珠玉の小品 その8 〜 ラーション/「冬物語」からエピローグ

2007.09.26 Wednesday

0


    ラーシュ=エーリク・ラーション(1908-1986)/劇音楽「冬物語」からエピローグ
    オッコ・カム指揮ヘルシンボリ響

    ★上記リンクから試聴できます。トラック6です。

     今日はスウェーデンの作曲家ラーションの音楽。シェークスピアの戯曲「冬物語」のラジオ放送ために書いた22曲の劇伴の中の「エピローグ」です。

     冒頭から弦のユニゾンで歌われる旋律が何とも悲しく美しい。2度同じフレーズが繰り返された後の1オクターブの跳躍が胸に刺さります。その旋律に応える管の合いの手は、悲しみを認知するような優しさがあります。そして、木管楽器による悲しみを縁取るような美しいフレーズに引き続き、冒頭の旋律が今度はフォルテで奏でられると悲しみはより心の奥深くに入り込んできます。

     しかし、この音楽にはどこか「救い」があるような気がします。どこか親しげな表情をもった悲しみを感じるのです。決して聴く者を絶望の淵に追いやったりすることのない音楽、清々しい涙を誘う音楽、とでも表現すれば良いでしょうか。実際の戯曲のどの場面で使われた音楽なのかは知らないのですけれど。

     上記のカム指揮の「スウェーデン管弦楽曲集」所収の演奏は、決して感傷的にならない淡々とした語り口が却って胸を打ちます。また、とても素晴らしい選曲のアルバムだと思います。同じラーションの「田園組曲」、ステンハマルのカンタータ「歌」の間奏曲など、北欧音楽ファンの必須アイテムのオンパレードです。

     ラーションの作品集としては以下のアルバムも私のお気に入りです。

    ラーション/作品集

    ラーション/管弦楽曲集(偽りの神、冬物語、小組曲、田園組曲)
    ウォレン=グリーン指揮ヨンショーピング・シンフォニエッタ


     「冬物語」は4曲が抜粋されているのも嬉しいですし、エピローグはカム盤とは対照的に生々しくロマンティックですが大好きな演奏です。

     ああ、いつの日にかラーションの音楽をコンサートホールで聴けますように。

    シルヴェストロフ作品集を聴いて(ECM)

    2007.09.23 Sunday

    0
      シルヴェストロフ/作品集(ECM)

      シルヴェストロフ作品集〜バガテル、エレジー、『別れのセレナーデ』他 
      シルヴェストロフ、リュビモフ(P)、ポッペン指揮ミュンヘン室内管弦楽団


       先日の入居CDを全部聴いていないうちにまた新しいCDを買ってしまいました。

       現代作曲家シルヴェストロフの70歳記念の作品集で、全部で14曲からなる35分程度のピアノ曲「バガテル」の自作自演と、ピアノと弦楽合奏のための作品で構成されています。

       「バガテル」は、シューベルトやブラームスの後期のピアノ作品のもつ静謐な雰囲気と、ジョージ・ウィンストンの作品のようなポップな感覚とが入り混じったような、全篇が弱音で弾かれる静かな小品たちですが、本当に美しい音楽です。残響を多く取り入れた録音のせいもあって、作曲者の発した音(言葉)の余韻を、じっくり味わいながら、音楽から湧き上がるイメージを膨らませることができます。

       私は、最初は、小さな部屋の中でピアノを前にシルヴェストロフ自身が美しい詩をつぶやくのを、じっと息をひそめて聴いているかのような気分になったのですが、聴き進めるうち、シルヴェストロフの姿もピアノも視界から消えてしまい、部屋の窓の向こうに広がる川の風景を眺めているような感覚を覚えました。川辺には一面のすすきが生えていて風にそよそよとなびいている、そして、川の水はゆっくりと音もなくただただ流れている、そんな風景をアンゲロプロス監督の映画のように超ロングカットで見ているのです。なぜそんな風景が思い浮かんだかは分かりませんが、実際の音の少なさとや裏腹に、とても豊かな心象風景を私に与えてくれる音楽だと思いました。疲れて乾ききった心に水を注いでくれるような効果がありました。

       このほか、弦楽のための作品も逸品ぞろいです。

       「静かな音楽」「別れのセレナーデ」は、マーラーの5番のアダージェットの雰囲気を、もっと現代的にして、もっと洗練させたような甘く切ない音楽で胸に響きます。例えば、映画が終わった後のスタッフロールのBGMに使えそうな音楽です。

       こうした彼の音楽の分かりやすさや美しさは一体何を意味するのか、いろいろ考えたくなりますが、私には「喪失感」と表裏一体になった感覚に思えます。現代の社会から失われたもの、失われつつあるものを哀しい目つきで惜しんでいるような。20世紀初頭に書かれたマーラーのアダージェットとの接点も、そこにあるような気がしています。私は、この人の交響曲第5番を聴いて、ただ眠くなるばかりで全く理解できませんでしたが、再び聴き直してみたいと思いますし、最近出たボレイコ指揮の第6番も聴きたくなりました。

       それにしても今月のECMの新譜はすごいです。何という面白いラインナップ!私も購入したクレーメルのマーラーとショスタコ、このシルヴェストロフに加え、P.ギーガーのバッハ(!)と、エトヴェシュのチェルハとシュレーカー、シフのベートーヴェン。最近、キース・ジャレットのECMのアルバムも聴き始めていて、つくづく思うのですがECMの社長のマンフレッド・アイヒャー氏は凄い人です。この企画力と慧眼、ただのビジネスでディスクを作っている人ではないと思います。ガチガチのクラシックとも安易なクロスオーバーとも一線を画する、「価値のある」音楽を提供してくれるのが素晴らしいと思います。

      シベリウスの命日に

      2007.09.20 Thursday

      0


        シベリウス/交響曲第7番
        レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル


         今年はシベリウスの没後50周年、そして今日9/20が命日です。

         私の大好きな彼の交響曲第7番のことを書きたいと思います。

         名作と言われるだけあって本当に名演ぞろいですが、私は、「例によって」バーンスタインの晩年の演奏を最も好みます。それは、この演奏から強烈な「ムジツィーレン」、つまり「音楽する喜び」を感じるからです。その「音楽の喜び」は、そのまま私に「生きる喜び」を与えてくれます。

         例えば、有名なトロンボーンのソロの部分は、誰が演奏しても感動的な音楽ですが、指揮者もオケも120%くらい感情を開放して感極まったかのような演奏をしています。「シベリウスらしさ」から程遠い異端の演奏には違いないのですが、
        私は、この演奏の前代未聞といえる強烈な「法悦」の魅力にとりつかれています。この演奏、映像も残っているので早くDVD化して欲しいものです。

         そして、この濃厚な7番のあとには、デザートというかアンコールとして、ヤルヴィの指揮する「アンダンテ・フェスティヴォ」を聴こうかなと思っています。こちらは清澄な美しさが印象的な素晴らしい作品です。

        珠玉の小品 その7 〜 ホフマンの舟歌

        2007.09.20 Thursday

        0
          カラヤン オッフェンバック序曲集

          オッフェンバック/歌劇「ホフマン物語」〜ホフマンの舟歌
          ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル


           80年代初頭、カラヤンがオッフェンバックの序曲集を録音した際のインタビュー記事で、「ホフマンの舟歌には人の一生のすべてがある」と述べているのを読みました。その頃中学生だった私には全然意味が分かりませんでしたが、最近ほんの少し理解できるようになった気がします。

           舟がどこからともなくやってきて水面(みなも)を進み、そしてまたどこかへ消えていく、確かに、儚い人生の「とき」を重ねたくなるような景色の音楽です。さざ波のようなリズムの伴奏に乗って、ゆったりと美しい旋律が歌われますが、まるで人生の苦悩だとか困難をも達観したかのような穏やかさが胸を打ちます。

           カラヤンの演奏は、まさにカラヤン流の華美な演奏です。しかも、「パリの喜び」をベースにした派手めな編曲なので妖艶ともいえる様相を呈していて、特にヴァイオリンの旋律のずり上げなど、聴いていて気になる部分はあります。しかし、美しい演奏であることには違いなく、また、上記の至言に敬意を表しカラヤン盤をよく聴きます。

           この曲、ちょっとした個人的な思い出もいろいろあったりするので、私が死んだときに流してほしい音楽の一つです。

          今日の入居者たち(CD)

          2007.09.19 Wednesday

          0
            今日、拙宅に入居してきたCDたちです。
            ラックから溢れて居場所がないのが不憫です・・・。

            ムラヴィンスキーBOX・ムラヴィンスキー ライブBOX(Erato)
             ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル
            ブーレーズ/マーラー/交響曲第8番・マーラー/交響曲第8番
             ブーレーズ/ベルリン・シュターツカペレ他

            クレメラータ・バルティカ マーラー&ショスタコ・マーラー/交響曲第10番(弦楽合奏版)、ショスタコーヴィチ/交響曲第14番
             クレメラータ・バルティカ

            ウィスペルウェイ ドヴォ・コン・ドヴォルザーク/チェロ協奏曲、交響的変奏曲
             ウィスペルウェイ(Vc)/I.フィッシャー指揮ブタペスト祝祭管


            文句あるか!と言いたくなるような、クラシック・ファンの王道ディスク、
            何の説明も要らない話題盤のオンパレードです。

            今、ウィスペルウェイのドヴォ・コン再録音を聴いています。
            フレージング、アーティキュレーションから何から、よく言えば「考え抜かれた」演奏、
            言い方を変えれば、「考えすぎ」「いじりすぎ」の演奏というのが第一印象です。
            かつてのマイスキー/バーンスタインの演奏でさえも後ずさりしそうな、
            最弱音を多用した「妖しい」雰囲気は、私にはたまらない魅力なのですが、
            華麗にバリバリ弾きまくってほしい場面でも妙なアゴーギグが仕掛けられていたり、
            そこここにマニアックな細工があるのが少々「うるさい」という気がします。
            もうちょっと素直に弾いてくれればいいのに、と。

            しかし、彼は楽器を変えたんですね。
            1760年のグァダニーニをオークションで最高額で入手したとかで、
            恐らくガット弦で弾いた音色は、クリーミーで夢見るような柔らかさが魅力的です。
            特に第1楽章の第2主題、1回目に最弱音で弾く部分の弱音も素敵なのですが、
            クライマックスのオクターヴのグリッサンド直後の再現で弾かれる部分、
            (ロストロだったら雄渾にフォルティッシモで歌い上げていた部分ですね)
            こんなやり方もあったかと思わせるような優しく美しい歌にはしびれました。
            ここを聴けただけでも3000円以上(SACD)出して買った甲斐はあったと思います。

            フィッシャーの伴奏は、ウィスペルウェイのクリーミー路線からすると、
            特にリズムに味の濃さを感じさせていて、これが面白い対比になっています。
            伴奏も時折風変わりなアゴーギグがありますが、さほど違和感は感じませんでしたし、
            対向配置で立体的な音響を作り出していて気に入りました。

            全部聴き終って拍手が聴こえてきて気がついたのですが、これはライヴ録音でした。
            修正はされているんでしょうけれど、まったく危な気のないハイレベルの演奏。
            ナマで聴いたら、ウィスペルウェイの術中にはまって泣けたかもしれません。

            ドヴォ・コン、自分で練習していたこともあって興味のある曲なので、
            かなりの演奏を聴いてきたつもりですが、まだまだいろいろな演奏が出てきます。
            今度は誰のどんな演奏を聴けるでしょうか。

            珠玉の小品 その6 〜 ディーリアス/イルメリン前奏曲

            2007.09.18 Tuesday

            0


              ディーリアス/歌劇「イルメリン」前奏曲
              サー・ジョン・バルビローリ指揮ロンドン響

              ★上記サムネイルクリックした先で試聴できます。(Track3)

               私の好きな小品をランダムにリストアップしていくと、どういうわけか、ディーリアスの作品、北欧の作品が多くなってしまいます。ディーリアスの作品は、以前取り上げた「フロリダ組曲」だけでなく、
              他にも愛惜すべきものがいくつもありますが、この「イルメリン」前奏曲は、その中でも特に私が長年聴き続けている大切な曲です。

               冒頭、フルートによって奏でられる哀しく寂しげな旋律が、たゆたうハーモニーの中で、楽器を変え、繰り返し歌われていきます。霧の中に立ち昇った水面からの緩やかな風が、色や速度を変えて広がり、あたりに哀しい空気が少しずつ広まっていくのを見るかのようです。

               しかし、途中でフルートが今度は夢見がちで優しい上向音型を歌出だすと、弦楽器がそっと肌を愛撫するような優しい響きでこだまします。この音型は歌曲「イルメリンのばら」でも引用される印象的なモチーフです。そして、音楽はどこかに希望を孕んだような明るさを増して静かに消えてきます。

               こんな儚く美しい音楽の後、幕が開いて何かのドラマが始まるなんて、まったく想像もできないほど、穏やかで自己完結した音楽です。

               この曲、高校時代の落ちこぼれ時期にバルビローリのLPを聴いて以来、愛聴してきました。サー・ジョンの音楽への愛情と濃厚なロマンに激しく惹かれる演奏です。途中で聴こえるバルビローリの熱い気持ちのこもったうなり声も胸を打ちます。

               この演奏、最近ようやくオリジナルの「音詩集」の形で再発売されました。アルバムのコンセプトも演奏もとても素晴らしい名盤だと私は思っています。

               マーラーやショスタコを華麗に演奏するオケだけじゃなくて、こういう曲を、あたたかく美しく演奏できる指揮者とオケ、いてほしいです。そして、日本のコンサートシーンでも、ディーリアスの曲をもっと聴きたいです。

               そういえば、この曲、私の敬愛する音楽ライターの山尾敦史氏が、「高邁にして怠惰なヴァカンス」用CDのリストに挙げておられました。まさにぴったりの選曲、さすがプロの方のセンスだなあと感心しました。

              ミスティ ムーン 純名りさ

              2007.09.17 Monday

              0


                純名りさ 〜 ミスティ ムーン

                 ほんの数ヶ月前のこと、近所のブックオフで中古CDを見ていたら、純名りさ(当時は里沙)の"Propose"という廃盤のアルバムを見つけ買ってしまいました。私は彼女がNHKの連続テレビ小説「ぴあの」で出演していた頃からの大ファンですが、久石譲プロデュースとなるこのアルバムが出ていたことさえも知りませんでした。買ったCDを聴いてみると、歌い口が少し生真面目すぎるかという気はしますが、何よりくもりのない透明な声が心地良く、この人の歌をもっと聴きたいと思いました。そして、もしかしたら、結構クラシックの曲でもいけるかなあなどとも感じてもいました。

                 しかし、世の中、同じようなことを考える方もおられるようです。最近、彼女がクラシックのクロスオーバー系アルバムを出しました。私自身は、こうしたクロスオーバーアルバムはさほど好きではないのですが、やはり彼女のファンとしては気になってしかたがないので買って聴きました。

                 純然たるクラシック曲はグノーの「アヴェ・マリア」とサン・サーンスの「白鳥」、それと、だったん人の踊りが原曲の「ストレンジャー・イン・パラダイス」の3曲で、あとは、「虹の彼方に」「コーリング・ユー」「スマイル」「ムーン・リヴァー」、そしてオリジナルの「月の庭」というラインナップです。

                 彼女の歌ですが、相変わらずの透明で張りのある声がとても美しいですし、あらかじめ決めた歌のイメージを完璧に音にしようという真剣さに胸を打たれます。高音での声の張り方やビブラートのかけ方など、自分の声の特質をよく知った上で、ちゃんと効果を計算して歌っているところがさすがプロ(宝塚出身)だなあと感心します。きっと彼女は心のきれいな人なのだろうなあと彼女の写真の美しい瞳を見たりして。アレンジもシンプルで華美になりすぎていないところが良く、聴き疲れもしません。

                 私が彼女の古いアルバムを聴いたときに抱いた願望も満たされた訳で、かなり贔屓が入っていますが、なかなかいいアルバムだと思います。

                 ただ、不満もあります。

                 彼女の歌は、ここでもやはり生真面目という印象がとても強く、それが悪いとは言いませんが、変な言い方ですが、彼女の「生身」の女性の「心のうた」を聴きたいという気がします。曲がクラシックだろうがなんだろうが何でもいいのですが、彼女の持つ歌のテクニックを超えたところで聴かせてくれるものに触れたいです。彼女は、何と言っても女優さんで、ミュージカルを得意とされているので、当り役の歌を、そう、ライヴで録音して集めて発売するとか、もっと彼女の本音の部分をストレートに出せる企画ができるのではないかと思いました。

                 本田美奈子亡き後のクラシック系ポップス歌手の枠に彼女を当てはめ、戦略としてクラシック系の歌を「歌わせ」て商品として「消費させる」のではなく、彼女自身の特質と音楽の志向性を重視した上で、素材として時としてクラシックも歌う、
                というふうにして、息の長い活動を続けより良いものを作って聴かせてほしいと思います。

                 それにしても、彼女が歌う姿、ナマで拝みたいものです。

                もう一つの「弦楽のためのアダージョ」 〜 ギヨーム・ルクー

                2007.09.16 Sunday

                0


                  ルクー/弦楽のためのアダージョ
                  ピエール・バルトロメー指揮リエージュ・フィル


                   先日、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」について書きました。
                   「弦楽のためのアダージョ」といえば、私の好きな曲にルクーのものがあります。

                   ギヨーム・ルクー(1870-1894)は、24歳で夭折したベルギーの作曲家です。彼の作品は、昔はグリュミオーやボベスコが愛奏したヴァイオリン・ソナタが知られる程度で、最近ようやく管弦楽や室内楽のCDが少しずつ聴けるようになってきたくらいですが、この「弦楽のためのアダージョ」は、LP時代にエラートから出たジョルダン盤が知られていて、レコード芸術誌で金子建志氏が愛聴盤として挙げられるなど、いわば「知る人ぞ知る」名曲でした。CDでも、私が知る限り数種類の演奏が出ており人気曲といえるかもしれません。

                   曲は、陰鬱で後ろ向き、何かを諦めたかのような虚しさが支配する「暗い」曲です。主題は、最初こそ5度の跳躍音型を見せますがすぐに力なく下降して停滞し、あたかも、自分のしてしまった過ちを後悔してため息をつくような、あるいは、自分では背負いきれない何かの重みに耐え切れずへたりこんでしまうような、そんな悲しげな音楽で、これがほぼ12分近く延々と繰り返されます。

                   ただ、途中で一度だけ、明るく希望に満ちた調べが突然展開されます。慰めに満ちた優しい響きに包まれ、まるで砂漠の中にオアシスを見つけたような感覚になります。私には夜空に流れ星が次々と降ってくるようなイメージに聴こえます。

                   しかし、その響きも長続きしません。いつしかあの陰鬱な雲がやってきて、音楽は再び暗闇の中へと戻っていきます。

                   ただひたすら暗くて救いようのない音楽。バーバーのように感情を極限まで爆発させる余地のない曲なので、演奏する側も、聴く側も感情を発散させることもできません。ですが、気がつくとこの曲を聴きたくなっている自分もいます。この「不幸のどん底」に浸ることで、やはり何かカタルシスが得られるのかもしれません。昔の歌謡曲で言えば、山崎ハコさんの音楽みたいな位置づけになるでしょうか。

                   私がいくつか持っているCDでは上記バルトロメー盤を最も好みますが入手困難。最近出た井上/ジャパン・シンフォニア盤は未聴ですが、評判が良いようです。近く入手して聴いてみたいと思っています。



                  また、私は以前、この曲をアマ・オケで演奏したいと思って楽譜を探したのですが、
                  当時は高価なレンタル譜しかなく断念したことを記憶しています。
                  ジャパン・シンフォニアで演奏ができたということは楽譜も入手できたわけで、
                  この曲もまたいつか演奏したいなあと思っています。

                  私のデビューCD(妄想)

                  2007.09.15 Saturday

                  0
                     以前、私の親しい女友達がこんなことを話してくれました。
                     「私、自分が銀座のクラブのホステスになったとしたらどんな源氏名にするか、とか、 自分がCDデビューするとしたらどんなジャケットするかって想像して楽しむことがあるのよ。」と。

                     彼女の発想はユニークでもあり、女性らしくもあって、私にはとても面白く思えて、お互いにああだこうだといろいろと話に花が咲いたのを覚えています。

                     同じようなテーマを自分に置き換えたらどうだろうと考えてみたのですが、しかし、私がホストになるというのも、自分の写真がCDのジャケットになるのも、想像するだけで寒気がしてしまうので、こういうテーマを時折妄想して楽しんでいます。

                     私がもしCDデビューできるとしたらどんな曲目にするかです。

                     私は子供の頃、指揮者になりたかったので、オケを指揮してのデビュー盤を考えます。今、自分で気に入っているのはこんなアルバムです。

                     1)ディーリアス/歌劇「村のロメオとジュリエット」〜楽園への道
                     2)ドビュッシー/歌劇「ペレアスとメリザンド」組曲(コンスタン編)
                     3)ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」抜粋(ストコフスキー編)


                     つまり、「○○と△△」というタイトルの恋愛モノオペラの管弦楽曲編集です。

                     前半2曲は、それぞれに繊細で美しい音楽を優しく奏で、透明な悲恋を描きます。
                     後半の「トリスタン」は「前奏曲と愛の死」とストコフスキー編曲版抜粋を組み合わせ、ストコフスキーがフィラデルフィア管とステレオで録音した演奏さながらに、特に第2幕の二重唱の部分を思いっきりエロティックに演奏して、とてつもなく妖艶な音楽に仕立て上げてしまいたいと思います。


                     ・・・なんてこんなCD、誰が買うでしょうか。

                     でも、例えば、ラトル/ベルリン・フィルあたりが録音したら売れるでしょうか。ジャケットは、裸の男女が絡み合っているようなエロティックな有名写真家の写真を使って、初回限定版には媚薬(トリスタンに因んで)とか、髪の毛さらさらになるシャンプー(ペレメリに因んで)とかをおまけにしたりして、
                    大キャンペーンやったら売れないでしょうか。

                     ・・・売れないですね。

                    バーバー/弦楽のためのアダージョ 〜 バーンスタイン 

                    2007.09.14 Friday

                    0




                      バーバー/弦楽のためのアダージョ
                      レナード・バーンスタイン指揮ロサンジェルス・フィル


                       今日は泣こう、と思って聴く音楽というのがあります。激しく感情移入して涙を流すことでカタルシスを得たいという動機で聴くのです。私にとっての「泣くための音楽」の一番はバーンスタインのバーバーのアダージョです。通常7分程で演奏される曲が10分かかる超スローテンポの演奏として有名な演奏です。

                       演奏は、止まってしまうかのような極限まで引き伸ばされたテンポで、人間の心の奥底からのかすれた囁き声のような最弱音で始まります。

                       だんだんと深いところから、音楽の中にある哀しみの感情がゆっくりと湧き出てきて、上昇音型やクレッシェンドに伴って哀しみは強く大きく増幅されていき、そして、遂には"はらわた"がちぎれんばかりの激しい慟哭のクライマックスへ。その感情移入の激しさたるや、彼の演奏するマーラーの9番のフィナーレのそれに匹敵するほどです。触れば火傷しそうなくらいに熱く、切れば血が吹き出るくらいに生命を感じる音楽です。

                       激しい嗚咽はやがて鎮まり、また新たな感情へと静かに音楽は溶けていきますが、バーンスタインの演奏から感じるものは、決して諦めや無気力などではなく、何かを求めるような懇願するような熱い気持ちです。いや、「祈り」でしょうか。最後の和音が長調で静寂の中に消えていくとき、心に一条の光が差しこんでくるのを感じます。

                       こうしてバーンスタインが音楽から引き出した感情のダイナミズムに身を任せ、彼の心と一緒に涙を流すことで、聴き終えた後に「カタルシス」が私の心を支配します。ほんの一時でも自分の心の孤独が癒され、救われたような気分になることができます。

                       私がこの演奏を初めて聴いたのは、高校生のときでした。希望した進学校に入ったはいいものの徐々に成績がガタ落ちし、入っていた部活もやめ、失恋もして、初めて壁のようなものにぶち当たっていた時期、輸入盤LPの新譜として紹介されたのをFMで聴いたのです。とにかく、聴いていて自分の中にある「哀しみ」と音楽を通して初めて対峙し、涙があふれてとまりませんでした。そして泣くだけ泣いて救われた気がしました。これほどまでに赤裸々に人間の感情を表現したクラシック音楽を初めて聴いたので、私にとってはまさに「驚天動地」の体験でした。放送が終わるや否や、小遣いを手にレコードショップに行ってLPを買ったのを覚えています。

                       それから何度この曲のこの演奏を聴いたことかわかりません。毎度のように聴きながら泣いて最悪の状態から脱してきました。「泣ける」音楽だからそれが優れているというつもりはありませんし、客観的に見れば必ずしも「名演」ということでもないと考えていますが、バーンスタインのバーバーは、私の人生にとって確かな役割を果たしてくれる、「価値」のある音楽であるということは間違いありません。

                       こうした音楽に出会えたことを幸福だと思います。