【私の好きな歌・11】武満徹「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎詩)

2012.10.31 Wednesday

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    ・武満徹「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎詩)
     石川セリ(Vo) (DENON)

     →詳細はコチラ(HMV/Tower)





      今日(正確には昨日)、亡母が生前飼っていた猫のろくすけの命日でした。三回忌。母が介護施設に入ることになって一緒に暮らせなくなったろくすけを引き取り、最期を看取って下さった里親さんも、ろくすけの命日にお花を供えて下さったようです。私は花こそ買いませんでしたが、母の位牌と、ろくすけの爪を収めた仏壇に手を合わせました。

     何か音楽を聴こうかと思いました。でも、それらしい音楽を聴くより、今、私が聴きたい音楽を聴こうと思いました。そこで手にとったのが、石川セリの歌う武満徹のポップ・ソング集「翼」の中の「死んだ男の残したものは」です。

     どうしてこの曲なのかというと、「死んだ男」という言葉に、ろくすけを当てはめようとしたのではありません。ただ、日曜日に本屋で少し目を通した本にこの歌のことが書かれていて、それ以来頭から離れなくなっていて、CDを聴いて脳内再生の無限ループを止めたかったからです。

     私が日曜に立ち読みしたのは、窪島誠一郎著「夜の歌」。窪島氏と言えば、長野県上田市に戦没画学生の遺作を展示する美術館「無言館」を経営されている著作家、美術評論家。「夜の歌」は、戦没作曲家である尾崎宗吉について書かれたもので、同時に尾崎の曲を集めたCDも発売されました。諸井三郎の弟子で、将来を嘱望された気鋭の作曲家だった尾崎は、中国へ出征し、昭和20年5月に病気のためわずか30歳で亡くなりました。無言館の館主である窪嶋氏は、このまま尾崎の残したものが消えてしまうのは余りに惜しいと「夜の歌」を世に問い、話題になりました。

     その「夜の歌」の最後の方に、この武満の「死んだ男の残したものは」のことがちょこっと出てきます。2011年、音楽評論家の池田逸子さんが主催して、東京と無言館で尾崎の作品を集めた演奏会を開いたのですが、その演奏会のタイトルがまさに「死んだ男の残したものは」だったのです。その演奏会の経緯を書いた文章には、なかなか感動的なものがありましたが、池田さんが、坂田明さんが詩を朗読するのを聞いて、谷川俊太郎の詩のもつ意味について深く理解したというあたりは特に胸に迫るものがありました。

     それから、この武満・谷川の「死んだ男の残したものは」が、頭の中でグルグルとエンドレス再生され続けているという訳です。

     とても久しぶりに聴きました。武満の晩年(1993-95)に録音されたアルバムで、しばらく音楽活動を休止していた石川セリのカムバック盤であり、石川セリのファンだった武満自身もとても楽しんで制作に携わったという名盤。「死んだ男の残したものは」は、服部隆之がボサノヴァ調にアレンジ。なんていう能書きはとりあえず横に置いておいて。
     
     CDを聴く前、脳内再生をしていた時は、ああ、自分は死んだあとに何を残せるだろうか、いや、何にも残せないんじゃないかという思いにかられていました。出世はおろか、何一つ成し遂げてはいない私が、この世に残せるものなんて何にもない。でも、ひとりの妻とふたりの子どもがいればもうそれだけで十分かと、自分を慰めるのがせいぜい。

     しかし、今日の私は、まったく別の視点からこの曲を聴いていました。つまり、自分が「残された」存在であるということ。私の母からすると、私は死んだ女の残したひとりの子どもでり、ろくすけという猫から見れば、彼が残していった縁の薄い同居人である。

     この歌の詩にならって言えば、この世には、「私」しか残っていないのです。墓石も、着ものも、思い出も、平和も何も残っていない。ただ生きている私がいるだけ。そして、この世には、そんな「残された私」がたくさんいる。

     私にとっての「今日」が輝いていたかどうかは分からないけれど、「私」が残されているからこそ、今日が「輝く今日」になる可能性はあり、そして、何よりも「また来る明日」があり、明日こそは「輝く今日」になるかもしれない。「私」が消えてしまえば、今日も明日もない。それがつながっていくことが「歴史」なのだ・・・。

     というようなことを考えていました。だからどうした?何が言いたい?

     分かりません。ただそう思っただけだから。そこからまだ別の思考は生まれていません。ただ、ろくすけのこと、そして母のことを思いながら、これまでとは全然違う視点で「死んだ男の残したものは」を聴いたという「記録」を残しておきたかった。だから、この文章を書きました。

     それにしても、素晴らしい歌です。詩がいいということもありますが、武満の書いた旋律は、何と胸に沁みるのでしょうか。シリアスな作品にこそ彼の現代作曲家としての本分があるのは当然ですから、殊更に彼のポップソングを称揚するのもどうかという気はしますが、やっぱり彼には「稀代のメロディスト」という側面があることは決して否定できませんし、彼の残した歌の魅力に抗うだけの力は私にはまったくありません。石川セリの歌も、どこか甘えたような可愛らしい声がちょっとハスキーになるところなんて、少女と、成熟した大人の女性の両面を感じさせる魅力があって、私の耳を優しく刺激してくれます。数ある武満ソングのCDの中でも私はこれは特にお気に入りです。あとは、「小さな空」や「三月のうた」で素晴らしい歌を聴かせてくれた波多野睦美さんが歌うのを(もちろん、つのだたかしさんの伴奏で)聴いてみたい気がします。

     ところで、日曜日に私が本屋へ行ったのは、その前の日、インバルと都響のマーラーを聴いた時に出会った大学時代からの友人が、「面白いよ」と教えてくれた本を買うためだったのですが、たまたま「夜の歌」に目がとまってふと思い出したのが、この尾崎のことについて私に教えてくれたのは、まさにその友人だったということでした。こうやって私の人生を豊かにしてくれる友人の存在は、やはり嬉しい。彼に心から感謝したいと思います。

    「死んだ男の残したものは」 
     谷川俊太郎・詩 武満徹・曲

     死んだ男の残したものは
     ひとりの妻とひとりの子ども
     他には何も残さなかった
     墓石ひとつ残さなかった

     死んだ女の残したものは
     しおれた花とひとりの子ども
     他には何も残さなかった
     着もの一枚残さなかった

     死んだ子どもの残したものは
     ねじれた脚と乾いた涙
     他には何も残さなかった
     思い出ひとつ残さなかった

     死んだ兵士の残したものは
     こわれた銃とゆがんだ地球
     他には何も残せなかった
     平和ひとつ残せなかった

     死んだかれらの残したものは
     生きてるわたし生きてるあなた
     他には誰も残っていない
     他には誰も残っていない

     死んだ歴史の残したものは
     輝く今日とまた来る明日
     他には何も残っていない
     他には何も残っていない

    ■石川セリ


    ■坂田明


    ■ショーロ・クラブ(アン・サリー)


    ■東京混声合唱団(林光編曲)

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    2018.12.09 Sunday

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      コメント
      全体として好きではない谷川俊太郎だけれど、ふと「死んだ男の残したもの」を効きたくなりググってここへ来ました。坂田さんの朗読は前半だけだったのでしょうか? この詩は武満の曲と一体になっていつまでも私の中で響いています。色々な演奏を聞くことが出来楽しかったです。有難う。
      • by Viola
      • 2013/03/29 6:32 PM
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