【演奏会 感想】エリアフ・インバル指揮東京都響 〜 「作曲家の肖像」シリーズVol.91《ベートーヴェン》

2013.01.28 Monday

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    ・「作曲家の肖像」シリーズVol.91《ベートーヴェン》
     エリアフ・インバル指揮東京都響
     清水和音(p) 矢部達哉(Vn) 向山佳絵子(Vc)
     (2013.01.27 東京芸術劇場)







     エリアフ・インバル指揮東京都響の「作曲家の肖像シリーズ」、第91回となる今日は、ベートーヴェン・プロを東京芸術劇場で聴いてきました。曲目は、「フィデリオ」序曲、三重協奏曲(清水和音、矢部達哉、向山佳絵子)、休憩を挟んで交響曲第4番。

     早いテンポでグイグイと進んでいく「フィデリオ」を聴きながら2つのことを思いました。まず、私はインバルのコンサートを50回くらい聴いてきましたが、オペラを1回しか聴いていないというのは痛恨の極みだと。インバルと都響は、この曲をシンフォニックに演奏しながら、オペラの幕が空く前の「ああ、早く幕が空いて欲しい、でも、この序曲も聴いていたい」というあのワクワクしたオペラ小屋の雰囲気をも感じさせてくれたのです。コーダの激しい追い込みも、これから繰り広げられる救出ドラマへの期待に胸を躍らせるに足るものでした。ああ、一流のオペラ指揮者でもあるインバルの指揮する第2幕第1場のフロレスタン救出の場面など、どんなにエキサイティングになるだろうかと想像して、身悶えしそうになりました。

     そしてもう一つ。都響の充実した響きの秘密が少し分かったように思ったのです。都響は若杉時代、古澤厳がコンマスに就任したあたりから高弦のつややかな美しさが際立つようになり、矢部達哉が後を継ぐとともに、ジェラルド・ジャーヴィス、そして四方恭子という名コンマスを招いて、ますます美しさに磨きをかけてきた。そして、低弦はもともと在京のオケのなかでも最も充実した響きを聴かせてくれるオケだった。また、最近、ツイッターなどでもよく話題になりますが、管楽器の充実にも目を瞠るものがあって、日本のオケのアキレス腱だった金管(スタミナ不足、技術不足)もかなり克服されつつある。でも、それだけでは良いオケにはならない。

     都響の大躍進の原動力には、セカンドヴァイオリンとヴィオラの充実も欠かせない要素だということを、たった6分ほどの「フィデリオ」序曲で痛感したのです。ただ音量が大きくて、よく聴こえてくるという訳ではありません。高弦と低弦にぴったりと合わせた音色とピッチを保ちながら、ちゃんと主張がある。生命の宿ったアクセントやスフォルツァンド、生き生きとした弾力をもった刻みが、どれほど音楽の「旨味成分」になり得ているか。音色もザッツも見事に統制されながらも、決して堅苦しくならないピチカートの美しさ。どれをとっても、海外の超一流のオーケストラからしか聴けない種類の輝きをもったものでした。これがあってこそ、あのつややかな高弦の音色が最大限に生き、重量感のある低弦の響きにより堅牢な安定感が生まれる。管楽器は安心してのびやかなソロを吹き、ティンパニがここぞというところにきちんと楔を打ち込むことができる。指揮者インバルは、自らの理想とするベートーヴェンの音楽を妥協なしに引き出すことができる。


     三重協奏曲と交響曲でも、その「黄金の内声部」に支えられた充実したベートーヴェンを聴くことができました。

     協奏曲は、インバルはなぜか2回もディスクで録音をしていることもあって、非常に慣れた手つきで音楽を作っていましたが、超快速の「フィデリオ」から一転して、実に堂々たる恰幅の良い演奏を聴かせてくれました。これが良かった。どうしてかというと、そのずっしりとした重量感のある演奏が、この曲のもつ決定的な「つまらなさ」を目立たなくしてくれていたからです。この曲のつまらなさとは、その展開の陳腐さにあって、何よりもベートーヴェンらしい「驚きに満ちた鮮やかな展開」があまりないことに起因すると私は感じているのですが、彼らの立派な響きに溢れた演奏が、その残念な陳腐さをうまくマスキングしてくれていたのです。その点、昨年聴いたノリントンとN響の演奏は、ピュアトーンという方法論がむしろ音楽の弱点を無残にも露わにしてしまっていたのとは逆。これまでもカラヤンやバレンボイム、あるいはマズアといった人たちが、同様のアプローチで際どいところで成功していたのと同じことなのかもしれません。

     ソロは、向山佳絵子のチェロが良かった。そうでなくとも無駄に難しい曲(親指を使うポジションの連発)をただ弾ききったというだけでも素晴らしいですが、豊かな倍音を伴いながらもくっきりとクリアに響く音色がとても美しく、あの第2楽章のソロは美しかった。この人のチェロを聴くのは随分と久しぶりのような気がするのですが、いや、音楽家として、人間としての成熟を目の当たりにして嬉しく思いました。今日の顔ぶれならば、都響のチェロ首席である古川氏がソロを弾いても良いというところですが、これだけの難曲ですから、ソリスト活動がメインの奏者を連れてきたのは正解だったかもしれません。(勿論、古川氏のソロも聴きたいところですけれど)

     都響のコンマス矢部達哉は、1楽章の前半こそ音程が定まらなかったり、鳴りが今ひとつかなという部分が散見されましたが、1楽章の展開部くらいから調子が上がって、あの彼の最大の武器である美しい音色を楽しみました。特にぞくぞくするような美しいカンタービレが聴ける第2楽章では本領発揮というところ。ただ、この何とも厄介な曲を前に、この人の「育ちの良さ」みたいなものがちょっと邪魔をしてしまっていて、ほんの少し音楽の線が細いような気がして、もうちょっと厚かましく自己主張してくれてもいいのにな(あのマーラーやR.シュトラウスのオケ曲でのソロのように!)という贅沢な不満を抱いてしまったというのが正直なところ。でも、やっぱり私はこの人のヴァイオリンの音、大好きです。大好きだからこそ、贅沢な不満も言いたくなるということで。

     ピアノの清水和音も久しぶりに聴きます(20年ぶりくらい)。彼のピアノがどうこうというより、そもそもこの曲でのピアノが主役級の扱いながら、今ひとつ見せ場がないパートなので、実はさほど強い印象は残っていないのですが、堂々たる演奏を聴かせてくれました。でも、矢部・向山という弦メンバーとあまりアイ・コンタクトがなかったこと。そのせいか、個々の奏者は優れた演奏をしていても、トリオとしての親密さ、緊密さはさほど強く感じませんでした。有名なソリストが丁々発止のやりとりをした名演や、常設のトリオが和気藹々とやった佳演に比べると、全体としてちょっと物足りなかった。でも、インバルと都響の充実したバックが、そうした不満をきれいに打ち消してくれました。一年のうちに2回もこの曲を実演で聴くなんてめったにないことだと思いますが、ようやく「これぞ」という演奏に出会えて良かった。

     休憩をはさんでの交響曲も、絶好調のコンビによる素晴らしい演奏を味わえました。ここまで述べてきたようなオケの様々なレベルアップがすべてプラスに作用して、本当にいい音楽を聴けたと思います。と同時に、インバルのベートーヴェン解釈のユニークな点も明確になっていて面白かった。

     インバルのベートーヴェンで最も印象に残るのは「肯定に至るまでの懐疑」が聴こえてくる場面。ベートーヴェンの音楽の核にあるのは、最初に投げかけられた問いに対して、懐疑を繰り返しながら、最終的には主調に達してすべてを肯定する答えにたどりつくプロセスですが、インバルが最も強い関心を抱いているのは、「解決」そのものなのではなくて、そこに至るまでに立ち向かった「懐疑」にこそある。だから、第1楽章冒頭のあの不安げな序奏が、これまでになく、不安定でエントロピーの高い音楽になっている。一体これからどうすればよいのか、このまま進んでよいのか、手探りのまま暗闇をそろりそろりと歩いているようなよるべなさが、他のどの指揮者よりも激しく表出されている。他の場面でも、ちょっとでも音楽の雲行きが怪しくなると、「ほれきた!」とばかりにインバリッシモ(インバリッシモとは本来、繊細な弱音に対して使われる呼称です)が威力を発揮する。この曇った懐疑があるからこそ、主調に解決したときの解放感が大きくなる。そのコントラストの強さがインバルらしい。ただ、以前のインバルほどには神経質に細部をいじることはしなくなったので、例えば、97年に同じオケ、同じ会場で聴いた第6,5番での不気味な演奏に比べると、随分オーソドックスな外見になっていた(もちろん、曲の性格によるところも大きいでしょうが)ので、抵抗なく「インバルのベートーヴェン」を楽しめました。そして、ここでも都響は指揮者との幸福な結びつきをホールいっぱいに響き渡らせていました。第4楽章など、よくこのテンポで!と思うような超快速ながら、磐石のアンサンブルで愉悦感にみちた音楽を聴くことができました。難所として知られるファゴットのソロも、このテンポではさすがにダブルタンギングで吹かざるを得ませんが、それでも見事にハードルをクリアしていて拍手ものでした。第2楽章のクラリネットのソロも美しかった。そして、ここでも「黄金の中声部」は素晴らしかった。演奏が終わって、インバルは第1ヴァイオリンばかり起立させていましたが、私はこの中声部のパートこそ起立させるべきではないかと思います。

     ベートーヴェンだとつい熱くなってしまいます。でも、熱くなれているということは、それだけいい演奏を聴けたということでもある訳で、今日はせっかくの休日に家を空ける父親への家族からの冷たい視線に耐えて聴きに行って良かったと思います。

     何もかもがうまく回っているという充実した空気に満ち溢れ(実際のところ、オケ内部の方々の感想は分かりませんけれど)た音楽が舞台で生まれ、その空気が客席に伝わってくる。晴れ渡った日曜の午後、私たち聴き手は、指揮者とオケのあたたかい結びつきを目の当たりにして、充実した音楽を楽しむ。音楽を通した感興の高まりが私たち市民の生活を豊かにしてくれる。明日を生きるための力を得ることができる。何という幸福でしょうか。やっぱり私たちの生活に、オーケストラは必要です。間違いなく。

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