメッツマッハーで新日フィル贔屓になり、(その時、初めてこちらにお邪魔しました)この9月からは定期会員です。

      いつも読むのを楽しみにしています。またお邪魔します。
      • by 通りがかり
      • 2011/06/22 9:21 PM
       たびたびすみません。上記の自分のコメントの「追記」は、「ネタにさせてください」という意味ではもちろんなく、「あのコンサートがいかに感動的なものであったかが伝わってくるブログとして紹介させてください」という意味ですが、問題がありそうなら撤回させてください。
       恥ずかしながら4月末にブログをはじめたばかりで、そのあたりのルールがよくわからず、質問させていただきました。
      拙ブログにいらしていただき、ありがとうございました。リンク張らせていただきました。
      私もこちらのブログの文章を読ませていただいてコンサートの感動が蘇り書き込ませていただきました。
      最終日も聴いたのですがやはりそれぞれの心に「何か」を残す素晴らしいコンサートでした。
      前から新日本フィルは大好きなオケで(特にフルートの白尾氏の暖かい音色のファンです)今回は指揮者とオケと聴衆の気持ちが一体となって熱くそして静謐な特別な空間を作り出していましたよね。
      私も昨年母を亡くしたので冒頭の「ニムロット」から震災のこと、そして母のことを想い涙が溢れました。
      音楽は思いと想いに寄り添う力を持っている・・とあらためて実感いたしました。
      また寄らせていただきますね。
      • by 響
      • 2011/06/27 11:09 AM
      行きたかったんですが、でも行けなかったんですが、ご感想を拝読して少し救われた気分になりました。ありがとうございました。
      • by taisuketkd
      • 2011/07/05 7:20 PM
      のりさん、初めまして。コメントありがとうございます。

      感動的なのは、決して私の文章などではなく、あの時鳴り響いた音楽ですね。本当に得難い体験でした。
      のび子さん、初めまして。コメントありがとうございます。

      > 指揮者と演奏者と観客が一体となる素晴らしいコンサートでした。

      本当にそうでしたね。感動に満ち溢れた素晴らしい時間でした。
      かっとびさん、初めまして。コメントありがとうございます。

      >パッションあふれる音楽を堪能させていただきました。

      仰る通りの音楽でしたね、

      >迷わず本日のトリフォニーも予約を入れました

      もう1ヶ月以上が経ちますが、どうでしたでしょうか?
      養氣閣さん、初めまして。コメントありがとうございます。

      >新日の方々にチャリティ整体でもしようかなと考えています(笑)

      その後、チャリティ整体、なさりましたでしょうか?
      伊東源さん、コメントありがとうございます。

      当日の演奏評ならば、こんなところのよりももっと良質なものはあるかと思いますので、何だか騙してるみたいで申し訳ないです。
      響さん、初めまして。コメントありがとうございます。

      > 最終日も聴いたのですがやはりそれぞれの心に「何か」を残す素晴らしいコンサートでした。

      > 私も昨年母を亡くしたので冒頭の「ニムロット」から震災のこと、そして母のことを想い涙が溢れました。
      音楽は思いと想いに寄り添う力を持っている・・とあらためて実感いたしました。

      本当にそうですね。まったく同感です。しかも、「ニムロッド」は私の母と分かち難い思い出があるので、ほんとにグッと来ました。
      通りがかりさん、初めまして。コメントありがとうございます。

      御家族が震災の時、被災地におられたのこと、でもご無事だったようで、不幸中の幸いでしたね。

      >“あなたが来てくれたことが、私たちを勇気付けてくれる。”

      とハーディングに言って下さったとのこと、聴衆の気持ちを代弁して伝えて下さり、ありがとうございます。
      taisuketkdさん、初めまして。コメントありがとうございます。初めまして。コメントありがとうございます。

      >ご感想を拝読して少し救われた気分になりました。

      こんな文章でもそんな風に感じて下さったのでしたら、大変恐縮です。ありがとうございます。
      nailsweetさん
      初めまして。「題なし」の及川と申します。
      ご存じかと思いますが、3月11日当日の演奏会のことを、2012年3月10日にNHKでやっていました。心底驚き、心を動かされました。曲は断片的にしか流してくれなかったのですが、もの凄い演奏だったと思います。私のブログの記事、お立ち寄り頂くとありがたいです。nailsweetさんの記事を拝見し、3月11日付けの記事に、たった今、追記させて頂き、トラックバックも付けさせて頂きました。http://dainashibekkan.cocolog-nifty.com/music/2012/03/post-d0e8.html
      また、初めてお邪魔したのですがクラシック音楽のページということで、私のカテゴリーと近い部分があると見受けました。私のブログのリンク集に加えさせて頂きたいと思いますが、よろしいでしょうか。
      「題なし」の及川さん、初めまして。
      コメントありがとうございます。

      貴ブログ、拝読しました。
      とても心に響く文章で、共感致しました。

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