【雑記】客席ガラガラの演奏会に思うこと

2012.11.22 Thursday

0

    ・ポリーニ2012年来日公演の写真
     (梶本音楽事務所HPより)

     

     

     

     

     

     

     

      私がよく見に行く内田樹氏のブログで、シンポジウムのお知らせとして、以下のような文章が掲載されていました。
     

    労働力を市場で売って、貨幣を得て、それで商品やサービスを買うという従来のスタイルをこの若者たちは「不合理」だとみなします。
    なんで、いちいち市場に繰り出して、貨幣を媒介させなければいけないのか。
    そんなのめんどうくさい。それより、自分のしたい仕事をして、それに価値を認める人から、貨幣を媒介にしないで、ダイレクトに商品・サービスを受け取る方が「話が早い」。
    自分の持っているものを、自分の欲しいものと交換するためには、「自分が余分に持っているものを欲望し、かつ自分が欲望しているものを余分に持っているひと」と出会うことが必要です。
    これは「欲望の二重の一致」と言って、経済学的には「ありえないこと」とされてきました。
    でも、いまはこれが「ありうる」のです。
    インターネットがあるから。
    欲望の二重の一致が成立するなら、市場も貨幣も媒介しない交換が可能になります。
    この若者たちが市場と貨幣にこだわりを持たないのは、別に「清貧」とか「ユートピアニズム」ゆえではなく、「市場とか貨幣とか、迂回するのが面倒」だからです。その方がスピードが遅いから。


     案の定、日頃から内田氏を日教組の手先だとか、「世の中はこれでいいのだ教」の教祖だと非難している方からは、「だったら原稿料とか講演のギャラを物々交換してもらえば?」とか「パプアニューギニアへでも行けば?」とまたまた非難轟々。まあある意味当然の反応。

     私はというと、初めはこの文章を「え?この人、何言ってんの?」とポカーンと口を開けて読んでいました。この論の正否について何か思ったというより、何だか全然現実味のない話をしているように思えたからです。でも、全能感丸出しで内田氏のことをこき下ろす経済学者さん達のツイートを見ていると、最近目にしたある光景を思い出して、感じ方が変わりました。「そんな風に表面だけ捉えて非難していいのかな?」と。

     何を思い出したかというと、先日のマウリツィオ・ポリーニの2回のリサイタルのガラガラの客席でした。何だかんだと批判を浴びながらも、まだクラシック音楽界の最先端を走る人気ピアニストが、ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタを弾くというのに、サントリー・ホールの2階席にほとんど人がいない。1階席も信じられないくらいに空席が目立っていて、ポリーニが気の毒になったのでした。

     理由はいろいろあるでしょうが、やっぱり入場料が高いことが大きな要因だろうと思います。私は、28〜32番のソナタを全部聴きたいと思い、2回ともに一番安いP席のチケットを買いましたが、それでも1回が12,000円、計24,000円というのはやっぱりきつい。結果的に、その値段に見合う、いや、それ以上に価値のある演奏を聴くことができたので、その値段自体に文句を言うつもりはないのですが、やっぱりこの値段はきつい。しかも、最高席に至っては30,000円。ベートーヴェンの21番以降のソナタ全曲を聴けて、しかも、現代曲も聴けるということで、スペシャルな演奏会なのは分かりますが、昨今の気が狂ったようなコンサート・ラッシュの中、ポリーニだけに資金を注ぎ込むのはなかなか難しい。日頃、コンサートに行きまくっているコンサート・ゴーアーであればあるほどきつい。ポリーニを我慢して、最近好調な在京オケの演奏会を聴く方がいいという考え方は十分に成り立つ。

     こういう状況、とってもまずいと思うのです。

     何が一番まずいかというと、若い人たちが、若いうちに、超一流の演奏に触れる機会がどんどんなくなっていくことです。なぜなら、若い人たちはとにかくお金がないからです。勿論、若い人がお金を持っていないなんてのは世の常には違いありませんが、でも、今の時代、働こうにも口がなくて収入が不安定な上に、将来に対する希望も持てず、人生設計がまったく立てられない状況にある若者が増えている状況で、誰が一晩30,000円もするリサイタルになんて行けるでしょうか?最低ランクの席だって馬鹿にならない。若い人たちが、超一流のアーティストのコンサートに行きたくても行けない。

     しかも、です。最初に掲載した内田氏の文章で書かれていたように、「市場も貨幣も媒介しない交換」へと関心が移っているのです。これ、私の職場の若い人たちを見ていても、何となくそういう空気があります。彼ら彼女らは、全然モノを欲しがらないのです。(メーカーなのに!)車も欲しがらない。いいモノを買おうという気も余りないように見える。だから、出世してお金を稼ぎたいとかいう欲望をギラギラさせる人もほとんどいない。個人レベルを見れば、みんな能力もあるし、人柄も良いのだけれど、やっぱり草食系という言葉がしっくりくるくらいにゆったりして、自己完結している。お金を稼いで、金のかかることをしたい、贅沢したい、いいものに触れたいという欲望を増大させることなんて、頭にないみたい。それに、みんな将来を不安に思って貯金し、お金を使わない傾向にあるともいいます。だから、超一流のアーティストのコンサートを、いつか聴きに行けるような身分になりたいとさえも思わないのかもしれない。ましてや、海外まで行ってホンモノを聴きたいとも思わないのかも。

     そういう状況が続いていくと、若い人たちは、ポリーニみたいなチケットの高価なアーティストの演奏会には、そもそも目が向かなくなるのではないでしょうか。既にクラシックが好きになっている若者でも、激安BOXで過去の歴史的名盤が聴ければいいし、ポリーニだったら70年代の名盤がウソみたいな値段でが買えるのだから、もうそれでいいじゃないかと思うのかもしれません。ホロヴィッツの初来日公演の時のように、どんな素人が聴いても「何かヘンだ」と思わずにいられないような演奏を聴かされたのならともかく、本当に素晴らしい演奏が聞けたのに本当にもったいないことです。

     チケットの値段だけが問題ではないのかもしれません。演奏会の数がとても多くなり、魅力的な演奏会がバッティングするケースが頻出しているし、ネットの時代、口コミでいい演奏家の情報がどんどん流れるので、客足が分散してしまうからということもあるでしょう。超一流の演奏家のコンサートで格安のチケットが出ても、若い聴衆の数が増えていないケースを見ます(最近ではクレーメルや、マゼール/N響)。梶本音楽事務所とかNBSという招聘元の「商売」のやり方に問題はないとは思いませんが、それ以上に何か社会の構造的な問題の方が大きな要因になっている気がします。

     若者たちのアンテナに、クラシックのコンサートがどんどん引っかからなくなっていく。そうなると、一体どうなるでしょうか。

     

     今、コンサート会場に集まっている聴衆の多くは、はっきり言うと、年寄り。ある程度の経済基盤を持った余裕のある方々。この方々がせっせとチケットを買ってくれるので、音楽業界が成り立っているので、私は感謝こそすれ、「コンサートに年寄りは来るな」などという暴言を吐く気にはなりません。やっぱり大切な人たちだと思います。でも、この人たちもやがてコンサート会場から姿を消していく。あの有名なサスペンダーおじさんだって、まだまだお元気そうですが、ずっと未来永劫見られる訳ではない。

     すると、今、コンサートを経済的に支えてくれている世代が退場してしまった時、次の時代を担う若いファン層が育っていないままだと、世代交代ができなくなってしまう。そうでなくともこれから日本の人口は減っていくのですから、クラシック音楽の市場が今のまま続くことはほとんど不可能です。しかも、ハコモノ行政の一環で各地に次々と建てられた地方のコンサート・ホールなんて、せめてカラオケ大会で使ってくれるお年寄りがいなくなったら、もはやホールをインフラとして維持するこそすら難しい。

     どう考えても、このままの状況ではクラシック音楽の世界に「明日はない」ということになってしまいます。

     客席にお年を召した方がたくさん来られることが悪いのではなく、それ以上に、若い人たちがクラシック音楽から遠ざかっていくという状況がまずいと私は思うのです。そして、それは決して若者のせいではない。むしろ、私たち大人が、若い人たちや子供たちに対して、私たちはこんなに素晴らしい文化を持っているのだ、この善き文化を守り、ますます発展させ、伝えていくことは私たちの義務であるということを、もっと積極的に伝えていく努力を怠っているからではないかと思っています。

     確かに、音楽なんて個人的な趣味であって、それを人に押し付けるのは違うと思いますが、自分たちが良いと思ったもの、自分の次の世代の人たちに「残してあげたい」と思うものをアクティヴなものとして存続させながら、若い人たちがいつでもアクセスできる場を提供することは大切だと思うのです。そこまでやってもなお、未来の聴衆が興味を失ってしまうことがあるかもしれない。私たちが残すべきと思ったものは実は大したものではなく、私たちが忘れ去ったもの、気がつかなかったものこそが後世の人たちにとって価値のあるものだった、ということもあるかもしれません。でも、それでも、私たちは私たちの持っている最良の文化を後世に伝えていく義務がある。

     例えば、J.S.バッハの音楽は、バッハの死後、急速に忘れられていました。しかし、一部の見識ある音楽家たちは、決してバッハの功績を忘れることはなかった。細々とでも彼の音楽を継承し続けていた。それがやがてメンデルスゾーンの出現によって、一気にリバイバルすることになる。大事なのは、後世の人たちがアクセスする場を残しておくことだと思います。クラシック音楽に興味を持つ若い人が増えているのか減っているのか、私はデータを持っていないので正確なところは分かりませんが、ある一定の人数はいるはずなので、クラシック・ファンを増やすことよりも、コンサートに行きやすい環境を作るということが大事ではないでしょうか。そこでクラシック音楽の本当においしいところを見つけてもらって、クラシック音楽の「奥の院」へと誘導し、クラシック音楽の担い手となる聴衆を育てていくということ。

     つまり、私たちが取り組まなくてはならないのは、若い人たちがクラシック音楽にアクセスするのを支援することだと思います。そのためにも、まずは、コンサートのチケットの価格をどうやって下げていくかが最重要課題。下手すると中国や韓国に聴きに行ったほうが安いなんてことにもなってしまうかもしれないのです。しかも、アーティストへの正当な報酬も確保して、決して演奏会の質を落してはならない。市場や貨幣の介入しない世界、パプアニューギニアのような物々交換の社会にも似た世界に住む人たちが、どうやったらクラシックのコンサートに足を運んでくれるようになるか。きっと音楽業界の方々も一生懸命考えておられるのでしょうが、やっぱりこのチケットの高さだと難しい。大阪市長に「企業努力が足りない」と言われかねない。

     今、私は、まったくの素人の妄想レベルに過ぎませんが、その方法をちょこっと考えています。勿論、片手間に考えている訳ですし、何のビジネスセンスも持ち合わせない者の戯言にしか過ぎないのですが、もう少し考えがまとまったら、このエントリーの続きとして考えを書きなぐるかもしれません。ま、誰にも期待されてないことなので、気楽に、気長に考えたい。

     と、今日は久しぶりに会社の飲み会に出てちょっと酔っているので、いつもにも増して酩酊したような文章になってしまいました。明日、正気に戻って読み返したらきっと消したくなるだろうなあ。

     おわり。

    スポンサーサイト

    2024.02.28 Wednesday

    0
      コメント
      この間ゲルギエフのコンサートへ行って同様の事を思いました。
      私もクラシック音楽のブログを書いていますが最近思うことは、作曲した当時の生活と現代の生活に大きな差異があるということです。
      美しいメロディ、ハーモニーをただ愉しむのも愉しみですが、自分の感じ方と他者の感じ方の違いをブログ等をとおして新たに知ることも私の今の愉しみの一つですね。
      いつも的確な批評に感心しております。
      私も、ポリーニに限らずティーレマンなど、昨今のチケット代の異常な高さに疑問を抱いております。
      私はバブル期頃から盛んにコンサートへ通い始めましたが、その頃より社会人の平均給与や物価が下がっている筈なのに、チケット代だけが上がり続けるという事態は何故なのでしょう?
      また、それでもなおかつ、ほぼ毎日のように外来アーティストのコンサートに通える方々の懐具合って、どうなっているんでしょうね。
      • by 樋上 昇
      • 2012/11/22 7:09 AM
      私も同意見です。ここ最近のコンサートの入場料は取り過ぎですし、オペラだってそうです。
      1980年代からそうした傾向が一般化しました。1981年に倒産した新芸術家協会はそうした営利一辺倒の路線が災いしました。こうした悪しき風習が根付いたからこそ、今の不況ではますますコンサートに行く人が減っているようです。こんなおかしなことを止めないと日本の音楽界が大変なことになります。
      • by 畑山千恵子
      • 2012/11/22 9:07 AM
      付け加えるならば、バブル期の頃は日本のオーケストラがまだまだ演奏水準が低く、そのぶん外来アーティストの相対的価値が高かったのですが、この20年で日本のオーケストラはずいぶん上手くなりましたし、プログラミングも外来オケの来日公演よりもはるかに魅力的です。
      ですので、内外価格差が3倍前後にのぼる外来アーティストのチケットが売れないのは当然だと思います。
      ある意味で日本の音楽市場が健全化した証拠じゃないでしょうか。あとは梶本やジャパンアーツ、NBSなどの招聘元が、この状況にどう対応するか次第だと思います。
      • by 樋上 昇
      • 2012/11/22 10:37 AM
      その分航空券代も下がったし海外が特別なことじゃなくなってるから、若者は現地に聴きに行きやすくなったと思います。自分も海外での初体験からコンサートに通うようになりました。もうそういう世代が育っています。来日公演ビジネスは萎んでいいと思います。あれが成立していた期間が異常で、日本が普通の国になりつつあるだけです。焦るべきは観客ではなく呼び屋さん側(彼ら自身の生き残りの問題)でしょう。日本に来ると儲かるから来る人達ではなく、日本人の音楽性を認めて芸術上の刺激を受けに来る人達は今後も来ます。それで充分です。

      それに高いチケット代を出さないと一流に触れられないとは全く思いません。それは情報が限られていた時代の常識です。若者は情報収集に労力をかけるので、まだ一流と認知されていない素晴らしい演奏家に辿り付くことが出来ます。かつての一流よりよほどエキサイティングです。
      国内でもよい演奏家はいっぱいいますが、日本人、特に年配者は舶来至上主義で権威至上主義なので、周回遅れの一流ばかり持て囃していて本当に音楽を聴く耳があるのか疑問に思います。国内の演奏家が育ったから来日の有難味が無くなりつつあるので、本来なら喜ぶべきことでしょう。
      国内演奏家であれば、公演当日の残席を学生や若者に激安で提供する制度など沢山あります。労力をかけるなら国内への育成の方が、よほど現実的だと思います。

      自分で周囲の人にコンサートに来ることを薦めてて思うのは、クラシック音楽やオペラなどは興味を持ち始める年齢がどうしても上になるので、30代くらいまで優遇制度の対象にしてあげた方が結果的に裾野が広がるのでは、ということです。海外では、特にオペラだとアンダー40割引などもあります。そのくらいの年代だと客席も華やぐし、そのまま根付きやすいのではないでしょうか。
      若者優遇制度も沢山あるが知る人ぞ知る存在で活用されていません。周囲の若者に、千円〜二千円代でクラシックのコンサート聴けるよと誘えば、一見クラシックなど興味なさそうなタイプの若者も含めて、かなりの割合で興味を持つものです。その部分の橋渡しが出来るのは、今クラシックファンである私達だと思います。
      • by 少し前の若者より
      • 2012/11/24 12:16 PM
      今年ウィーンへ旅行に行きコンサートとオペラを楽しんできましたが、座席のカテゴリーが多く富裕層から学生まで誰でも楽しめるようになっていることを羨ましく思いました。
      今でこそ仕事を持ち、年齢的に経済的な余裕が出てきたからホールに通い始めましたが、若い学生さんなどにはやはりキツイと思います。高いから聴きに行かれないのだとしたら勿体ない話です。オケ側も将来につながることと認識して、もう少しカテゴリーを増やしたらいいんじゃないでしょうか。

      仰るとおり外来オケの座席は現地の約3倍です。聴いてみたいと思ったところでなかなか手が出るものではありません。これだけ出さなければならないならば、日頃応援している在京オケにせっせと足を運んだ方が、いろいろな意味でいいような気がします。
      • by eternaroma
      • 2012/11/30 10:14 PM
      学割の整備は今後さらに必要だと思います。昨年まで米国クリーブランドに住んでいたのですが、あの有名なクリーブランド管弦楽団のコンサートの学生チケットは毎回10ドル(800円程度)でした。

      ポリーニの空席問題ですが、プログラムに多かれ少なかれ原因があったと思います。前半が現代曲で後半が中・後期のベートーヴェンのソナタというカップリングは非常に興味深いですが、実に「玄人好み」なプログラムと言えるでしょう。
      サントリーホールに来場する客は「通」が多いと思われるかもしれませんが、少なくとも半数以上がミーハー、ド素人だと感じます。マンゾーニ、シュトックハウゼン、シャリーノの音楽を理解できる客が会場内にどのくらいいたでしょうか。

      誤解の無いように言いますが、「プログラムが悪かった。素人にも分かりやすいベタなプログラムにすべきだ」と言っているわけではありません。何万円という高い金を払って「玄人好み」の作品を聴きに行こうという日本人が少なかった、ということだと思います。

      多くの日本人には、もうすでに価値の定まっている物にしか興味を示さない傾向があります。ブランド品やゴッホのひまわりなどがいい例です。
      もしポリーニのリサイタルのプログラムが、万人受けするショパンのソナタやノクターン、幻想即興曲だったら、チケットが3万円でも恐らくサントリーホールが満員になるでしょう。未知数の現代曲に興味を示さない日本人が多いことが、クラシック音楽界が衰退していく元凶かもしれません。
      • by Moto
      • 2012/12/05 11:30 PM
      クラシック音楽に限らず表現行為全体にあてはまる話ではないかと思いますが、恐らく、どのような表現分野でも、発表のスタイルを根本的に考え直す時期に来ているのだと思います。「クラシック音楽」というカテゴリ自体、その延長線上で生まれた現代音楽も含め、貴族や19世紀に勃興したブルジョワといった、世間の水準から見れば「超金持ち」の観客を前提に発展したスタイルですから、社会構造の変化に合わなくなっているのは否定し難いでしょう。そもそもなぜ、フォーマルな衣装で演奏する必然性がある?おしゃれして聴きに行く必然性がある(現代音楽でさえ)? そこから考え直さないと。
      何を夢みてんだよ老人が
      単純にお前らや団塊の役立たず共が給料取りすぎなんだよ
      お前と自分の周りさえよければそれでいいという考えなくせして何綺麗事語ってんだ
      布施明を見習え老害共
      • by 中間
      • 2013/01/30 7:39 PM
      クラシックの歴史を考えれば、一部の特権階級のものになるのはむしろ自然なのではないでしょうか?
      下々の者が簡単にオーケストラを聴けるという状況がまちがっていたのです。
      • by L
      • 2013/02/06 7:52 PM
      同意見です。特に、「私たちが取り組まなくてはならないのは、若い人たちがクラシック音楽にアクセスするのを支援することだと思います。そのためにも、まずは、コンサートのチケットの価格をどうやって下げていくかが最重要課題」はそのとおり。
      数年前の来日時もポリーニはベートーヴェンの30〜32番を休憩なしで演奏しましたが、同じようなプログラムを組ませようとする興行主にも問題がありますね。ポリーニだったら、近代〜現代の曲のほうが関心を持たれるのでは。

      オケ、オペラ、室内楽、歌手のリサイタル等を問わず、クラシックの演奏会に行くと、会場の7割は60歳以上から80歳くらいの〜70歳前後の〜男女です。まずどこも、どの演奏会もそう。
      器楽奏者も歌手もレベルが上がり、美しいコンサートホールも日本の各地にできている時代で、その分、コンサートの数は〜聴きたい演奏会がバッティング困るくらい〜多くなりましたが、今、席を埋めている70歳前後の人たちも、必然的に「もうじき来れなくなる時代が来る」わけです。不謹慎でもなんでもなく、当然のこととして。
      それを考えた場合、若い人のクラシックの、特にライブ公演に対する関心を喚起していかないと、どんどん「空席の目立つライブ」が増えることでしょうね。
      ロックもジャズもクラシックも大好きな仙台在住音楽ファンです。
      息子2人も音楽大好きでいろいろ話もしますが、若い世代は自分たちが好きなことは厳選してちゃんとお金を払います。今日本中で開催されているロック系のフェス、遠いところでもチケットが高くてもものすごく多い若い人たちがキャンプの用意もして行ってます。野外のフェスも何万円もかかりますけど、そのお金を払っても行きたい!とみんなが思うからです。
      今はCDが売れないこともあり、素晴らしいミュージシャンも日本の津々浦々、地方のライブハウスやカフェまで来てくれるようになりました。
      行政やNPOの支援で信じられない素晴らしい一流のアーティストの演奏をただで聴ける機会も増えています。
      特に仙台は楽都を目指していて、定期的に仙台駅や地下鉄の駅で一流の方々をお招きして無料のコンサートを開催している他、秋に三日間仙台中のコンサートホールに国内外の超一流の音楽家が集まり、一公演1000円から2000円で聴ける仙台クラシックフェスティバルという素晴らしいイベントを開催しています。
      この三日間、気軽に一公演でもコアなクラシックファンなら何十もの公演を観ることもできるので、老若男女多くの人がクラシックを聴きに足を運びます。家計に余裕がない私も毎年楽しみにしていて、私もあれもこれも行きたくて毎年迷いに迷いますが、本当にクラシックを身近に感じられる素晴らしい三日間なのです。
      確かに観客は高齢の方が多いのですが、吹奏楽部や合唱部、ピアノを習っている若い世代の子もたくさん来ています。
      このようにお金をたくさんかけられない人でも、首都圏はもとより地方在住でも一流のアーティスト、ミュージシャンに触れられる機会が増えていることも何万円もするコンサートに足が向かない原因の一つだと思います。
      • by acko
      • 2016/05/12 9:08 AM
      チケット価格はもちろん見直しが必要でしょうが、それよりも重要なのは若い世代がいわゆる「文化的」な鑑賞物に日常的に接し、血肉化されることではないでしょうか。これは逆説的ではありますが、前提であると思います。そうしたクラシックやオペラが「若い世代」の生活から遠いところにある限り、問題は改善しないのではないでしょうか。若い世代のなかにも、クラシックのコンサートには行かないけど、J-POPアーティストのライブには頑張ってお金を貯めていこうと思える人達がいるのは、J-POPがその世代(その層)の人々の生活と(あらゆる面において)密接な関係にあるからだと思います。それらは探さなくても聴こえてくるし、聴きたくなくても聴かされるもので、それらに対する興味関心の発端は個人が選択し得るものではないと思います。
      世代の問題を自ら意識されていることは本当に尊いことだと感じます。そういう方が一人でもいてくださるとそれだけで背筋が伸びる気持ちになります。
      制度の変革はもちろん大切ですし、喫緊の課題かもしれませんが、ご自身がふだん顔を合わせる「若い世代」の人たちとの対話を何よりのものとしていただければと思います。
      長文な上に、生意気言ってしまいすみません。
      世代を代表するとまでは言えませんが20代前半男性の一意見とさせていただきます。
      • by 中谷利明
      • 2016/05/12 9:34 PM
      話題が逸れてしまいますが、私は、クラシックの未来は明るいと思っています。マイナーな曲は淘汰されてしまうとは思いますし、高齢化していくのは避けられないとは思いますが。
      むしろ、ポップスの未来は暗いと思っています。メロディーがネタ切れしてきている気がしませんか?人気のあるグループも口パクだったりしますし。

      確かにクラシックのコンサートはびっくりするほど年齢層が高いです。
      これは、この年代にとって聴きたい音楽がなくなってしまったのも大きな要因だと思います。
      私は中年ですが、今の若い人たちの音楽の中に、聴きたい音楽はほとんどありません。周囲の人も同様のことを言います。昔はこのような層が演歌に流れていたと思いますが、今は演歌もメロディーのネタが切れてしまった状態です。
      そこでクラシックに触れると、超絶技巧・考え抜かれた楽器のバランスなど、飽きのこない普遍的な音楽を味わえ、ハマっていく人が多いように感じます。
      中高年が楽しめる音楽を作れるポップアーティストが出てきたら、クラシックに踏み入れる人は少なくなりそうですが。

      ポリーニがガラガラとは初めて知りました。もう日本に来てくれないのではと思ってしまいますね。
      在京オケやソロなら、席によってはリーズナブルなものもあるので、楽しみ方はいろいろできると思います。
      • by ねこ
      • 2016/07/18 10:05 AM
      ポリーニやツィマーマンのコンサートで
      演奏後に花束を渡し、握手を求めるだけ
      の女性が多いのはなんでだろう?
      日本だけの現象なのか・・・。
      少なくとも、海外でこのような傾向が
      あると聞いたことはない。

      たしかに、外見が良い人間は男女とも
      魅力的だ。しかし、そのアーティスト
      本人が困惑するほど、ステージに殺到
      するのは、何故なんだろう?
      恥ずかしいと思わないのか?
      日本人は外国人(白人)の容姿に大き
      なコンプレックスを持っていると聞く。
      これが、戦争の後遺症なのか、日本人
      自体が、劣等民族だからなのかは、
      わからない。

      でも、見ていてとても恥ずかしい気持ちになる。

      なんなのだろう?
      • by 佐藤
      • 2016/11/01 4:57 PM
      書き込みを見てわかるように上から目線のコメントが多いですね
      だからクラシックファンは嫌われるんです
      いつもJ-popを馬鹿にしてて恥ずかしい人たちですね
      • by 名無し
      • 2019/06/26 8:10 PM
      コメントする
      トラックバック
      この記事のトラックバックURL